ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:連合国軍最高司令官総司令部

shinsouwakouda01
 今日は、昭和時代前期の敗戦後の占領下、1945年(昭和20)に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による宣伝番組「眞相はかうだ」のNHKラジオ放送が開始された日です。
 「眞相はかうだ」(しんそうはこうだ)は、昭和時代前期の敗戦後の占領下、1945年(昭和20)12月9日から翌年2月10日にかけて10回にわたり、NHKラジオ放送が放送した、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による宣伝番組です。毎週日曜の夜8時からの30分番組で、音楽や音響を交えたドキュメンタリー形式のラジオドラマとして制作されました。
 その前後に当時人気の番組が配置、編成され、再放送を含めほぼ毎日のように放送されています。1946年2月からは、「真相箱」に刷新され、「質問箱」などへ形を変えながら、1948年(昭和23)1月まで放送が続けられました。

〇NHKラジオ「相はかうだ」の放送内容

・1942年(昭和17年)4月18日の東京初空襲の影響は
・どういう方法で東条英機首相は国民の思想の自由を束縛したのか
・日本軍がアッツ、キスカ両島を失うに至った決定的な原因は
・中野正剛(思想家)の自決(1943年10月)に関して
・軍艦「大和」と「武藏」の最後
・宣戰の大詔に御署名の時期
・攻勢より守勢に轉じた原因
・風船爆彈の效果
・ミツドウエー海戰
・硫黄島の戰鬪
・米軍上陸からマニラとコレヒドールの陷落まで
・アメリカの海軍力
・アメリカ商船隊の勢力
・戰艦「武藏」沈沒の模様
・航空母艦「信濃」の直相
・戰鬪艦「金剛」の最後
・巡洋艦「摩耶」の最後
・巡洋艦「隈野」の沈沒について
・巡洋艦「鈴谷」の沈沒について
・台湾沖航空戰
・眞珠湾攻撃の眞相
・奧山空挺部隊の最後
・戰艦「鳥海」について
・ロシアの対日戰参加の詳細
・太田海軍中將の死
・航母「信濃」雲龍、瑞鶴、千代田及び戰艦「陸奥」の最後
・牛島中將と長少將の死
・ルーズベルト大統領より天皇陛下宛の親書
・太平洋水域に於ける米潜水艦の活躍
・沖縄沖に於ける日本空軍の戰果
・日本空軍活躍の一例
・沖縄北部の戰鬪員の現在
・帝國艦隊全滅の眞相
・戰爭中のマニラ
・帝國軍人の進行の一例
・東條内閣崩解の経路
・日本商船隊の全滅
・南京の暴行
・マッカーサー元帥比島よりオーストラリアへ移動
・大阪府の外事課の善行
・降伏についての眞相
・降伏文書の内容
・眞珠湾攻撃直後の帝國海軍の損害
・ポツダム宣言の全文
・降伏文書受諾宣言
・カイロ會議の共同聲明
・「侵略」と言ふ言葉の意味
・ミツドウエイ海戰以來連敗
・帝國主力艦の運命
・沖縄本島での玉碎戰
・我が空母群の行方
・日清日露戰による帝國の発展
・B-29東京湾へ機雷敷設
・珊瑚海戰の戰果
・サイパン島上陸戰
・降伏文書の受諾の御詔勅
・駆逐艦「若葉」の撃沈
・ルーズベルト大統領の親書は奉呈せしや
・ミツドウエイ海戰彼我の損害
・外地の日本將兵との通信は出來るか
・マーシヤル群島の戰鬪
・ニユーギニア島サイドルの戰鬪
・日本軍部のマレイ住民に対する統治
・廣島原子爆彈投下に対する米國の輿論
・戰陣訓は誰が書いたか
・野村、栗栖両大使は戰爭が起ることを知つて居つたか
・サイパン島に於ける非戰鬪員の動行
・眞珠湾突入の特殊潜水艇について
・「國民精神文化研究所」について
・米内海軍大將について
・上海に於ける大山中尉事件
・ソ聯の対日宣戰の理由
・対支二十一箇條の内容
・日本空軍の米本土爆撃
・帝國の敗戰の原由
・日本軍の使用せるロケツト砲
・「朝飯會」
・香港での暴行
・無條件降伏に至つた原因
・海軍の新兵器
・レイテ湾爭奪戰
・「スリガオ」海峡の海戰
・「サマール」海戰
・エンガノ岬沖海戰

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

840年(承和7)藤原緒嗣らが『日本後紀』を撰上する(新暦841年1月5日)詳細
1159年(平治元)院近臣らの対立により発生した平治の乱が起きる(新暦1160年1月19日)詳細
1867年(慶応3)倒幕派によって朝廷から「王政復古の大号令」が発せられ、新政府が発足する(新暦1868年1月3日)詳細
1916年(大正5)小説家夏目漱石の命日(漱石忌)詳細
1920年(大正9)大杉栄らが日本社会主義同盟を結成する詳細
1945年(昭和20)GHQが「農地改革に関する覚書」(SCAPIN-411)を指令する詳細
1975年(昭和50)第30回国際連合総会において、「障害者の権利宣言」が採択される(障害者の日)詳細
1993年(平成5)屋久島・白神山地・法隆寺・姫路城の4ヶ所が日本初の世界遺産に決定する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1f626c86.gif
 今日は、昭和時代前期の連合国占領下、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令、「治安警察法廃止等ノ件(昭和20年勅令第638号)」(ポツダム命令)により、「治安背警察法」が廃止された日です。
 治安警察法(ちあんけいさつほう)は、明治時代後期の第二次山県有朋内閣時の1900年(明治33)3月10日に公布、同年3月30日に施行された法律(明治33年法律第36号)です。集会・結社・言論の自由の制限と社会運動、労働運動、農民運動の取締りなどを目的としたものでした。
 政治結社・集会の届出、女子、教員、学生、宗教者、軍人などの政治結社加入禁止を定め、集会での発言に対する制限や警察官の監視、解散権付与などを規定しています。この法律によって、結社を禁止された政党や労働組合などもあり、女子は結社ばかりか、集会に参加することも禁ぜられていたので、反対運動も根強く、1922年(大正11)になって、女子の政治集会参加禁止だけは削除されました。
 そして、太平洋戦争敗戦後の1945年(昭和20)11月21日に、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令、「治安警察法廃止等ノ件(昭和20年勅令第638号)」(ポツダム命令)により廃止されています。

〇「治安警察法」 (明治33年法律第36号) 1900年(明治33)3月10日公布 1926年(大正15)改正後の条文

第一条 政事ニ関スル結社ノ主幹者(支社ニ在リテハ支社ノ主幹者)ハ結社組織ノ日ヨリ三日以内ニ社名、社則、事務所及其ノ主幹者ノ氏名ヲ其ノ事務所所在地ノ管轄警察官署ニ届出ツヘシ其ノ届出ノ事項ニ変更アリタルトキ亦同シ

第二条 政事ニ関シ公衆ヲ会同スル集会ヲ開カムトスル者ハ発起人ヲ定ムヘシ
2 発起人ハ到達スヘキ時間ヲ除キ開会三時間以前ニ集会ノ場所、年月日時ヲ会場所在地ノ管轄警察官署ニ届出ツヘシ
3 届出ノ時刻ヨリ三時間ヲ過キテ開会セス若ハ三時間以上中断スルトキハ届出ハ其ノ効ヲ失フ
4 法令ヲ以テ組織シタル議会ノ議員選挙準備ノ為ニ選挙権ヲ行フヘキ者及被選挙権ヲ有スル者ニ限リ会同スル所ノ集会ハ投票ノ日ヨリ前五十日間ハ本条第二項ノ届出ヲ要セス

