ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:高速道路

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 今日は、昭和時代後期の1968年(昭和43)に、東名高速道路の最初の開業区間・東京~厚木・富士~静岡・岡崎~小牧が開通した日です。
 東名高速道路(とうめいこうそくどうろ)は、昭和時代後期の1969年(昭和44)5月26日に全線開通した、東京から愛知県小牧市まで全長346kmにおよぶ高速道路です。この完成によって、小牧インターチェンジで、4年前に完成していた名神高速車道と接続し、関東から関西が高速道路で結ばれることになり、日本の大動脈となりました。
 この高速道路の構想は、1953年(昭和28)に当時の建設省が公表した「東京神戸間有料道路計画書」が始めです。そして、名神高速車道が先行建設されることになりましたが、東名高速道路の方は、1962年(昭和37)に工事に着手し、1968年(昭和43)4月25日に、東京インターチェンジ~厚木インターチェンジ間・富士インターチェンジ~静岡インターチェンジ間・岡崎インターチェンジ~小牧インターチェンジ間が部分開通しました。
 そして、徐々に開通区間を延ばしていって、着工より7年で全線開通となります。平地部では、100km/h制限(一部の区間は80km/h)で走行することができ、名神高速車道とあわせて、関東から関西への自動車輸送時間が大幅に短縮されることになりました。

