大阪空港騒音公害訴訟(おおさかくうこうそうおんこうがいそしょう)は、大阪国際空港(伊丹空港)付近の住民が、飛行機の騒音公害に悩まされたため、空港の夜間利用差し止めと損害賠償等を求めた民事訴訟です。1969年(昭和44)12月14日に、大阪国際空港の航空機騒音・振動に悩む周辺住民28人が、国に対し、午後9時以降午前7時までの飛行差止めと、過去・将来の損害賠償とを求めて大阪地裁に提訴(第1次訴訟)、1971年(昭和46)6月には、新たに住民126人が〈環境権〉を前面に打ち出した第2次訴訟を起こしました。
1974年(昭和49)2月に、大阪地裁は、①午後10時〜翌日午前7時の飛行を禁止し、住民が公害の発生を阻止する権利として人格権を認めこれを法的根拠とした差止めを認める、②過去の損害賠償だけを認める、という内容の判決を言い渡しましたが、原告側はこれを不十分として控訴します。1975年(昭和50)11月に、大阪高裁は、住民側の請求どおり午後9時からの飛行禁止と将来の損害賠償を認容するという判決を言い渡しましたが、環境権についてはその当否の判断を避け、国側はこの判決を不服として最高裁に上告しました。
1981年(昭和56)12月16日に、最高裁は国側の主張を全面的に認め、午後9時以降の差止めを認めた大阪高裁判決を破棄する判決を言い渡します。判決後に、和解交渉が進められ、1984年(昭和59)3月9日に、大阪地裁の和解案を国側が受諾、和解調書の調印が行われ、国が初めて騒音公害の責任を認めることとなりました。
1981年(昭和56)12月16日に、最高裁は国側の主張を全面的に認め、午後9時以降の差止めを認めた大阪高裁判決を破棄する判決を言い渡します。判決後に、和解交渉が進められ、1984年(昭和59)3月9日に、大阪地裁の和解案を国側が受諾、和解調書の調印が行われ、国が初めて騒音公害の責任を認めることとなりました。
〇大阪空港公害訴訟関係略年表
・1969年(昭和44)12月14日 大阪国際空港の航空機騒音・振動に悩む周辺住民28人が、国に対し、午後9時以降午前7時までの飛行差止めと、過去・将来の損害賠償とを求めて大阪地裁に提訴(第1次訴訟)する
・1971年(昭和46)6月 新たに住民126人が〈環境権〉を前面に打ち出した第2次訴訟を起こす
・1974年(昭和49)2月 大阪地裁は、①午後10時〜翌日午前7時の飛行を禁止し,住民が公害の発生を阻止する権利として人格権を認めこれを法的根拠とした差止めを認める、②過去の損害賠償だけを認める、という内容の判決を言い渡す
・1975年(昭和50)11月 大阪高裁は、住民側の請求どおり午後9時からの飛行禁止と将来の損害賠償を認容するという判決を言い渡したが、環境権についてはその当否の判断を避ける
・1981年(昭和56)12月16日 最高裁は、国側の主張を全面的に認め、午後9時以降の差止めを認めた大阪高裁判決を破棄する判決を言い渡す
・1984年(昭和59)3月9日 大阪地裁の和解案を国側が受諾、和解調書の調印が行われ、国が初めて騒音公害の責任を認める
☆「大阪国際空港夜間飛行禁止等請求上告事件」 1981年(昭和56)12月16日最高裁判所判決
<裁判要旨>
①人格権または環境権に基づく民事上の請求として一定の時間帯につき航空機の離着陸のためにする国営空港の供用の差止を求める訴は、不適法である。
②航空機の離着陸により周辺住民に騒音等による甚大な影響を与えている空港につき、右被害の発生を防止するのに十分な措置を講じないままに空港を維持・管理してきたことが、国家賠償法二条にいう「瑕疵」に当るとされた事例。
③航空機騒音の影響による被害の認定にあたり、検証実施の際に受けた印象、原告らの陳述書やアンケート調査等にかなり高い証拠価値を認め、原告に画一的に慰謝料を認めても、採証法則や経験則に違背するものではない。
④B滑走路供用開始後に至つてジェット機の大型化と大量就航をみて騒音が激化したとの事情の下において、B滑走路供用後に転居してきた原告について、住民の側が特に公害問題を利用しようとするごとき意図をもつて接近したと認められる場合でない限り危険の接近の理論を適用しないという原審の判断は誤りで、航空機騒音の存在についての認識を有しながらそれによる被害を容認して居住したものであるから、原告の入居後に実際に受けた被害の程度が入居の際原告がその存在を認識した騒音から推測される被害の程度を超えるものであったとか、入居後に騒音の程度が格段に増大したとかいうような特段の事情が認められない限り、その被害は原告において受忍すべきものというべく、右被害を理由として慰藉料の請求をすることは許されない。
⑤空港の供用に伴って発生する騒音等に対する将来の損害賠償請求権は、将来の給付の訴を提起することのできる請求権としての適格性を有しない。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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