
東京の路面電車は、1903年(明治36)8月22日に、東京馬車鉄道が動力を馬から電気に改めて誕生した東京電車鉄道(電鉄)の品川~新橋間の開業によって開始され、日本8番目の電気鉄道として誕生しました。その後、同年9月15日に、新規に東京市街鉄道(街鉄)が数寄屋橋~神田橋間を開業、翌年12月8日に、新規に東京電気鉄道(外濠線)が土橋(新橋駅北口)~御茶の水間を開業、この3社によって相次いで路面電車が建設されていきます。
1909年(明治39)9月11日に、電鉄・街鉄・外濠線の3社が合併し、東京鉄道(東鉄)が成立しましたが、翌年に東京市会において東京鉄道の買収が決議され、1911年(明治44)8月1日に、東京市が東京鉄道を買収、東京市電気局を開設し、東京市電となりました。1943年(昭和18)7月1日には、東京都制が施行され、市電気局を東京都交通局に改組。東京都電となります。
1955年(昭和30)頃の最盛期には営業キロ約213km、運転系統40を擁し、一日約175万人が利用する日本最大の路面電車となりました。しかし、モータリゼーションの進展や帝都高速度交通営団(営団地下鉄)、東京都交通局の都営地下鉄の建設により採算性が悪化し、1967年(昭和42)には、東京都交通局が財政再建団体に指定されるに至ります。
その再建策の一環として、1972年(昭和47)までに路面電車が廃止されることになりました。ところが、1974年(昭和49)に荒川線(12.2km)の恒久的な存続が決定し、現在に至っています。
1909年(明治39)9月11日に、電鉄・街鉄・外濠線の3社が合併し、東京鉄道(東鉄)が成立しましたが、翌年に東京市会において東京鉄道の買収が決議され、1911年(明治44)8月1日に、東京市が東京鉄道を買収、東京市電気局を開設し、東京市電となりました。1943年(昭和18)7月1日には、東京都制が施行され、市電気局を東京都交通局に改組。東京都電となります。
1955年(昭和30)頃の最盛期には営業キロ約213km、運転系統40を擁し、一日約175万人が利用する日本最大の路面電車となりました。しかし、モータリゼーションの進展や帝都高速度交通営団(営団地下鉄)、東京都交通局の都営地下鉄の建設により採算性が悪化し、1967年(昭和42)には、東京都交通局が財政再建団体に指定されるに至ります。
その再建策の一環として、1972年(昭和47)までに路面電車が廃止されることになりました。ところが、1974年(昭和49)に荒川線(12.2km)の恒久的な存続が決定し、現在に至っています。
〇東京都の路面電車関係略年表
<1903年(明治36)>
・8月22日:馬車鉄道の東京馬車鉄道が動力を馬から電気に改めることで誕生した東京電車鉄道(電鉄)が、品川~新橋間を開業する
・9月15日:東京市街鉄道(街鉄)が数寄屋橋~神田橋間を開業する
・11月1日:街鉄 日比谷(日比谷公園) ~半蔵門間が開業する
・11月25日:電鉄 芝口(芝口一丁目)~上野間が電化開業する
・12月29日:街鉄 神田町~両国間・半蔵門~新宿間が開業する
<1904年(明治37)>
・1月31日:街鉄 須田町~本郷四丁目間が開業する
・2月21日:電鉄 本銀町角~馬喰三丁目~浅草橋間・浅草橋から横山町三丁目~本町角間がそれぞれ単線一方通行で電化開業する
・2月25日:電鉄 浅草橋~雷門間が電化開業する
・3月18日:電鉄 雷門から田原町~菊屋橋・合羽橋から上野停車場前から上野間が電化開業し、東京電車鉄道(電鉄)が全線電車化する
・5月15日:街鉄 数寄屋橋~茅場町~両国間・茅場町~亀住町間が開業する
・6月21日:街鉄 日比谷(日比谷公園)~三田(本芝)間が開業する
・9月6日:街鉄 三宅坂~青山四丁目間が開業。
・11月8日:街鉄 本郷四丁目~上野広小路間が開業する
