ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:高速道路

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 今日は、昭和時代中期の1963年(昭和38)に、名神高速道路の栗東IC~尼崎ICが開通し、日本最初の高速道路の開通となった日です。
 名神高速道路(めいしんこうそくどうろ)は、昭和時代中期の1965年(昭和40)7月1日に全線開通した、愛知県小牧市から兵庫県西宮市まで全長189.6kmにおよぶ高速道路です。この完成によって、日本最初の都市間高速道路となり、4年後に完成した東名高速車道とあわせて、関東から関西が高速道路で結ばれることになり、日本の大動脈となりました。
 この高速道路の構想は、1953年(昭和28)に当時の建設省が公表した「東京神戸間有料道路計画書」が始めです。そして、時の政府は最初に整備すべき区間を名古屋~神戸間に限定し、名神高速道路として先行建設されることになりましたが、それは、1958年(昭和33)10月19日に起工、東京オリンピック前の1963年(昭和38)7月16日に、尼崎インターチェンジ~栗東インターチェンジ間が部分開通(日本最初の都市間高速道路の開通)しました。
 その後、徐々に開通区間を延伸させていき、1965年(昭和40)7月1日に全線開通します。平地部では、100km/h制限(一部の区間は80km/h)で走行することができ、中部から関西への自動車輸送時間が大幅に短縮されることになりました。

〇「名神高速道路」の全線開通までの足取り

・1953年(昭和28)建設省が「東京神戸間有料道路計画書」を公表する。
・1956年(昭和31)ワトキンス・レポート「名古屋・神戸高速道路調査報告書」が建設省に提出される。
・1957年(昭和32)10月17日「小牧~西宮」間で施工命令が下る。
・1958年(昭和33)10月19日 京都市山科区内に於いて起工(鍬入)式が挙行される。
・1959年(昭和34)4月 世銀第1次借款対象工事として「尼崎~栗東」間が指定される。
・1960年(昭和35)3月17日 世界銀行との間で第1次借款(尼崎~栗東間分4千万USドル)が調印される。
・1961年(昭和36)11月29日 世界銀行との間で第2次借款(残り区間分4千万USドル)が調印される。
・1963年(昭和38)7月16日 尼崎IC~栗東ICが部分開通する。
・1964年(昭和39)4月12日 関ヶ原IC~栗東ICが部分開通する。
・1964年(昭和39)9月6日 一宮IC~関ヶ原IC、尼崎IC~西宮ICが部分開通する。
・1965年(昭和40)7月1日 小牧IC~一宮ICの開通により、全線開通となる。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1304年(嘉元2)第89代の天皇とされる後深草天皇の命日(新暦8月17日)詳細
1885年(明治18)日本鉄道の宇都宮駅で、日本初の駅弁が発売された(駅弁記念日)詳細
1894年(明治27)領事裁判権の撤廃、相互最恵国待遇を認めた「日英通商航海条約」が締結される詳細
1919年(大正8)政治家板垣退助の命日詳細
1994年(平成6)三内丸山遺蹟で巨大建物の木柱等が出土、国内最大級の縄文集落跡と報道される詳細
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 今日は、平成時代の2008年(平成20)に、東海北陸自動車道が飛驒清見IC~白川郷IC間開通(2車線)により、全線開通した日です。
