
征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)は、奈良・平安時代には、蝦夷(えみし)を鎮撫するために派遣される遠征軍の指揮官です。794年 (延暦13) に大伴弟麻呂が任命されたのが最初で、坂上(さかのうえ)田村麻呂は有名でした。
一時中絶したものの、平安時代後期の源平合戦の際にその称号が復活し、1184年(寿永3)に源義仲が任命され、1192年(建久3)に源頼朝が征夷大将軍になって、鎌倉に幕府を開き、武家政権の首長の職名となります。その後、室町幕府の足利氏、江戸幕府の徳川氏に引き継がれ、1867年(慶応3)王政復古で廃止されました。
一時中絶したものの、平安時代後期の源平合戦の際にその称号が復活し、1184年(寿永3)に源義仲が任命され、1192年(建久3)に源頼朝が征夷大将軍になって、鎌倉に幕府を開き、武家政権の首長の職名となります。その後、室町幕府の足利氏、江戸幕府の徳川氏に引き継がれ、1867年(慶応3)王政復古で廃止されました。
〇源頼朝(みなもと の よりとも)とは?
武家政治を本格的に始めた鎌倉幕府の初代将軍です。1147年(久安3)に、平安時代後期の武将であった父源義朝、母熱田大宮司季範の娘の三男として生まれました。
1159年(平治元)の平治の乱に敗れて、父は殺され、翌年に伊豆国に流されることになり、配流先で1177年(治承元)に、北条政子と結婚します。1180年(治承4)の以仁王の平氏討伐の令旨を受けて挙兵しましたが、石橋山の戦いに敗れて海路安房国に逃げのびました。
しかし、坂東武士をまとめて勢力を伸ばし、鎌倉を本拠として平氏と対抗することになります。同年に、富士川の戦いで平氏軍を破り、弟たち(範頼、義経)を代官として源義仲や平氏と戦いを続けました。
1184年(寿永3)に、宇治川の戦いで義経が源義仲を討ち、翌年壇ノ浦の戦いで平氏を滅亡させます。戦功のあった弟の義経を追放の後、その追討を名目に守護・地頭設置の許可を得て武家政権の基礎を固め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定しました。
1190年(建久元)に上京して権大納言、右近衛大将に任じられ、翌々年には、征夷大将軍となり、後に鎌倉幕府と呼ばれるようになります。その後数年間は、範頼が伊豆に流されたり、大庭景義が鎌倉を追われるなど、幕府内での深刻な権力闘争が続きました。
そんな中で、1199年(建久10)1月13日に、相模国での落馬が原因で、51歳で亡くなっています。
1159年(平治元)の平治の乱に敗れて、父は殺され、翌年に伊豆国に流されることになり、配流先で1177年(治承元)に、北条政子と結婚します。1180年(治承4)の以仁王の平氏討伐の令旨を受けて挙兵しましたが、石橋山の戦いに敗れて海路安房国に逃げのびました。
しかし、坂東武士をまとめて勢力を伸ばし、鎌倉を本拠として平氏と対抗することになります。同年に、富士川の戦いで平氏軍を破り、弟たち(範頼、義経)を代官として源義仲や平氏と戦いを続けました。
1184年(寿永3)に、宇治川の戦いで義経が源義仲を討ち、翌年壇ノ浦の戦いで平氏を滅亡させます。戦功のあった弟の義経を追放の後、その追討を名目に守護・地頭設置の許可を得て武家政権の基礎を固め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定しました。
1190年(建久元)に上京して権大納言、右近衛大将に任じられ、翌々年には、征夷大将軍となり、後に鎌倉幕府と呼ばれるようになります。その後数年間は、範頼が伊豆に流されたり、大庭景義が鎌倉を追われるなど、幕府内での深刻な権力闘争が続きました。
そんな中で、1199年(建久10)1月13日に、相模国での落馬が原因で、51歳で亡くなっています。
☆源頼朝関係略年表(日付は旧暦です)
・1147年(久安3) 平安時代後期の武将であった父源義朝、母熱田大宮司季範の娘の三男として生まれる
・1156年(保元元)7月11日 保元の乱が起き、崇徳上皇方、後白河天皇方に、源氏・平氏共に一族を二分してついて戦うが、後白河天皇方が勝利する
・1159年(平治元) 平治の乱に敗れて、父・源義朝が殺される
・1160年(平治2) 伊豆国に流されることになる
・1177年(治承元) 配流先で北条政子と結婚する
・1180年(治承4) 以仁王の平氏討伐の令旨を受けて挙兵したが、石橋山の戦いに敗れて海路安房国に逃げのびる
・1180年(治承4) 富士川の戦いで平氏軍を破る
・1183年(寿永2)5月11日 倶利伽羅峠の戦いで源(木曽)義仲が平氏を破る
・1184年(寿永3) 宇治川の戦いで源義経が源義仲を討つ
・1185年(寿永4) 壇ノ浦の戦いで平氏を滅亡させる
・1187年(文治3)2月 源義経が、藤原秀衡を頼って奥州に落ちのびる
・1189年(文治5) 衣川の戦いが起き、藤原泰衡が、源義経を討ち、頼朝が奥州に向けて出兵、原泰衡を殺害して、奥州を平定する
・1190年(建久元) 上京して権大納言、右近衛大将に任じられる
・1192年(建久3) 征夷大将軍となる
・1199年(建久10)1月13日 相模国での落馬が原因で、51歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1303年(乾元2) | 律宗(真言律宗)の僧忍性の命日(新暦8月25日) | 詳細 |
| 1762年(宝暦12) | 第116代の天皇とされる桃園天皇の命日(新暦8月31日) | 詳細 |
| 1925年(大正14) | 東京放送局(現在のNHK放送センター)がラジオ本放送を開始する | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | 宇都宮大空襲で宇都宮市の中心部が焼失し、甚大な被害を出す | 詳細 |
| 日本海側初の空襲である敦賀大空襲が行われ、大きな被害を出す | 詳細 | |
| 1963年(昭和38) | 工業整備特別地域の指定と新産業都市として指定すべき区域の内定について、閣議決定される | 詳細 |
| 1978年(昭和53) | 筑摩書房が業績不振のため「会社更生法」の適用を申請し、経営破綻する | 詳細 |
| 1984年(昭和59) | 鳥取県の荒神谷遺跡で多数の銅剣を発見 | 詳細 |
| 1993年(平成5) | 北海道南西沖地震(M7.8)が起こり、死者202人、行方不明者28人、負傷者323人を出す | 詳細 |


