
1925年(大正14)より、甲板にレールを設けた客載貨車航送船が就航して、貨車をそのまま航送できるようになりました。太平洋戦争中は、空襲によって沈没、損傷などの大きな被害を受け、終戦時には壊滅状態となっていましたが、戦後復興し、1948年(昭和23)には計14隻が就航して、重要な輸送路となります。
しかし、1954年(昭和29)9月26日に襲来した洞爺丸台風によって、洞爺丸のほか計5隻が遭難沈没して、乗客1,051人職員379人の合計1,430人の死者をだす大惨事を引き起こしました。その後は、高度経済成長や旅行ブームによって、1972年(昭和47)には、1日最大30往復もの運航をする最盛期を迎えます。
ところが、航空機が一般的になって減少に転じ、国鉄民営化後の1988年(昭和63)3月13日に青函トンネルの完成により、JR津軽海峡線が開通したため、通常運航が終了しました。その後、青函トンネル開通記念博覧会と世界・食の祭典に合わせ、同年6月3日~9月18日まで「羊蹄丸」「十和田丸」を用い昼間1日2往復の暫定運航(復活運航)を行いましたが、1988年(昭和63)9月19日をもって、80年余の歴史を閉じています。
尚、現在は青森に八甲田丸、函館に摩周丸が保存、展示され、見学できるようになっています。
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