ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:高速自動車国道

ooitajidoushyadou01
 今日は、平成時代の1996年(平成8)に、大分県内の大分IC~大分米良IC間の開通により、大分自動車道が全線開通した日です。
 大分自動車道(おおいたじどうしゃどう)は、佐賀県鳥栖市の鳥栖ジャンクション (JCT) を起点とし、大分県速見郡日出町の日出JCTに至る、全長104.7kmのの高速道路(高速自動車国道)で略称は大分道、日本高速道路公団の分割民営化後は西日本高速道路が管理しています。1965年(昭和40)に「九州横断自動車道建設法」が施行され、予定路線に関する法律案の基準が示され、1966年(昭和41)には、九州横断自動車道(長崎市~鳥栖市~大分市)として国幹道の予定路線となりました。
 その東側区間(鳥栖市~大分市)として、建設が進められ、1987年(昭和62)2月5日に鳥栖JCT~朝倉ICが初めて開通します。その後、1989年(平成元)に湯布院IC~日出JCT予定地から別府IC間、1990年(平成2)に朝倉IC~日田IC間、1992年(平成4)には、別府IC~大分IC間がが順次開通しました。
 さらに、1994年(平成6)に日出JCT~速見IC(速見支線)開通により、宇佐別府道路と接続し、1996年(平成8)3月28日には、玖珠IC~湯布院ICが開通します。そして、1996年(平成8)11月26日に大分IC~大分米良IC間の開通により、大分道として全線開通し、2005年(平成17)には、全線4車線化されました。
 しかし、2015年(平成27年)3月1日に、東九州自動車道の豊前IC~宇佐IC間が開通した際に、日出JCT~速見IC(速見支線)がそれに組み込まれ、さらに、2018年(平成30年)8月5日には、日出JCT~大分米良IC間が東九州自動車道に変更されています。
 交通の要衝である鳥栖JCTを起点に、九州北部(福岡・佐賀・長崎・熊本)と日田市・由布市・別府市・大分市を繋ぐ東西軸として機能し、天領と呼ばれた日田市や日本有数の温泉街である湯布院などの観光地を結ぶ観光路線ともなってきました。

〇大分自動車道関係略年表

・1965年(昭和40)5月28日 : 「九州横断自動車道建設法」が施行され、予定路線に関する法律案の基準が示される
・1966年(昭和41)7月1日 : 九州横断自動車道として国幹道の予定路線となる
・1987年(昭和62)2月5日 : 鳥栖JCT~朝倉ICが初めて開通する
・1989年(平成元)7月20日 : 湯布院IC~日出JCT予定地から別府ICが開通する
・1990年(平成2)3月10日 : 朝倉IC~日田ICが開通(杷木IC~日田ICは当初暫定2車線)する
・1992年(平成4)12月3日 : 別府IC~大分ICが開通。
・1994年(平成6)12月15日 : 日出JCT~速見IC(速見支線)開通により、宇佐別府道路と接続する
・1996年(平成8)3月28日 : 玖珠IC~湯布院IC開通により、現在の大分自動車道の区間としては全線開通する
・1996年(平成8)11月26日 : 大分IC~大分米良IC開通により、全線開通する
・1998年(平成10)11月11日 : 杷木IC~日田ICの4車線化がなされる
・1999年(平成11)11月27日 : 大分米良ICで東九州自動車道と接続する
・2000年(平成12)3月21日 : 日田IC~玖珠ICの4車線化がなされる
・2002年(平成14)3月30日 : 速見ICで日出バイパスと接続する
・2002年(平成14)5月25日 : 湯布院IC~日出JCTの4車線化と同時に由布岳PAが供用開始する
・2004年(平成16)8月30日 : 水分PA~湯布院ICの4車線化がなされる
・2005年(平成17)3月19日 : 玖珠IC~水分PAの4車線化工事が完了し、大分自動車道が全線4車線で開通する
・2010年(平成22)2月2日 : 日出JCT~速見IC、大分IC~大分米良ICが無料化社会実験の対象区間に指定される
・2011年(平成23)2月9日 : 日出JCT~大分ICが無料化社会実験の対象区間に指定される
・2015年(平成27)3月 : 東九州自動車道豊前IC~宇佐IC間開通に伴い、速見支線の路線呼称を東九州自動車道に変更する
・2016年(平成28)4月16日 : 未明に熊本地方を震源とするマグニチュード7.3の地震(熊本地震の本震)が発生。由布岳PA付近を中心に土砂崩れや道路の陥没の被害を受け、鳥栖JCT~日出JCT~大分米良IC間と速見IC~日出JCT間が通行止めとなる
・2016年(平成28)4月17日 : 日田IC~玖珠IC間、別府IC - 大分IC間の通行止めを解除する
・2016年(平成28)4月18日 : 玖珠IC~湯布院IC間の通行止めを解除する
・2016年(平成28)4月21日 : 日出JCT~別府IC間、速見IC - 日出JCT間の通行止めを解除する
・2016年(平成28)5月9日 : 湯布院IC~日出JCT間の通行止めを解除。湯布院IC - 日出JCT間で対面通行規制や速度制限が残るものの全線で通行可能になる
・2016年(平成28)9月15日 : 湯布院IC~日出JCT間の通行規制を解除する
・2016年(平成28)11月27日 : 由布岳PA内に由布岳スマートICが供用開始する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1882年(明治15)洋画家・小説家・随筆家有島生馬の誕生日詳細
1906年(明治39)南満洲鉄道株式会社が設立される詳細
1911年(明治44)政治家・外交官小村寿太郎の命日詳細
1935年(昭和10)日本ペンクラブが発足する(ペンの日)詳細
1941年(昭和16)ハル米国務長官が野村駐米大使に「合衆国及日本国間協定ノ基礎概略」(ハル・ノート)を手交する詳細
1957年(昭和32)東京都奥多摩町に上水道・発電用の小河内ダムが完成する詳細
1993年(平成5)児童文学者・帝塚山学院大学学長庄野英二の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