第三条 公事ニ関スル結社又ハ集会ニシテ政事ニ関セサルモノト雖安寧秩序ヲ保持スル為届出ヲ必要トスルモノアルトキハ命令ヲ以テ第一条又ハ第二条ノ規定ニ依ラシムルコトヲ得

第四条 屋外ニ於テ公衆ヲ会同シ若ハ多衆運動セムトスルトキハ発起人ヨリ十二時間以前ニ会同スヘキ場所年月日時及其ノ通過スヘキ路線ヲ管轄警察官署ニ届出ツヘシ但シ祭葬、講社、学生生徒ノ体育運動其ノ他慣例ノ許ス所ニ係ルモノハ此ノ限ニ在ラス

第五条 左ニ掲クル者ハ政事上ノ結社ニ加入スルコトヲ得ス
 一 現役及召集中ノ予備後備ノ陸海軍軍人
 二 警察官
 三 神官神職僧侶其ノ他諸宗教師
 四 官立公立私立学校ノ教員学生生徒
 五 女子
 六 未成年者
 七 公権剥奪及停止中ノ者
2 未成年者ハ公衆ヲ会同スル政談集会ニ会同シ若ハ其ノ発起人タルコトヲ得ス
3 公権剥奪及停止中ノ者ハ公衆ヲ会同スル政談集会ノ発起人タルコトヲ得ス

第六条 日本臣民ニ非サル者ハ政事上ノ結社ニ加入シ又ハ公衆ヲ会同スル政談集会ノ発起人タルコトヲ得ス

第七条 結社ハ法令ヲ以テ組織シタル議会ノ議員ニ対シテ其ノ発言表決ニ付議会外ニ於テ責任ヲ負ハシムルノ規定ヲ設クルコトヲ得ス

第八条 安寧秩序ヲ保持スル為必要ナル場合ニ於テハ警察官ハ屋外ノ集会又ハ多衆ノ運動若ハ群集ヲ制限、禁止若ハ解散シ又ハ屋内ノ集会ヲ解散スルコトヲ得
2 結社ニシテ前項ニ該当スルトキハ内務大臣ハ之ヲ禁止スルコトヲ得此ノ場合ニ於テ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスル者ハ行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得

第九条 集会ニ於テハ重罪軽罪ノ予審ニ関スル事項ヲ公判ニ付セサル以前ニ講談論議シ又ハ傍聴ヲ禁シタル訴訟ニ関スル事項ヲ講談論議スルコトヲ得ス
2 集会ニ於テハ犯罪ヲ煽動若ハ曲庇シ又ハ犯罪人若ハ刑事被告人ヲ賞恤若ハ救護シ又ハ刑事被告人ヲ陥害スルノ講談論議ヲ為スコトヲ得ス

第十条 集会ニ於ケル講談論議ニシテ前条ノ規定ニ違背シ其ノ他安寧秩序ヲ紊シ若ハ風俗ヲ害スルノ虞アリト認ムル場合ニ於テハ警察官ハ其ノ人ノ講談論議ヲ中止スルコトヲ得

第十一条 結社、集会又ハ多衆運動ニ関シ警察官ノ尋問アリタルトキハ主幹者、会長、発起人ニ於テ又ハ警察官ノ主タル社員若ハ主タル会同者ト認ムル者ニ於テ之ニ答フヘシ
2 警察官署ハ制服ヲ著シタル警察官ヲ派遣シ政事ニ関シ公衆ヲ会同スル集会ニ臨監セシムルコトヲ得其ノ集会ニシテ政事ニ関セサルモノト雖安寧秩序ヲ妨害スルノ虞アリト認ムルトキ亦同シ此ノ場合ニハ発起人ニ於テ又ハ警察官ノ主タル会同者ト認ムル者ニ於テ警察官ノ求ムル席ヲ供スヘシ

第十二条 集会又ハ多衆運動ノ場合ニ於テ故ラニ喧擾シ又ハ狂暴ニ渉ル者アルトキハ警察官ハ之ヲ制止シ其ノ命ニ従ハサルトキハ現場ヨリ退去セシムルコトヲ得

第十三条 集会及多衆ノ運動ニ於テハ戎器又ハ兇器ヲ携帯スルコトヲ得ス但シ制規ニ依リ戎器ヲ携帯スル者ハ此ノ限ニ在ラス

第十四条 秘密ノ結社ハ之ヲ禁ス

第十五条 法令ヲ以テ組織シタル議会ノ議員議事準備ノ為ニ相団結スルモノニ対シテハ第一条及第五条ヲ適用セス

第十六条 街頭其ノ他公衆ノ自由ニ交通スルコトヲ得ル場所ニ於テ文書、図画、詩歌ノ掲示、頒布、朗読若ハ放吟又ハ言語形容其ノ他ノ作為ヲ為シ其ノ状況安寧秩序ヲ紊シ若ハ風俗ヲ害スルノ虞アリト認ムルトキハ警察官ニ於テ禁止ヲ命スルコトヲ得

第十七条 削除

第十八条 行政官庁ハ安寧秩序ヲ保持スル為必要ト認ムルトキハ戎器、爆発物又ハ戎器ヲ仕込ミタル物件ノ携帯ヲ禁スルコトヲ得

第十九条 第一条ニ違背シタル者ハ三十円以下ノ罰金ニ処シ第一条ノ届出ヲ為スモ実ヲ以テセサル者ハ五十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十条 第二条第一項又ハ第二項ニ違背シタル者ハ二十円以下ノ罰金ニ処シ第二項ノ届出ヲ為スモ実ヲ以テセサル者ハ三十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十一条 第四条ニ違背シタル者ハ二十円以下ノ罰金ニ処シ第四条ノ届出ヲ為スモ実ヲ以テセサル者ハ三十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十二条 第五条又ハ第六条ニ違背シタル者ハ二十円以下ノ罰金ニ処ス第五条又ハ第六条ニ違背シ入社セシメタル者亦同シ

第二十三条 第八条第一項ノ制限若ハ禁止ノ命ニ違背シ又ハ解散ヲ命セラレタル後仍退散セサル者ハ二月以下ノ軽禁錮又ハ三十円以下ノ罰金ニ処ス
2 第八条第二項ノ禁止ノ命ニ違背シタル者ハ六月以下ノ軽禁錮又ハ百円以下ノ罰金ニ処ス

第二十四条 第九条ニ違背シ又ハ第十条ノ中止ノ命ニ違背シタル者ハ三月以下ノ軽禁錮又ハ十円以上五十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十五条 第十一条第一項ノ尋問ニ答ヘス若ハ答フルモ実ヲ以テセス又ハ第二項ノ場合ニ於テ警察官ノ臨監ヲ拒ミ若ハ其ノ求ムル席ヲ供セサル者ハ五十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十六条 第十二条ニ依リ退去ヲ命セラレタル後仍退去セサル者ハ一月以下ノ軽禁錮又ハ二十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十七条 第十三条ニ違背シタル者ハ三月以下ノ軽禁錮又ハ五十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十八条 秘密ノ結社ヲ組織シ又ハ秘密ノ結社ニ加入シタル者ハ六月以上一年以下ノ軽禁錮ニ処ス