・12月8日:東京電気鉄道(外濠線)が土橋(新橋駅北口)~御茶の水間を開業する
・12月17日:街鉄 小川町~俎橋間が開業する
<1905年(明治38)>
・4月3日:外濠線 土橋~虎ノ門内間が開業する
・4月5日:外濠線 御茶ノ水~東竹町(竹町)間が開業する
・5月15日:外濠線 東竹町(竹町)~神楽坂(神楽坂下)間が開業する
・6月3日:街鉄 両国~亀沢町間が開業する
・7月18日:街鉄 上野広小路~西町間・亀沢町~小島町間が開業する
・8月12日:外濠線 神楽坂(神楽坂下)~四谷見附間が開業する
・9月15日:外濠線 四谷見附~葵橋間が開業する
・9月17日:街鉄 西町~小島町間が開業する
・10月:東京の地理教育を目的に、3社による当時の路線をうたった歌として「東京地理教育電車唱歌」(全52番)が発表される
・10月11日:街鉄の桜田門~霊南坂間と外濠線の葵橋~虎ノ門間が開業、街鉄霞ヶ関~ 霊南坂間の一部と外濠線葵橋~虎ノ門間の一部が被るために共用線として同時に開業し、路線としての外濠線が全通する
・11月23日:外濠線 師範学校前~神田松住町間が開業する
・12月29日:街鉄 半蔵門~三番町間が開業する
<1906年(明治39)>
・1月20日:街鉄 三番町~市ケ谷見附間が開業する
・3月3日:外濠線 信濃町~天現寺橋間が全線専用軌道で開業する
・3月21日:街鉄 俎橋~飯田橋が開業する
・4月13日:街鉄 三原橋~蓬莱橋間が開業する
・8月2日:電鉄 菊屋橋経由の上野停車場~田原町間が複線化する
・9月11日:電鉄・街鉄・外濠線の3社が合併し、東京鉄道(東鉄)が成立する
・9月12日:東京鉄道としての運行が開始される
<1907年(明治40)>
・4月:東京市会において東京鉄道の買収を決議する
<1911年(明治44)>
・7月31日:東京鉄道の買収について東京市営の許可がおりる
・8月1日:東京市が東京鉄道を買収、東京市電気局を開設し、東京市電となる
・8月22日:王子電気軌道(王電)が大塚~飛鳥山上間を開業する
・12月31日:東京市電で日本の交通事業史上初のストライキが行われる
<1917年(大正6)>
・12月30日:城東電気軌道、錦糸町~小松川間を開業する
<1921年(大正10)>
・8月26日:西武軌道、淀橋~荻窪(現・荻窪駅南口)間を開業する
<1922年(大正11)>
・6月11日:玉川電気鉄道(玉電・1907年(明治40年)開業)渋谷~渋谷橋間が開通する
・11月16日:帝国電燈、西武鉄道(旧社)に鉄軌道事業を譲渡する
<1924年(大正13)>
・3月29日:京浜電気鉄道品川駅(現・北品川駅)と接続、直通運転を開始する
<1933年(昭和8)>
・4月1日:京浜電気鉄道との直通運転を取り止める
<1935年(昭和10)>
・12月27日:西武鉄道(旧社)、東京乗合自動車(青バス)に新宿軌道線の経営を委託する
<1937年(昭和12)>
・3月25日:城東電気軌道、青バスに吸収合併される
<1938年(昭和13)>
・4月15日:玉電、東京横浜電鉄に合併される
・4月25日:青バス、東京地下鉄道に吸収合併される
・10月14日:東京横浜電鉄、旧玉電路線の渋谷以東部分の経営を東京市へ委託する
<1941年(昭和16)>
・10月13日:三原橋~下板橋間で配給米の運搬が始まる
<1942年(昭和17)>
・2月1日:東京市が王電と東京地下鉄道の城東軌道線(下記)を買収し、東京地下鉄道から新宿軌道線の運営管理を引き継ぐ
<1943年(昭和18)>
・3月9日:東両国二丁目から両国駅間休止される
・4月28日:土橋ループ、若松町引込線、白山上~本郷肴町(のちの向丘二丁目)間休止される
・7月1日:東京都制が施行され、市電気局を東京都交通局に改組。東京都電となる
