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 今日は、飛鳥時代の646年(大化2)に、孝徳天皇が「薄葬令」を発した日ですが、新暦では4月12日となります。
 「薄葬令(はくそうれい)」は、大化の改新の一環として、民衆の負担軽減のため、身分に応じて墳墓や葬儀の規模に制限を加えた勅令でした。その内容は、①必要以上に大きな墳墓を造る事は 民衆の貧窮を招くと警告し、②死者の身分により墳墓を造る夫役の延べ人数の上限を定め、③一般階級の遺体は 一定の墓地に集めて埋葬することとし、④殯(もがり)や、人馬の殉死、殉葬、宝物を副葬することを禁じたものです。
 王 (皇族) 以上、上臣 (大臣)、下臣 (大徳・小徳)、大仁・小仁、大礼~小智、庶民 (無位者) の6等級の身分に応じて、玄室・封土の大小、役丁の多少、日数、葬具の種類を規定していて、身分制度の確立を目ざしたものとも考えられてきました。薄葬政策は、その後も何度か発令されましたので、「大化の薄葬令」とも呼ばれて区別されています。

〇「薄葬令」(『日本書紀』[卜部兼方・兼右本]巻第25 孝徳天皇2年の条)

<原文>

甲申、詔曰。朕聞、西土之君戒其民曰。古之葬者因高爲墓、不封不樹、棺槨足以朽骨、衣衿足以朽宍而已。故、吾營此丘墟・不食之地、欲使易代之後不知其所。無藏金銀銅鐵、一以瓦器、合古塗車・蒭靈之義。棺漆際會三過、飯含無以珠玉、無施珠襦玉柙。諸愚俗所爲也。又曰。夫葬者藏也、欲人之不得見也。

廼者、我民貧絶、專由營墓。爰陳其制、尊卑使別。夫王以上之墓者、其內長九尺・濶五尺、其外域方九尋・高五尋、役一千人・七日使訖、其葬時帷帳等用白布、有轜車。上臣之墓者、其內長濶及高皆准於上、其外域・方七尋・高三尋、役五百人・五日使訖、其葬時帷帳等用白布、擔而行之(蓋此以肩擔輿而送之乎)。下臣之墓者、其內長濶及高皆准於上、其外域・方五尋・高二尋半、役二百五十人・三日使訖、其葬時帷帳等用白布、亦准於上。大仁・小仁之墓者、其內長九尺・高濶各四尺、不封使平、役一百人・一日使訖。大禮以下小智以上之墓者、皆准大仁、役五十人・一日使訖。凡王以下小智以上之墓者、宜用小石、其帷帳等宜用白布。庶民亡時、收埋於地、其帷帳等可用麁布、一日莫停。凡王以下及至庶民、不得營殯。凡自畿內及諸国等、宜定一所而使收埋、不得汚穢散埋處々。凡人死亡之時、若經自殉・或絞人殉及强殉亡人之馬・或爲亡人藏寶於墓・或爲亡人斷髮刺股而誄、如此舊俗一皆悉斷(或本云、無藏金銀錦綾五綵。又曰、凡自諸臣及至于民、不得用金銀)。縱有違詔、犯所禁者、必罪其族。

<読み下し文>

甲申、詔して曰く。朕聞く、西土[1]の君其の民を戒めて曰く、古への葬は高きに因りて墓と爲す、封かず樹ゑず[2]、棺槨[3]は以て骨を朽すに足り、衣衿[4]は以て宍[5]を朽すに足るのみ。故れ、吾れ此の丘墟[6]・不食[7]なる地を營りて、代を易へむ後に其の所を知らざらしめむ欲す。無金銀銅鐵を藏むること、一に瓦器[8]を以て、古の塗車[9]・蒭靈[10]の義に合へ、棺は際會に漆り、三たび過よ。飯含むるに珠玉[11]をもってすることなけれ、珠の襦[12]、玉の柙[13]を施くこと無れ。諸の愚俗[14]の爲る所なり。又曰く、夫れ葬は藏なり、人の不見ることを得ざらむことを欲す。