〇東名高速道路関係略年表

・1951年(昭和26) 東京~神戸高速自動車道調査を再開する
・1956年(昭和31)5月19日 ワトキンス調査団が来日する
・1957年(昭和32)10月17日 東京~神戸間の内、競争のない小牧~西宮間(名神高速道路)の施行命令が下る
・1958年(昭和33)3月19日 松永安左エ門の私設シンクタンク「産業計画会議」が東京~神戸間 高速道路の建設を政府に勧告する
・1960年(昭和35)7月25日 「東海道幹線自動車国道建設法」が施行される
・1962年(昭和37) 東京IC~静岡IC間と豊川IC~小牧IC間の整備計画が策定される
・1963年(昭和38) 静岡IC~豊川IC間、豊川IC~小牧IC間の整備計画策定、および、改めて東京 - 小牧間に施行命令を下す
・1965年(昭和40)4月22日 全線起工式が開催される
・1966年(昭和41)7月1日 「国土開発幹線自動車道建設法」が施行され、「東海道幹線自動車国道建設法」か廃止される
・1968年(昭和43)4月25日 最初の開業区間である東京~厚木・富士~静岡・岡崎~小牧が開通し、小牧ICで名神高速道路と接続する
・1969年(昭和44)2月1日 静岡IC~崎IC間が開通する
・1969年(昭和44)3月31日 厚木IC~大井松田IC間・御殿場IC~富士IC間が開通する
・1969年(昭和44)5月26日 大井松田IC~御殿場IC間の開通により、全線開通する
・1971年(昭和46)12月21日 首都高速3号渋谷線渋谷出入口~用賀出入口間開通により、首都高速道路と接続する
・1972年(昭和47)10月5日 小牧JCT開通により、中央道と接続する
・1974年(昭和49)3月26日 浜松西ICが開通する
・1977年(昭和52)  足柄SA上り線に高速国道初の仮眠休憩所であるレストイン足柄がオープンする
・1979年(昭和54)7月11日 日本坂トンネル火災事故が発生する
・1981年(昭和56)4月25日 秦野中井ICが開通する
・1986年(昭和61)11月21日 音羽蒲郡ICが開通する
・1988年(昭和63)3月30日 裾野ICが開通する
・1991年(平成3)3月28日 御殿場IC~大井松田IC間の新上り線(東名足柄橋を含む)が開通する
・1993年(平成5)3月22日 東名三好ICが開通する
・1993年(平成5)3月25日 相良牧之原ICが開通する
・1993年(平成5)12月3日 名古屋ICで東名阪自動車道(現・名古屋第二環状自動車道)と接続する
・1993年(平成5)12月21日 掛川ICが開通する
・1994年(平成6)12月15日 厚木IC~伊勢原市、秦野中井IC~大井松田IC間の6車線化が完了する
・1995年(平成7)4月28日 伊勢原市~秦野中井IC間の6車線化完了する
・1998年(平成10)3月2日 横浜青葉ICが開通する
・1998年(平成10)3月27日 日本坂トンネル 新下り線(3車線)が供用開始する
・1999年(平成11)4月4日 磐田ICが開通する
・2001年(平成13)10月19日 小牧ICで名古屋高速11号小牧線と接続する
・2003年(平成15)3月15日 豊田JCT開通により伊勢湾岸道(豊田東IC方面)と接続する
・2004年(平成16)11月27日 日進JCT開通により、名古屋瀬戸道路と接続する
・2004年(平成16)12月12日 豊田JCTが完成し、伊勢湾岸道(四日市方面)と接続する
・2004年(平成16)12月22日 御殿場IC~駒門PA間の6車線化が完了する
・2007年(平成19)4月1日 富士川PAスマートIC・遠州豊田PAスマートICが供用開始する
・2009年(平成21)7月27日 沼津ICで伊豆縦貫道と接続する
・2010年(平成22)2月27日 海老名JCT開通により、圏央道と接続する
・2011年(平成23)1月23日 相良牧之原ICで金谷御前崎連絡道と接続する
・2011年(平成23)10月21日 上り線の豊田JCT~音羽蒲郡IC間・下り線の美合PA~豊田JCT間を暫定6車線化する
・2012年(平成24)4月14日 新東名高速道路の御殿場JCT~浜松いなさJCT間、清水連絡路の清水JCT~新清水JCT間、引佐連絡路の三ヶ日JCT~浜松いなさJCT間がそれぞれ開通、御殿場JCTで新東名と、清水JCTで清水連絡路と三ヶ日JCTで引佐連絡路とそれぞれ接続する
・2016年(平成28)2月13日 新東名高速道路の浜松いなさJCT~豊田東JCT間が開通する
・2016年(平成28)3月12日 大井川焼津藤枝スマートIC供用開始する
・2016年(平成28)3月19日 愛鷹スマートIC供用開始する
・2016年(平成28)10月8日 上り線の豊田JCT~音羽蒲郡IC間・下り線の美合PA~豊田JCT間を再び4車線化する
・2017年(平成29)3月18日 三方原スマートICが供用開始する
・2018年(平成30)3月24日 守山スマートICが供用開始する
・2019年(平成31)3月9日 足柄スマートICが供用開始する
・2019年(平成31)3月17日 伊勢原JCT・舘山寺スマートICが供用開始する
・2019年(令和元)9月14日 日本平久能山スマートICが供用開始する
・2020年(令和2)3月22日 横浜青葉JCTで首都高速神奈川7号横浜北西線と接続する
・2020年(令和2)3月28日 駒門スマートICが供用開始する
・2021年(令和3)3月27日 豊田上郷スマートICが供用開始する
・2021年(令和3)3月31日 綾瀬スマートICが供用開始する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

