
12年前の1878年(明治11)7月22日に、「郡区町村編制法」の制定により、それまでの大区小区制が廃止され、律令支配の基礎単位として残存していた旧来の郡が復活し、行政区画として、郡役所と官選の郡長が置かれていましたが、この法律により、自治団体としての郡として、理事機関の郡長と議決機関の郡会と郡参事会が設けられました。しかし、郡会はその3分の2を各町村会が選挙し、3分の1は、地価1万円以上の土地を所有する者が互選で選んだもので、一般国民は参加できない地方有力者中心の自治制となり、課税権能もない不完全なものとなります。
しかも、予定していた郡の分置廃合計画への反対が強かったため、全国で郡制が施行されたのは1899年(明治32)3月16日の「郡制」全部改正(明治32年法律第65号)されてからとなりました。日露戦争(1904~5年)以後、自治団体の実績に乏しいとして、地方制度合理化の見地から、「郡制」廃止法案が何回も議会に提出されます。
ついに、1921年(大正10)4月12日に「郡制廃止ニ関スル法律案」が可決、これにより1923年(大正12)4月1日に「郡制」が廃止されました。尚、郡長と郡役所は残務処理のため1926年(大正15)7月1日まで存置され、それ以後は単なる行政区画の名称として存続することとなります。
以下に、「郡制廃止ニ関スル法律」(大正10年法律第63号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。
