
元禄時代の自己本位で無軌道、ドライな青年を描いた近松晩年の傑作とされますが、主役の徹底した不良児としての性格描写は、近松世話物の中でも異色なものとされています。江戸時代の再演はなかったものの、坪内逍遙の近松研究会に評価され、明治時代末期以降しばしば復活上演されるようになりました。
父が浪人となったため、15、16歳の頃に家族と共に京都に移り、堂上貴族の一条恵観、正親町公通らに仕えます。後に近江の近松寺に遊学し、近松の姓の由来になったともされてきました。
京都の宇治加賀掾のもとで修業、1685年(貞享2)に竹本義太夫(筑後掾)のために『出世景清』を書いて名声を博し、以後二人の協力関係が始まったとされます。1693年(元禄6)から歌舞伎の坂田藤十郎に作品を提供、『傾城仏の原』(1699年)、『傾城壬生大念仏』(1702年)などの傑作を書き、その名演技と相まって上方歌舞伎の全盛を招きましたが、1709年(宝永6)の藤十郎没後は歌舞伎を離れました。
一方、1703年(元禄16)に義太夫のために執筆した『曾根崎心中』で世話浄瑠璃を確立し、宝永2年(1705年)には竹本座座付作者となり、『冥途の飛脚』(1711年)を書きます。1714年(正徳4)に義太夫が没した後も、『国性爺合戦』(1715年)、『心中天の網島』(1720年)、『女殺油地獄』(1721年)などの代表作を書きました。
時代物、世話物ともに優れ、従来の古浄瑠璃と一線を画した功績は大きかったのですが、1725年1月6日(享保9年11月22日)に、大坂において、数え年72歳で亡くなっています。後世には、井原西鶴、松尾芭蕉と並ぶ江戸文学界の巨頭とされるようになりました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 842年(承和9) | 第52代の天皇とされる嵯峨天皇の命日(新暦8月24日) | 詳細 |
| 1878年(明治11) | 箱根の富士屋ホテルが外国人専用ホテルとして開業する | 詳細 |
| 1888年(明治21) | 会津の磐梯山が大噴火(磐梯山1888年噴火)し、死者444人の被害が出る | 詳細 |
| 1948年(昭和23) | 「教育委員会法」(昭和23年法律170号)が公布・施行される | 詳細 |
| 連合国最高司令官総司令部(GHQ)が日本政府に対して、「経済安定十原則」を提示する | 詳細 | |
| 1955年(昭和30) | 西ドイツのマイナウにおいて、核兵器の使用に反対する「マイナウ宣言」が発表される | 詳細 |
| 1959年(昭和34) | 三木里駅~新鹿駅間 (12.3km) が開業し、国鉄の紀勢本線が全通する | 詳細 |
| 1987年(昭和62) | 日本で9番目の地下鉄として、仙台市地下鉄が開業(南北線八乙女駅~富沢駅間)する | 詳細 |
