ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:西瀬戸自動車道

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 今日は、昭和時代後期の1988年(昭和63)に、西瀬戸自動車道(しまなみ海道)の一部、愛媛県今治市の伯方島と大島を結ぶ、伯方・大島大橋が供用開始した日です。
 伯方・大島大橋(はかた・おおしまおおはし)は、現在の愛媛県今治市に属する大島と伯方島間に架かる伯方橋(桁橋)と大島大橋(吊り橋)の総称です。伯方島と大島が最も接近する「宮窪瀬戸」に架橋され、1981年(昭和56)に着工し、7年弱の工期をかけ、1988年(昭和63)1月17日に供用開始され、西瀬戸自動車道(しまなみ海道・国道317号バイパス)の一部を構成してきました。
 伯方橋は、橋長325mの3径間連続鋼床板箱桁橋で、大島大橋は、橋長840mの単径間2ヒンジ補剛箱桁吊橋となっていて一体構造化され、全長は1,230mとなります。暫定2車線で、設計速度は80km/h(規制速度70km/h)ですが、自転車歩行者道が設けられているのが特徴とされてきました。

〇西瀬戸自動車道とは?

 平成時代の2006年(平成18)に全通した、本州四国連絡橋ルートの一つで、瀬戸大橋、神戸淡路鳴門自動車道につぐ三番目として、瀬戸内海の島伝いに10本の橋をつないで、広島県尾道市と愛媛県今治市間59・4kmを結んでいます。
 1955年(昭和30)の宇高連絡船「紫雲丸」事故により、修学旅行の学童を中心とした168名が死亡するなどの海難事故を契機に、本州と四国間の架橋実現の要望が高まり、建設省(現在の国土交通省)や国鉄(現在のJR)などが本格的な架橋実現のための調査を開始しました。1970年(昭和45)に、実施機関として本州四国連絡橋公団が設置され、工事着工に向けての準備が進められて、一端1973年(昭和48)11月25日に、神戸~鳴門ルート、児島~坂出ルートとともに、3ルートの同時着工式が予定されましたが、世界的なオイルショックにより、無期延期されます。
 その後、地域開発橋の名目で、1975年(昭和50)に、大三島橋(1979年完成)が着工、続いて、1977年(昭和52)に因島大橋着工(1983年完成)、1981年(昭和56)に伯方・大島大橋着工(1988年完成)、1986年(昭和61)に生口橋着工(1991年完成)、1990年(平成2)多々羅大橋着工(1999年完成)、1993年(平成5)に新尾道大橋着工(1999年完成)、1988年(平成10)に来島海峡大橋の3橋が着工(1999年完成)と順次建設されていきました。1999年(平成11)5月1日には、新尾道大橋、多々羅大橋、来島海峡大橋(3橋)の開通により、本四連絡橋・尾道今治ルート(愛称:しまなみ海道)は、生口島内の高速道路を除いて、繋がります。
 それも、6年後に生口島北IC~生口島南IC(生口島道路)が完成して、西瀬戸自動車道の全通となりました。海峡部の橋梁として新尾道大橋、因島大橋、生口橋、多々羅大橋、大三島橋、伯方・大島大橋(伯方橋、大島大橋)、来島海峡大橋(来島海峡第一大橋・来島海峡第二大橋・来島海峡第三大橋)の10本が建設され、総事業費は約7,800億円かかっています。
 本四連絡橋では唯一、歩行者・自転車専用道が併設され、徒歩や自転車、原動機付き自転車での利用もできるのが特徴とされてきました。

☆西瀬戸自動車道を構成する長大橋

・新尾道大橋[本州・尾道~向島間]ハーブ型斜張橋(橋長546m)
・因島大橋[向島(向島IC)~因島(因島北IC)間]吊橋(橋長1270 m
・生口橋[因島(因島南IC)~生口島(生口島北IC)]斜張橋(橋長790m)
・多々羅大橋[生口島(生口島南IC) - 大三島(大三島IC)間]斜張橋(橋長1,480m)
・大三島橋[大三島(大三島IC) - 伯方島(伯方島IC)間]アーチ橋(橋長328m)
・伯方・大島大橋[伯方島(伯方島IC) - 大島(大島北IC)間]桁橋(伯方橋)+吊橋(大島大橋)の複合橋(橋長325m+840m)
・来島海峡大橋[大島(大島南IC) - 四国・今治(今治北IC)間]来島海峡第一大橋、来島海峡第二大橋、来島海峡第三大橋から成る三連吊橋(橋長、第一が960m、第二が1,515m、第三が1,570m)