 東海北陸自動車道(とうかいほくりくじどうしゃどう)は、愛知県一宮市を起点に、岐阜県郡上市などを経由して、富山県小矢部市へ至る高速道路(高速自動車国道)で、日本高速道路公団の分割民営化後は中日本高速道路(NEXCO中日本)が管理してきました。1964年(昭和39)に、「東海北陸自動車道建設法」が公布されましたが、1966年(昭和41)に同胞が廃止され、「国土開発幹線自動車道建設法」の改正で国土開発幹線自動車道の予定路線とされます。1970年(昭和45)の一宮JCT~白鳥ICが基本計画告示、1972年(昭和47)の一宮JCT~美濃ICが整備計画・施行命令と進み、1980年(昭和55)10月29日に各務原トンネルにて起工式が行われました。1986年(昭和61)3月5日に、岐阜各務原IC~美濃ICの開通(4車線)が最初の開通区間となり、その後、順次開通区間を伸ばしていき、2008年(平成20)7月5日の飛驒清見IC~白川郷ICが開通して、一宮JCT~小矢部砺波JCTが全通します。路線延長は184.8kmで、飛騨清見IC~城端SAと福光IC~小矢部砺波JCTが暫定2車線で、他は4車線化され、一宮JCTで、名神高速道路、美濃関JCTで東海環状自動車道、飛驒清見ICで中部縦貫自動車道、小矢部砺波JCTで北陸自動車道と接続されました。山岳地帯を通過するので、トンネルや橋など大きな構造物が多いのが特徴となっています。日本海側における最大の工業集積をもつ北陸経済圏と中京経済圏を直結する路線で、北陸地方と東海地方との交流を促進し、また交通の便が悪かった岐阜県北部(奥美濃と飛騨地方)の各地域の利便性を大幅に向上させました。

〇東海北陸自動車道関係略年表

・1964年(昭和39)7月1日 「東海北陸自動車道建設法」が公布される
・1966年(昭和41)7月1日 「国土開発幹線自動車道建設法」の改正で国土開発幹線自動車道の予定路線とされる
・1970年(昭和45)6月18日 一宮JCT~白鳥ICが基本計画告示される
・1971年(昭和46)6月8日 福光IC~小矢部砺波JCT 基本計画告示される
・1972年(昭和47)6月20日 一宮JCT~美濃ICが整備計画・施行命令される
・1973年(昭和48)11月1日 白鳥IC~福光ICが基本計画告示される
・1978年(昭和53)11月21日 福光IC~小矢部砺波JCTが整備計画・施行命令される
・1979年(昭和54)3月2日 美濃IC~白鳥IC 整備計画・施行命令される
・1980年(昭和55)10月29日 各務原トンネルにて起工式が行われる
・1986年(昭和61)1月21日 白鳥IC~荘川ICが整備計画決定される
・1986年(昭和61)3月5日 岐阜各務原IC~美濃ICの開通(4車線)で初の開通区間となる
・1988年(昭和63)9月22日 白鳥IC~荘川ICが施行命令される
・1989年(平成元)3月29日 荘川IC~福光ICが整備計画決定される
・1990年(平成2)12月28日 五箇山IC~福光IC 施行命令される
・1991年(平成3)3月28日 荘川IC~飛驒清見JCTが施行命令される
・1992年(平成4)3月28日 福光IC~小矢部砺波JCTが開通(2車線)し、北陸自動車道と接続する
・1993年(平成5)11月19日 飛驒清見JCT~五箇山ICが施行命令される
・1994年(平成6)3月25日 美濃IC~美並ICが開通(2車線)する
・1996年(平成8)3月28日 能越自動車道開通により、小矢部砺波JCTで能越自動車道と直結する
・1996年(平成8)4月18日 美並IC~郡上八幡ICが開通(2車線)する
・1996年(平成8)11月12日 飛驒トンネルが起工される
・1997年(平成9)3月24日 一宮木曽川IC~岐阜各務原ICが開通(4車線)する
・1997年(平成9)11月10日 郡上八幡IC~白鳥ICが開通(2車線)する
・1998年(平成10)2月20日 尾西IC~一宮木曽川ICが開通(4車線)する
・1998年(平成10)12月13日 一宮JCT~尾西ICが開通(4車線)し、名神高速道路と接続する
・1999年(平成11)3月18日 美濃IC~白鳥ICの4車線化工事に着手する
・1999年(平成11)11月1日 白鳥ICで中部縦貫自動車道(油坂峠道路)と接続する
・1999年(平成11)11月27日 白鳥IC~荘川ICが開通(2車線)する
