
津田事件(つだじけん)は、昭和時代前期の1940年(昭和15)2月10日に、歴史学者津田左右吉の『古事記及日本書記の研究』、『神代史の研究』、『日本上代史研究』、『上代日本の社会及思想』の4冊の著書が発禁処分となり、3月8日に津田と発行者岩波茂雄が出版法第26条違反の疑いで起訴され、1942年(昭和17)5月21日に有罪判決を受けた事件です。1939年(昭和14)末に津田の『古事記及日本書記の研究』を蓑田胸喜らが雑誌「原理日本」で“大逆思想”にあたると攻撃、これを受けて、検察当局はただちに行動を開始しました。
翌年1月11日には早稲田大学文学部教授を解任され、2月10日に上記4著書を発売禁止処分とされ、さらに、3月8日には、津田本人と発行元である岩波書店の岩波茂雄が出版法第26条「皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ、政体ヲ変壊シ又ハ国憲ヲ紊乱セムトスル文書図画ヲ出版シタルトキハ著作者、発行者、印刷者ヲ二月以上二年以下ノ軽禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス」の疑いで起訴されます。その後の裁判は29回の予審と21回の公判を経て、1942年(昭和17)5月21日に、『古事記及日本書記の研究』のみ、その記述の崇神、垂仁朝を仮定視し、仲哀天皇以前の天皇の存在を疑問視したことが「出版法」第26条違反とし、津田に禁固3ヶ月、岩波に禁固2ヶ月(いずれも執行猶予2年)の判決が出されました。
津田、岩波の側はこの判決を不満として控訴、また検察当局も判決が軽すぎると控訴して争いましたたが、結局1944年(昭和19)11月に、控訴院で本件は「時効完成により免訴」という宣告が出されて終わっています。
津田、岩波の側はこの判決を不満として控訴、また検察当局も判決が軽すぎると控訴して争いましたたが、結局1944年(昭和19)11月に、控訴院で本件は「時効完成により免訴」という宣告が出されて終わっています。
〇津田左右吉(つだ そうきち)とは?
明治時代から昭和時代に活躍した歴史学者・思想史家です。明治時代前期の1873年(明治6)10月3日に、岐阜県加茂郡下米田村(現在の美濃加茂市下米田町)で、尾張藩家老竹腰家の旧家臣津田藤馬の長男として生まれました。
名古屋の私立中学を中退し、上京して東京専門学校(早稲田大学の前身)邦語政治科で学びます。1891年(明治24)に卒業後、中学教員を勤めつつ白鳥庫吉の指導を受け、1901年(明治34)に『新撰東洋史』を刊行しました。
1908年(明治41)に、白鳥の開設した満鮮歴史地理調査室研究員(満鉄東京支社嘱託)となり、1913年(大正2)に『朝鮮歴史地理』上下を刊行、文献批判的実証研究を培います。1918年(大正7)に早稲田大学講師となり、東洋史、東洋哲学を教え、記紀の文献学的考証を行い、『古事記及び日本書紀の新研究』(1919年)を刊行しました。
1920年(大正9)に早稲田大学文学部教授となってからも、『神代史の研究』(1924年)、『道家の思想と其の開展』(1927年)、『日本上代史研究』(1930年)、『上代日本の社会及び思想』(1933年)など旺盛に執筆活動を続けます。しかし、記紀研究の主要4著作に関して、皇室の尊厳を冒涜したかどで右翼から訴えられ、1940年(昭和15)に早稲田大学を辞職せざるを得なくなり、発売禁止処分も受け、出版元の岩波茂雄と共に、「出版法」違反で起訴(津田事件)されました。
その後、1942年(昭和17)には、禁錮3ヶ月、執行猶予2年の宣告を受けますが、1944年(昭和19)には控訴院で免訴となっています。太平洋戦争後も旺盛な著作活動を続け、1949年(昭和24)に文化勲章、1960年(昭和35年)に美濃加茂市名誉市民第1号に選ばれ、1961年(昭和36)には朝日文化賞も受賞しました。しかし、1961年(昭和36)12月4日に、東京都の武蔵境の自宅でにおいて、88歳で亡くなっています。
<津田左右吉の主要な著作>
・『新撰東洋史』(1901年)
・『朝鮮歴史地理』上・下(1913年)
・『神代史の新しい研究』(1913年)
・『文学に現はれたる我が国民思想の研究』4冊(1916~21年)
・『古事記及び日本書紀の新研究』(1919年)
・『神代史の研究』(1924年)
・『道家(どうか)の思想と其(そ)の開展』(1927年)
・『日本上代史研究』(1930年)
・『上代日本の社会及び思想』(1933年)
・『左伝の思想史的研究』(1935年)
・『支那思想と日本』(1938年)
・『蕃山・益軒』(1938年)
・『論語と孔子の思想』(1947年)
・『シナ仏教の研究』(1957年)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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