☆日本における戦後の長大橋建設略年表

・1955年(昭和30) 長崎県の西海橋(アーチ橋:アーチ支間216m)
・1961年(昭和36) 徳島県鳴門市の小鳴門橋(吊り橋:中央径間160m)
・1962年(昭和37) 福岡県北九州市の若戸大橋(吊り橋:中央径間367m)
・1973年(昭和48) 福岡県北九州市・山口県下関市の関門橋(吊り橋:中央径間712m)
・1979年(昭和54) 愛媛県今治市の大三島橋(アーチ橋:アーチ支間297m)現在アーチ橋では日本3位
・1983年(昭和58) 広島県尾道市の因島大橋(吊り橋:中央径間770m)
・1985年(昭和60) 徳島県鳴門市・兵庫県南あわじ市の大鳴門橋(吊り橋:中央径間876m)
・1988年(昭和63) 香川県坂出市の南備讃瀬戸大橋(吊り橋:中央径間1,100m)現在吊り橋では日本2位
・1988年(昭和63) 香川県坂出市の北備讃瀬戸大橋(吊り橋:中央径間990m)
・1988年(昭和63) 岡山県倉敷市・香川県坂出市の下津井瀬戸大橋(吊り橋:中央径間940m)
・1988年(昭和63) 広島県尾道市・愛媛県今治市の大島大橋(吊り橋:中央径間560m)
・1993年(平成5) 東京都の東京港連絡橋<レインボーブリッジ>(吊り橋:中央径間570m)
・1994年(平成6) 大阪府大阪市の新木津川大橋(アーチ橋:アーチ支間308m)現在アーチ橋では日本2位
・1998年(平成10) 愛媛県今治市の伯方・大島大橋(桁橋+吊り橋:橋長1,230m)
・1998年(平成10) 兵庫県の明石海峡大橋(吊り橋:中央径間1,991m)現在吊り橋では日本1位
・1998年(平成10) 北海道室蘭市の白鳥大橋(吊り橋:中央径間720m)
・1999年(平成11) 愛媛県今治市の来島海峡第三大橋(吊り橋:中央径間1,030m)現在吊り橋では日本3位
・1999年(平成11) 愛媛県今治市の来島海峡第二大橋(吊り橋:中央径間1,020m)
・2000年(平成12) 広島県呉市の安芸灘大橋(吊り橋:中央径間750m)
・2008年(平成20) 広島県呉市の豊島大橋(吊り橋:中央径間540m)
・2011年(平成23) 広島県三原市の広島空港大橋(アーチ橋:アーチ支間380m)現在アーチ橋では日本1位

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)民撰議院設立建白書が出される詳細
1885年(明治18)思想家・作家・ジャーナリスト・社会運動家大杉栄の誕生日詳細
1943年(昭和18)戦費捻出目的でたばこが大幅値上げ(金鵄10銭→15銭、ひかり18銭→30銭、朝日25銭→45銭)される詳細
1944年(昭和19)「緊急国民勤労動員方策要綱」が閣議決定される詳細
1995年(平成7)兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が起き、死者・行方不明者 6,437人を出す詳細
2017年(平成29)発生生物学者・生物科学の権威岡田節人の命日詳細
2019年(平成31)物理学者米沢富美子の命日詳細
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oomishimabashi01

 今日は、昭和時代後期の1979年(昭和54)に、本州四国連絡橋計画の最初として、アーチ橋の大三島橋が完成(翌日から供用開始)した日です。
 大三島橋(おおみしまばし)は、現在の愛媛県今治市に属する伯方島と大三島間に架かるアーチ橋で、本州四国連絡橋計画の最初として完成しました。地域開発橋の名目で、1975年(昭和50)に着工し、4年の歳月をかけて竣工しましたが、現在は、しまなみ海道(西瀬戸自動車道、国道317号バイパス)の一部を構成し、形式は、単径間ソリッドリブ2ヒンジアーチ橋、橋長328m、アーチ支間長297m、桁下高26m(略最高高潮面より)となっています。
 当時、アーチ橋としては日本一の長さ(アーチ支間長比較)で、1994年(平成6)に大阪府大阪市の新木津川大橋が開通するまでその地位にあり、現在は日本3位となりました。暫定2車線で、設計速度は80km/h(規制速度70km/h)ですが、自転車歩行者道が設けられているのが特徴です。
 とても美しいアーチ橋で、橋の大三島側にある鼻栗瀬戸展望台などから橋を眺めるのがお勧めとされてきました。

〇西瀬戸自動車道とは?