・2000年(平成12)9月30日 五箇山IC~福光ICが開通(2車線)する
・2000年(平成12)10月7日 荘川IC~飛驒清見ICが開通(2車線)し、飛驒清見ICで中部縦貫自動車道高山清見道路と接続する
・2002年(平成14)11月16日 白川郷IC~五箇山ICが開通(2車線)する
・2003年(平成15)12月24日 瓢ヶ岳PA~郡上八幡ICの4車線化工事に着手する
・2004年(平成16)12月4日 美濃IC~瓢ヶ岳PA、白鳥IC付近の4車線化がなる
・2005年(平成17)3月19日 美濃関JCT開通により、東海環状自動車道と接続する
・2005年(平成17)7月14日 ぎふ大和IC~白鳥ICの4車線化工事に着手する
・2005年(平成17)10月1日 日本道路公団の分割民営化に伴い、中日本高速道路(NEXCO中日本)が管理するようになる
・2006年(平成18)6月1日 郡上八幡IC~ぎふ大和ICの4車線化工事に着手する
・2007年(平成19)1月13日 飛驒トンネル(本坑)が貫通する
・2008年(平成20)7月5日 飛驒清見IC~白川郷ICが開通(2車線)し、全線開通となる
・2008年(平成20)7月18日 瓢ヶ岳PA~郡上八幡ICの4車線化がなる
・2009年(平成21)2月20日 ぎふ大和IC~白鳥ICの4車線化がなる
・2009年(平成21)4月27日 白鳥IC~飛驒清見ICの4車線化整備計画が承認される
・2009年(平成21)7月17日 郡上八幡IC~ぎふ大和ICの4車線化により、一宮JCT~白鳥ICが4車線となる
・2012年(平成24)4月20日 白鳥IC~飛驒清見ICの4車線化事業許可される
・2018年(平成30)11月30日 白鳥IC~高鷲ICの4車線化がなる
・2018年(平成30)12月8日 ひるがの高原SA~飛騨清見ICが平成30年7月豪雨で被災した松ノ木峠PA付近を除いて4車線化なる
・2019年(平成31)3月20日 高鷲IC~ひるがの高原SAの4車線化なる
・2019年(平成31)11月29日 松ノ木峠PA付近が4車線化し、白鳥IC~飛騨清見ICの4車線化が完了する
・2020年(令和2)3月31日 白川郷IC~福光IC間の4車線化工事について国土交通省より事業許可を受ける
・2020年(令和2)11月7日 城端SA~福光ICの4車線化なる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1141年(建保3)僧侶・臨済宗の開祖栄西の命日(新暦8月1日)詳細
1590年(天正18)北條氏直が小田原城を開城して豊臣秀吉に降伏し、秀吉の天下統一が完成する詳細
1639年(寛永16)江戸幕府が「寛永十六年七月令」(第五次鎖国令)を布告、ポルトガル船の入港を禁止(新暦8月5日)詳細
1949年(昭和24)下山事件が起こる詳細
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 今日は、平成時代の1999年(平成11)に、上信越自動車道の中郷IC~上越JCT間が開通し、藤岡JCTから長野県長野市を経て上越JCT間が全通した日です。
 上信越自動車道(じょうしんえつじどうしゃどう)は、群馬県の藤岡JCTから長野県長野市を経て新潟県上越JCTへ至る、全長204.3kmの高速道路(高速自動車国道)で、全線を日本道路公団が建設を進めましたが、2005年(平成17)に日本道路公団が分割民営化されてからは東日本高速道路に引き継がれました。1966年(昭和41)に東京都~新潟県直江津市(現在の上越市)間の予定路線が決定、1971年(昭和46)に長野県更埴市(現在の千曲市)~須坂市間の基本計画、1972年(昭和47)に群馬県藤岡市~長野県長野市間の基本計画が決定、1973年(昭和48)には、更埴市~須坂市間の整備計画・施行命令が出されます。