第二十九条 第十六条ノ禁止ノ命ニ違背シタル者ハ一月以下ノ軽禁錮又ハ三十円以下ノ罰金ニ処ス

第三十条 削除

第三十一条 第十八条ノ禁ヲ犯シタル者ハ六月以下ノ重禁錮ニ処ス

第三十二条 本法ニ関スル公訴ノ時効ハ六箇月トス

第三十三条 集会及政社法ハ之ヲ廃止ス

「官報」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

734年(天平6)「得度・授戒の制」が定められる(新暦12月20日)詳細
1889年(明治22)東京市京橋区木挽町(現在の東京都中央区銀座四丁目)に歌舞伎座が開場する詳細
1910年(明治43)生化学者江上不二夫の誕生日詳細
1956年(昭和31)歌人・美術史家・書道家会津八一の命日(八一忌・秋艸忌)詳細
1903年(明治36)小説家伊藤永之介の誕生日詳細
1969年(昭和44) 「佐藤・ニクソン共同声明」が出され、沖縄返還が決まる詳細
俳人石田波郷の命日詳細
1978年(昭和53)第20回ユネスコ総会で「体育およびスポーツに関する国際憲章」が採択される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

shinbunjizenkenetsu01
 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、 在京新聞5紙(朝日、毎日、読売、東京、日本産業)に対する、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)事前検閲が開始された日です。
 GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)事前検閲(じーえっちきゅーじぜんけんえつ)は、太平洋戦争敗戦後の連合国軍占領下において、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって実施された新聞等に対する検閲です。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、1945年(昭和20)9月10日に、「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16)を出して、報道範囲、進駐軍・連合国に関する報道規制に定めました。
 それにより、同年9月14日には覚書違反で同盟通信社が配信停止処分、同年9月18日には朝日新聞が発行停止処分を受けたます。 次いで、同年9月21日には「日本ノ新聞準則ニ関スル覚書(プレスコード)」(SCAPIN-33)などを出し、民間検閲支隊により日本のマスコミなどへの事前検閲や事後検閲を行い、反占領軍的と判断した記事にたいしては、全面的に書き換えさせました。
 そして、同年10月9日には、在京新聞5紙(朝日、毎日、読売、東京、日本産業)への事前検閲が開始されました。その中で、意思に沿わない記事を書いた新聞社には戦前から続く「新聞紙条例」を用いて発行停止命令が下されてもいます。
 以下に、「GHQ言論及び新聞の自由に関する覚書」(SCAPIN-16)、「日本に与うる新聞遵則(プレスコード)」(SCAPIN-33)、「新聞紙条例」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「GHQ言論及び新聞の自由に関する覚書」(じーえいちきゅーげんろんおよびしんぶんのじゆうにかんするおぼえがき)とは?

 昭和時代前期の太平洋戦争敗戦後の連合国軍占領下で、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって、1945年(昭和20)9月10日に発令された、連合国最高司令官指令第16号(SCAPIN-16)の「Memorandum to Japanese Government Concerning Freedom of Speech」のことです。占領下の日本のマス・メディアの一般的な行動基準を示し、その日から新聞や雑誌などの事後検閲を開始していますが、言論の自由はGHQ及び連合国批判にならずまた太平洋戦争の被害に言及しない制限付きで奨励されました。
 この後、9月19日にその行動基準を新聞、出版についてより具体的に示した「日本に与うる新聞遵則(プレスコード)」(SCAPIN-33)が出され、9月22日には、ほぼ同趣旨でラジオ放送向けに「日本放送遵則(ラジオコード)」(SCAPIN-43)が発せられています。10月9日からは主要新聞・雑誌がこれに基づく事前検閲を受けるようになりましたが、1947年(昭和22)11月から雑誌が、1948年(昭和23)7月から新聞が事後検閲に戻り、1949年(昭和24)からは事後検閲も表面上は廃止となり、1952年(昭和27)4月28日の「サンフランシスコ平和条約」発効により失効しました。

☆「言論及び新聞の自由に関する覚書」 (全文) 1945年(昭和20)9月10日にGHQ指令

OFFICE OF THE SUPREME COMMANDER
FOR THE ALLIED POWERS

10 September 1945 SCAPIN-16

MEMORANDUM FOR:THE IMPERIAL JAPANESE GOVERNMENT.
THROUGH:Central Liaison Office, TOKYO.
FROM:THE SUPREME COMMANDER FOR THE ALLIED POWERS.

1. The Japanese Imperial Government will issue the necessary orders to prevent dissemination of news, through newspapers, radio broadcasting or other means of publication, which fails to adhere to the truth or which disturbs public tranquillity.

2. The Supreme Commander for the Allied Powers has decreed that there shall be an absolute minimum of restrictions upon freedom of speech. Freedom of discussion of matters affecting the future of Japan is encouraged by the Allied Powers, unless such discussion is harmful to th efforts of Japan to emerge from defeat as a new nation entitled to a place among the peace-loving nations of the world.

3. Subjects which cannot be discussed include Allied troop movements which have not been officially released, false or destructive criticism of the Allied Powers, and rumors.

4. For the time being, radio broadcasts will be primarily of a news, musical and entertainment nature. News, commentation and informational broadcasts will be limited to those originating at Radio Tokyo Studios.

5. The Supreme Commander will suspend any publication or radio station which publishes information that fails to adhere to the truth or disturbs public tranquillity.

For the SUPREME COMMANDER:

      /s/ Harold Fair
      /t/ HAROLD FAIR
      Lt Col.,A.G.D.,
   Asst. Adjutant General

 「国立国会図書館デジタルコレクション」より

<日本語訳>

言諭及新聞ノ自由ニ關スル覺書

一九四五年九月一〇日

一、 日本帝國政府ハ新聞、ラジオ放送又ハ其ノ他ノ出版物等ニ依リ、眞實ニ符合セズ若ハ公安ヲ害スルニユ一スヲ頒布セザルヤウ必要ナル命令ヲ發スベシ。

二、 聯合國最高司令官ハ言論ノ自由ニ關シテハ最少限度ノ制限ヲ爲スベキ旨ヲ命ジタリ。日本ノ將來ニ關スル事項ノ討論ノ自由ハ日本ガ敗戰ヨリ世界ノ平和愛好國家ノ仲間入リスル資格ヲ有スル新ナル國家トシテ出發セントスル日本ノ努力ニ有害ナラザル限リ聯合國ニヨリ奬勵セラル。

三、 公式ニ發表セラレザル聯合國軍隊ノ動靜、聯合國ニ對スル虛僞又ハ破壞的批評及ビ風說ハ之ヲ論議スルコトヲ得ズ。

四、 當分ノ內ラジオ放送ハ主トシテニユース及音樂的娛樂的性質ノモノヲ取扱フベシ。ニユース、解說及ビ情報的放送ハ東京放送局ヨリ放送サルルモノニ限ル。

五、 最高司令官ハ眞實ニ符合セズ又ハ公安ヲ害スルガ如キ報道ヲ爲ス出版物若ハ放送局ニ對シテハ發行禁止又ハ業務停止ヲ命ズ。

 『日本管理法令研究』第2巻より

<現代語訳>

連合軍最高司令官官房

SCAPIN-16 1945年9月10日

日本帝国政府に対する指令
経由:横浜終戦連絡事務局
発:連合国最高司令官

1.日本帝国政府は、新聞、ラジオ放送等の報道機関が、真実に合致せずまた公共の安寧を妨げるべきニュースを伝播することを禁止する所要命令を発出すべきこと。

2.最高司令官は、今後言論の自由に対して絶対最小限の規制のみを加える旨告示している。 連合国は日本の将来に関する論議を奨励するが、世界の平和愛好国の一員として再出発しようとする新生日本の努力に悪影響をあたえるような論議は取締るものとする。

3.公表されざる連合国軍隊の動静、および連合国に対する虚偽の批判もしくは破壊的批判、流言蜚語は取締るものとする。

4.当分の間、ラジオ放送はニュース、音楽および娯楽番組に限定される。ニュース解説および情報番組は、東京中央放送局制作のものに限定される。

5.最高司令官は、真実に反しもしくは公共の安寧を妨げるが如き報道を行った新聞・出版・放送局の業務停止を命じることがある。

               最高司令官に代り

                     ハロルド・フェア (署名)
                     陸軍中佐 高級副官部
                     高級副官補佐官

 「日本ペンクラブ 電子文藝館」より

〇「GHQ日本に与うる新聞遵則」(じーえいちきゅーにほんにあたうるしんぶんじゅんそく)とは?