722年(養老6)百万町歩開墾計画が出される(新暦6月13日)詳細
1613年(慶長18)武将大久保長安の命日(新暦6月13日)詳細
1881年(明治14)『交詢雑誌』第45号に、交詢社の「私擬憲法案」が発表される詳細
1888年(明治21)「市制」と共に、「町村制」が公布される詳細
1946年(昭和21)出版人・岩波書店創業者・貴族院議員岩波茂雄の命日詳細
1957年(昭和32)「高速自動車国道法」(昭和32年法律第79号)が公布・施行される詳細
1978年(昭和53)洋画家東郷青児の命日詳細
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 今日は、平成時代の1996年(平成8)に、大分県内の大分IC~大分米良IC間の開通により、大分自動車道が全線開通した日です。
 大分自動車道(おおいたじどうしゃどう)は、佐賀県鳥栖市の鳥栖ジャンクション (JCT) を起点とし、大分県速見郡日出町の日出JCTに至る、全長104.7kmのの高速道路(高速自動車国道)で略称は大分道、日本高速道路公団の分割民営化後は西日本高速道路が管理しています。1965年(昭和40)に「九州横断自動車道建設法」が施行され、予定路線に関する法律案の基準が示され、1966年(昭和41)には、九州横断自動車道(長崎市~鳥栖市~大分市)として国幹道の予定路線となりました。
 その東側区間(鳥栖市~大分市)として、建設が進められ、1987年(昭和62)2月5日に鳥栖JCT~朝倉ICが初めて開通します。その後、1989年(平成元)に湯布院IC~日出JCT予定地から別府IC間、1990年(平成2)に朝倉IC~日田IC間、1992年(平成4)には、別府IC~大分IC間がが順次開通しました。
 さらに、1994年(平成6)に日出JCT~速見IC(速見支線)開通により、宇佐別府道路と接続し、1996年(平成8)3月28日には、玖珠IC~湯布院ICが開通します。そして、1996年(平成8)11月26日に大分IC~大分米良IC間の開通により、大分道として全線開通し、2005年(平成17)には、全線4車線化されました。
 しかし、2015年(平成27年)3月1日に、東九州自動車道の豊前IC~宇佐IC間が開通した際に、日出JCT~速見IC(速見支線)がそれに組み込まれ、さらに、2018年(平成30年)8月5日には、日出JCT~大分米良IC間が東九州自動車道に変更されています。
 交通の要衝である鳥栖JCTを起点に、九州北部(福岡・佐賀・長崎・熊本)と日田市・由布市・別府市・大分市を繋ぐ東西軸として機能し、天領と呼ばれた日田市や日本有数の温泉街である湯布院などの観光地を結ぶ観光路線ともなってきました。

