
1637年(寛永14)の島原の乱後、1639年(寛永16年7月5日)の「第5次鎖国令」が出されて、ポルトガル船の入港禁止により、ポルトガル人が追放され、1641年(寛永18年5月17日)に平戸のオランダ商館がここに移されました。甲比丹(かぴたん)部屋、紅毛人部屋、倉庫、通詞会所など65棟が建てられ、奉行所役人、入札商人、遊女、人夫のみ出入を許可されます。しかし、鎖国政策下において、世界への窓の役割を果たし、西欧の文物を取り入れる拠点として、幕末まで存続しました。
明治以降は、長崎港の港湾整備に伴い、1899年(明治32)~1904年(明治37)に付近が埋め立てられて陸続きとなり、扇形の人工島であった頃の面影は失われたものの、1922年(大正11)に、「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されます。1996年(平成8)から、長崎市によって、江戸当時の姿への復元を目指す「出島復元整備事業計画」が進められてきました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
717年(養老元) | 浮浪・逃亡が増え、「諸国の百姓の浮浪・逃亡の続出に関する詔」が出される(新暦6月30日) | 詳細 |
1875年(明治8) | 最初の屯田兵が北海道の琴似(現在の札幌市西区)に入植する | 詳細 |
1890年(明治23) | 「府縣制」(明治23年法律第35号)が公布される | 詳細 |
「郡制」(明治23年法律第36号)が公布される | 詳細 | |
1946年(昭和21) | GHQから「肥料の生産、分配及び使用に関する覚書」(SCAPIN-962)が指令される | 詳細 |
1965年(昭和40) | 労働者の結社の自由・団結権の保護を定めた「ILO87号条約」を国内で承認する | 詳細 |