<1944年(昭和19)>
・5月4日:天現寺橋~恵比寿長者丸間、矢来下~江戸川橋間、汐留~三原橋間、東京駅(丸ノ内口)南口~(丸の内パークビルディング向かい)~都庁前(現・三菱UFJ銀行本店前)、人形町~両国(日本橋両国)間、東京港口~芝浦二丁目(船路橋前)間、数寄屋橋~土橋間、御茶の水~錦町河岸間、水天宮前~土洲橋(現・東京シティエアターミナル前)間の9線区が戦時下に伴う不要不急路線として廃止される
<1948年(昭和23)>
・3月10日:東京急行電鉄より正式に同社玉川線の受託区間を買収する
<1951年(昭和26)>
・4月5日:西武鉄道(西武鉄道(旧社)を合併)より正式に同社新宿軌道線、新宿駅前(上記角筈一丁目)~荻窪駅前間を買収し杉並線とする
<1952年(昭和27)>
・5月20日:今井線 東荒川~今井橋間(城東電軌継承路線)をトロリーバスに置き換えのため廃止する
<1953年(昭和28)>
・5月31日:角筈終点付近(靖国通り新宿ピカデリー脇~新宿通り三峰館脇間)を整理撤去する
<1959年(昭和34)>
・1月24日:都交通局は「路面電車は廃止すべきでない」という公式見解を発表する
・1月29日:警視庁より札の辻 - 赤羽橋間の軌道撤去要請を受ける
・6月12日:警視庁通達により軌道敷内自動車乗り入れが実施される
<1961年(昭和36)>
・3月17日:銀座通連合会請願の「銀座通り路面電車撤廃について」は定例都議会において不採択となる
・7月:昭和37年度首都圏整備事業計画策定方針が決定され、「都電と横浜市電は撤去に着手するものとする。」と指示される
・9月:首都圏整備審議会が、都電杉並線の撤去を勧告する
<1962年(昭和37)>
・6月:政府の臨時交通関係閣僚懇談会が都電飯田橋線ならびに青山線の一部撤去方針を決定し、都に対して実施を強く要請する
<1963年(昭和38)>
・10月1日:北青山一丁目~三宅坂間及び半蔵門~九段上間が1964年東京オリンピック開催に伴う道路整備のため廃止される
・12月1日:杉並線 新宿駅前~荻窪駅前間、営団地下鉄荻窪線と競合のため廃止される
<1965年(昭和40)>
・9月15日:東京都内の住居表示(町名)変更に伴い40箇所の停留所名が一斉に変更される
<1966年(昭和41)>
・5月29日:志村線 巣鴨車庫前~志村橋間が都営地下鉄6号線建設工事のため廃止される
<1967年(昭和42)>
・1月1日:交通局、財政再建団体の指定を受ける
<1967年(昭和42)>
・12月10日:財政再建に伴う都電撤去計画に基づき、第一次都電撤去(品川駅前~東京港口間他12線区・都電本通線(通三丁目以南。通称:銀座線)など8系統線廃止)
<1968年(昭和43)>
・2月25日・3月31日:第二次都電撤去(2月:千住四丁目から三ノ輪橋間他3線区、3月:数寄屋橋~文京区役所前間他2線区)
・9月29日:第三次都電撤去(渋谷駅前~北青山一丁目間他6線区)
<1969年(昭和44)>
・10月25日:第四次都電撤去(泉岳寺前~四谷三丁目間他11線区)
<1970年(昭和45)>
・3月27日:第五次都電撤去(新宿駅前~外神田二丁目他2線区)
<1971年(昭和46)>
・3月18日:第六次都電撤去(大塚駅前~本所一丁目他7線区)
<1972年(昭和47)>
・11月12日:第七次都電撤去(錦糸町駅前~日本橋間他6線区)で、早稲田~ 王子駅前~三ノ輪橋間(王電継承路線)のみとなる
<1974年(昭和49)>
・10月1日:残存区間の撤去計画撤回。恒久化が決定され、運転系統を単一に改め、「荒川線」の呼称を採用する
<1977年(昭和52)>
・10月1日:一部車両でワンマン化が開始される
<1978年(昭和53)>
・10月1日:全車ワンマン化される
<2017年(平成29)>