 昭和時代前期の太平洋戦争敗戦後の連合国軍占領下で、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって、1945年(昭和20)9月19日に発令(9月21日発布)された、連合国最高司令官指令第33号(SCAPIN-33)のことで、「プレスコード」とも呼ばれています。これに先立って9月10日に、GHQによって、「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16)が発せられ、占領下の日本のマス・メディアの一般的な行動基準を示し、事後検閲を開始していますが、言論の自由はGHQ及び連合国批判にならずまた太平洋戦争の被害に言及しない制限付きで奨励されました。
 「日本に与うる新聞遵則(プレスコード)」はその行動基準を新聞、出版についてより具体的に示したもので、10ヶ条からなり、報道は絶対に真実に即すること、直接又は間接に公安を害するようなものを掲載してはならないこと、連合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加えてはならないこと、報道記事は宣伝目的の色を着けてはならないことなどを禁止しています。10月9日からは主要新聞・雑誌がこれに基づく事前検閲を受けるようになりましたが、1947年(昭和22)11月から雑誌が、1948年(昭和23)7月から新聞が事後検閲に戻り、1949年(昭和24)からは事後検閲も表面上は廃止となり、1952年(昭和27)4月28日の「サンフランシスコ平和条約」発効により失効しました。
 尚、1945年(昭和20)9月22日には、ほぼ同趣旨の「日本に与うる放送遵則(ラジオコード)」が連合国最高司令官指令第43号(SCAPIN-43)として発せられています。検閲で処分された報道記事は、占領初期は連合国・占領軍に「有害」なものが大部分でしたが、1946年(昭和21)中期以後、米ソの対立が深まってくると、アメリカの反ソ政策が対日占領政策にも影響し、検閲にも共産主義排除が導入されるようになりました。
 プレスコード違反は占領軍命令違反として軍事裁判に付され、例えば、1948年(昭和23)5月27日付け『日刊スポーツ』の「米国の裸体ショー」の記事では、編集長が重労働1年(執行猶予付き)、罰金75,000円の刑を受けるなどしています。

☆日本に与うる新聞遵則[プレスコード] (全文) 1945年(昭和20)9月19日指示

OFFICE OF THE SUPREME COMMANDER
   FOR THE ALLIED POWERS
    19 September 1945

AG 000.73 (18 Sep 45) CI
  (SCAPIN-33)

MEMORANDUM FOR: IMPERIAL JAPANESE GOVERNMENT
THROUGH : Central Liaison Office, Tokyo .
SUBJECT : Press Code For Japan.

1. News must adhere strictly to the truth.

2. Nothing shall be printed which might, directly or by inference, disturb the public tranquility.

3. There shall be no false of destructive criticism of the Allied Powers.

4. There shall be no destructive criticism of the Allied Forces of Occupation and nothing which might invite mistrust or resentment of those troops.

5. There shall be no mention or discussion of Allied troops movements unless such movements have been officially released.

6. News stories must be factually written and completely deveid of editorial opinion.

7. News stories shall not be colored to conform with any propaganda line.

8. Minor details of a new story must not be overemphasized to stress of develop any propaganda line.

9. No news story shall be distorted by the omission of pertinent facts or details. 10. In the make-up of the newspaper no news story shall be given undue prominence for the purpose of ostablishing of developing any propaganda line.

   For the SUPREME COMMANDER:
     /s/ Harold Fair
    /t/ HAROLD FAIR,
    Lt Col, A,G.D.,
    Asst Adjutant General.  

 「国立国会図書館デジタルコレクション」より

<日本語訳>

連合国最高司令官官房
1945年9月19日

AG 000.73(1945年9月18日)CI
 (SCAPIN-33)

日本帝国政府への指令
経由:中央連絡事務所、東京。
件名:日本放送遵則

1. 報道は厳に真実に則するを旨とすべし。

2. 直接又は間接に公安を害するが如きものは之を掲載すべからず。

3. 連合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加ふべからず。

4. 連合国進駐軍に関し破壊的批評を為し又は軍に対し不信又は憤激を招来するが如き記事は一切之を掲載すべからず。

5. 連合国軍隊の動向に関し、公式に記事解禁とならざる限り之を掲載し又は論議すべからず。

6. 報道記事は事実に則して之を掲載し、何等筆者の意見を加ふべからず。

7. 報道記事は宣伝の目的を以て之に色彩を施すべからず。

8. 宣伝を強化拡大せんが為に報道記事中の些末的事項を過当に強調すべからず。

9. 報道記事は関係事項又は細目の省略に依つて之を歪曲すべからず。

10. 新聞の編集に当り、何等かの宣伝方針を確立し、若しくは発展せしめんが為の目的を以て記事を不当に顕著ならしむべからず。

  最高司令官に代り、
     / S /ハロルド・フェア
    陸軍中佐 高級副官邸
    高級副補佐官

 『日本管理法令研究』第2巻より

〇「新聞紙条例」(しんぶんしじょうれい)とは?

 明治時代前期の1875年(明治8)6月28日に、太政官布告された言論・出版の自由を規制した法令で、讒謗律と共に制定されています。自由民権運動の抑圧を意図したものでしたが、全16条からなり、新聞発行許可制をとり(1887年より届出制)、外国人が新聞の持主・社主・編集人になることを禁じ、犯罪の教唆扇動、政府変壊ね国家転覆、成法誹毀などには初めて厳しい刑罰規定が設けられ、上書・建白書の掲載も許可制としました。
 その後何度か改正され、発行保証金制度、行政権による発行禁止・停止権、新聞紙差押え権などの新設・拡大によって新聞弾圧の意図をますます深めたのです。しかし、新聞界の反対もあり、一定の自由化を示す改正も行なわれたものの、根本的改正をみないまま、1909年(明治42)に新聞紙法に引き継がれ、この条例は廃止となりました。

☆「新聞紙条例」 (全文) 1875年(明治8)6月28日公布 全16条

 第一条
凡ソ新聞紙及時々ニ刷出スル雑誌・雑報ヲ発行セントスル者ハ、持主若クハ社主ヨリ其ノ府県庁ヲ経由シテ願書ヲ内務省ニ捧ケ允准ヲ得ヘシ、允准ヲ得ズシテ発行スル者ハ法司ニ付シ罪ヲ論シ〈凡ソ条例ニ違フ者ハ府県庁ヨリ地方ノ法司ニ付シ罪ヲ論ス〉、発行ヲ禁止シ、持主若クハ社主及編輯人・印刷人各々罰金百円ヲ科ス、其ノ詐テ官准ノ名ヲ冒ス者ハ各々罰金百円以上二百円以下ヲ科シ、更ニ印刷器ヲ没入ス

 第二条
願書ニ挙クヘキノ目左ノ如シ
 一 紙若クハ書ノ題号
 二 刷行ノ定期〈毎日・毎週・毎月或ハ無定期ノ類〉
 三 持主ノ姓名・住所、○会社ナレハ差金人ヲ除クノ外社主一人若クハ数人ノ姓名・住所
 四 編輯人ノ姓名・住所、○編輯人数人アル者ハ編輯人長一人ノ姓名・住所
 五 印刷人ノ姓名・住所、○編輯人自ラ印刷人ヲ兼ル者ハ其由ヲ著ス
右ノ五目中、詐謬アル者ハ発行ヲ禁止若クハ停止シ〈時日ヲ限リ発行ヲ止ムル者ヲ停止トス〉、仍ホ願人ニ向テ十円以上百円以下ノ罰金ヲ科ス

