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 今日は、昭和時代後期の1966年(昭和41)に、陶芸家・随筆家河井寛次郎の亡くなった日です。
 河井寛次郎(かわい かんじろう)は、明治時代中頃の1890年(明治23)8月24日に、島根県安来町(現在の安来市)の大工の家に生まれました。
 松江中学校(現在の県立松江北高等学校)を経て、1910年(明治43)に、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)窯業科へ入学し、板谷波山らの指導を受けます。
 1914年(大正3)に卒業後は、京都市陶磁器試験場に勤務、同所で濱田庄司と知り合い、釉薬や中国陶磁などを研究しました。1920年(大正9)に、京都五条坂に鐘渓窯を築いて独立、翌年には、「創作陶磁展覧会」を東京と大阪の高島屋で開催します。
 1924年(大正13)に柳宗悦を知ってその民芸論に共鳴、濱田庄司、富本憲吉らと民芸運動に挺身するようになりました。そして、日本各地から、朝鮮、満州などを仲間と共に旅して、民芸品を探訪するようになります。
 その中で、日本やイギリスの古民芸品の美を自己の制作にも取り入れて、素朴で重厚な作風を打ち立てました。1937年(昭和12)には、パリ万国博覧会に『鉄絵辰砂 (しんしゃ) 草花丸文壺』を出品し、グランプリを受賞します。
 詩、詞の創作も始め、太平洋戦争後の1947年(昭和22)には、寛次郎の詞「火の誓い」を棟方志功が板画で制作するなどしました。
 その後、機械製作と手仕事の融合、貼付陶文、筒描、色釉打薬などを工夫、1957年(昭和32)のミラノのトリエンナーレ国際工芸展に『花文菱形扁壺』を出品し、グランプリを受賞します。
 文化勲章、人間国宝、芸術院会員などへの推挙は辞退して、独自の境地を切り拓いてきましたが、1966年(昭和41)11月18日に、京都において、67歳で亡くなりました。
 尚、京都五条坂で生前に住んだ住居兼工房が「河井寬次郎記念館」として公開されています。

〇河井寛次郎の主要な陶芸作品

・『青磁せん血文花へい (せいじせんけつもんかへい) 』(1924年)
・『鉄絵辰砂 (しんしゃ) 草花丸文壺』(1937年)パリ万国博覧会でグランプリ受賞
・『花文菱形扁壺』(1957年)ミラノのトリエンナーレ国際工芸展でグランプリ受賞
・『打薬扁壺』(1962年)

〇河井寛次郎の主要な著作

・『六十年前の今』 東峰書房(1964年)
・『いのちの窓』 東峰書房(1975年)
・『炉辺歓話』 東峰書房(1978年)
・『陶技始末』 文化出版局(1981年)
・『手で考え足で思う』 文化出版局(1981年)
・『火の誓い』 講談社文芸文庫(1996年)
・『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ』 講談社文芸文庫(2006年)