〇大分自動車道関係略年表

・1965年(昭和40)5月28日 : 「九州横断自動車道建設法」が施行され、予定路線に関する法律案の基準が示される
・1966年(昭和41)7月1日 : 九州横断自動車道として国幹道の予定路線となる
・1987年(昭和62)2月5日 : 鳥栖JCT~朝倉ICが初めて開通する
・1989年(平成元)7月20日 : 湯布院IC~日出JCT予定地から別府ICが開通する
・1990年(平成2)3月10日 : 朝倉IC~日田ICが開通(杷木IC~日田ICは当初暫定2車線)する
・1992年(平成4)12月3日 : 別府IC~大分ICが開通。
・1994年(平成6)12月15日 : 日出JCT~速見IC(速見支線)開通により、宇佐別府道路と接続する
・1996年(平成8)3月28日 : 玖珠IC~湯布院IC開通により、現在の大分自動車道の区間としては全線開通する
・1996年(平成8)11月26日 : 大分IC~大分米良IC開通により、全線開通する
・1998年(平成10)11月11日 : 杷木IC~日田ICの4車線化がなされる
・1999年(平成11)11月27日 : 大分米良ICで東九州自動車道と接続する
・2000年(平成12)3月21日 : 日田IC~玖珠ICの4車線化がなされる
・2002年(平成14)3月30日 : 速見ICで日出バイパスと接続する
・2002年(平成14)5月25日 : 湯布院IC~日出JCTの4車線化と同時に由布岳PAが供用開始する
・2004年(平成16)8月30日 : 水分PA~湯布院ICの4車線化がなされる
・2005年(平成17)3月19日 : 玖珠IC~水分PAの4車線化工事が完了し、大分自動車道が全線4車線で開通する
・2010年(平成22)2月2日 : 日出JCT~速見IC、大分IC~大分米良ICが無料化社会実験の対象区間に指定される
・2011年(平成23)2月9日 : 日出JCT~大分ICが無料化社会実験の対象区間に指定される
・2015年(平成27)3月 : 東九州自動車道豊前IC~宇佐IC間開通に伴い、速見支線の路線呼称を東九州自動車道に変更する
・2016年(平成28)4月16日 : 未明に熊本地方を震源とするマグニチュード7.3の地震(熊本地震の本震)が発生。由布岳PA付近を中心に土砂崩れや道路の陥没の被害を受け、鳥栖JCT~日出JCT~大分米良IC間と速見IC~日出JCT間が通行止めとなる
・2016年(平成28)4月17日 : 日田IC~玖珠IC間、別府IC - 大分IC間の通行止めを解除する
・2016年(平成28)4月18日 : 玖珠IC~湯布院IC間の通行止めを解除する
・2016年(平成28)4月21日 : 日出JCT~別府IC間、速見IC - 日出JCT間の通行止めを解除する
・2016年(平成28)5月9日 : 湯布院IC~日出JCT間の通行止めを解除。湯布院IC - 日出JCT間で対面通行規制や速度制限が残るものの全線で通行可能になる
・2016年(平成28)9月15日 : 湯布院IC~日出JCT間の通行規制を解除する
・2016年(平成28)11月27日 : 由布岳PA内に由布岳スマートICが供用開始する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1882年(明治15)洋画家・小説家・随筆家有島生馬の誕生日詳細
1906年(明治39)南満洲鉄道株式会社が設立される詳細
1911年(明治44)政治家・外交官小村寿太郎の命日詳細
1935年(昭和10)日本ペンクラブが発足する(ペンの日)詳細
1941年(昭和16)ハル米国務長官が野村駐米大使に「合衆国及日本国間協定ノ基礎概略」(ハル・ノート)を手交する詳細
1957年(昭和32)東京都奥多摩町に上水道・発電用の小河内ダムが完成する詳細
1993年(平成5)児童文学者・帝塚山学院大学学長庄野英二の命日詳細
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 今日は、平成時代の2011年(平成23)に、北関東自動車道の太田桐生IC(群馬県太田市)~佐野田沼IC(栃木県佐野市)間の18.6kmが開通したことにより、全線開通した日です。
 北関東自動車道(きたかんとうじどうしゃどう)は、群馬県高崎市の高崎JCT から栃木県の東北自動車道を経由し、茨城県水戸市の水戸南ICへと至る、延長135kmの高速道路(高速自動車国道)で、日本高速道路公団の分割民営化後は、東日本高速道路が管理してきました。1987年(昭和62)に、第四次全国総合開発計画が閣議決定され、北関東横断自動車道として高規格幹線道路の構想となり、「国土開発幹線自動車道建設法」の改正により、国幹道の予定路線とされます。
 1996年(平成8)には、国土開発幹線自動車道建設審議会(国幹審)で、上三川~友部間(40km)が整備計画路線に昇格し、2000年(平成12)3月18日に、初めて友部JCT~水戸南IC間が開通して、常磐自動車道と接続、その後、栃木都賀JCT~宇都宮上三川IC間開通により、東北自動車道と接続、友部IC~友部JCT間も開通しました。2001年(平成13)には、高崎JCT~伊勢崎IC間開通により、関越自動車道と接続します。
 しかし、2005年(平成17)10月1日の日本道路公団民営化により、東日本高速道路株式会社の所管路線となりました。2007年(平成19)に笠間西IC~友部IC間開通、2008年(平成20)には、伊勢崎IC~太田桐生IC間、宇都宮上三川IC~真岡IC間、桜川筑西IC~笠間西IC間、真岡IC~桜川筑西IC間が開通して、栃木県~茨城県間の全線が開通します。
 2010年(平成22)に茨城町JCT開通により、東関東自動車道と接続、佐野田沼IC~岩舟JCT間開通により、東北自動車道と接続し、2011年(平成23)3月19日に、太田桐生IC~佐野田沼IC間が開通して、全線開通となりました。東京から放射状に延びる関越自動車道、東北縦貫自動車道、常磐自動車道と連結し、北関東地域の海の玄関口となる常陸那珂港と直結することにより、物流効率が格段に高まり、地域経済の発展に大きな役割を果たしています。

