
今日は、明治時代後期の1909年(明治42)に、長岡半太郎が電気工学において、有限長ソレノイド(コイル)のインダクタンスを求めるための係数、長岡係数を提唱した日です。
長岡係数(ながおかけいすう)は、導線を巻いてインダクタを作るときに使う係数で、無限長ソレノイドのインダクタンスを求める公式により、有限長ソレノイドのインダクタンスを求められるようにしたものです。日本の物理学の父と称される長岡半太郎が、1909年(明治42)5月6日に、発表し、通称「長岡係数」と呼ばれてきました。
これは、電磁気学の理論を応用物理学、特に電気工学の分野で実用化する上で極めて重要な貢献であり、日本初の物理学における世界的な業績の一つであるとされています。今日でも、コイルの設計などにおいて広く利用されてきました。
これは、電磁気学の理論を応用物理学、特に電気工学の分野で実用化する上で極めて重要な貢献であり、日本初の物理学における世界的な業績の一つであるとされています。今日でも、コイルの設計などにおいて広く利用されてきました。
〇長岡半太郎(ながおか はんたろう)とは?
明治時代から昭和時代前期にかけて活躍した物理学者です。幕末の1865年(慶応元年6月28日)に、肥前国大村(現在の長崎県大村市)で、大村藩藩士長岡治三郎の一人息子として生まれました。
1874年(明治7)に一家とともに上京し、本郷区湯島小学校に入学、共立学校を経て、東京英語学校(東京大学予備門)に進学します。1882年(明治15)に東京大学理学部へ入学し、C.G.ノットの指導の下で全国地磁気測量に参加しました。
卒業後は、大学院へ進み、磁気のひずみの実験や回折の数理物理学的な研究などを行い、1890年(明治23)に同大の助教授となります。1893年(明治26)から約3年間、ドイツ、オーストリアに留学し、ヘルムホルツ、ボルツマン、プランクらに学び、帰国して、1896年(明治29)に東京帝国大学教授となりました。
1903年(明治36)に土星型原子模型を発表して注目され、1909年(明治42)に長岡係数を提唱します。1917年(大正6)に理化学研究所創立とともに研究員となり、1931年(昭和6)大阪帝国大学初代総長、1939年(昭和14)帝国学士院長と要職を歴任しました。
その間、1928年(昭和3)勲二等旭日重光章、1937年(昭和12)第1回文化勲章の受章などの栄誉にも輝きます。実験物理学と理論物理学の両面にわたって活動し、多くの弟子を育てて、日本の物理学の水準を国際的な高さに引き上げましたが、1950年(昭和25)12月11日に、東京都文京区西片町の自宅において、脳出血のため、85歳で亡くなくなり、正三位勲一等旭日大綬章追贈されました。
1874年(明治7)に一家とともに上京し、本郷区湯島小学校に入学、共立学校を経て、東京英語学校(東京大学予備門)に進学します。1882年(明治15)に東京大学理学部へ入学し、C.G.ノットの指導の下で全国地磁気測量に参加しました。
卒業後は、大学院へ進み、磁気のひずみの実験や回折の数理物理学的な研究などを行い、1890年(明治23)に同大の助教授となります。1893年(明治26)から約3年間、ドイツ、オーストリアに留学し、ヘルムホルツ、ボルツマン、プランクらに学び、帰国して、1896年(明治29)に東京帝国大学教授となりました。
1903年(明治36)に土星型原子模型を発表して注目され、1909年(明治42)に長岡係数を提唱します。1917年(大正6)に理化学研究所創立とともに研究員となり、1931年(昭和6)大阪帝国大学初代総長、1939年(昭和14)帝国学士院長と要職を歴任しました。
その間、1928年(昭和3)勲二等旭日重光章、1937年(昭和12)第1回文化勲章の受章などの栄誉にも輝きます。実験物理学と理論物理学の両面にわたって活動し、多くの弟子を育てて、日本の物理学の水準を国際的な高さに引き上げましたが、1950年(昭和25)12月11日に、東京都文京区西片町の自宅において、脳出血のため、85歳で亡くなくなり、正三位勲一等旭日大綬章追贈されました。
☆長岡半太郎関係略年表
・1865年(慶応元年6月28日) 肥前国大村(現在の長崎県大村市)で、大村藩藩士長岡治三郎の一人息子として生まれる
・1874年(明治7) 一家とともに上京し、本郷区湯島小学校に入学する
・1882年(明治15) 東京大学理学部へ入学する
・1887年(明治20) 東京帝国大学大学院に進学する
・1890年(明治23) 東京帝国大学の助教授となり、磁気歪を研究してニッケル線に圧と捩りを与えると反磁性化することを確定する
・1892年(明治25) 田中館愛橘と長岡は「濃尾地震に伴ふ等磁力線の変位」を発表する
・1893年(明治26) 約3年間、ドイツ、オーストリアに留学し、ヘルムホルツ、ボルツマン、プランクらに学ぶ
・1896年(明治29) 東京帝国大学教授となる
・1902年(明治35) 長岡と本多光太郎は「鋼、Ni、Co、Ni鋼の磁歪」を発表する
・1903年(明治36) 土星型原子模型を発表して注目される
・1905年(明治38) 正五位となる
・1906年(明治39) 勲四等瑞宝章を受章する
・1909年(明治42) 長岡係数を提唱する
・1910年(明治43) 勲三等瑞宝章を受章する
・1915年(大正4) 正四位となる
・1917年(大正6) 理化学研究所創立とともに研究員となる
・1928年(昭和3) 勲二等旭日重光章を受章する、
・1931年(昭和6) 大阪帝国大学初代総長となる
・1932年(昭和7) 勲一等瑞宝章を受章する
・1934年(昭和9) 貴族院議員(~1947年)となる
・1937年(昭和12) 第1回文化勲章を受章する
・1939年(昭和14) 帝国学士院長となる
・1950年(昭和25)12月11日 東京都文京区西片町の自宅において、脳出血のため、85歳で亡くなり、正三位勲一等旭日大綬章追贈される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 763年(天平宝字7) | 唐代の高僧・日本律宗の開祖鑑真の命日(新暦6月25日) | 詳細 |
| 1408年(応永15) | 室町幕府3代将軍足利義満の命日(新暦5月31日) | 詳細 |
| 1607年(慶長12) | 朝鮮使節(朝鮮通信使)が初めて江戸を訪問し、江戸幕府第2代将軍秀忠と会見(新暦6月29日) | 詳細 |
| 1865年(慶応元) | (閏)坂本龍馬が長州の桂小五郎と会談し、薩長同盟が始動する(新暦6月28日) | 詳細 |
| 1909年(明治42) | 「新聞紙法」が公布される | 詳細 |
| 1950年(昭和25) | 住宅金融公庫設立のため、「住宅金融公庫法」(昭和25年法律第156号)が公布・施行される | 詳細 |
| 1975年(昭和50) | 法医学者・血清学者・人類遺伝学者古畑種基の命日 | 詳細 |
| 1983年(昭和58) | 農業経済学者・農政家東畑精一の命日 | 詳細 |