ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:飛鳥浄御原令

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 今日は、飛鳥時代の681年(天武天皇10)に、天武天皇が律令の制定(飛鳥浄御原令)を命じた日ですが、新暦では3月19日となります。
 飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)は、飛鳥時代の681年(天武天皇10年2月25日)に、天武天皇が編纂を命じ、689年(持統天皇3年29日)に頒布されたとされる法令(令22巻)です。内容は、701年(大宝元年)施行の「大宝令」とほぼ同じと推定され、戸籍作成や班田収授もこの時から6年ごととなったと考えられてきました。
 しかし、『日本書紀』によって若干推定できる程度で、不明な部分が多いとされています。律については、編纂されず、唐の律をそのまま代用したとの説が有力とされてきました。
 急遽施行されたものなので、完成度は必ずしも高くなかったと言われ、律令の編纂作業は、その後も続けられ、最終的には701年(大宝元年)に完成した「大宝律令」によって、律令整備が完成することになったとされます。
 以下に、『日本書紀』天武天皇10年2月条と持統天皇3年6月条の律令の制定に関する記述を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇『日本書紀』の「飛鳥浄御原律令」関係の記述

<天武天皇10年2月条>

(原文)

二月庚子朔甲子、天皇々后共居于大極殿、以喚親王諸王及諸臣、詔之曰「朕今更欲定律令改法式、故倶修是事。然頓就是務公事有闕、分人應行。」
是日、立草壁皇子尊爲皇太子、因以令攝萬機。

(読み下し文)

二月庚子朔甲子、天皇[1]、皇后[2]、共に大極殿[3]に居(おは)します、親王、諸王及び諸臣[4]を喚(め)して、詔して曰く、「朕、今更た、律令[5]を定め、法式(のり)を改めむと欲す。故、倶に是の事を修めよ。然れども頓(にはか)に是のみを務(まつりごと)を就(な)さば、公事闕(か)くること有らむ。人を分ちて應(まさ)に行ふべし」と。
是の日、草壁皇子[6]尊を立てて、皇太子[7]と為したまふ。よりて万(よろづ)の機(まつりごと)を摂[8]めしめたまふ。」

【注釈】
[1]天皇:てんのう=ここでは、天武天皇のこと。
[2]皇后:こうごう=ここでは、鸕野讃良皇女(後の持統天皇)のこと。
[3]大極殿:だいごくでん=古代の日本における朝廷の正殿。
[4]諸臣:しょしん=多くの家臣たち。群臣。 
[5]律令:りつりょう=古代国家の基本法である律と令。律は刑罰についての規定、令は政治・経済など一般行政に関する規定。
[6]草壁皇子:くさかべのおうじ=天武天皇の皇子。母は持統天皇。文武・元正両天皇の父。壬申の乱には天武帝とともに戦い、皇太子に立てられたが、即位せずに死去。
[7]皇太子:こうたいし=皇位継承の第一順位にある皇子。東宮。
[8]摂:ふさねおさ=事をあわせ行う。兼ねる。代行する。摂政。

(現代語訳)

(天武10年)2月25日、天武天皇は皇后と共に大極殿に居て、親王・諸王・諸臣に、詔して言った。「我は、今から律令をを定めて、法式を改め改めようと思う。共に、このことを修めなさい。しかし、急にこれだけを実務をすれば、公務が滞るであろうから、手分けして行ってほしい」と。
この日に、草壁皇子尊(クサカベノミコノミコト)を立てて皇太子とする。すべての政治の実務に預からせる。

<持統天皇3年6月条>

(原文)

庚戌、班賜諸司令、一部廿二卷。

(読み下し文)

庚戌、諸司[9]に令[10]一部廿二卷を班(わか)ち賜ふ。

(現代語訳)