kitakantoujidoushyadou01
 今日は、平成時代の2011年(平成23)に、北関東自動車道の太田桐生IC(群馬県太田市)~佐野田沼IC(栃木県佐野市)間の18.6kmが開通したことにより、全線開通した日です。
 北関東自動車道(きたかんとうじどうしゃどう)は、群馬県高崎市の高崎JCT から栃木県の東北自動車道を経由し、茨城県水戸市の水戸南ICへと至る、延長135kmの高速道路(高速自動車国道)で、日本高速道路公団の分割民営化後は、東日本高速道路が管理してきました。1987年(昭和62)に、第四次全国総合開発計画が閣議決定され、北関東横断自動車道として高規格幹線道路の構想となり、「国土開発幹線自動車道建設法」の改正により、国幹道の予定路線とされます。
 1996年(平成8)には、国土開発幹線自動車道建設審議会(国幹審)で、上三川~友部間(40km)が整備計画路線に昇格し、2000年(平成12)3月18日に、初めて友部JCT~水戸南IC間が開通して、常磐自動車道と接続、その後、栃木都賀JCT~宇都宮上三川IC間開通により、東北自動車道と接続、友部IC~友部JCT間も開通しました。2001年(平成13)には、高崎JCT~伊勢崎IC間開通により、関越自動車道と接続します。
 しかし、2005年(平成17)10月1日の日本道路公団民営化により、東日本高速道路株式会社の所管路線となりました。2007年(平成19)に笠間西IC~友部IC間開通、2008年(平成20)には、伊勢崎IC~太田桐生IC間、宇都宮上三川IC~真岡IC間、桜川筑西IC~笠間西IC間、真岡IC~桜川筑西IC間が開通して、栃木県~茨城県間の全線が開通します。
 2010年(平成22)に茨城町JCT開通により、東関東自動車道と接続、佐野田沼IC~岩舟JCT間開通により、東北自動車道と接続し、2011年(平成23)3月19日に、太田桐生IC~佐野田沼IC間が開通して、全線開通となりました。東京から放射状に延びる関越自動車道、東北縦貫自動車道、常磐自動車道と連結し、北関東地域の海の玄関口となる常陸那珂港と直結することにより、物流効率が格段に高まり、地域経済の発展に大きな役割を果たしています。

〇北関東自動車道関係略年表

<1987年(昭和62)>
・6月30日 第四次全国総合開発計画が閣議決定され、北関東横断自動車道として高規格幹線道路の構想となる
・9月1日 「国土開発幹線自動車道建設法」の改正により、国幹道の予定路線とされる

<1996年(平成8)> 
・12月27日 国土開発幹線自動車道建設審議会(国幹審)で、上三川~友部間(40km)が整備計画路線に昇格する

<2000年(平成12)>
・3月18日 : 友部JCT~水戸南IC間開通により、常磐自動車道と接続する
・7月27日 : 栃木都賀JCT~宇都宮上三川IC間開通により、東北自動車道と接続する
・12月2日 : 友部IC~友部JCT間が開通する

