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 今日は、平成時代の2018年(平成30)に、俳人金子兜太の亡くなった日です。
 金子兜太(かねこ とうた)は、大正時代の1919年(大正8)9月23日に、母の実家である埼玉県比企郡小川町で、開業医・俳人だった父・金子元春と母・はるの長男として生まれました。1937年(昭和12)に旧制熊谷中学を卒業し、旧制水戸高等学校へ入学、一級上の出澤三太に誘われて同校教授宅の句会に参加してはじめて句作をします。
 1938年(昭和13)に全国学生俳誌『成層圏』に参加し、竹下しづの女、加藤楸邨、中村草田男らを知り、1940年(昭和15)に卒業後、翌年には、東京帝国大学経済学部に入学して、加藤楸邨に師事、楸邨主宰の『寒雷』に投句を開始しました。1943年(昭和18)に日本銀行へ入行、大日本帝国海軍主計中尉に任官して、南方へ派遣され、太平洋戦争敗戦後、捕虜として春島でアメリカ航空基地建設に従事して、1946年(昭和21)には、最終復員船で帰国します。
 1947年(昭和22)に日本銀行へ復職、組合運動で活躍、『寒雷』に復帰、沢木欣一の同人誌『風』の創刊に参加して、社会性俳句運動に共鳴、1949年(昭和24)から日本銀行労働組合の専従初代事務局長を務めました。1955年(昭和30)に第1句集『少年』を刊行、第5回現代俳句協会賞を受賞、日本ペンクラブ会員となり、1958年(昭和33)に新俳句人連盟の中央委員に推薦されます。
 1961年(昭和36)に『造型俳句六章』を書き、ものと作品との間に創る主体を置くことを提唱、1962年(昭和37)には、『海程』を創刊、代表同人となりました。1974年(昭和49)に日本銀行を定年退職し、上武大学教授(1979年まで)となり、1983年(昭和58)には、現代俳句協会会長となります。
 1985年(昭和60)に『海程』が結社誌となり主宰に就任、1987年(昭和62)に朝日俳壇選者となり、1992年(平成4)には日中文化交流協会常任理事に就任するなど多方面で活躍しました。1995年(平成8)に句集『両神』で第11回詩歌文学館賞受賞、1997年(平成10)に第48回日本放送協会放送文化賞受賞、2001年(平成13)に第1回現代俳句大賞受賞、2002年(平成14)に『東国抄』(2001年)により第36回蛇笏)賞受賞、2005年(平成17)に日本芸術院会員、2008年(平成20)には、第4回正岡子規国際俳句賞大賞受賞、文化功労者となるなど数々の栄誉にも輝きます。
 晩年になっても、2015年(平成27)に第30回下町人間庶民文化賞受賞、『中日新聞』『東京新聞』の「平和の俳句」選者となるなど活躍しましたが、2018年(平成30)2月20日に、埼玉県熊谷市において、98歳で亡くなりました。

<代表的な句>

・「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」(少年)
・「水脈(みお)の果(はて)炎天の墓碑を置きて去る」(少年)
・「彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン」(金子兜太句集)
・「人体冷えて東北白い花盛り」(蜿蜿)
・「暗黒や関東平野に火事一つ」(暗緑地誌)

〇金子兜太の主要な著作

・句集『少年』(1955年)第5回現代俳句協会賞受賞
・評論『造型俳句六章』(1961年)
・句集『蜿蜿(えんえん)』(1968年)
・評論『定型の詩法』(1970年)
・句集『暗緑地誌』(1971年)
・評論『種田山頭火 漂泊の俳人』(1974年)
・句集『金子兜太全句集』(1975年)
・評論『小林一茶』(1980年)
・句集『遊牧集』(1981年)
・句集『詩経国風』(1985年)
・句集『皆之』(1986年)
・句集『両神』(1995年)第11回詩歌文学館賞受賞
・句集『東国抄』(2001年)第36回蛇笏(だこつ)賞受賞
・句集『日常』(2009年)

☆金子兜太関係略年表

・1919年(大正8)9月23日 母の実家である埼玉県比企郡小川町で、開業医・俳人だった父・金子元春と母・はるの長男として生まれる
・1937年(昭和12) 旧制熊谷中学を卒業し、旧制水戸高等学校へ入学する
・1937年(昭和12) 一級上の出澤三太に誘われて同校教授宅の句会に参加してはじめて句作する
・1938年(昭和13) 全国学生俳誌『成層圏』に参加し、竹下しづの女、加藤楸邨、中村草田男らを知る
・1940年(昭和15) 旧制水戸高等学校を卒業する
・1941年(昭和16) 東京帝国大学経済学部に入学して、加藤楸邨に師事、楸邨主宰の『寒雷』に投句を開始する
・1943年(昭和18) 日本銀行へ入行、大日本帝国海軍主計中尉に任官して、南方へ派遣される
・1946年(昭和21) 捕虜として春島でアメリカ航空基地建設に従事して最終復員船で帰国する
・1947年(昭和22) 日本銀行へ復職、組合運動で活躍、『寒雷』に復帰、沢木欣一の同人誌『風』の創刊に参加して、社会性俳句運動に共鳴する
・1949年(昭和24) 日本銀行労働組合の専従初代事務局長を務める
・1955年(昭和30) 第1句集『少年』を刊行、第5回現代俳句協会賞を受賞、日本ペンクラブ会員になる
・1958年(昭和33) 新俳句人連盟の中央委員に推薦される
・1961年(昭和36) 『造型俳句六章』を書き、ものと作品との間に創る主体を置くことを提唱する
・1962年(昭和37) 『海程』を創刊、代表同人となる
・1974年(昭和49) 日本銀行を定年退職し、上武大学教授となる
・1978年(昭和53) 埼玉県文化賞を受賞する
・1979年(昭和54) 上武大学教授を辞める、
・1983年(昭和58) 現代俳句協会会長となる
・1985年(昭和60) 『海程』が結社誌となり主宰に就任する
・1987年(昭和62) 朝日俳壇選者を務める
・1988年(昭和63) 紫綬褒章を受章する
・1992年(平成4) 日中文化交流協会常任理事に就任する
・1995年(平成8) 句集『両神』で第11回詩歌文学館賞を受賞する
・1997年(平成10) 第48回日本放送協会放送文化賞を受賞する
・2000年(平成12) 現代俳句協会名誉会長となる
・2001年(平成13) 第1回現代俳句大賞を受賞する
・2002年(平成14) 『東国抄』(2001年)により第36回蛇笏(だこつ)賞を受賞する
・2005年(平成17) 日本芸術院会員となる
・2008年(平成20) 第4回正岡子規国際俳句賞大賞を受賞、文化功労者となる
・2010年(平成22) 句集『日常』に至る長年にわたる業績で第51回毎日芸術賞特別賞受賞、第58回菊池寛賞受賞 
・2015年(平成27) 第30回下町人間庶民文化賞を受賞、『中日新聞』『東京新聞』の「平和の俳句」選者となる
・2016年(平成28) 朝日賞を受賞する
・2018年(平成30)2月20日 埼玉県熊谷市において、98歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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