 1973年(昭和48)に長野県長野市~新潟県上越市間の基本計画が決定、1979年(昭和54)に藤岡市~佐久市間の整備計画・施行命令が出され、1980年(昭和55)7月17日には、最初に藤岡JCT~藤岡IC間が関越自動車道の一部として開通しました。その後も順次整備計画が決定して施行命令が出され、1993年(平成5)には更埴JCT~須坂長野東IC間が開通(長野IC~須坂長野東IC間は暫定2車線)しています。
 1993年(平成5)に藤岡IC~佐久IC間が開通、藤岡JCT~藤岡IC間が関越自動車道から上信越自動車道になりました。その後も、1995年(平成7)に佐久IC~小諸IC間、須坂長野東IC~信州中野IC間、1996年(平成8)に小諸IC~更埴JCT間、1997年(平成9)に信州中野IC~中郷IC間が開通と路線距離を伸ばしていき、1999年(平成11)10月30日の中郷IC~上越JCT間の開通により全線開通し、上越JCTで北陸自動車道と接続します。
 それからも4車線化工事が進められ、2005年(平成17)に日本道路公団が分割民営化されてからは東日本高速道路に引き継がれ、2019年(令和元)12月5日の信濃町IC~妙高SA、中郷IC~新井PA/スマートIC間の4車線化によって全線4車線化がなりました。現在、藤岡JCTで関越自動車道、佐久小諸JCTで中部横断自動車道、更埴JCTで長野自動車道、上越JCTで北陸自動車道に接続しています。
 尚、本州を縦断しているために、五里ヶ峰トンネル(上り線4518m)や八風山トンネル(4468m)、太郎山トンネル(下り線4303m)などの長大トンネルが多く、休憩施設を活用した地域拠点整備事業・ハイウェイオアシスも4ヶ所設置されました。今では、関越自動車道と共に、首都圏と北陸地方を結ぶ重要路線となっています。

〇上信越自動車道関係略年表

・1966年(昭和41)7月1日 東京都~直江津市(現・上越市)間の予定路線が決定する
・1971年(昭和46)6月8日 更埴市(現・千曲市)~須坂市間の基本計画が決定する
・1972年(昭和47)6月30日 藤岡市~長野市間の基本計画が決定する
・1973年(昭和48)10月19日 更埴市~須坂市間の整備計画・施行命令が出される
・1973年(昭和48)11月1日 長野市~上越市間の基本計画が決定する
・1979年(昭和54)3月2日 藤岡市~佐久市間の整備計画・施行命令が出される
・1980年(昭和55)7月17日 藤岡JCT~藤岡IC間が関越自動車道として開通する
・1982年(昭和57)1月20日 須坂市~中野市間の整備計画が決定する
・1985年(昭和60)5月16日 須坂市~中野市間の施行命令が出される
・1986年(昭和61)1月21日 佐久市~更埴市間・中野市~中郷村(現・上越市)間の整備計画が決定する
・1987年(昭和62)12月8日 佐久市~更埴市間の施行命令が出される
・1988年(昭和63)1月31日 中郷村~上越市間の整備計画が決定する
・1988年(昭和63)9月22日 中野市~中郷村間の施行命令が出される
・1992年(平成4)12月10日 佐久市~更埴市間の4車線化施行が出される
・1993年(平成5)3月25日 更埴JCT~須坂長野東IC間開通、長野IC~須坂長野東IC間は暫定2車線となる
・1993年(平成5)3月27日 藤岡IC~佐久IC間開通、藤岡JCT~藤岡IC間が関越自動車道から上信越自動車道になる
・1995年(平成7)11月7日 佐久IC~小諸IC間開通(当時は暫定2車線)する
・1995年(平成7)11月30日 須坂長野東IC~信州中野IC間開通、長野IC~須坂長野東IC間が4車線化する
・1996年(平成8)11月14日 小諸IC~更埴JCT間開通(当時は暫定2車線)する
・1997年(平成9)10月16日 信州中野IC~中郷IC間開通(当時は暫定2車線、妙高SA~中郷IC間は4車線)する
・1998年(平成10)12月25日 中野市~信濃町間4車線化の整備計画・施行命令が出される
・1999年(平成11)10月30日 中郷IC~上越JCT間開通により全線開通、上越JCTで北陸自動車道と接続する