 第三条
編輯人若クハ編輯人長退任シ若クハ死去スル時ハ仮ニ編輯人若クハ編輯人長ヲ定メ刷行スルコトヲ得、但シ遅クトモ十五日内ニ〈退任ノ翌日ヨリ起算ス〉新定セル編輯人若クハ編輯人長ノ姓名・住所ヲ持主若クハ社主ヨリ其府県庁ニ届ケ出ヘシ、若シ期内届ケ出サル時ハ発行ヲ停止シ、持主若クハ社主罰金百円ヲ科ス 其他第二条願書ニ載スヘキノ目ニ於テ一ノ変更アル時ハ、遅クトモ十五日内ニ持主若クハ社主及編輯人若クハ編輯人長ノ連名ヲ以テ届ケ出ヘシ、若シ期内ニ届ケ出サル時ハ、持主若クハ社主及編輯人若クハ編輯人長各々罰金百円ヲ科ス

 第四条
持主若クハ社主及編輯人若クハ仮ノ編輯人タル者ハ内国人ニ限ルヘシ

 第五条
持主若クハ社主自ヲ編輯人若クハ編輯人長タルコトヲ得

 第六条
編輯人二人以上アル者ハ、其一人ヲ撰テ編輯人長トスベシ 毎紙・毎巻ノ尾ニ、編輯人、印刷人名ヲ署シ、編輯人数人アル者ハ、編輯人長、名ヲ署シ編輯人若クハ編輯人長、疾病事故アル時ハ、代理人ヲ定メ其名署スヘシ、若シ名ヲ署セザル時ハ、編輯人若クハ編輯人長、若クハ代理人罰金百円以上五百円以下ヲ料シ、印刷人罰金百円ヲ料ス 紙中若クハ巻中載スル所ノ事ニ付テハ、紙尾署名ノ編輯人若クハ編輯人長一切責ニ任スベシ

 第七条
紙中若クハ巻中載スル所、第十二条以下ノ禁ヲ犯シ若クハ讒謗律ヲ犯シタル時ハ、編輯人、首ヲ以テ論シ、筆者ハ従ヲ以テ論ス、持主若クハ社主情ヲ知ル者ハ、編輯署名ノ人ト同ク論ス

 第八条
新聞紙及雑誌・雑報ノ筆者ハ〈投書者ハ筆者ヲ以テ例ス〉尋常ノ瑣事ヲ除クノ外凡ソ内外国事、理財、人情、時態、学術、法教、議論、及事、官民ノ権利ニ係ル者ハ皆其ノ姓名・住所ヲ著スヘシ 筆者、変名ヲ用ヒタル時ハ、禁獄三十日罰金十円ヲ料ス、他人ノ名ヲ仮托スル者ハ、禁獄七十日罰金二十円ヲ料ス〈二罰并セ料シ或ハ偏ヘニ一罰ヲ料ス以下之ニ倣へ〉

 第九条
外国新聞紙及雑誌・雑報ヲ翻訳シテ記入スル者ハ、尋常ノ瑣事ヲ除クノ外訳者名ヲ署シ、其事第十二条以下ノ禁ヲ犯シ若クハ新タニ編輯人ヲ定メテ仍ホ発行スル¬ヲ得、其ノ編輯人ヲ定メスシテ発行スル者ハ、発行ヲ停止スヘシ

 第十条
事犯、編輯人ニ止リ、禁獄ヲ命シタル時ハ、特ニ発行ヲ停止シタル時ヲ除クノ外、持主若クハ社主ヨリ、仮ニ編輯人ヲ定メ、若クハ新タニ編輯人ヲ定メテ仍ホ発行スルコトヲ得、其ノ編輯人ヲ定メスシテ発行スル者ハ、発行ヲ停止スヘシ

 第十一条
新聞紙若クハ雑誌・雑報ニ指名サレタル官署・会社、人民ヨリ弁白書、若クハ改正ヲ求ムルノ書ヲ寄スルトキハ、其書ヲ受取リシヨリ直チニ其次号ニ刷出スヘシ、違フ者ハ編輯人罰金十円以上百円以下ヲ科ス

 第十二条 
新聞紙若クハ雑誌・雑報ニ於テ人ヲ教唆シテ罪ヲ犯サシメタル者ハ、犯ス者ト同罪、其教唆ニ止マル者ハ、禁獄五日以上三年以下、罰金十円以上五百円以下ヲ科ス 其教唆シテ兇衆ヲ煽起シ或ハ官ニ強逼セシメタル者ハ、犯ス者ノ首ト同ク論ス、其教唆ニ止マル者ハ罪前ニ同シ

 第十三条 
政府ヲ変壊シ国家ヲ顛覆すスルノ論ヲ載セ騒乱ヲ煽起セントスル者ハ、禁獄一年以上三年ニ至ル迄ヲ科ス、其実犯ニ至ル者ハ首犯ト同ク論ス

 第十四条 
成法ヲ誹毀シテ国民法ニ遵フノ義ヲ乱リ及顕ハニ刑律ニ触レタルノ罪犯ヲ曲庇スルノ論ヲ為ス者ハ、禁獄一月以上一年以下、罰金五円以上百円以下ヲ科ス

 第十五条
裁判所ノ断獄、下調ニ係リ未タ公判ニ付セザル者を載スルコトヲ得ズ、及裁判官審判ノ議事ヲ載スルコトヲ得ス、犯ス者ハ禁獄一月以上一年以下罰金百円以上五百円以下ヲ科ス

 第十六条
院省使庁ノ許可ヲ経ズシテ上書建白ヲ載スルコトヲ得ス、犯ス者ハ罰前条ニ同シ

 附則
此ノ条例布告ノ前ニ己ニ允准ヲ得テ発行セル新聞紙・雑誌・雑報ハ、新タニ願書ヲ捧クルニ及ハス、但シ府県庁ヲ経由シテ内務省ニ届クル爲ニ此ノ布告ヲ承ルヨリ第十日迄ニ〈布告ヲ承ルノ翌日ヨリ起算ス〉府県庁ニ向テ第二条五目ノ届書ヲ捧クヘシ、第十日ヲ過テ届書ヲ捧ケザル者ハ府県庁ヨリ発行ヲ止ムベシ、其ノ更ニ願ヒ出ル者ハ第一条ニ依ルヘシ 従前編輯人数人アリテ編輯人長ナキ者ハ、条例布告ヲ承ルヨリ第二日迄ニ〈布告ヲ承ルノ翌日ヨリ起算ス〉編輯人長ヲ定メ若クハ仮ニ定ムヘシ、第二日ヲ過テ刷行シタル紙若クハ書ニ、編輯人長ノ署名ナキトキハ、府県庁ヨリ発行ヲ止ムベシ、其ノ更ニ願ヒ出ル者ハ前ニ同シ

「法令全書」より

 *縦書きの原文を横書きに改め、旧字を新字に直し、句読点を付してあります。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

