
しかし、1921年(大正10)の第三インターナショナル第3回大会前に開催された「第2回国際共産主義女性会議」で、1917年のロシア革命発端になったペトログラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)の女性デーを記念し、3月8日に統一することが決定されます。日本では、1923年(大正12)3月8日に、東京・神田で赤瀾会が日本初の国際婦人デー集会を開催しました。
以後。1932年(昭和7)までは集会が開催されたものの、太平洋戦争中は途絶えています。戦後の1947年(昭和22)に皇居前広場で集会が開かれて復活し、以後は毎年、主として革新系の女性団体を中心に行事が催されてきました。
尚、国連では、1975年(昭和50)を国際婦人年に、3月8日を「国際女性デー」と定め、1977年(昭和52)の国連総会で、女性の権利と国際平和のための国連の日として定めることを決議しています。
設立当初は社会主義同盟員の家族(妻や娘)が中心で、「私達は私達の窮乏と無知と隷属に沈淪せしめたる一切の圧制に対して、断乎として宣戦を布告するものであります」と宣言、婦人の啓蒙・隷属からの解放を趣旨に活動することになりますが、「新婦人協会」とは反目します。1921年(大正10)5月1日の第二回メーデーでビラまきを行い、10名ほどが検束され、また同年秋には陸軍の大演習にあたって、戦争反対のビラをまき、大量の検挙者を出すなど活発に活動しました。
また、雑誌に論文を発表したり、「婦人問題講演会」(6月11日)、「夏期講習会」(7月18日~22日)などを開いて、社会主義の宣伝普及、婦人の地位向上のために努めています。しかし、官憲の弾圧は強く、主要な会員が検挙されるなど困難な状態が続き、1922年(大正11)には、「国際婦人デー」を記念する山川菊栄らの「八日会」へ改組されました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
702年(大宝2) | 文武天皇が初めて全国的に統一された度量(物差しと枡)を定め、諸国 に頒布する(新暦4月9日) | 詳細 |
1708年(宝永5) | 京都で「宝永の大火」が起こり、1万軒以上を焼失する(新暦4月28日) | 詳細 |
1842年(天保13) | 日本画家川端玉章の誕生日(新暦4月18日) | 詳細 |
1919年(大正8) | 小説家水上勉の誕生日 | 詳細 |
1922年(大正11) | 「史蹟名勝天然紀念物保存法」で、初の国の名勝として天橋立、三保松 原、偕楽園等9件が指定される | 詳細 |
1940年(昭和15) | 津田事件によって、津田左右吉・岩波茂雄が出版法違反で起訴される | 詳細 |
1954年(昭和29) | 「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定」(MSA協定) が締結される | 詳細 |