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 今日は、1657年(明暦3)に、儒学者・政治家新井白石の生まれた日ですが、新暦では3月24日となります。
 新井白石は、江戸時代前期の1657年(明暦3年2月10日)に、上総久留里藩士新井正済と妻千代の子として江戸神田柳原に生まれましたが名は君美(きんみ)といいました。
 初め父正済と共に久留里藩主土屋利直に仕え、寵愛されましたが、1677年(延宝5)に土屋家の内争に連座して追放禁錮の処分を受けます。
 しかし、1679年(延宝7)土屋家の改易により禁錮が解け、1682年(天和2)に至り大老堀田正俊へ出仕しました。
 ところが、1684年(貞享元)堀田正俊が刺殺されたため、6年後の1691年(元禄4)には堀田家を辞去し、江戸城東に塾を開いて子弟の教育にあたります。
 1693年(元禄6)に、師木下順庵の推挙で,甲斐府中藩主徳川綱豊の侍講となりました。1709年(宝永6)に5代将軍綱吉の死によって、綱豊が6代将軍家宣となると、間部詮房とともに将軍を補佐し幕政に参画、7代家継も補佐しました。
 その中で、朝鮮使節の待遇改革、金銀貨改良、長崎貿易制限、司法改革などをすすめて幕政の改善につとめ、「正徳の治」と言われます。
 8代将軍吉宗の就任にともない失脚して引退、その後は、著述活動に勤しみ、自伝『折たく柴の記』をはじめ、『読史余論』や『西洋紀聞』など多数の著書を著わしました。
 朱子学を基本として、歴史学、地理学、国語学、兵学など多方面に才能を発揮、漢詩人としても高く評価されましたが、1725年(享保10年5月19日)に、68歳で亡くなります。

〇新井白石の主要な著書

・『藩翰譜 (はんかんぷ) 』 (1701年)
・『采覧異言』 (1708年)
・『読史余論』 (1712年)
・『采覧 (さいらん) 異言』 (1713年)
・『西洋紀聞』 (1715年)
・『古史通』 (1716年)
・『古史通或問』(1716年)
・『折たく柴の記』 (1716年起筆)
・『東雅』 (1719年)
・『南島志』 (1719年)
・『蝦夷志』(1720年)
・『東音譜』
・『同文通考』
・『白石詩草』
・『本朝軍器考』
・『白石手簡』
・『新井白石日記』
・『先哲像伝』