641年(舒明天皇13)第34代の天皇とされる舒明天皇の命日(新暦11月17日)詳細
1874年(明治7)万国郵便連合(最初は一般郵便連合)が発足する(世界郵便デー)詳細
1885年(明治18)日本が「メートル条約」に加盟する詳細
1897年(明治32)小説家大佛次郎の誕生日詳細
1905年(明治38)平民社が最初に解散する詳細
1945年(昭和20)GHQが「必需物資の輸入に関する覚書」(SCAPIN-110)を出す詳細
1952年(昭和27)黒澤明監督の映画『生きる』が封切りされる詳細
1989年(平成元)千葉県千葉市の幕張新都心に幕張メッセ(千葉県日本コンベンションセンター国際展示場)が開業する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

dainittponsangyouhoukokukai
 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令により、産業報国会の全国連合組織としての大日本産業報国会が解散した日です。
 大日本産業報国会(だいにっぽんさんぎょうほうこくかい)は、戦時下において、労働者を戦争協力に動員することを目的として設けられた官民共同の勤労者統制組織でした。日中戦争が全面化する中で、1938年(昭和13)7月30日に、協調会時局対策委員会第二専門委員会が作成した「労資関係調整方策」の建議に基づいて産業報国連盟が発足、自主的運動をたてまえに産業報国運動が全国的に始まります。
 連盟は「労資一体」、「産業報国」の理念を普及しますが、実際の指導は官憲が担うことになり、1939年(昭和14)4月28日、内務・厚生両省は知事ないしは警視総監を会長とする道府県産業報国連合会の設置を指示、警察の指導下で事業所単位に単位産業報国会(会長は社長、各役員はおおむね職制が任命される)が続々と結成され、その各府県連合会の会長に道府県知事、支部長には各管区の警察署長が就きました。その結果会員数は、同年中に299万人、翌年には、482万人(推定組織率66%)に達します。
 1940年(昭和15)11月4日に第二次近衛文麿内閣は、「勤労新体制確立要綱」を閣議決定し、これに基づいて産業報国連盟は解散、同年11月23日の大日本産業報国会設立へと至りました。同会の会長には平尾釟三郎、理事長には湯沢三千男が就き、産業報国精神の高揚、職場規律の確立、生産力増強達成などを目指します。
 また、労務管理、特配物資配給機関としても機能し、機関紙誌として「産業報国新聞」、「産報」、「職場の光」、「ちから」を発行しました。1942年(昭和17)6月23日には、農業報国連盟、商業報国会、日本海運報国団、大日本青少年団、大日本婦人会と共に大政翼賛会に加わり、以後労働強化・戦争協力を労働者に強制していきます。
 しかし、太平洋戦争敗戦後の1945年(昭和20)9月30日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令により解散しました。
 以下に、大日本産業報国会の創立宣言と綱領を掲載しておきますので、ご参照下さい。 

〇大日本産業報国会創立宣言

 今や世界は未曽有の転換期に際会す。皇国亦東亜新秩序建設に任じ、世界新秩序完成に邁進せんとす。その使命洵に宏大なり。
 然れども高度国防国家体制とその根幹たる新産業労働体制を確立するに非ざれば、何んぞその使命を果し得べけん。
 凡そ皇国産業の真姿は、肇国の精神に基づき、全産業一体、事業一家、以て職分に奉公し皇運を扶翼し奉るにあり。全産業人は、資本経営労務の有機的一体を具現し、皇民勤労の真諦を発揮し、以て国力の増強に邁進せざるべからず。皇国躍進の基調竝に存す。我等皇国産業に与る者、夙に念ひをここに致し、洽く職場に産業報国会を組織し、産業報国精神の高揚実践に挺身し来れり。為に全産業人協心戮力の実漸く挙り、勤労の創意、能力亦大に伸暢し、産業労働界はその面目を一新せんとす。この成果と組織を総括して一大国民運動たらしむるの要今や極めて切なるものあり。
 皇紀二千六百年の秋、新嘗祭の佳き日をトし、我等ここに大日本産業報国会を結成し、光輝ある新任務に就かんとす。我等の使命は、実に愛国の至情を産業報国運動に結集して曠古の国難を克服し、以て永遠不動の皇国産業道を樹立せんとするにあり。責務の重きを念ひ、決意更に新たなり。勇躍、我等行かんとす!
 職場は我等にとって臣道実践の道場なり。勤労は我等にとって奉仕なり、歓喜なり、栄誉なり。手段に非ずして目的なり。艱苦欠乏何かあらん。剛健なる意志、不屈の気概、範を垂れ衆を化し、塵烟の下、響音の裡分を尽し職に生き、以て皇国の弥栄を効さむ。
 右宣言す。

 紀元二千六百年十一月二十三日

〇大日本産業報国会綱領

一、我等ハ国体ノ本義ニ徹シ全産業一体報告ノ実ヲアゲ以テ皇運ヲ扶翼シ奉ラムコトヲ期ス
一、我等ハ産業ノ使命ヲ体シ事業一家職分奉公ノ誠ヲ徹シ以テ皇国産業ノ興隆ニ総力ヲ竭サムコトヲ期ス
一、我等ハ勤労ノ真義ニ生キ剛健明朗ナル生活ヲ建設シ以テ国力ノ根抵ニ培ハムコトヲ期ス

   国立国会図書館デジタルコレクション「大日本産業報国会要覧」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

894年(寛平6)菅原道眞の建白により遣唐使の廃止が決定する(新暦11月1日)詳細
1351年(観応2)臨済宗の僧夢窓疎石(夢窓國師)の命日(新暦10月20日)詳細
1921年(大正10)「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」が国際連盟で採択・署名される詳細
1943年(昭和18)御前会議で「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」を決定が決定され、「絶対国防圏」が定められる詳細
1961年(昭和36)木曽川から知多半島に水を引く愛知用水が完成する詳細
1978年(昭和53)小説家山岡荘八の命日詳細
1992年(平成4)「世界遺産条約」が日本国内で発効する詳細
2006年(平成18)国産旅客機YS-11(日本航空機製造製)が日本エアコミューター(JAC)により、最後の旅客飛行を行う詳細

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

Shoupkankoku01
 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が、「シャウプ使節団日本税制報告書(シャウプ勧告)」(第一次)の全文を発表した日です。
 シャウプ勧告(しゃうぷかんこく)は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の要請によって来日したコロンビア大学教授 C.シャウプを団長とする使節団(7名)が日本の租税制度に関して行なった勧告で、正式名称は、「Reporton Japanese Taxation by the Shoup Misson」(シャウプ使節団日本税制報告書)といいます。この使節団は、昭和時代中期の1949年(昭和24)4月7日~6月19日に来日し、4ヶ月弱に及ぶ、政府、地方自治体の財政担当者、学者との懇談や全国各地の視察など各種調査後、同年8月27日付で、第一次報告書(概要)が出され、9月15日にGHQが第一次報告書(全文)を発表しました。
 翌年8月に、シャウプ使節団(第二次)が再来日し、9月21日付で、第二次の正式報告書(全文)が出されています。その内容は、税制の抜本的改革を示し、直接税中心主義の徹底(所得税は徹底した総合課税とし、富裕税・再評価税の新設等)、地方財政の強化(地方税の独立税化等)、申告納税制の採用(青色申告・予定申告等)などを内容とし、一貫した租税体系として提案されました。
 この背景には、ドッジ・ラインによる日本経済の安定化に対応して、恒久的な租税制度の確立を目指すことがあり、その後の日本の税制の原点となります。1950年(昭和25)の税制改革で、国税・地方税などに採用されましたが、その過程で大資本家の意向や政治家の介入などにより、勧告と異なる内容になったものもありました。
 以下に、「シャウプ使節団日本税制報告書」(第一次)序文の英語原文と日本語訳を掲載しておきますので、ご参照ください。

〇シヤウプ使節団(しゃうぷしせつだん)とは?

