
しかし、太平洋戦争下の1943年(昭和18)に繰上卒業となり、徴兵検査を受けたところ、肋膜炎の疑いで「丙種合格」となり、徴兵されませんでした。1944年(昭和19)に東京帝国大学文学部国語研究室の副手として勤務を開始したものの、すぐに「肋膜炎の疑い」により、伝染病研究所に入院することとなります。
太平洋戦争後は、1947年(昭和22)に清泉女学院高等学校講師、1950年(昭和25)に学習院大学非常勤講師となり、1952年(昭和27)には、同大学文学部助教授に就任しました。1953年(昭和28)に『上代仮名遣(かなづかい)の研究』、1957年(昭和32)に『日本語の起源』を発表、1960年(昭和35)に同大学文学部教授へ昇進し、1962年(昭和37)には、文学博士ともなります。
1966年(昭和41)に国語審議会委員(3年間)となり、1974年(昭和49)に、20年かけて編纂した『岩波古語辞典』が刊行され、1981年(昭和56)に『日本語とタミル語』を発表しました。1985年(昭和60)に『類語国語辞典』(浜西正人との共著)を上梓、1989年(平成元)に丸谷才一との共著『光る源氏の物語』刊行し、翌年には芸術選奨文部大臣賞を受賞、学習院大学を定年退職し、同大学名誉教授となり、東洋英和女学院大学教授となります。
1993年(平成5)に『係り結びの研究』を発表、翌年に、これにより読売文学賞を受賞、1999年(平成11)には、『日本語練習帳』が190万部を超えるベストセラーになり、井上靖文化賞を受賞しました。2000年(平成12)に『日本語の形成』を発表したものの、2008年(平成20)7月14日に、東京都文京区の順天堂大学医院において、心不全のため、88歳で亡くなっています。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1810年(文化7) | 武士・医師・蘭学者緒方洪庵の誕生日(新暦8月13日) | 詳細 |
1871年(明治4) | 「廃藩置県の詔」(新暦8月29日)が出される(廃藩置県の日) | 詳細 |
1917年(大正6) | 映画文化の中心地であった東京市を対象とした「活動写真興行取締規則」が公布される | 詳細 |
1945年(昭和20) | 北海道空襲で、青函連絡船の翔鳳丸など8隻が米艦載機の攻撃を受けて沈没する | 詳細 |
1967年(昭和42) | 「世界知的所有権機関を設立する条約」がストックホルムで調印される | 詳細 |
1969年(昭和44) | 洋画家坂本繁二郎の命日 | 詳細 |