廼者、我が民の貧絶しきこと、專墓[15]を營るに由る。爰に其の制を陳べて、尊卑[16]別あらしむ。夫れ王[17]より以上の墓は、其の內[18]の長さ九尺・濶さ[19]五尺、其の外域は方九尋[20]・高さ五尋[20]、役[21]一千人・七日に訖らしめて[22]、其の葬らむ時の帷帳[23]等には白布を用ゐよ、轜車[24]有れ。上臣の墓は、其の內[18]の長さ濶さ[19]及び高さは皆上に准へ[25]よ、其の外域・方七尋[20]・高さ三尋[20]、役[21]五百人・五日に訖らしめ[22]、其の葬らむ時の帷帳[23]等には白布を用ゐよ、擔ひて[26]行け(蓋し此は肩を以て輿を擔ひて[26]送るか)。下臣の墓は、其の內[18]の長さ濶さ[19]及び高さは皆上に准へ[25]よ、其の外域・方五尋[20]・高さ二尋[20]半、役[21]二百五十人・三日に訖らしめ[22]、其の葬らむ時の帷帳[23]等には白布を用ゐること、亦た上に准へ[25]よ。大仁[27]・小仁[28]の墓は、其の內[18]の長さ九尺・高さ濶さ[19]各四尺、封つかずして平かならしめ、役[21]一百人・一日に訖らしめ[22]よ。大禮[29]以下小智[30]以上の墓は、皆大仁[27]に准へ[25]、役[21]五十人・一日に訖らしめ[22]よ。凡そ王[17]以下小智[30]以上の墓は、宜しく小き石を用ゐよ、其の帷帳[23]等には宜しく白布を用ゐよ。庶民亡なむ時には、地に收め埋め、其の帷帳[23]等には麁布[31]を用ゐるべし、一日も莫停むること。凡そ王[17]以下及び庶民に至るまで、殯[32]を營ることを得じ。凡そ畿內[33]より諸国等に及ぶまで、宜しく一所に定めて收め埋めしめよ、汚穢しく處々に散らし埋むろことを得ず。凡そ人死亡ぬる時に、若しくは經ぎて自ら殉[34]ひ・或は人を絞きて殉[34]はしめ、及び强ちに亡人の馬を殉[34]へ・或は亡したる人の爲めに寶を墓に藏め・或は亡したる人の爲めに髮を斷り股を刺して誄[35]す、此の如き舊俗[36]は一に皆悉に斷めよ。(或本に云ふ、金銀、錦綾[37]、五綵[38]を藏むること無かれ。又曰く、凡そ諸臣より民に及至るまで、金銀を用ゐることを得ず)。縱し詔に違ひて、禁むる所を犯す者有らば、必ず其の族を罪せむ。

【注釈】

[1]西土:もろこし=昔、日本から中国を呼んだ称。唐。唐土。
[2]封かず樹ゑず:つちつかずきうえず=封土も植樹もない。
[3]棺槨:かんかく=死体をおさめる箱。ひつぎ。
[4]衣衿:いきん=衣服。着物。
[5]宍:しし=にく。人体の肉。人間の肉体。
[6]丘墟:きゅうきょ=小高い丘で、墳丘のこと。
[7]不食:ふしょく=不毛。何も育てていない空地。
[8]瓦器:がき=素焼き土器の総称。かわらけ。
[9]塗車:くるまかた=死者の守りとしてともにほうむった土製の車。
[10]蒭靈:くさひとかた=草や藁で作った人形。藁人形。草のひとかた。
[11]珠玉:たま=宝石のこと。
[12]珠の襦:たまのこしころも=王様の服の上着。
[13]玉の柙:たまのはこ=王様の服の下。
[14]愚俗:ぐぞく=おろかな世俗。また、その人々。
[15]専墓:たかめはか=氏族のための墓。
[16]尊卑:そんぴ=身分などが尊いことと卑しいこと。貴賤(きせん)。
[17]王:みこ=皇族。
[18]内:うち=内部。ここでは玄室の意味。
[19]濶さ:ひろさ=幅の大きさ。巾。はば。
[20]尋:ひろ=両手を広げた長さ。
[21]役:え=人民に公の労務を課すこと。労役。夫役(ぶやく)。えだち。
[22]訖らしめ:おわらしめ=終わらせる。終えさせる。
[23]帷帳:いちょう=室内に垂れ下げて隔てとする布。とばり。垂れ絹。
[24]轜車:きぐるま=貴人の葬儀に、棺を載せて運ぶ車。きぐるま。喪車。
[25]准へ:なそへ=なぞらえる。準ずる。
[26]擔ひて:にないて=になう。かつぐ。引き受ける。
[27]大仁:だいじん=冠位十二階の一つ。第三番目の位。
[28]小仁:しょうじん=冠位十二階の一つ。第四番目の位。
[29]大禮:だいらい=冠位十二階の一つ。第五番目の位。
[30]小智:しょうち=冠位十二階の一つ。第一二番目の位。
[31]麁布:そふ=粗末な布。また、織目のあらい布。
[32]殯:もがり=本葬まで貴人の遺体を棺に納め仮に安置してまつること。
[33]畿內:きない=王城の周辺の地の意味。
[34]殉:したが/じゅん=死者の後を追って死ぬこと。殉死。。
[35]誄:しのびごと=死者を弔い、生前の業績などをたたえる言葉。弔辞。
[36]舊俗:きゅうぞく=昔からの風俗・習慣。旧習。
[37]錦綾:にしきあや=錦と綾。ともに美しく立派な絹織物。
[38]五綵:ごさい=五つのあや。五色模様。五様のいろどり。

