ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:陶芸家

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 今日は、平成時代の2008年(平成20)に、陶芸家青木龍山が亡くなった日です。
 青木龍山(あおき りゅうざん)は、大正時代の1926年(大正15)8月18日 佐賀県西松浦郡有田町において、陶磁器製造販売会社「青木兄弟商会」の長男として生まれましたが、本名は久重(ひさしげ)と言いました。1943年(昭和18)に佐賀県立有田工業学校図案絵画科を卒業し、多摩美術大学日本画科に入学し、1951年(昭和26)に卒業後、法政大学第二高等学校および法政大学女子高等学校の美術教師となります。
 2年後の1953年(昭和28)に、父に呼び戻されて帰郷し、「青木兄弟商会」に入って、作陶活動を開始、翌年、第10回日展に「花紋染付大皿」を初出品し、初入選しました。1957年(昭和32)に「青木兄弟商会」が倒産し、龍山は個人作家として独立、1963年(昭和38)には、青木龍山窯として復活します。
 1971年(昭和46)に改組後の第3回日展で「豊」が特選を受賞、1973年(昭和48)には、第12回現代工芸美術展で「豊延」が、会員賞および文部大臣賞を受賞しました。1981年(昭和56)に社団法人日本現代工芸美術家協会理事に就任、1982年(昭和57)には、社団法人日展会員となります。
 1988年(昭和63)に、第27回日本現代工芸美術展で「天目韻律」が、理事出品にて文部大臣賞を受賞、社団法人日展評議員に就任、1991年(平成3)には、第22回日展出品作「胡沙の舞」にて、第47回日本芸術院賞を受賞、社団法人日展理事に就任しました。1992年(平成4)に日本芸術院会員となり、1993年(平成5)には、第52回西日本文化賞を受賞、社団法人日本現代工芸美術家協会副会長、社団法人日展常務理事に就任します。
 1999年(平成11)に文化功労者となり、2000年(平成12)に佐賀大学美術科客員教授に就任、2005年(平成17)には、文化勲章を受章しました。2006年(平成18)には、有田名誉町民となり、佐賀県県民栄誉賞を受賞しましたが、2008年(平成20)4月23日に、肝臓癌により、81歳で亡くなり、従三位が追贈されています。

〇青木龍山の主要な作品

・「花紋染付大皿」(1954年)第10回日展入選
・「豊」(1971年)第3回日展特選
・「豊延」(1973年)第12回現代工芸美術展会員賞および文部大臣賞受賞
・「天目韻律」(1988年)第27回日本現代工芸美術展文部大臣賞受賞
・「胡沙の舞」(1991年)第47回日本芸術院賞受賞

☆青木龍山関係略年表

・1926年(大正15)8月18日 佐賀県西松浦郡有田町において、陶磁器製造販売会社「青木兄弟商会」の長男として生まれる
・1943年(昭和18) 佐賀県立有田工業学校図案絵画科を卒業する
・1951年(昭和26) 多摩美術大学日本画科を卒業、法政大学第二高等学校および法政大学女子高等学校の美術教師となる
・1953年(昭和28) 帰郷して、作陶活動を開始する
・1954年(昭和29) 第10回日展に「花紋染付大皿」を初出品し、初入選する
・1957年(昭和32) 「青木兄弟商会」が倒産し、龍山は個人作家として独立する
・1963年(昭和38) 青木龍山窯として復活する
・1971年(昭和46) 改組後の第3回日展で「豊」が、特選を受賞する
・1973年(昭和48) 第12回現代工芸美術展で「豊延」が、会員賞および文部大臣賞を受賞する
・1981年(昭和56) 社団法人日本現代工芸美術家協会理事に就任する
・1982年(昭和57) 社団法人日展会員となる
・1988年(昭和63) 第27回日本現代工芸美術展で「天目韻律」が、理事出品にて文部大臣賞を受賞、社団法人日展評議員に就任する
・1991年(平成3) 第22回日展出品作「胡沙の舞」にて、第47回日本芸術院賞を受賞、社団法人日展理事に就任する
・1992年(平成4) 日本芸術院会員となる
・1993年(平成5) 第52回西日本文化賞を受賞、社団法人日本現代工芸美術家協会副会長、社団法人日展常務理事に就任する
・1999年(平成11) 文化功労者となる
・2000年(平成12) 佐賀大学美術科客員教授に就任する
・2005年(平成17) 文化勲章を受章する
・2006年(平成18) 有田名誉町民となり、佐賀県県民栄誉賞を受賞する
・2008年(平成20)4月23日 肝臓癌により、81歳で亡くなり、従三位が追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