二十九日、中央の諸々の役人に、令一部二十二巻を分け下し賜った。

【注釈】
[9]諸司:しょし=多くの役所。また、その役人。百司。
[10]令:りょう=政治・経済など一般行政に関する規定。ここでは、「飛鳥浄御原律令」のこと。

☆日本の律令関係略年表

・天智天皇10年(668年) 「近江律令」が施行される
・天武天皇10年(681年)2月25日 「飛鳥浄御原律令」の編纂が開始される
・持統天皇3年(689年)6月29日 「飛鳥浄御原律令」(22巻)が発布される
・文武天皇4年(700年) 「大宝律令」の編纂が開始される
・大宝元年(701年) 「大宝律令」が完成する
・大宝2年(702年) 「大宝律令」の律が施行される
・養老2年(718年) 「養老律令」の編纂が行われる
・天平宝字元年(757年) 「養老律令」(律10巻13編、令10巻30編)が施行される
・神護景雲3年(769年) 「養老律令」の 修正・追加を目的に「刪定律令」(全24条)編纂される
・延暦10年(791年) 「養老律令」の「刪定律令」が施行される
・延暦16年(797年) 「養老律令」の刪定令格全45条が編纂され、同年施行される
・弘仁11年(820年) 「弘仁格式」が完成する
・天長7年(830年) 「弘仁格式」が施行される
・承和7年(840年) 「弘仁格式」が改訂施行される
・貞観11年(869年) 「貞観格式」の格が施行される
・貞観13年(871年) 「貞観格式」の式が施行される
・延長5年(907年) 「延喜格式」の格が施行される
・延長5年(927年) 「養老律令」細則「式」が完成する
・康保4年(967年) 「養老律令」細則「式」が改訂施行される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1415年(応永22)僧侶・浄土真宗中興の祖蓮如の誕生日(新暦4月13日)詳細
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1942年(昭和17)「戦時災害保護法」(昭和17年法律第71号)が公布される詳細
1944年(昭和19)東条英機内閣により、「決戦非常措置要綱」が閣議決定される詳細
1946年(昭和21)「金融緊急措置令」に基づいて新円を発行し、旧円と新円の交換が開始される詳細
1947年(昭和22)八高線高麗川駅付近で買い出しで満員の列車が転覆、死者184人を出す(八高線列車脱線転覆事故)詳細
1953年(昭和28)医師・歌人斎藤茂吉の命日(茂吉忌)詳細
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 今日は、飛鳥時代の702年(大宝2)に、前年に制定された「大宝律令」を諸国に頒布した日ですが、新暦では3月3日となります。
 「大宝律令」(たいほうりつりょう)は、飛鳥時代の701年(大宝元年8月3日)に完成した日本古代の基本法典です。律(刑法)6巻と令(行政法など)11巻の全17巻からなっていました。
 それまでも、668年(天智天皇7)成立の「近江令」 22巻(疑問視する意見もある)、 682年(天武 11)成立の「飛鳥浄御原令(あすかのきよみはらりょう)」(律もあったという説もある)がありましたが、それにかえて作成されます。持統上皇・文武天皇の命令で編纂が始まり、刑部親王、藤原不比等、粟田真人(まひと)、下毛野古麻呂(しもつけぬのこまろ)らにより、700年(文武天皇4)に令がほぼ完成、701年(大宝元年8月3日)に大宝律令として完成、翌年に施行されました。
 律は6巻で約500条、令は11巻で約1000条と伝えられますが現存せず、「続日本紀」、「令集解(りょうのしゅうげ)」などに逸文があり、718年(養老2)頃、「大宝律令」を修訂して成立した「養老律令」から復元が試みられています。唐の律令を参考にしたと考えられていますが、この完成によって官僚制度が整い、中央集権の政治体制ができあがりました。

〇復元「大宝令」(復元の一例)

「大宝令」と「養老令」の編目の順序は異なっていたと考えられているが、「大宝令」の編目順序は明らかでない。

・官位令
・官員令(「養老令」では職員令)
・後宮官員令(「養老令」では後宮職員令)
・東宮家令官員令(「養老令」では東宮職員令・家令職員令)
・神祇令
・僧尼令
・戸令
・田令
・賦役令
・学令
・選任令(「養老令」では選叙令)
・継嗣令
・考仕令(「養老令」では考課令)
・禄令
・軍防令(「養老令」では宮衛令・軍防令)
・儀制令
・衣服令
・公式令
・医疾令
・営繕令
・関市令
・倉庫令
・厩牧令
・仮寧令
・喪葬令
・捕亡令
・獄令
・雑令

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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