<現代語訳>

(孝徳天皇2年の条)
3月22日、詔して言うのに、「私が聞くのに、中国の君主はその民を戒めて、『古代の葬式は高い丘陵を墓とした。土を盛り上げず、植樹もしない。ひつぎは骨が朽ち果てるくらいのもので足りる、衣服は人間の肉体が朽ち果てるくらいのもので足りる。従って、私の墳丘は不毛の土地に造営し、代替わりした後世には、その場所が知られないようにしてほしい。金・銀・銅・鉄を収めることは無きように。土器で、古代の車の形を作り・草で作った人形を収蔵してほしい。お棺の隙間に漆を塗るのは3年に一度でいい。死者の口に飯を含ませるのに、宝石を用いることは無きように。王様の服の上着と服の下を着せることの無きように。こういう諸々のことはおろかな世俗がすることだ。』と述べている。また言うのに、『その葬式は隠すことだ。人に見られないようにすることを欲する。』と。

この頃、我が人民の貧しさが絶しているのは、氏族のための墓を造営することによる。ここにその制度を設けて、身分が尊いものと卑しいものを分けておこう。皇族より以上の地位の墓は、その玄室の長さは9尺、巾は5尺。その外域は縦横は9尋、高さは5尋。労役させる民は1,000人。7日で終えさせなさい。葬る時の垂れ絹などには白い布を用いなさい。棺を載せて運ぶ車はあっていい。上臣の墓は玄室の長さと巾および高さは、みな上記に準ずる。その外域は縦横7尋、高さは3尋。労役させる民は500人で5日で終えさせなさい。その葬る時の垂れ絹などには白い布を用いなさい。(遺体は)担いで行け(思うにこれは肩を以て輿を担いで送ることか)。下臣の墓はその玄室の長さと巾および高さは、みな上記に準ずる。その外域は縦横5尋、高さは2尋半。労役させる民は250人。3日で終えさせなさい。その葬る時の垂れ絹などには白い布を用いること。また上記に準ずる。大仁・小仁の墓はその玄室の長さ9尺、高さと巾はそれぞれ4尺。土を盛り上げず、平らにしなさい。労役させる民は100人。1日で終えさせなさい。大礼より以下、小智より以上のものはみな、大仁に準ずる。労役させる民は50人。1日で終えさせなさい。すべての皇族より以下、小智よりも以上の墓では小さい石を用いなさい。その垂れ絹などは適宜白い布を用いなさい。庶民が亡くなった時は地中に埋めなさい。その垂れ絹には目の粗い布を用いなさい。1日も作業しないで終えなさい。皇族より以下、庶民に至るまで、殯を造営するしてはいけない。畿内から諸国に至るまで、場所を定めて、収め埋め、穢らわしくても、方々に散らして埋めてはならない。およそ人が死ぬ時に、自殺して殉死したり、人を絞め殺して殉死させたり、無理やりに死者の馬を殉死させたり、死者のために宝物を墓に納めたり、死者のために、髪を切ったり股を刺して、死者を弔い、生前の業績などをたたえる言葉をかけること。こう言った昔からの習俗は、一切、ことごとくやめなさい。(ある本では、金・銀・錦と綾・五色模様を藏めてもいけない。また言うことには、およそ諸臣より庶民に至るまで、金銀を使用してはならないとある。)もし、詔に背いて、禁令を犯すことがあれば、必ずその一族を罪に問う。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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