記念日「子供読書の日」です詳細
1265年(文永2)第92代の天皇とされる伏見天皇の誕生日(新暦5月10日)詳細
1342年(康永元)室町幕府初代将軍の足利尊氏が禅寺の寺格を制定(五山制度)する(新暦5月28日)詳細
1875年(明治8)日本画家上村松園の誕生日詳細
1895年(明治28)露・独・仏3国による「露仏独三國の遼東半島遷付勧告」(いわゆる三国干渉)がなされる詳細
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 今日は、昭和時代後期の1978年(昭和53)に、陶芸家・人間国宝濱田庄司の亡くなった日です。
 濱田庄司(はまだ しょうじ)は、明治時代後期の1894年(明治27)12月9日に、東京芝明舟町で文房具店を営む父・濱田久三と母・アイの子として、神奈川県橘樹郡高津村(現在の川崎市)の母の実家で生まれましたが、本名は象二と言いました。東京府立一中を経て、1913年(大正2)に東京高等工業学校窯業科に入学、板谷波山に学び、先輩河井寛次郎を識ります。
 1916年(大正5)に卒業後、京都市立陶磁器試験場に入り、河井寛次郎と主に釉法の研究に携わりました。1918年(大正7)に神田の流逸荘のリーチ展で、初めてバーナード・リーチを識り、翌年にバーナード・リーチを千葉県我孫子窯に訪ね、柳宗悦・志賀直哉も識ります。
 1920年(大正9)に帰国するリーチの誘いにより英国へ同行、セント・アイヴスの築窯を手伝い、作陶を行い、1923年(大正12)に、ロンドンのパタソン・ギャラリーで最初の個展を催しました。1924年(大正13)にフランス、イタリア、クレータ、エジプトを経て帰国、翌年に柳・河井と木喰上人の日記を追って紀州を旅行、1926年(大正15)には、沖縄壺屋窯で作陶します。
 1929年(昭和4)に国画会会員となり、翌年に栃木県益子町に近村の農家を移築して住居とし、1931年(昭和6)には住居に三室の登窯を築き、作陶を開始しました。翌年に大原孫三郎の知遇を得、1934年(昭和9)に来日したリーチを迎えてともに作陶、柳・河井・リーチと各地を旅行、民芸品調査を行う一方、作陶に励み、1937年(昭和12)大原孫三郎の寄付による日本民芸館理事に就任します。
 1939年(昭和14)以降、柳宗悦、河井寛次郎らとともに民芸運動を推進、各地を訪れました。1949年(昭和24)に第1回栃木県文化功労章を受け、1952年(昭和27)に毎日新聞社の文化使節として、柳宗悦・志賀直哉とともに渡欧、各地巡歴ののち、英国ダーティントンにおける国際工芸家会議に出席、翌年には芸術選奨文部大臣賞を受けます。
 1955年(昭和30)に第1回重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に指定され、1957年(昭和32)に文化財専門審議会専門委員、1962年(昭和37)には、日本民芸館館長となりました。1964年(昭和39)に、紫綬褒章受章、1967年(昭和42)にミシガン大学150年祭に招かれ、展覧会を開き、名誉学位を受け、1968年(昭和43)に文化勲章受章、1969年(昭和44)には益子名誉町民となるなど、数々の栄誉に輝きます。
 さらに、1970年(昭和45)に大阪万国博覧会の日本民芸館館長に就任、1973年(昭和48)にロンドン王立美術大学より名誉学位を受け、1974年(昭和49)には日本民芸協会会長に就任するなどしたものの、1978年(昭和53)1月5日に、栃木県益子町の自宅において、急性肺炎のため83歳で亡くなりました。