〇北関東自動車道関係略年表

<1987年(昭和62)>
・6月30日 第四次全国総合開発計画が閣議決定され、北関東横断自動車道として高規格幹線道路の構想となる
・9月1日 「国土開発幹線自動車道建設法」の改正により、国幹道の予定路線とされる

<1996年(平成8)> 
・12月27日 国土開発幹線自動車道建設審議会(国幹審)で、上三川~友部間(40km)が整備計画路線に昇格する

<2000年(平成12)>
・3月18日 : 友部JCT~水戸南IC間開通により、常磐自動車道と接続する
・7月27日 : 栃木都賀JCT~宇都宮上三川IC間開通により、東北自動車道と接続する
・12月2日 : 友部IC~友部JCT間が開通する

<2001年(平成13)>
・3月31日 : 高崎JCT~伊勢崎IC間開通により、関越自動車道と接続する

<2005年(平成17)>
・10月1日 : 日本道路公団民営化により、東日本高速道路株式会社の所管路線となる

<2007年(平成19)>
・11月14日  笠間西IC~友部IC間開通する

<2008年(平成20)>
・3月1日 波志江PAが開設される
・3月8日 伊勢崎IC~太田桐生IC間ガ開通する
・3月15日 宇都宮上三川IC~真岡IC間が開通する
・3月29日 波志江PAスマートIC社会実験開始する
・4月12日 桜川筑西IC~笠間西IC間が開通する
・12月20日 真岡IC~桜川筑西IC間が開通(栃木~茨城間の全線開通)、壬生PA・笠間PAが開設される。

<2009年(平成21)>
・4月1日 波志江PAスマートICが供用開始となる

<2010年(平成22)>
・3月6日 茨城町JCT開通により、東関東自動車道と接続する
・4月17日 佐野田沼IC~岩舟JCT間開通により、東北自動車道と接続する

<2011年(平成23)>
・3月19日 太田桐生IC~佐野田沼IC間が開通、出流原PAが開設され、これにより全線開通する

<2018年(平成30)>
・7月28日 太田強戸PA/スマートICが供用開始される

<2022年(令和4)>
・9月19日  出流原スマートICが供用開始される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

713年(和銅6)元明天皇により「運脚の労苦に対する詔」が出される(新暦4月18日)詳細
1860年(万延元)江戸幕府が最初の貿易統制令である「五品江戸廻送令」を発令する詳細
1943年(昭和18)洋画家藤島武二の命日詳細
1907年(明治40)「癩予防ニ関スル件」(明治40年法律第11号)が公布(施行は同年4月1日)される詳細
1945年(昭和20)名古屋大空襲によって、名古屋駅等が炎上する詳細
1950年(昭和25)世界平和擁護大会で原爆禁止の「ストックホルム・アピール」が採択される詳細
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 今日は、昭和時代後期の1988年(昭和63)に、北陸自動車道の朝日IC~名立谷浜ICが開通し、新潟黒埼IC~米原JCTが全通した日です。
 北陸自動車道(ほくりくじどうしゃどう)は、新潟県新潟市江南区の新潟中央ジャンクション (JCT) から滋賀県米原市の米原JCTへ至る、全長476.5km(国内3位の長さ)の高速道路(高速自動車国道)で、全線を日本道路公団が建設しました。2005年(平成17)10月1日の道路関係四公団民営化後は、朝日インターチェンジ (IC) を境に東側を東日本高速道路(NEXCO東日本)が、西側を中日本高速道路(NEXCO中日本)が管理しています。
 1961年(昭和36)に新潟市~大津市が路線の基準として定められ、1966年(昭和41)には新潟市~滋賀県坂田郡米原町(現在の米原市)が、国土開発幹線自動車道の予定路線とされ、富山~武生間より着工されました。そして、1972年(昭和47)10月18日に、金沢西IC~小松ICの23.2kmが初めて開通し、順次開通区間が延ばされていきます。
 1988年(昭和63)に朝日~名立谷浜間の開通により、米原~新潟間が繋がり、第1回目の全線開通となりました。しかし、その後部分的に路線を改編し、1997年(平成9)11月13日の新潟亀田~新潟空港間の開通を以って、北陸自動車道の全通とされています。
 それから、2002年(平成14)の新潟空港以北の路線の開業に伴い、新潟中央JCT以北を日本海東北自動車道の区間と改められました。現在、新潟中央JCTで日本海東北自動車道と磐越自動車道、長岡JCTで関越自動車道、上越JCTで上信越自動車道、小矢部砺波JCTで東海北陸自動車道と能越自動車道、福井北JCTで中部縦貫自動車道、敦賀JCTで舞鶴若狭自動車道、米原JCTで名神高速道路に接続しています。
 この完成によって、北陸地方の主要都市相互および阪神・中京圏との時間距離を短縮して諸産業の振興に大きな役割を果たし、観光面でもアッピールして、北陸経済圏の拡大に寄与してきました。

