
その中で、1945年(昭和20)12月8日に、連合国最高司令官指令(SCAPIN)の一つとして、「救済並福祉計画の件」(SCAPIN-404)が発せられ、失業者や生活困窮者救済のために日本政府としての包括的な計画案を求めました。その内容は、①労働能力を有する失業者を救済の対象に含むべきこと、②救済水準と方法は充分なものでなければならないこと、③救護法を含む既存の救済諸法の抜本的な改廃を示唆していることなどとされます。
これに基づき、同月15日に「生活困窮者緊急生活援護要綱」が閣議決定され、戦災者や失業者、その家族を含む生活困窮者について、宿泊、給食などの現物の給付、生業の斡旋等を都道府県の計画に基づき、市町村単位で実施することを規定しました。これによって、国による無差別平等の最低生活の維持が打ち出されることとなり、翌年2月27日の連合国最高司令官指令「社会救済に関する覚書」(SCAPIN-775)を経て、同年9月9日に旧「生活保護法」が公布(10月1日施行)され、5種類の扶助(生活・医療・助産・正業・葬祭)が制度化されます。
しかし、同法は戦前の救貧法的色彩が強く残存しており、1949年(昭和24)9月に、社会保障制度審議会は「生活保護制度の改善強化に関する件」を政府に提出しました。その内容は、①国の保障する最低生活は健康で文化的な生活を営ませる程度のものであること、②生活困窮者の保護請求権の明示及び不服申立を法的に保障すること、③保護の欠格条項の明確化となります。
この勧告も踏まえて国会で審議の上、1950年(昭和25)5月4日に現行の「生活保護法」に全面改正されました。その後も何度かの改正を経て、現在は8種類の扶助(生活・教育・住宅・医療・出産・正業・葬祭・介護)が実施されるようになります。
以下に、1950年(昭和25)に制定当初の「生活保護法」 (昭和25年法律144号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。
「衆議院ホームページ」より
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