今日は、奈良時代の715年(霊亀元)に、元正天皇が「陸田での麦・粟を奨励する詔」を出した日ですが、新暦では11月7日となります。
「陸田での麦・粟を奨励する詔」(りくでんでのむぎ・あわをしょうれいするみことのり)は、人民の浮浪・逃亡が顕著となる中で、少しでも人民の生活を安定させるために、元正天皇によって出された詔でした。内容は、陸田(畑)での麦や粟の栽培を奨励するもので、稲の代わりに粟で納税することも許可するとしています。
古代律令体制下の奈良時代初頭には、過酷な支配に耐え切れず、人民の浮浪・逃亡の実態が顕著になり、元明天皇は、715年(霊亀元年5月1日)に、「浮浪の扱いに関する勅」、717年(養老元年5月17日)には、「諸国の百姓の浮浪・逃亡の続出についての詔」を出しました。そして、元正天皇の代になって、人民の生活を少しでも安定させるために、この詔が出されたものの、その後も浮浪・逃亡が続き、口分田の不足も深刻化してきたので、722年(養老6年閏4月25日)に「百万町歩開墾計画」を作成、723年(養老7年4月17日)に田地の不足を解消するために「三世一身法」を制定します。
さらに、743年(天平15年5月27日)に聖武天皇によって、「墾田永年私財法」が制定されるに及び、公地公民の大原則が崩れ、社寺・貴族による大土地所有が活発化し、荘園制成立の要因となっていきました。
以下に、『続日本紀』卷第七(元正紀一)霊亀元年の条の「陸田での麦・粟を奨励する詔」を全文、現代語訳・注釈付で掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「陸田での麦・粟を奨励する詔」 『続日本紀』卷第七(元正紀一)霊亀元年の条
<原文>
冬十月乙夘。詔曰。國家隆泰。要在冨民。冨民之本。務從貨食。故男勤耕耘。女脩絍織。家有衣食之饒。人生廉耻之心。刑錯之化爰興。太平之風可致。凡厥吏民豈不勗歟。今諸國百姓未盡産術。唯趣水澤之種。不知陸田之利。或遭澇旱。更無餘穀。秋稼若罷。多致饑饉。此乃非唯百姓懈懶。固由國司不存教導。宜令佰姓兼種麥禾。男夫一人二段。凡粟之爲物。支久不敗。於諸穀中。最是精好。宜以此状遍告天下。盡力耕種。莫失時候。自餘雜穀。任力課之。若有百姓輸粟轉稻者聽之。
<読み下し文>
冬十月乙夘[1]。詔して日く、「國家の隆泰[2]は要、民を富ますにあり。民を富ますの本は務めて貨食[3]よりす。故に男は耕耘[4]に勤め、女は機織[5]を脩め、家に衣食の饒[6]有りて、人に廉耻の心[7]生ぜば、刑錯の化[8]、爰に興り、太平の風[9]致るべし。凡そ厥の吏民[10]、豈に勗めざらめや。今諸国の百姓未だ産術[11]を尽くさず、唯水沢の種[12]に趣いて陸田[13]の利を知らず。或は撈旱[14]に遭えば更に余穀[15]なく、秋稼[16]若し罷めば多くは飢饉をいたす。此れ乃ち唯百姓の懈懶[17]のみに非ず。固に國司[18]教導[19]を存ぜ不る由る。宜く百姓[20]をして麦禾[21]を兼ね種うること、男夫[22]一人ごとに二段[23]ならしむべし。凡そ粟[24]の物たる、支うること久しくして敗れず、諸の穀[25]の中に於て最もこれ精好[26]なり。宜く此の状を以てあまねく天下に告げて、力をつくして耕種[27]せしめ、時候[28]を失うことなかるべし。自余の雑穀は力に任せて之を課せよ。若し百姓[20]粟[24]を輸して稲に転ずる者あらば之を聴せ。」と。
【注釈】
[1]乙夘:おつぼう=十干と十二支とを組み合わせたものの第五十二番目。ここでは、10月7日のこと。
[2]隆泰:りゅうたい=栄えてよく治まること。
