
一方で、1903年(明治36)に播但鉄道(姫路駅~新井駅間)、1904年(明治37)に讃岐鉄道(高松駅~琴平駅間)から事業譲渡を受け、近畿・四国地方にも路線を延ばしました。その中で、サービス改善に心がけ、1894年(明治27)に急行列車の設定、1898年(明治31)に食堂車、1900年(明治33)に寝台車を初めて運行するなどしています。
また、1898年(明治31)から徳山~門司間に傍系の山陽汽船による連絡船を運航し、1901年(明治34)の全通時に関門連絡船を設け、1903年(明治36)には岡山~高松間および尾道~多度津間に連絡船を走らせ、宮島渡航を買収、1905年(明治38)に関釜連絡船(下関~朝鮮半島の釜山間)を就航させるなど船舶事業も展開しました。さらに、1902年(明治35年)には、日本最初の鉄道経営ホテルとなる「山陽ホテル」の営業を開始しています。
しかし、1906年(明治39)12月1日に、「鉄道国有法」により、他の16社の私設鉄道と共に国有化されましたが、国有化時の資本金は3,610万円、路線延長は693.0kmありました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1877年(明治10) | 地租軽減運動としての一揆頻発により、税率を地価の3%から2.5%に引き下げる | 詳細 | |||||
1882年(明治15) | 「陸海軍軍人ニ賜ハリタル勅諭」(軍人勅諭)が発布される | 詳細 | |||||
1912年(明治45) | 公家・政治家・伯爵東久世通禧の命日 | 詳細 | |||||
1946年(昭和21) | GHQが「超国家主義団体の解体の指令」(SCAPIN-548)を出す | 詳細 | |||||
GHQが「公務従事ニ適シナイ者ノ公職カラノ除去ニ関スル件」(SCAPIN-550)を出す | 詳細 |