 平成時代の2006年(平成18)に全通した、本州四国連絡橋ルートの一つで、瀬戸大橋、神戸淡路鳴門自動車道につぐ三番目として、瀬戸内海の島伝いに10本の橋をつないで、広島県尾道市と愛媛県今治市間59・4kmを結んでいます。
 1955年(昭和30)の宇高連絡船「紫雲丸」事故により、修学旅行の学童を中心とした168名が死亡するなどの海難事故を契機に、本州と四国間の架橋実現の要望が高まり、建設省(現在の国土交通省)や国鉄(現在のJR)などが本格的な架橋実現のための調査を開始しました。1970年(昭和45)に、実施機関として本州四国連絡橋公団が設置され、工事着工に向けての準備が進められて、一端1973年(昭和48)11月25日に、神戸~鳴門ルート、児島~坂出ルートとともに、3ルートの同時着工式が予定されましたが、世界的なオイルショックにより、無期延期されます。
 その後、地域開発橋の名目で、1975年(昭和50)に、大三島橋(1979年完成)が着工、続いて、1977年(昭和52)に因島大橋着工(1983年完成)、1981年(昭和56)に伯方・大島大橋着工(1988年完成)、1986年(昭和61)に生口橋着工(1991年完成)、1990年(平成2)多々羅大橋着工(1999年完成)、1993年(平成5)に新尾道大橋着工(1999年完成)、1988年(平成10)に来島海峡大橋の3橋が着工(1999年完成)と順次建設されていきました。1999年(平成11)5月1日には、新尾道大橋、多々羅大橋、来島海峡大橋(3橋)の開通により、本四連絡橋・尾道今治ルート(愛称:しまなみ海道)は、生口島内の高速道路を除いて、繋がります。
 それも、6年後に生口島北IC~生口島南IC(生口島道路)が完成して、西瀬戸自動車道の全通となりました。海峡部の橋梁として新尾道大橋、因島大橋、生口橋、多々羅大橋、大三島橋、伯方・大島大橋(伯方橋、大島大橋)、来島海峡大橋(来島海峡第一大橋・来島海峡第二大橋・来島海峡第三大橋)の10本が建設され、総事業費は約7,800億円かかっています。
 本四連絡橋では唯一、歩行者・自転車専用道が併設され、徒歩や自転車、原動機付き自転車での利用もできるのが特徴とされてきました。

☆日本における戦後の長大橋建設略年表

・1955年(昭和30) 長崎県の西海橋(アーチ橋:アーチ支間216m)
・1961年(昭和36) 徳島県鳴門市の小鳴門橋(吊り橋:中央径間160m)
・1962年(昭和37) 福岡県北九州市の若戸大橋(吊り橋:中央径間367m)
・1973年(昭和48) 福岡県北九州市・山口県下関市の関門橋(吊り橋:中央径間712m)
・1979年(昭和54) 愛媛県今治市の大三島橋(アーチ橋:アーチ支間297m)現在アーチ橋では日本3位
・1983年(昭和58) 広島県尾道市の因島大橋(吊り橋:中央径間770m)
・1985年(昭和60) 徳島県鳴門市・兵庫県南あわじ市の大鳴門橋(吊り橋:中央径間876m)
・1988年(昭和63) 香川県坂出市の南備讃瀬戸大橋(吊り橋:中央径間1,100m)現在吊り橋では日本2位
・1988年(昭和63) 香川県坂出市の北備讃瀬戸大橋(吊り橋:中央径間990m)
・1988年(昭和63) 岡山県倉敷市・香川県坂出市の下津井瀬戸大橋(吊り橋:中央径間940m)
・1988年(昭和63) 広島県尾道市・愛媛県今治市の大島大橋(吊り橋:中央径間560m)
・1993年(平成5) 東京都の東京港連絡橋<レインボーブリッジ>(吊り橋:中央径間570m)
・1994年(平成6) 大阪府大阪市の新木津川大橋(アーチ橋:アーチ支間308m)現在アーチ橋では日本2位
・1998年(平成10) 兵庫県の明石海峡大橋(吊り橋:中央径間1,991m)現在吊り橋では日本1位
・1998年(平成10) 北海道室蘭市の白鳥大橋(吊り橋:中央径間720m)
・1999年(平成11) 愛媛県今治市の来島海峡第三大橋(吊り橋:中央径間1,030m)現在吊り橋では日本3位
・1999年(平成11) 愛媛県今治市の来島海峡第二大橋(吊り橋:中央径間1,020m)
・2000年(平成12) 広島県呉市の安芸灘大橋(吊り橋:中央径間750m)
・2008年(平成20) 広島県呉市の豊島大橋(吊り橋:中央径間540m)
・2011年(平成23) 広島県三原市の広島空港大橋(アーチ橋:アーチ支間380m)現在アーチ橋では日本1位

☆日本のアーチ橋長さベスト5

①広島空港大橋(広島県)アーチ支間:380m[2011年完成] 
 形式 - 上路式鋼ブレースドリブ固定アーチ
②新木津川大橋(大阪府)アーチ支間:305m[1994年完成] 
 形式 - 中路式3径間連続鋼バスケットハンドル型ニールセンローゼ
③大三島橋(愛媛県)アーチ支間:297m[1979年完成] 
 形式 - 中路式鋼ソリッドリブ2ヒンジアーチ
④夢舞大橋(大阪府)アーチ支間:280m[2001年完成] 
 形式 - 中路式鋼ローゼ(浮体式旋回可動橋)
④第二音戸大橋(広島県)アーチ支間:280m[2013年完成] 
 形式 - 中路式鋼ニールセンローゼ

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1534年(天文3)戦国大名織田信長の誕生日(新暦6月23日)詳細
1698年(元禄11)儒学者・蘭学者青木昆陽の誕生日(新暦6月19日)詳細
1925年(大正14)治安維持法」が施行される

詳細

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