
1921年(大正10)に、ガントレット恒子、久布白落実らによって、日本婦人参政権協会(後に日本基督教婦人参政権協会)が結成され、婦人参政権運動(婦人運動)を展開、1922年(大正11)には、女性の集会の自由を阻んでいた「治安警察法」第5条2項が改正されました。1923年(大正12)に婦人参政同盟〔日本婦人協会〕〈理事山根キク〉、1924年(大正13)には、婦人参政権獲得期成同盟会(後に婦選獲得同盟と改称)が結成されます。
しかし、1925年(大正14)に普通選挙が実現したものの、男子のみの納税差別のない選挙権しか認められませんでした。1929年(昭和4)3月15日ん女性参政権を求める集会「東京市政浄デー」が開催され、1931年(昭和6)には、婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過しましたが、貴族院の反対で廃案に追い込まれています。
1932年(昭和7)に無産婦人団体を含む4団体で「婦選団体連合委員会」が組織され、全国一斉に第1回婦選デーを開催、1933年(昭和8)には、「弁護士法」が改正され、婦人弁護士制度が制定されました。太平洋戦争後の1945年(昭和20)8月25日に、市川房枝らによる「戦後対策婦人委員会」が結成され、「衆議院議員選挙法」の改正や「治安警察法」廃止等を求めた五項目の決議を、政府(東久邇宮内閣)及び主要政党に提出します。
同年10月10日に、幣原内閣では、GHQの「指示に先じて施策する」として、婦人参政権に関する閣議決定が独自になされ、11月3日には、婦人参政権獲得を目的とし、「新日本婦人同盟」(会長市川房枝、後に日本婦人有権者同盟と改称)が創立され、婦人参政権運動を再開しました。そして、11月21日に勅令により「治安警察法」が廃止され、女性の結社権が認められ、12月17日に「衆議院議員選挙法改正」公布により、女性の国政参加が認められ、翌年9月27日に、地方制度改正により、女性の地方参政権が実現しています。
それにより、1946年(昭和21)4月10日に、戦後初(かつ帝国議会最後)の衆議院選挙(第22回衆議院議員総選挙)の結果、日本初の女性議員39名が誕生しました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1164年(長寛2) | 後白河院が平清盛に造営させた蓮華王院(三十三間堂)の落慶法要が行なわれる(新暦1165年1月30日) | 詳細 |
1701年(元禄14) | 第114代の天皇とされる中御門天皇の誕生日(新暦1702年1月14日) | 詳細 |
1709年(宝永6) | 第113代の天皇とされる東山天皇の命日(新暦1710年1月16日) | 詳細 |
1902年(明治35) | 小学校教科書の採定をめぐる府県担当官と教科書会社の贈収賄事件(教科書疑獄事件)が発覚する | 詳細 |
1938年(昭和13) | 日本画家小川芋銭の命日 | 詳細 |
1947年(昭和22) | 国家地方警察と自治体警察を設置する「旧警察法」が公布(施行は翌年3月6日)される | 詳細 |
1957年(昭和32) | 恩賜上野動物園内に常設では日本初のモノレールが開業する | 詳細 |