<2001年(平成13)>
・3月31日 : 高崎JCT~伊勢崎IC間開通により、関越自動車道と接続する

<2005年(平成17)>
・10月1日 : 日本道路公団民営化により、東日本高速道路株式会社の所管路線となる

<2007年(平成19)>
・11月14日  笠間西IC~友部IC間開通する

<2008年(平成20)>
・3月1日 波志江PAが開設される
・3月8日 伊勢崎IC~太田桐生IC間ガ開通する
・3月15日 宇都宮上三川IC~真岡IC間が開通する
・3月29日 波志江PAスマートIC社会実験開始する
・4月12日 桜川筑西IC~笠間西IC間が開通する
・12月20日 真岡IC~桜川筑西IC間が開通(栃木~茨城間の全線開通)、壬生PA・笠間PAが開設される。

<2009年(平成21)>
・4月1日 波志江PAスマートICが供用開始となる

<2010年(平成22)>
・3月6日 茨城町JCT開通により、東関東自動車道と接続する
・4月17日 佐野田沼IC~岩舟JCT間開通により、東北自動車道と接続する

<2011年(平成23)>
・3月19日 太田桐生IC~佐野田沼IC間が開通、出流原PAが開設され、これにより全線開通する

<2018年(平成30)>
・7月28日 太田強戸PA/スマートICが供用開始される

<2022年(令和4)>
・9月19日  出流原スマートICが供用開始される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

713年(和銅6)元明天皇により「運脚の労苦に対する詔」が出される(新暦4月18日)詳細
1860年(万延元)江戸幕府が最初の貿易統制令である「五品江戸廻送令」を発令する詳細
1943年(昭和18)洋画家藤島武二の命日詳細
1907年(明治40)「癩予防ニ関スル件」(明治40年法律第11号)が公布(施行は同年4月1日)される詳細
1945年(昭和20)名古屋大空襲によって、名古屋駅等が炎上する詳細
1950年(昭和25)世界平和擁護大会で原爆禁止の「ストックホルム・アピール」が採択される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

kyuushyuujidoushyadou01

 今日は、平成時代の1995年(平成7)に、人吉仮出入口~えびのIC間の開通(暫定2車線)により、九州自動車道が全線開通した日です。
 九州自動車道(きゅうしゅうじどうしゃどう)は、福岡県北九州市門司区を起点とし、佐賀県、再び福岡県に入り、熊本県、宮崎県を経由し鹿児島県鹿児島市に至る、全長346.3kmの高速道路(高速自動車国道)で、略称は九州道、日本高速道路公団の分割民営化後は西日本高速道路が管理してきました。1965年(昭和40)に、「高速自動車国道の路線を指定する政令及び東海道幹線自動車国道建設法施行令の一部を改正する政令」施行により北九州市~熊本市間が「高速自動車国道九州自動車道福岡熊本線」として指定され、翌年7月に工事が着工され、1967年(昭和42)には、「高速自動車国道の路線を指定する政令の一部を改正する政令」施行により北九州市~鹿児島市間が「九州縦貫自動車道鹿児島線」として指定されます。
 1971年(昭和46)6月30日に、植木IC~熊本IC間が最初の開通区間となり、その後、順次開通区間を伸ばしていき、1995年(平成7)7月27日の人吉仮出入口~えびのIC間開通(暫定2車線)により全線開通し、青森から鹿児島までの2,170kmが高速道路で結ばれました。その後、車線の拡幅工事が進捗し、2004年(平成16)12月12日の人吉IC~えびのIC間の4車線化により、全線が4車線以上(小倉東IC~北九州JCTと太宰府IC~久留米IC間は6車線)となります。
 また、門司ICで関門自動車道を経て中国自動車道、北九州JCTで東九州自動車道、鳥栖JCTで長崎自動車道と大分自動車道、八代JCTで南九州自動車道、えびのJCTで宮崎自動車道、加治木JCTで東九州自動車道(隼人道路)、鹿児島ICで南九州西回り自動車道と接続しました。これにより、九州地方と近畿圏・首都圏を繋ぎ、地形的に隔てられていた北九州と南九州との交流を拡大し、市場の拡大、諸産業の振興、観光開発などに大きな役割を果たしてきています。

