kikutakazuo01
 今日は、昭和時代後期の1973年(昭和48)に、劇作家・演出家・作詞家菊田一夫の亡くなった日です。
 菊田一夫(きくた かずお)は、1908年(明治41)3月1日に、神奈川県横浜市において、西郷家に生まれましたが、生後4ヵ月で両親に連れられて台湾に渡りました。その後、両親に捨てられ、転々と他の人に養育されて、5歳の時に菊田家の養子になります。
 台湾城北小学校卒業直前に、大阪の薬種問屋に丁稚奉公に出され、1920年(大正9)には、神戸元町に移り住みました。それから、大阪・神戸で小僧をして夜学に学び、1923年(大正12)に結成された「元五青年団」の機関誌「桜草」の編集人を務めます。
 1925年(大正14)に上京し、印刷工として働き、1927年(昭和2)には、サトウハチロー門下となりました。その世話で、1929年(昭和4)に浅草公園劇場の文芸部に入り、翌年に玉木座の『阿呆(あほう)疑士迷々伝』で注目され、1933年(昭和8)には、古川ロッパらにより、浅草常盤座で旗揚げされた劇団「笑の王国」に座付き作家として迎え入れられます。
 1935年(昭和10)に古川ロッパが退団して東宝に所属となるとね翌年に東宝に移籍して東宝文芸部の主力となりました。1943年(昭和18)に戯曲『花咲く港』を発表、本格的な劇作家としてスタートしたものの、戦時中は岩手県江刺市(現在の奥州市)に疎開します。
 太平洋戦争後、東京に戻り、作曲家の古関裕而とコンビを組むようになり、1947年(昭和22)からラジオドラマ『鐘の鳴る丘』(~1950年)の放送を手掛け、注目されました。1952年(昭和27)にラジオドラマ『君の名は』(~1954年)の放送が開始されると、空前の大ヒットとなり、1953年(昭和28)には、松竹において、三部作で映画化されます。
 1955年(昭和30)に小林一三の招きで、東宝の取締役(演劇担当役員)に就任、1957年(昭和32)には、東宝芸術座を創設、東宝演劇部の総帥としての仕事に取り組みました。1959年(昭和44)に演劇『がめつい奴』(製作・脚本・演出)が初演され、翌年に菊池寛賞を受賞、1961年(昭和46)には、芸術選奨文部大臣賞(演劇部門)も受賞します。
 1963年(昭和48)に東宝劇場で『マイ・フェア・レディ』を制作・上演し、ミュージカル・ブームに火をつけ、1966年(昭和51)には、新装開場した帝劇で『風と共に去りぬ』を世界で初めて劇化し、上演しました。1970年(昭和55)に『風と共に去りぬ』をミュージカル化した『スカーレット』を帝劇で、次いでロンドン、パリで公演したものの、1973年(昭和48)4月4日に、東京・慶應義塾大学病院において、65歳で亡くなっています。
 尚、1975年(昭和50)に菊田の功績を記念し、演劇界の発展を願って「菊田一夫演劇賞」が東宝により創設(現在は一般社団法人映画演劇文化協会が主催)されました。

〇菊田一夫の主要な作品

・戯曲『花咲く港』(1943年)
・ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』(1947~50年)
・ラジオドラマ『君の名は』(1952~54年)
・戯曲『がめつい奴』(1959年)
・戯曲『がしんたれ』(1960年)
・戯曲『放浪記』(1961年)

☆菊田一夫関係略年表

・1908年(明治41)3月1日 神奈川県横浜市において、生まれる
・1908年(明治41) 生後4カ月で両親に連れられ台湾に渡る
・1913年(大正2) 5歳のときに、菊田家の養子になる
・1920年(大正9) 神戸元町に移り住む
・1923年(大正12) 結成された「元五青年団」の機関誌「桜草」の編集人を務める
・1925年(大正14) 上京し、印刷工として働く
・1927年(昭和2) サトウハチロー門下となる
・1929年(昭和4) 浅草公園劇場の文芸部に入る
・1930年(昭和5) 玉木座の『阿呆(あほう)疑士迷々伝』で注目される
・1933年(昭和8) 古川ロッパらにより、浅草常盤座で旗揚げされた劇団「笑の王国」に座付き作家として迎え入れられる
・1935年(昭和10) 古川ロッパが退団して東宝に所属となる
・1936年(昭和11) 東宝に移籍して東宝文芸部の主力となる
・1943年(昭和18) 戯曲『花咲く港』を発表、本格的な劇作家としてスタートする
・1947年(昭和22) ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の放送が始まる(~1950年)
・1952年(昭和27) ラジオドラマ『君の名は』の放送が始まり、空前の大ヒットとなる(~1954年)
・1953年(昭和28) 『君の名は』が松竹で三部作映画化される
・1955年(昭和30) 小林一三の招きで、東宝の取締役(演劇担当役員)に就任する
・1957年(昭和32) 東宝芸術座を創設、東宝演劇部の総帥としての仕事に取り組む
・1962年(昭和37)4月23日 開かれた「学者・文化人による民社党をはげます会」に尾崎士郎・徳川夢声・平林たい子らと共に出席する
・1959年(昭和44) 演劇『がめつい奴』(製作・脚本・演出)が初演される
・1960年(昭和45) 劇作家の生活向上を目的として、川口松太郎、中野実、北條秀司、菊田一夫で「劇作家四人の会」を結成、演劇『がめつい奴』で菊池寛賞を受賞する
・1961年(昭和46) 演劇『がめつい奴』、『がしんたれ』で芸術選奨文部大臣賞(演劇部門)を受賞する
・1963年(昭和48) 東宝劇場で『マイ・フェア・レディ』を制作・上演し,ミュージカル・ブームに火をつける
・1966年(昭和51) 新装開場した帝劇で『風と共に去りぬ』を世界で初めて劇化し、上演する
・1970年(昭和55) 『風と共に去りぬ』をミュージカル化した『スカーレット』を帝劇で、次いでロンドン、パリで公演する
・1973年(昭和48)4月4日 東京・慶應義塾大学病院において、65歳で亡くなる
・1975年(昭和50) 菊田の功績を記念し、演劇界の発展を願って菊田一夫演劇賞が東宝により創設(現在は一般社団法人映画演劇文化協会が主催)される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1284年(弘安7)鎌倉幕府第8代執権北条時宗の命日(新暦4月20日)詳細
1609年(慶長14)江戸時代の大名・備前岡山藩初代藩主池田光政の誕生日(新暦5月10日)詳細
1885年(明治18)小説家中里介山の誕生日詳細
1949年(昭和24)「団体等規制令」が公布・施行される詳細