
米を使用しないで科学的に酒をつくる新規な着想のもとに研究を進め、1921年(大正10)には、その基本となる「清酒代用飲料製造法」を発明して特許を取得しました。当初は、特許の関係で製造元が限定されましたが、1936年(昭和11)にライセンシングに踏み切ったため合成清酒の製法として、理研式は半ば標準的なものとなります。
当初酒の名も「理研酒」または「合成酒」とよばれていましたが、1940年(昭和15)の「酒税法」改正により、「合成清酒」となりました。理研酒工業の「利久」や大和醸造の「新進」が代表的銘柄となります。太平洋戦争後の1949年(昭和24)から「合成清酒」にも5%の白米の使用が認められ、品質も向上して新清酒の名で呼ばれるようになりました。
一時は、清酒の30%近くまで生産されましたが、米の豊作と清酒の増産にともない激減しています。
幼い頃より学問を好み、1888年(明治21)に単身上京し、東京農林学校(翌年帝国大学農科大学と改称)へ入学、J.Liebig(リービッヒ)の弟子O. Loebなどに農芸化学を学び、1896年(明治29)に卒業し、大学院に入ります。桑の萎縮病の原因を研究、1900年(明治33)に農科大学助教授に任ぜられ、1901年(明治34)には、農学博士の学位を授与されました。
同年に文部省留学生として渡欧、スイス、ドイツに遊学、特にベルリンのE.フィッシャーについてタンパク質の研究にあたります。1906年(明治39)に帰国し、盛岡高等農林学校教授に任ぜられ、東京帝国大学助教授も兼任しました。
翌年東京帝国大学農科大学教授となり、1910年(明治43)に、米ぬかから抗脚気の有効成分ビタミンB1の抽出に成功、オリザニンと命名し、ビタミン発見の先駆をなします。1917年(大正6)に理化学研究所設立と共に同研究委員となり、栄養化学および合成酒、サリチル酸、乳酸などの研究・製造に従事しました。
1924年(大正13)に「副栄養素の研究」により学士院賞受賞、日本農芸化学会を創立し、初代会長となり、翌年に帝国学士院会員、1926年(大正15)には、帝国発明協会よりオリザニンの発見に対し、恩賜記念賞および大賞を受賞します。1943年(昭和18)には、文化勲章を受章しましたが、同年9月20日に東京の慶應義塾大学病院において腸閉塞症のため、69歳で亡くなりました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1871年(明治4) | 明治新政府が「散髪脱刀令」(明治4年太政官第199号)を発布する(新暦9月23日) | 詳細 |
| 1875年(明治8) | 小説家・詩人・歌人大塚楠緒子の誕生日 | 詳細 |
| 1933年(昭和8) | 「第1回関東地方防空大演習」が開始される | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | 哲学者・評論家戸坂潤の命日 | 詳細 |
| 1946年(昭和21) | 第1回国民体育大会の夏季大会の開会式が兵庫県宝塚市で開催される | 詳細 |
| 1949年(昭和24) | 「長崎国際文化都市建設法」が公布・施行される | 詳細 |