[3]貨食:かしょく=貨幣と飲食物。財貨と食物。転じて、経済のこと。
[4]耕耘:こううん=田畑を耕して雑草を除去すること。たがやして作物を作ること。
[5]機織:きしょく=はたを織ること。はたおり。
[6]衣食の饒:いしょくのじょう=衣食を豊かにすること。
[7]廉耻の心:れんちのしん=清らかで恥を知る心。
[8]刑錯の化:けいおくのか=刑罰をさしおいて用いない変化。天下がよくおさまり、犯罪がおこらないことのたとえ。
[9]太平の風:たいへいのふう=世の中がおだやかに治まる風習。世の中が静かで平和な状態。
[10]厥の吏民:けつのりみん=彼の役人と人民。
[11]産術:さんじゅつ=生業の技術。産業の方法。
[12]水沢の種:すいたくのしゅ=湿地の種子。ここでは湿地での稲作のこと。
[13]陸田:りくでん=はたけ。また、律令制下で、五穀をつくる乾田のこと。
[14]撈旱:ろうかん=大水や日照り。水害と干害。
[15]余穀:よこく=貯えている穀物。
[16]秋稼:しゅうか=秋のとりいれ。秋の収穫。
[17]懈懶:おこたり=怠り。惰り。
[18]國司:こくし=令制により、中央から派遣されて諸国の政務を行った地方官の総称。
[19]教導:きょうどう=教え導くこと。
[20]百姓:ひゃくしょう=一般の人民。公民。貴族、官人、および、部民、奴婢を除いた一般の人。
[21]麦禾:ばくか=麦と稲、粟。
[22]男夫:だんぷ=成年男子。
[23]段:たん=面積の単位、1町の10分の1。
[24]粟:あわ=イネ科の一年草で五穀の一、実は小粒で黄色、古くから栽培され、粟飯・粟餅などにして食べた。
[25]穀:こく=田畑でつくられ、人が常食にするもの。また、麦、粟、キビ、ヒエ、豆などのこと。
[26]精好:せいこう=細かな点にまで注意して工夫をこらし、良い結果や良いできばえのもの。
[27]耕種:こうしゅ=田畑をたがやし、種や苗を植えること。田畑をたがやし作物を作ること。
[28]時候:じこう=ものごとを行なうのにふさわしい時期。
[29]自余:じよ=その他。
[30]輸して:ゆして=税として。
<現代語訳>
冬10月7日。詔して言うことには、「国家の栄えてよく治まることの要は、人民を富ますことである。人民を富ますことの基本は財貨と食物を増やすことに務めることである。よって男は田畑を耕して作物を作ることに勤め、女ははたを織ることに勤め、家の衣食を豊かにすることが有って、人に清らかで恥を知る心が生じれば、天下がよく治まり、犯罪が起こらないような変化が興り、世の中が静かで平和な状態となるであろう。およそ彼の役人と人民は、努力しないで良いのだろうか。今諸国の人民はいまだに生業の技術を尽くしておらず、ただ湿地での稲作に精を出し、陸田(畑)の良さを知らない。従って水害や干害に遭遇すれば、さらに貯えている穀物もなく、秋の収穫がもしダメになれば、多くは飢饉に見舞われてしまう。これはただ人民の怠りのみではない。もとより国司の教え導かないことによる。ぜひとも人民に命じて麦と共に稲、粟を栽培させること、成人男子一人ごとに二段の割合とするようにせよ。そもそも粟という物は、長期間保存しても腐らず、諸々の穀物の中において最もこれはすぐれたものである。ぜひともこのことを広く天下に告げて、力を尽くして田畑を耕し作物を作らせ、適期を逸しないようにさせよ。その他の雑穀は人民の力に任せてこれを課せ。もし人民が粟を税として、稲の代わりにする者があったならばこれを許可せよ。」と。
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