〇濱田庄司の主要な作品・著作

<陶芸作品>
・『失透 (しっとう) 釉格子文角皿』(1958年)
・『柿釉鉄絵丸文大鉢』(1962年)
・『赤絵面取鉢』(1966年)
・『塩釉胴紐鉄砂茶碗』(1968年)

<著作>
・『自選浜田庄司陶器集』(1969年)
・『無尽蔵』(1974年)
・『窯にまかせて』(1976年)

☆濱田庄司関係略年表

・1894年(明治27)12月9日 東京芝明舟町で文房具店を営む父・濱田久三と母・アイの子として、神奈川県橘樹郡高津村(現在の川崎市)の母の実家で生まれる
・1900年(明治33) 溝ノ口小学校へ入学する
・1904年(明治37) 東京へ戻り、三田の南海小学校に転校する
・1908年(明治41) 東京府立一中に入学する
・1913年(大正2) 東京高等工業学校窯業科に入学。板谷波山に学び、先輩河井寛次郎を識る
・1914年(大正3) 光風会第3回展に「風景」「裏の庭」(水彩)を出品する
・1915年(大正4) 夏休みに、美濃・瀬戸・万古・信楽・伊賀・九谷・京都の窯場を巡る
・1916年(大正5) 東京高等工業学校を卒業、京都市立陶磁器試験場に入り、河井寛次郎と主に釉法の研究に携わる
・1918年(大正7)12月 神田の流逸荘のリーチ展で、初めてバーナード・リーチと識る。
・1919年(大正8)5月 バーナード・リーチを千葉県我孫子窯に訪ね、柳宗悦・志賀直哉とも識る
・1920年(大正9)6月 帰国するリーチの誘いにより英国へ同行、セント・アイヴスの築窯を手伝い、作陶を行う
・1923年(大正12) 春、ロンドンのパタソン・ギャラリーで最初の個展を催し、約80点を出品好評を得る
・1924年(大正13) フランス、イタリア、クレータ、エジプトを経て、帰国する
・1925年(大正14) 柳・河井と木喰上人の日記を追って紀州を旅する
・1926年(大正15) 秋から翌春にかけては沖縄壺屋窯で作陶する
・1929年(昭和4) 国画会会員となる、柳と渡欧する
・1930年(昭和5) 益子に近村の農家を移築して住居とする
・1931年(昭和6) 益子の住居に三室の登窯を築く
・1934年(昭和9) 来日したリーチを迎え、5月、長屋門を移築した仕事場でともに作陶、柳・河井・リーチと各地を旅行する
・1936年(昭和11) 柳・河井とともに朝鮮満州を旅し、日本民芸館のために多くの蒐集をする、国画会工芸部を退会する
・1937年(昭和12) 大原孫三郎の寄付による日本民芸館の理事に就任する
・1939年(昭和14) 日本民芸協会同人たちと沖縄壺屋窯を訪れる
・1941年(昭和16) 柳・河井と華北を旅行する
・1942年(昭和17) 八室の大型登窯を築き、近村より民家を移築し、陶房・住宅・蔵などとする
・1947年(昭和22) 国画会に復帰する
・1949年(昭和24) 第1回栃木県文化功労章を受ける
・1952年(昭和27) 毎日新聞社の文化使節として、柳宗悦・志賀直哉とともに渡欧。各地巡歴ののち、英国ダーティントンにおける国際工芸家会議に出席する
・1953年(昭和28) 昭和27年度芸術選奨文部大臣賞を受ける
・1955年(昭和30)2月 第1回重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に指定される
・1957年(昭和32) 文化財専門審議会専門委員となる
・1962年(昭和37) 日本民芸館館長となる
・1964年(昭和39) 紫綬褒章を受章する
・1966年(昭和41) 妻和枝をともない米国旅行をする
・1967年(昭和42) ミシガン大学150年祭に招かれ、展覧会を開き、名誉学位を受ける
・1968年(昭和43) 沖縄タイムス賞を受賞、文化勲章を受章する
・1969年(昭和44)5月 益子名誉町民となる