〇九州自動車道関係略年表

・1965年(昭和40)11月1日 「高速自動車国道の路線を指定する政令及び東海道幹線自動車国道建設法施行令の一部を改正する政令」施行により北九州市・熊本市間が「高速自動車国道九州自動車道福岡熊本線」として指定される
・1966年(昭和41)7月 工事に着工する
・1967年(昭和42)11月22日 「高速自動車国道の路線を指定する政令の一部を改正する政令」施行により北九州市・鹿児島市間が「九州縦貫自動車道鹿児島線」として指定される
・1971年(昭和46)6月30日 九州自動車道植木IC~熊本IC間が開通する
・1972年(昭和47)10月21日 南関IC~植木IC間が開通する
・1973年(昭和48)11月16日 鳥栖IC~鳥栖JCT~南関IC間が開通する
・1973年(昭和48)12月13日 加治木IC~薩摩吉田IC間が開通する
・1975年(昭和50)3月13日 古賀IC~鳥栖JCT間が開通する
・1976年(昭和51)3月4日 宮崎自動車道としてえびのIC~えびのJCT~高原IC間が開通する
・1976年(昭和51)11月26日 熊本IC~御船IC間が開通する
・1976年(昭和51)11月29日 溝辺鹿児島空港IC~加治木IC間が開通する
・1977年(昭和52)7月21日 若宮IC~古賀IC間が開通する
・1977年(昭和52)11月15日 薩摩吉田IC~鹿児島北IC間が開通する
・1978年(昭和53)12月15日 御船IC~松橋IC間が開通する
・1979年(昭和54)3月8日 八幡IC~若宮IC間が開通、中国自動車道山口ICから関門橋、北九州道路、北九州直方道路を経由して松橋ICまでが高速道路で結ばれる
・1980年(昭和55)3月12日 松橋IC~八代IC間が開通する
・1980年(昭和55)3月22日 栗野IC~溝辺鹿児島空港IC間が開通する
・1981年(昭和56)10月1日 えびのJCT~栗野IC間が開通し、宮崎自動車道えびのIC~えびのJCT間を九州自動車道に編入する
・1983年(昭和58)3月24日 中国自動車道全線開通により、東名高速道路(または中央自動車道)、名神高速道路、中国自動車道、関門橋、北九州道路、北九州直方道路を経由して東京から八代ICまでが高速道路で結ばれる。
・1984年(昭和59)3月27日 門司IC~小倉東IC間開通により関門橋と直結する
・1985年(昭和60)3月28日 長崎自動車道(当時は九州横断自動車道)佐賀大和IC~鳥栖IC間開通にあわせ、九州自動車道鳥栖IC~鳥栖JCT間を長崎自動車道に編入する
・1987年(昭和62)2月5日 鳥栖JCTで大分自動車道と接続する
・1988年(昭和63)3月29日 鹿児島北IC~鹿児島IC間が開通する
・1988年(昭和63)3月31日 小倉東IC~八幡IC間の開通により、北九州道路・北九州直方道路経由が解消される
・1988年(昭和63)10月19日 鹿児島ICで南九州西回り自動車道と接続する
・1989年(平成元)12月7日 八代IC~人吉仮出入口間が開通する
・1992年(平成4)3月25日 加治木ICで隼人道路(東九州自動車道に並行する一般国道自動車専用道路)と接続する
・1993年(平成5)3月31日 新門司ICが開通する
・1995年(平成7)7月27日 人吉仮出入口~えびのIC間開通(暫定2車線)により全線開通する
・1997年(平成9)7月14日 八代IC~人吉IC間(肥後トンネルを除く)4車線化する
・1997年(平成9)11月28日 鳥栖JCT~久留米IC間6車線化する
・1998年(平成10)3月23日 広川ICが開通する
・1998年(平成10)3月31日 筑紫野ICが開通する
・1998年(平成10)4月20日 八代JCT開設により南九州西回り自動車道と接続する
・1999年(平成11)3月24日 益城熊本空港ICが開通する
・1999年(平成11)4月14日 肥後トンネル前後区間を4車線化する
・2001年(平成13)3月24日 鳥栖JCTの九州道下り→長崎道長崎方面を直結する連絡橋「サガンクロス橋」が開通する
・2001年(平成13)4月26日 えびのPA~えびのIC間が4車線化する
・2001年(平成13)12月19日 加治木JCT開通により、加治木ICの接続部を廃止し加治木JCTで東九州自動車道と接続する
・2002年(平成14)7月27日 人吉IC~えびのIC間(加久藤トンネルを除く)4車線化する
・2004年(平成16)12月12日 人吉IC~えびのIC間4車線化により、全線が4車線以上で完成する
・2006年(平成18)2月26日 北九州JCT開通により東九州自動車道と接続する
・2009年(平成21)3月29日 みやま柳川ICが開通する
・2011年(平成23)2月19日 鞍手ICが開通する
・2014年(平成26)3月22日 嘉島JCT開通により九州中央自動車道と接続する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1719年(享保4)幕臣・大名・老中田沼意次の誕生日(新暦9月11日)詳細
1835年(天保6)日本画家橋本雅邦の誕生日(新暦8月21日)詳細
1976年(昭和51)田中角榮前首相がロッキード事件で東京地検に逮捕される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