・2000年(平成12)4月28日 藤岡PA(藤岡ハイウェイオアシス、関越自動車道方面)が開設する
・2002年(平成14)7月26日 佐久IC~小諸IC間が4車線化する
・2002年(平成14)12月18日 小諸IC~上田菅平IC間が4車線化する
・2003年(平成15)12月20日 碓氷軽井沢IC~佐久IC間が4車線化する
・2004年(平成16)7月17日 上田菅平IC~更埴JCT間が4車線化する
・2005年(平成17)4月29日 信州中野IC~豊田飯山IC間が4車線化する
・2005年(平成17)10月1日 日本道路公団が分割民営化され、東日本高速道路に引き継がれる
・2009年(平成21)4月27日 中野市~上越市間が4車線化整備に計画変更される
・2009年(平成21)11月19日 豊田飯山IC~信濃町IC間が4車線化する
・2011年(平成23)3月26日 佐久小諸JCT開通により中部横断自動車道と接続する
・2018年(平成30)12月7日 新井PA/スマートIC~上越JCT間が4車線化される
・2019年(令和元)12月5日 信濃町IC~妙高SA、中郷IC~新井PA/スマートIC間が4車線化され全線4車線化がなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1850年(嘉永5)医師・蘭学者高野長英の命日詳細
1874年(明治7)評論家・イギリス文学者・翻訳家・詩人上田敏の誕生日詳細
1903年(明治36)小説家尾崎紅葉の命日(紅葉忌)詳細
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 今日は、平成時代の1995年(平成7)に、人吉仮出入口~えびのIC間の開通(暫定2車線)により、九州自動車道が全線開通した日です。
 九州自動車道(きゅうしゅうじどうしゃどう)は、福岡県北九州市門司区を起点とし、佐賀県、再び福岡県に入り、熊本県、宮崎県を経由し鹿児島県鹿児島市に至る、全長346.3kmの高速道路(高速自動車国道)で、略称は九州道、日本高速道路公団の分割民営化後は西日本高速道路が管理してきました。1965年(昭和40)に、「高速自動車国道の路線を指定する政令及び東海道幹線自動車国道建設法施行令の一部を改正する政令」施行により北九州市~熊本市間が「高速自動車国道九州自動車道福岡熊本線」として指定され、翌年7月に工事が着工され、1967年(昭和42)には、「高速自動車国道の路線を指定する政令の一部を改正する政令」施行により北九州市~鹿児島市間が「九州縦貫自動車道鹿児島線」として指定されます。
 1971年(昭和46)6月30日に、植木IC~熊本IC間が最初の開通区間となり、その後、順次開通区間を伸ばしていき、1995年(平成7)7月27日の人吉仮出入口~えびのIC間開通(暫定2車線)により全線開通し、青森から鹿児島までの2,170kmが高速道路で結ばれました。その後、車線の拡幅工事が進捗し、2004年(平成16)12月12日の人吉IC~えびのIC間の4車線化により、全線が4車線以上(小倉東IC~北九州JCTと太宰府IC~久留米IC間は6車線)となります。
 また、門司ICで関門自動車道を経て中国自動車道、北九州JCTで東九州自動車道、鳥栖JCTで長崎自動車道と大分自動車道、八代JCTで南九州自動車道、えびのJCTで宮崎自動車道、加治木JCTで東九州自動車道(隼人道路)、鹿児島ICで南九州西回り自動車道と接続しました。これにより、九州地方と近畿圏・首都圏を繋ぎ、地形的に隔てられていた北九州と南九州との交流を拡大し、市場の拡大、諸産業の振興、観光開発などに大きな役割を果たしてきています。

〇九州自動車道関係略年表

・1965年(昭和40)11月1日 「高速自動車国道の路線を指定する政令及び東海道幹線自動車国道建設法施行令の一部を改正する政令」施行により北九州市・熊本市間が「高速自動車国道九州自動車道福岡熊本線」として指定される
・1966年(昭和41)7月 工事に着工する