 太平洋戦争敗戦後の占領下において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の要請によって1949年(昭和24年)に結成されたカール・シャウプを団長とする日本税制使節団でした。カール・S・シャウプ:コロンビア大学商学部教授兼政治学部大学院教授(税制使節団長)、ウィリアム・ヴィックリー:コロンビア大学経済学部大学院教授(1996年ノーベル経済学賞受賞者)、ウィリアム・C・ウォレン:コロンビア大学法科大学院教授、ハワード・R・ボーエン:イリノイ大学商業・経営経済学部長、スタンレー・S・サリー:カリフォルニア大学法学部教授、ジェローム・B・コーエン:ニューヨーク市立単科大学経済学部教授、ローランド・F・ハットフィールド:セント・ポール収税庁、税制調査局長の7名がメンバーです。
 1949年(昭和24)4月7日~6月19日に来日し、4ヶ月弱に及ぶ、政府、地方自治体の財政担当者、学者との懇談や全国各地の視察など各種調査後、同年8月27日付で、第一次報告書(概要)が出され、9月15日にGHQが第一次報告書(全文)を発表しました。翌年8月に、シャウプ使節団(第二次)が再来日し、9月21日付で、第二次の正式報告書(全文)が出されています。
 その内容は、税制の抜本的改革を示し、直接税中心主義の徹底(所得税は徹底した総合課税とし、富裕税・再評価税の新設等)、地方財政の強化(地方税の独立税化等)、申告納税制の採用(青色申告・予定申告等)などを内容とし、一貫した租税体系として提案されました。この背景には、ドッジ・ラインによる日本経済の安定化に対応して、恒久的な租税制度の確立を目指すことがあり、その後の日本の税制の原点となります。
 1950年(昭和25)の税制改革で、国税・地方税などに採用されましたが、その過程で大資本家の意向や政治家の介入などにより、勧告と異なる内容になったものもありました。

☆シャウプ使節団(第一次・第二次)関係略年表

<1949年(昭和24)>

・4月1日 GHQが5月初旬にシャウプ博士ほか6名からなる税制使節団(第一次)来日を発表する
・4月7日 使節団員ジェローム・B・コーエンが来日する
・4月28日 農林省農業改良局、NRSに対し、農民負担に関する諸資料を提出する
・5月10日 シャウプ博士、ヴィックリ一博士、ハットフィールド氏が来日する
・5月29日 農家の税負担の軽減につき、来週早々、森農相、片桐次官、シャウプ使節団と会見のうえ、要望書を手渡す予定と、「東京新聞」が報道する
・6月初旬 農林省、農林漁業の課税負担の現状とその改正に関する要望を、シャウプ使節団へ提出する
・6月11日 日本農民組合総本部、シャウプ使節団に対し、税制改革に関する意見書を作成、スタンレー・S・サリー氏が来日する
・6月12日 ハワード・R・ボーエン氏が来日する
・6月19日 ウイリアム・C・ウオーレン氏が来日する
・6月25日 農業復興会議現行税制改革に関する意見を表明、近くシャウプ使節団に提出する予定と、「東京新聞」、「日本経済新聞」が報道する
・7月14日 過重と不均衡にあえいでいる農村課税に対するシャウプ使節団の考え方(源泉課税方式の採用等)を、農林省へ示唆する
・7月15日 農林省関係者、シャウプ税制使節団に対し、源泉課税・徴収に対する意見等を要望する
・7月16日 GHQ/NRS、農林省に対し供出代金につき源泉課税徴収案内示ありたることを「時事新報」が報道する
・7月21日 大蔵省主税局、NRS提案にかかる農業所得税の賦課徴収計画概要に対し、意見を表明する
・7月22日 農林省、源泉徴収は回避、農家所得課税につき、第1案、第2案を呈示のうえ折衝と「毎日新聞」報道用
・8月26日 シャウプが内外記者団と会見、その概要を発表して、帰国する
・8月27日 第一次報告書(概要)が出される
・9月15日 GHQが第一次報告書(全文)を発表する

<1950年(昭和254)>

・8月 シャウプ使節団(第二次)が再来日する
・9月21日 第二次の正式報告書(全文)が出される
・税制改革で、シャウプ勧告が国税・地方税などに採用される

☆「シャウプ使節団日本税制報告書」(第一次)序文 1949年(昭和24)8月27日付

REPORT ON JAPANESE TAXATION BY THE SHOUP MISSION

FOREWORD

The present report on the Japanese tax system is submitted to the Supreme Commander for the Allied Powers, at whose request the Tax Mission was formed.

The chief aim of our mission has been to draw up a plan of a permanent tax system for Japan. Emphasis has therefore been placed on considerations that go beyond the financing problems of the present and the coming fiscal year. Nevertheless, we have found it necessary to specify in some detail how our recommendations affect the 1949-50 and 1950-51 budgets. The long-term program must be of a kind that can be put into force without endangering the stabilization recently achieved with the aid of the recommendations made in the spring of 1949 by the Dodge Mission.

The long-term program itself could have been either of two kinds. We could have recommended a rather primitive type of tax system, one which would depend on external signs of income and wealth and business activity, not on carefully kept records and intelligent analysis of difficult problems. Such a system could raise the required revenue, but it would perpetuate gross inequities among taxpayers, dull the sense of civic responsibility, keep the local governmental units in uneasy financial dependence on the national government, and give rise to undesired economic effects on production and distribution. Moreover, we soon became convinced that the current difficulties in obtaining fair and efficient administration of the tax laws, and a high degree of compliance by the taxpayer in Japan need not be taken as inevitable. Our aim therefore has been to recommend a modern system, which depends upon the willingness of business men and all taxpayers of substantial means to keep books and to reason carefully about some fairly complicated issues of equity. For the small taxpayer, at the same time, the task of filing returns and paying the tax should be kept a simple one. Under this approach, we see no reason why Japan may not within a few years, if she so desires, have what would be the best tax system in the world. In any event, the consistent aim of this report has been to keep open the road that may lead to that goal.

What we are recommending here is a tax system, not a number of isolated measures having no connection with one another. All of the major recommendations, and many of the minor ones, are interconnected. If any of the major recommendations are eliminated, some of the others will thereby become of less value, or even harmful. Consequently, we disclaim responsibility for the results that may follow the adoption of only part of our recommendations. For example, we have devised a tax system that avoids the double taxation of corporate income under the national income taxes, and at the same time blocks permanent tax avoidance. Among the essential parts of this system are the full inclusion of capital gains and the full deduction of capital losses, with permission to spread the gain over a series of years, and with exemption of large capital gains that are due merely to a change in the value of money. If capital gains and losses were to be included not in full but under some percentage plan like that now in effect, our set of recommendations for corporation and individual income taxes would have to revised extensively.

Members of our group arrived in and departed from Japan at different dates from April to September, 1949, devoting as much time to this task as their previous commitments in the United States allowed. In general, the mission spent about four months on the study. May and June were occupied largely in discussions with taxpayers, tax officials (national, prefectural and municipal) and others. Much of the information was obtained outside of Tokyo, on field trips throughout Japan from Hokkaido to Kyushu. Lack of space forbids specific acknowledgement to the scores of individuals who have so generously given us information and suggestions in the course of these discussions. However, we wish to note our special indebtedness to Major General William F. Marquat, Chief, Economic and Scientific Section, GHQ; Mr. Harold Moss, Chief, Internal Revenue Division, Economic and Scientific Section; the Minister of Finance, Mr. Hayato Ikeda, and his staff, particularly Mr. Keiichiro Hirata and Mr. Sumio Hara; the professors of public finance who served as official advisers to the mission, Professor Hanya Ito, of Tokyo University, Professor Saburo Shiomi, of Kyoto University, and Professor Shigeto Tsuru, of Tokyo Commercial University; and Mr. Genichi Akatani, of the Foreign Office, Japanese Government. We also extend our thanks to all the others who assisted us, including the many taxpayers whose letters were helpful in listing defects in the tax system.

The recommendations in this report are those of the tax mission, and no one in GHQ or the Eighth Army, or in the Japanese Government, is in any way responsible for them. We have attempted to adapt the recommendations to the needs of the various sections and divisions in GHQ, the officials of each of which have their own set of difficult problems to face, and who have nevertheless gone to considerable lengths to find a solution acceptable from all points of view. But the responsibility for this report attaches to us alone.

