
江戸幕府は、同年6月9日に浦賀奉行の戸田氏栄と井戸弘道がペリーとが会見し、大統領フィルモアの国書、提督の信任状、覚書などが手渡されます。しかし、当時幕府側には英語に堪能な通訳がいなかったため、オランダ語を介して、苦労して翻訳された上、返答には時間がかかるとし、1年の猶予を求めたため、ペリー艦隊は一端帰国することとなりました。
翌1854年(嘉永7年1月16日)に、ペリーは琉球を経由して再び浦賀に来航し、幕府側と協議の末、同年3月3日に「日米和親条約」(神奈川条約)が締結されて、開国が実現することとなります。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1488年(長享2) | 加賀一向宗門徒が対立していた守護富樫政親を攻めて自刃(長享一揆)させる(新暦7月17日) | 詳細 |
1767年(明和4) | 読本・合巻作者滝沢馬琴の誕生日(新暦7月4日) | 詳細 |
1896年(明治29) | 「山縣・ロバノフ協定」(朝鮮問題に関する日露間議定書)が締結される | 詳細 |
1923年(大正12) | 小説家有島武郎の命日(武郎忌) | 詳細 |
1938年(昭和13) | 文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」により集団勤労作業が始まり、学徒勤労動員の魁となる | 詳細 |
1947年(昭和22) | 「朝日新聞」で石坂洋次郎著の小説『青い山脈』の連載が開始される | 詳細 |
1952年(昭和27) | 「日本国とインドとの間の平和条約」(通称:日印平和条約)が調印される | 詳細 |
1995年(平成7) | 衆議院で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議(戦後50年決議)」が採択される | 詳細 |