〇北陸自動車道関係略年表

・1961年(昭和36)11月15日 新潟市~大津市が路線の基準として定められる
・1966年(昭和41)7月1日 新潟市~滋賀県坂田郡米原町(現:米原市)が国土開発幹線自動車道の予定路線とされる
・1972年(昭和47)10月18日 金沢西IC~小松IC開通する
・1973年(昭和48)10月16日 小杉IC~砺波IC開通する
・1973年(昭和48)10月17日 小松IC~丸岡IC開通する
・1974年(昭和49)10月29日 砺波IC~金沢東IC開通する
・1975年(昭和50)9月9日 丸岡IC~福井IC開通する
・1975年(昭和50)10月4日 富山IC~小杉IC開通する
・1976年(昭和51)11月2日 福井IC~武生IC開通する
・1977年(昭和52)12月8日 武生IC~敦賀IC開通(ただし今庄IC - 敦賀IC間は暫定2車線)する
・1978年(昭和53)9月21日 新潟黒埼IC(当時)~長岡ICが開通する
・1978年(昭和53)10月12日 金沢東IC~金沢西IC開通する
・1980年(昭和55)4月7日 敦賀IC~米原JCT開通する
・1980年(昭和55)6月13日 今庄IC~敦賀ICの4車線化工事完了する
・1980年(昭和55)9月27日 長岡JCT~西山IC開通、同時に長岡JCT - 長岡ICを関越自動車道に改称する
・1980年(昭和55)12月19日 滑川IC~富山IC開通する
・1980年(昭和55)10月29日 西山IC~柏崎IC開通する
・1982年(昭和57)11月17日 柏崎IC~米山IC開通、黒埼PA開設する
・1983年(昭和58)11月9日 米山IC~上越IC開通する
・1983年(昭和58)12月13日 朝日IC~滑川IC開通する
・1987年(昭和62)7月21日 名立谷浜IC~上越IC開通(暫定2車線)する
・1988年(昭和63)7月20日 朝日IC~名立谷浜IC開通(暫定2車線)し、新潟黒埼IC~米原JCTが全通する
・1994年(平成6)7月28日 新潟西IC~新潟亀田IC開通と同時に磐越自動車道と接続する
・1996年(平成8)3月28日 小矢部砺波JCTで能越自動車道と接続する
・1997年(平成9)11月13日 新潟亀田IC~新潟空港IC開通により、全線開通する
・1999年(平成11)10月30日 上越JCT開通により上信越道と接続、同時に名立谷浜IC~上越IC4車線化する
・2000年(平成12)4月25日 能生IC~名立谷浜IC4車線化する
・2000年(平成12)9月5日 越中境PA~親不知IC4車線化する
・2000年(平成12)9月19日 糸魚川IC~能生IC4車線化する
・2000年(平成12)10月3日 親不知IC~糸魚川IC4車線化により、全線が4車線で完成する
・2002年(平成14)5月26日 日本海東北自動車道新潟空港IC~聖籠新発田IC開通と同時に新潟中央JCT ~新潟空港IC間を北陸自動車道から日本海東北自動車道に改称する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1502年(文亀2)連歌師・古典学者宗祇の命日(新暦9月1日)詳細
1907年(明治40)日本とロシアとの間で、「第一次日露協約」が締結される詳細
1913年(大正2)歌人・小説家伊藤左千夫の命日(左千夫忌)詳細
1965年(昭和40)小説家谷崎潤一郎の命日(潤一郎忌)詳細
1971年(昭和46)全日空機雫石衝突事故が起き、乗員乗客162人全員が死亡する詳細
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 今日は、昭和時代中期の1963年(昭和38)に、名神高速道路の栗東IC~尼崎ICが開通し、日本最初の高速道路の開通となった日です。
 名神高速道路(めいしんこうそくどうろ)は、昭和時代中期の1965年(昭和40)7月1日に全線開通した、愛知県小牧市から兵庫県西宮市まで全長189.6kmにおよぶ高速道路です。この完成によって、日本最初の都市間高速道路となり、4年後に完成した東名高速車道とあわせて、関東から関西が高速道路で結ばれることになり、日本の大動脈となりました。
 この高速道路の構想は、1953年(昭和28)に当時の建設省が公表した「東京神戸間有料道路計画書」が始めです。そして、時の政府は最初に整備すべき区間を名古屋~神戸間に限定し、名神高速道路として先行建設されることになりましたが、それは、1958年(昭和33)10月19日に起工、東京オリンピック前の1963年(昭和38)7月16日に、尼崎インターチェンジ~栗東インターチェンジ間が部分開通(日本最初の都市間高速道路の開通)しました。
 その後、徐々に開通区間を延伸させていき、1965年(昭和40)7月1日に全線開通します。平地部では、100km/h制限(一部の区間は80km/h)で走行することができ、中部から関西への自動車輸送時間が大幅に短縮されることになりました。