・1970年(昭和45) 大阪万国博覧会の日本民芸館館長に就任する
・1973年(昭和48) ロンドン王立美術大学より名誉学位を受ける
・1974年(昭和49)2月 日本民芸協会会長に就任する
・1976年(昭和51) 川崎市文化賞を受賞する
・1977年(昭和52) 益子参考館開館館長、理事長に就任、東京国立近代美術館において「浜田庄司展」が開催される
・1978年(昭和53)1月5日 栃木県益子町の自宅において、急性肺炎のため83歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1348年(正平3)楠木正成の子・楠木正行が高師直軍との四条畷の戦いに敗れ自刃(新暦2月4日)詳細
1593年(文禄2)第106代の天皇とされる正親町天皇の命日(新暦2月6日)詳細
1963年(昭和38)三八豪雪」が始まり、日本海側に記録的大雪をもたらす詳細
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 今日は、明治時代前期の1883年(明治16)に、陶芸家・篆刻家・料理研究家・書家・画家北大路魯山人の生まれた日です。
 北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)は、京都府愛宕郡上賀茂村(現在の京都府京都市北区)で、上賀茂神社の社家だった父・北大路清操、母・登女の次男として生まれましたが、本名は房次郎(ふさじろう)と言いました。誕生前に父は亡く、養子先を転々として幼年時代を送り、1894年(明治27)の10歳の時に梅屋尋常小学校(現在の御所南小、新町小)を卒業後、京都・烏丸二条の千坂和薬屋に丁稚奉公へ出されます。
 1896年(明治29)に丁稚奉公を辞め、養父の木版の手伝いを始め、書を書き、絵筆を買い我流で絵を描き始めました。1904年(明治37)の20歳の時、上京して母に会いに行ったが受け入れられず、そのまま残って書家になることを志し、日本美術協会主催の美術展覧会に出品した「千字文」が褒状一等二席を受賞します。
 翌年に町書家・岡本可亭の内弟子となって住み込み、1907年(明治40)には福田鴨亭(おうてい)を名乗って可亭の門から独立しました。1910年(明治43)に実母と共に朝鮮にいきましたが、1912年(明治45)に帰国後、書道教室を開き、翌年から篆刻も習い始めます。
 1915年(大正4)に陶芸にも手を染め、翌年に母から家督相続を請われ、北大路姓を継いで北大路魯卿(ろけい)と名乗り、魯山人の号を使い始めました。1917年(大正6)に便利堂の中村竹四郎と交友を深め、1919年(大正8)に共同経営で東京・京橋に大雅堂美術店を開き、1921年(大正10)には、会員制食堂「美食倶楽部」を発足します。
 1925年(大正14)に東京・永田町に会員制高級料亭「星岡茶寮」を始め、1927年(昭和2)には、荒川豊蔵を鎌倉山崎に招き、魯山人窯芸研究所・星岡窯を設立して本格的な作陶活動を開始しました。しかし、1936年(昭和11)に星岡茶寮の経営者・中村竹四郎から解雇を通知され、「星岡茶寮」を追放されて陶芸に専心し、戦後の1946年(昭和21)には銀座に自作の直売店「火土火土美房」を開店します。
 多種の技法に通じ、様々な古陶を再現しつつ自由な作風を示して評価され、1954年(昭和29)にロックフェラー財団の招聘で欧米各地で展覧会と講演会が開催、1955年(昭和30)には、織部焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されるも辞退しました。自由奔放な生活を送ってきたものの、1959年(昭和34)12月21日に肝吸虫による肝硬変のため横浜医科大学病院において、76歳で亡くなっています。