・1967年(昭和42)11月22日 「高速自動車国道の路線を指定する政令の一部を改正する政令」施行により北九州市・鹿児島市間が「九州縦貫自動車道鹿児島線」として指定される
・1971年(昭和46)6月30日 九州自動車道植木IC~熊本IC間が開通する
・1972年(昭和47)10月21日 南関IC~植木IC間が開通する
・1973年(昭和48)11月16日 鳥栖IC~鳥栖JCT~南関IC間が開通する
・1973年(昭和48)12月13日 加治木IC~薩摩吉田IC間が開通する
・1975年(昭和50)3月13日 古賀IC~鳥栖JCT間が開通する
・1976年(昭和51)3月4日 宮崎自動車道としてえびのIC~えびのJCT~高原IC間が開通する
・1976年(昭和51)11月26日 熊本IC~御船IC間が開通する
・1976年(昭和51)11月29日 溝辺鹿児島空港IC~加治木IC間が開通する
・1977年(昭和52)7月21日 若宮IC~古賀IC間が開通する
・1977年(昭和52)11月15日 薩摩吉田IC~鹿児島北IC間が開通する
・1978年(昭和53)12月15日 御船IC~松橋IC間が開通する
・1979年(昭和54)3月8日 八幡IC~若宮IC間が開通、中国自動車道山口ICから関門橋、北九州道路、北九州直方道路を経由して松橋ICまでが高速道路で結ばれる
・1980年(昭和55)3月12日 松橋IC~八代IC間が開通する
・1980年(昭和55)3月22日 栗野IC~溝辺鹿児島空港IC間が開通する
・1981年(昭和56)10月1日 えびのJCT~栗野IC間が開通し、宮崎自動車道えびのIC~えびのJCT間を九州自動車道に編入する
・1983年(昭和58)3月24日 中国自動車道全線開通により、東名高速道路(または中央自動車道)、名神高速道路、中国自動車道、関門橋、北九州道路、北九州直方道路を経由して東京から八代ICまでが高速道路で結ばれる。
・1984年(昭和59)3月27日 門司IC~小倉東IC間開通により関門橋と直結する
・1985年(昭和60)3月28日 長崎自動車道(当時は九州横断自動車道)佐賀大和IC~鳥栖IC間開通にあわせ、九州自動車道鳥栖IC~鳥栖JCT間を長崎自動車道に編入する
・1987年(昭和62)2月5日 鳥栖JCTで大分自動車道と接続する
・1988年(昭和63)3月29日 鹿児島北IC~鹿児島IC間が開通する
・1988年(昭和63)3月31日 小倉東IC~八幡IC間の開通により、北九州道路・北九州直方道路経由が解消される
・1988年(昭和63)10月19日 鹿児島ICで南九州西回り自動車道と接続する
・1989年(平成元)12月7日 八代IC~人吉仮出入口間が開通する
・1992年(平成4)3月25日 加治木ICで隼人道路(東九州自動車道に並行する一般国道自動車専用道路)と接続する
・1993年(平成5)3月31日 新門司ICが開通する
・1995年(平成7)7月27日 人吉仮出入口~えびのIC間開通(暫定2車線)により全線開通する
・1997年(平成9)7月14日 八代IC~人吉IC間(肥後トンネルを除く)4車線化する
・1997年(平成9)11月28日 鳥栖JCT~久留米IC間6車線化する
・1998年(平成10)3月23日 広川ICが開通する
・1998年(平成10)3月31日 筑紫野ICが開通する
・1998年(平成10)4月20日 八代JCT開設により南九州西回り自動車道と接続する
・1999年(平成11)3月24日 益城熊本空港ICが開通する
・1999年(平成11)4月14日 肥後トンネル前後区間を4車線化する
・2001年(平成13)3月24日 鳥栖JCTの九州道下り→長崎道長崎方面を直結する連絡橋「サガンクロス橋」が開通する
・2001年(平成13)4月26日 えびのPA~えびのIC間が4車線化する
・2001年(平成13)12月19日 加治木JCT開通により、加治木ICの接続部を廃止し加治木JCTで東九州自動車道と接続する