〇「名神高速道路」の全線開通までの足取り

・1953年(昭和28)建設省が「東京神戸間有料道路計画書」を公表する。
・1956年(昭和31)ワトキンス・レポート「名古屋・神戸高速道路調査報告書」が建設省に提出される。
・1957年(昭和32)10月17日「小牧~西宮」間で施工命令が下る。
・1958年(昭和33)10月19日 京都市山科区内に於いて起工(鍬入)式が挙行される。
・1959年(昭和34)4月 世銀第1次借款対象工事として「尼崎~栗東」間が指定される。
・1960年(昭和35)3月17日 世界銀行との間で第1次借款(尼崎~栗東間分4千万USドル)が調印される。
・1961年(昭和36)11月29日 世界銀行との間で第2次借款(残り区間分4千万USドル)が調印される。
・1963年(昭和38)7月16日 尼崎IC~栗東ICが部分開通する。
・1964年(昭和39)4月12日 関ヶ原IC~栗東ICが部分開通する。
・1964年(昭和39)9月6日 一宮IC~関ヶ原IC、尼崎IC~西宮ICが部分開通する。
・1965年(昭和40)7月1日 小牧IC~一宮ICの開通により、全線開通となる。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1304年(嘉元2)第89代の天皇とされる後深草天皇の命日(新暦8月17日)詳細
1885年(明治18)日本鉄道の宇都宮駅で、日本初の駅弁が発売された(駅弁記念日)詳細
1894年(明治27)領事裁判権の撤廃、相互最恵国待遇を認めた「日英通商航海条約」が締結される詳細
1919年(大正8)政治家板垣退助の命日詳細
1994年(平成6)三内丸山遺蹟で巨大建物の木柱等が出土、国内最大級の縄文集落跡と報道される詳細
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