〇北大路魯山人関係略年表

・1883年(明治16)3月23日 京都府愛宕郡上賀茂村(現在の京都市北区)で、上賀茂神社の社家だった父・北大路清操、母・登女の次男として生まれる。
・1883年(明治16)9月6日 巡査の服部家の戸籍に入り服部房次郎となる
・1887年(明治20)頃 4、5歳の時に義姉は房次郎と息子を連れて実家に身を寄せる
・1889年(明治22)6月22日 木版師の福田武造の養子となり、以後約27年間福田姓を名乗ることとなる
・1894年(明治27) 10歳の時に梅屋尋常小学校(現在の御所南小、新町小)を卒業する
・1894年(明治27)春 京都・烏丸二条の千坂和薬屋(現・わやくや千坂漢方薬局)に丁稚奉公へ出される
・1896年(明治29)1月 奉公を辞める
・1897年(明治30) 14、5歳の彼は稼いだ賞金で絵筆を買い我流で絵を描き始める
・1904年(明治37) 20歳の時、上京し母に会いに行ったが受け入れられず、残って書家になることを志す
・1904年(明治37) 日本美術協会主催の美術展覧会に出品した「千字文」が褒状一等二席を受賞する
・1905年(明治38) 町書家・岡本可亭の内弟子となって住み込む
・1907年(明治40) 福田鴨亭(おうてい)を名乗って可亭の門から独立する
・1908年(明治41)2月17日 結婚する
・1910年(明治43)12月 実母と共に朝鮮に旅立つ
・1912年(明治45)夏 帰国し書道教室を開く
・1913年(大正2) 29歳の時から篆刻(てんこく)も習い始める
・1915年(大正4) 陶芸に手を染め始める
・1916年(大正5) 母から家督相続を請われ、北大路姓を継いで北大路魯卿(ろけい)と名乗り、魯山人の号を使いはじめる
・1917年(大正6) 便利堂の中村竹四郎と交友を深める
・1919年(大正8) 中村竹四郎と共同経営で東京・京橋に大雅堂美術店を開く
・1921年(大正10) 会員制食堂・「美食倶楽部」を発足する
・1925年(大正14)3月20日 東京・永田町に会員制高級料亭「星岡茶寮(ほしがおかさりょう)」を始める
・1927年(昭和2) 荒川豊蔵を鎌倉山崎に招き、魯山人窯芸研究所・星岡窯を設立して本格的な作陶活動を開始する
・1928年(昭和3) 日本橋三越にて星岡窯魯山人陶磁器展を行う
・1936年(昭和11) 星岡茶寮の経営者・中村竹四郎から解雇を通知され、「星岡茶寮」を追放されて陶芸に専心する
・1945年(昭和20) 空襲により「星岡茶寮」が焼失する
・1946年(昭和21) 銀座に自作の直売店「火土火土美房(かどかどびぼう)」を開店する
・1951年(昭和26) 結婚したイサム・ノグチ・山口淑子夫妻を一時星岡窯に寄寓させる
・1954年(昭和29) ロックフェラー財団の招聘で欧米各地で展覧会と講演会が開催される
・1955年(昭和30) 織部焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されるも辞退する
・1959年(昭和34)12月21日 肝吸虫による肝硬変のため横浜医科大学病院において、76歳で亡くなる
・1998年(平成10) 管理人の放火と焼身自殺により、魯山人の終の棲家であった星岡窯内の家屋が焼失する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1945年(昭和20)小磯国昭内閣が「国民義勇隊」結成を閣議決定する詳細
1950年(昭和25)世界気象機関(WMO)が設立される(世界気象デー)詳細


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