・2002年(平成14)7月27日 人吉IC~えびのIC間(加久藤トンネルを除く)4車線化する
・2004年(平成16)12月12日 人吉IC~えびのIC間4車線化により、全線が4車線以上で完成する
・2006年(平成18)2月26日 北九州JCT開通により東九州自動車道と接続する
・2009年(平成21)3月29日 みやま柳川ICが開通する
・2011年(平成23)2月19日 鞍手ICが開通する
・2014年(平成26)3月22日 嘉島JCT開通により九州中央自動車道と接続する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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 今日は、昭和時代後期の1987年(昭和62)に、川口JCT~浦和IC間の開通により、東北自動車道が全通した日です。
 東北自動車道(とうほくじどうしゃどう)は、埼玉県川口市を起点とし、群馬県、栃木県、福島県、宮城県、岩手県、秋田県を経由し青森県青森市へ至る高速道路(高速自動車国道)で、略称は東北道とも呼ばれてきました。2005年(平成17)10月1日の日本道路公団の分割民営化後は、東日本高速道路が管理しています。
 1957年(昭和32)に公布・施行された「国土開発縦貫自動車道建設法」によって、国土開発縦貫自動車道(国土を縦貫する高速幹線自動車道として国において建設すべき自動車道)6路線の一つとして、位置付けられました。1965年(昭和40)に、縦貫五道(東北、中央、北陸、中国、九州)の基本計画が策定され、東北自動車道では岩槻~盛岡間の基本計画が決定します。
 1966年(昭和41)7月1日には、「国土開発縦貫自動車道建設法」が改定され、7月25日には東北縦貫自動車道弘前線の一部として、岩槻~仙台間の整備計画決定及び施行命令がなされて着工されました。1972年(昭和47)11月13日の岩槻IC~宇都宮IC間の初めての開通後、順次開通区間を伸ばしていき、1987年(昭和62)9月9日の川口JCT~浦和IC間開通により全線が開通、川口JCTで首都高速川口線と接続することになります。
 関東以北の南北方向の長距離交通を担う大動脈で、関東平野から東北山脈の東側を貫いていて、首都圏と東北・北海道方面を結ぶ重要路線となりました。また、川口JCTで首都高速川口線と東京外環自動車道、久喜白岡JCTで首都圏中央連絡自動車道(白岡菖蒲方面)、岩舟JCTで北関東自動車道(佐野田沼方面)、栃木都賀JCTで北関東自動車道(宇都宮上三川方面)、郡山JCTで磐越自動車道、福島JCTで東北中央自動車道、村田JCTで山形自動車道、仙台南ICで仙台南部道路、富谷JCTで仙台北部道路、花巻JCTで釜石自動車道、安代JCTで八戸自動車道、北上JCTで秋田自動車道、小坂JCTで秋田自動車道、浪岡ICで津軽自動車道、青森JCTで青森自動車道と接続しています。
 現在の総延長は680.5kmと日本最長で、2018年(平成30)度の一日の平均通行台数は、325,762台となりました。

〇東北自動車道関係略年表

・1957年(昭和32)4月16日 「国土開発縦貫自動車道建設法」の公布・施行によって、国土開発縦貫自動車道に位置付けられる
・1965年(昭和40) 縦貫五道(東北、中央、北陸、中国、九州)の基本計画が策定され、岩槻~盛岡間の基本計画が決定する
・1966年(昭和41)7月1日 「国土開発縦貫自動車道建設法」が改定される
・1966年(昭和41)7月25日 東北縦貫自動車道弘前線の一部として、岩槻~仙台間の施行命令がなされ、着工する
・1972年(昭和47)11月13日 岩槻IC~宇都宮IC間開通
・1973年(昭和48)8月9日 宇都宮IC~矢板IC間開通
・1973年(昭和48)11月26日 白河IC~郡山IC間開通
・1973年(昭和48)11月27日 白石IC~仙台南IC間開通
・1974年(昭和49)12月20日 矢板IC~白河IC間開通