All the members of the tax mission are in substantial agreement on the main conclusion of this report, but, owing to the necessarily differing times of departure form Japan, the report in its final form was seen only by Shoup, Vickrey, and Warren; the other members should therefore not be held to the same degree of responsibility for all of the recommendations. The members of the tax mission, and their professional connections, are as follows: Dean Howard R. Bowen, College of Commerce and Business Administration, University of Illinois; Professor Jerome B. Cohen, Department of Economies, College of the City of New York; Mr. Rolland F. Hatfield, Director of Tax Research, Department of Taxation, St. Paul, Minnesota; Professor Carl S. Shoup, School of Business and Graduate Faculty of Political Science, Columbia University, (Director of the Tax Mission); Professor Stanley S. Surrey, School of Jurisprudence, University of California, Berkeley, California; Professor William Vickrey, Graduate Faculty of Political Science, Columbia University; and Professor William C. Warren, School of Law, Columbia University.

The Japanese translation was made under severe limitations of time, while the English text was undergoing some last-minute revisions. In the event that any discrepancy is found, the English text should be the one used.

Carl S. Shoup
Tokyo
August 27,1949.

「国立国会図書館デジタルコレクション」より

<日本語訳>

 税制使節団は、連合国最高司令官の要請によって編成されたものであるが、日本の租税制度に関する本報告書を右連合国最高司令官に提出するものである。

 本使節団は、日本における恒久的な租税制度を立案することをその主要な目的としている。従って、本年度および明年度における財政的な問題を超えて考慮されるべき諸問題に重点がおかれている。 しかしながら、われわれの勧告が1949-50会計年度および1950-51会計年度の予算にどのような影響をおよぼすかについては、細部にわたってこれを具体的に論ずる必要があった。長期の計画は1949年の春、ドッジ使節団の勧告の助成によって最近達せられた経済安定を阻害することなく、実施され得るようなものでなければならない。

 この長期の計画自体は、二者の中のいずれかのものになりうるものであった。すなわち、われわれは、周到に保存された資料および困難な問題の聡明な分析によらないで、所得、富、および事業活動の外形標準に依存する多少幼稚な租税制度を勧告することもできたのであるが、かかる租税制度によって必要な収入は確保することができるとしても、それは納税者間の甚しい不公平を永続せしめ、公民の責任観を鈍化し、地方団体をして不安な国家財政依存を継続せしめ、ひいては生産および分配に好ましからざる経済的影響をもたらすものである。加えるに、われわれは、租税法規の公平且つ能率的な施行および日本の納税者の高度な納税に対する協力を得るための困難は必ずしも不可避なものでないとの確信を得たのである。従って、われわれの目的は、商工業者および相当な生計を営むすべての納税者が記帳を励行し、公平に関連するかなり複雑な問題を慎重に論究することを辞さないということに依存する近代的な制度を勧告するにある。同時に、また、小さな納税者には、申告および納税の手続を簡単なものにしておくべきである。このような方向で問題を検討すれば、日本が今後数年のうちに、もしそれを欲するならば、恐らく世界で最もすぐれた租税制度をもてないという理由はなんら認められないのである。いずれにせよ、本報告の一貫した狙いは、かかる目標に通ずる途を開放しておくことにある。

 ここにわれわれが勧告しているのは、租税制度であって、相互に関連のない多くの別個の措置ではない。一切の重要な勧告事項および細かい勧告事項の多くは、相互に関連をもっている。もし重要な勧告事項の一部が排除されるとすれば、他の部分は、その結果価値を減じ、場合によっては有害のものともなろう。従って、われわれは、勧告の一部のみを取入れることに伴う結果については責任を負わない。例えば、われわれは、所得税において法人税との二重課税を避け、同時に常習の脱税を防止するような租税制度を立案した。このような制度のうちでも重要な部分とされているのは、譲渡所得を全額課税し、譲渡損失を全額控除することである。但し、その所得を数年にわたって繰越し、単に貨幣価値の変動に基く尨大な譲渡所得を控除することは認められる。もし現在実施されているように譲渡所得と損失が全額ではなく、何%しか算入されないものとすれば、われわれの勧告による法人税および所得税は大巾な改正を要するであろう。

 われわれ使節団の構成員は、米国における先約の許す範囲でこの仕事に多大の時間を捧げ、1949年4月から9月の間に随時日本に到着し日本から立ち去った。全体として使節団はこの研究に四カ月間を費した。5月と6月の大部分は、納税者、税務職員(国、都道府県および市町村)または他の者との談合に充てられた。北海道から九州までの日本全土にまたがる実地調査によって、東京以外の多くの情報を入手した。限られた紙面はこれらの談合でわれわれに資料や思いつきを惜しみなく提供した多数の人々に謝意を表すること許さない。しかし、ここに、G・H・Q経済科学局局長ウィリアム・F・マーカット少将、経済科学局歳入課長ハロルト・モス氏、大蔵大臣池田勇人氏および同氏の補佐官、特に、平田敬一郎氏と原純夫氏、また財政学の教授であり本使節団の公式の顧問を勤めた東京商科大学の井藤半弥教授、京都大学の汐見三郎教授および東京商科大学の都留重人教授ならびに日本政府外務省の赤谷源一氏等の多大の恩恵に浴したことを特に記しておきたい。更にわれわれは、租税制度の欠点を記入するのに役立つ手紙を送られた多くの納税者を含めて、われわれを援助した他のすべての方々に感謝するものである。

 本報告における勧告は本使節団のものであって総司令部、第八軍または日本政府はこれに対していかなる責任をも負わない。われわれは、この勧告が、総司令部の各局各課の担当官があらゆる点において妥当と見られる解決策を探求するにあたって重ねてきた幾多の努力にもかかわらず、なお、かれらが直面している特定の困難な諸問題から生ずる諸要請に適応するよう努力した。しかしこの報告に対する責任はわれわれのみが負うべきところのものである。
税制使節団の各構成員は、本報告の主要な結論においては大体意見は一致している。しかし、日本を立ち去る時期が各自異っていたため、報告の最終的なものはシャウプ、ヴィツクリー、ウオレンだけが眼を通した、従って勧告の全文に対して他の構成員は同じ程度の責任を負うべきではない。

 税制使節団の各委員の氏名および職名は左のとおりである。
ハワード・R・ボーエン=イリノイ大学、商業および経営経済学部長
ヂェローム・B・コーエン=ニューヨーク市立単科大学、経済学部教授
ローランド・F・ハットフィールド=ミネソタ州、セント・ポール収税庁、税制調査局長
カール・S・シャウプ=コロムビヤ大学、商学部教授兼政治学部大学院教授(税制使節団長)
スタンレー・S・サリー=カリホルニヤ洲、バークレー市、カリホルニヤ大学法学部教授
ウィリアム・C・ヴィツクリー=コロムビヤ大学、政治学部、大学院教授
ウィリアム・C・ウオレン=コロムビヤ大学、法学部教授

 日本語の訳文は、原文の最終的修正が行われている最中に、極端な時間の制限のもとになされたものである。対照上相違が生じた場合は、英文によるべきである。

                  東京において
                    C S シャウプ

                         1949年8月27日 

 「シヤウプ使節団日本税制報告書」連合国最高司令官本部1949年刊行 総合司令部民間情報教育局訳より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

記念日国際デーの一つ、「国際民主主義デー」です詳細
1305年(嘉元3)第90代の天皇とされる亀山天皇の命日(新暦では10月4日)詳細
1600年(慶長5)関ヶ原の戦いが起き、東軍が勝利する(新暦10月21日)詳細
1613年(慶長18)仙台藩主伊達政宗の使節(慶長遣欧使節)支倉常長らが、日本を出帆する(新暦10月28日)詳細
1932年(昭和7)「日満議定書」が調印される詳細
1945年(昭和20)文部省が「新日本建設ノ教育方針」を公表する詳細
1961年(昭和36)被差別部落問題をテーマとした、住井すゑ著の長編小説『橋のない川』第一部が刊行される詳細
1964年(昭和39)八郎潟干拓の干拓式が行われる詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