・1975年(昭和50)4月1日 郡山IC~白石IC間開通
・1975年(昭和50)11月28日 仙台南IC~泉IC間開通
・1976年(昭和51)12月9日 泉IC~古川IC間開通
・1977年(昭和52)11月15日 古川IC~築館IC間開通
・1977年(昭和52)11月19日 一関IC~盛岡南IC間開通
・1978年(昭和53)12月2日 築館IC~一関IC間開通
・1979年(昭和54)9月27日 大鰐弘前IC~青森IC間開通
・1979年(昭和54)10月13日 紫波IC開通
・1979年(昭和54)10月18日 盛岡南IC~滝沢IC間開通
・1980年(昭和55)3月26日 浦和IC~岩槻IC間開通
・1980年(昭和55)10月8日 滝沢IC~西根IC間開通
・1980年(昭和55)10月29日 碇ヶ関IC~大鰐弘前IC間開通
・1981年(昭和56)8月4日 本宮IC開通
・1982年(昭和57)3月1日 岩槻IC~加須IC間6車線化
・1982年(昭和57)3月29日 若柳金成IC開通
・1982年(昭和57)10月19日 西根IC~安代IC間開通
・1983年(昭和58)10月1日 加須IC~佐野藤岡IC間6車線化
・1983年(昭和58)10月20日 安代IC~鹿角八幡平IC間開通
・1984年(昭和59)6月1日 佐野藤岡IC~栃木IC間6車線化
・1984年(昭和59)8月11日 栃木IC~鹿沼IC間6車線化
・1984年(昭和59)9月27日 鹿角八幡平IC~十和田IC間開通
・1984年(昭和59)11月6日 郡山南IC開通
・1986年(昭和61)7月24日 花巻南IC開通
・1986年(昭和61)7月30日 十和田IC~碇ヶ関IC間開通
・1987年(昭和62)9月9日 川口JCT~浦和IC間開通により全線開通、川口JCTで首都高速川口線と接続
・1988年(昭和63)10月13日 村田JCT開通により山形自動車道と接続
・1989年(平成元)9月7日 安代JCT開通により八戸自動車道と接続
・1990年(平成2)10月12日 小坂IC開通
・1990年(平成2)10月31日 郡山JCT開通により磐越自動車道と接続
・1992年(平成4)3月21日 羽生IC開通
・1992年(平成4)11月27日 川口JCTで東京外環自動車道と接続
・1994年(平成6)8月4日 北上JCT開通により秋田自動車道と接続
・1996年(平成8)10月8日 北上金ヶ崎IC開通
・1999年(平成11)3月19日 鹿沼IC - 大谷PA間6車線化
・1999年(平成11)11月24日 大谷PA - 宇都宮IC間6車線化
・2000年(平成12)7月27日 栃木都賀JCT開通により北関東自動車道(宇都宮上三川方面)と接続
・2001年(平成13)8月1日 仙台南ICで仙台南部道路と接続
・2002年(平成14)3月17日 浦和IC(川口方面)出入口開通
・2002年(平成14)11月7日 花巻JCT開通により釜石自動車道と接続
・2002年(平成14)11月25日 浪岡ICで津軽自動車道と接続
・2003年(平成15)9月28日 青森JCT開通により青森自動車道と接続
・2005年(平成17)10月1日 日本道路公団民営化に伴い、東日本高速道路株式会社の管轄となる
・2009年(平成21)3月29日 黒磯板室IC開通
・2010年(平成22)3月27日 富谷JCT開通により仙台北部道路と接続
・2010年(平成22)4月17日 岩舟JCT開通により北関東自動車道(佐野田沼方面)と接続
・2010年(平成22)12月18日 大衡IC開通
・2011年(平成23)5月29日 久喜白岡JCT開通により首都圏中央連絡自動車道(白岡菖蒲方面)と接続
・2013年(平成25)11月30日 小坂JCT開通により秋田自動車道と接続
・2016年(平成28)9月11日 福島JCT開通により東北中央自動車道と接続

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