ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:菅原道眞

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 今日は、平安時代前期の893年(寛平5)に、菅原道眞撰と伝えられる『新撰万葉集』上巻が編纂された日ですが、新暦では11月7日となります。
 『新撰万葉集』(しんせんまんようしゅう)は、平安時代前期の菅原道真撰と伝えられ、歌合の歌をすべて万葉仮名で抄録し、それに訳詩を加えた私撰の詩歌集です。上巻は、893年(寛平5年9月25日)、下巻は、913年(延喜13年8月21日)の序があり、その頃の成立とされてきました。
 宇多天皇の時代(887~897年)の「寛平御時后宮歌合」歌を主体として、「是貞親王家歌合」などを加えて上・下両巻に分かち、それぞれ春・夏・秋・冬・恋(思)の五部立に編集してあり、242首を万葉仮名(真名体)で書き、左傍に七言絶句を配しています。『万葉集』から『古今和歌集』までの間の唯一の撰集で、仮名遣いに平安初期の古態を残し、和歌と漢詩の表出方法の異同を考える好資料とされてきました。
 以下に、『新撰万葉集』序を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇菅原道真(すがわら みちざね)とは?

 平安時代前期の学者・政治家です。845年(承和12)に、菅原是善の3男として生まれ。幼少の頃より詩歌に才能があったと言われてきました。
 862年(貞観4)に18歳で文章生となり、877年(元慶元)には、文章博士となります。以後、宇多天皇の信任を得て、藤原氏を抑えるために重用され、894年(寛平6)には、遣唐使に任ぜられましたが建議して、これを中止しました。
 899年(昌泰2)に、右大臣となりますが、左大臣藤原時平の中傷により、大宰権帥に左遷されます。そして、903年(延喜3)に大宰府において、59歳で亡くなりました。
 著作としては、詩文集に『菅家文草』、『菅家後集』、編著に『日本三代実録』、『類聚国史』などがあります。

☆『新撰万葉集』序

<原文>

夫萬葉集者、古歌之流也。非未嘗稱警策之名焉、況復不屑鄭衛之音乎。
聞説、古者、飛文染翰之士、興詠吟嘯之客、青春之時、玄冬之節、隨見而興既作、觸聆而感自生。凡、厥所草稿、不知幾千。漸尋筆墨之跡、文句錯乱、非詩非賦、字對雜揉、雖入難悟。所謂仰彌高、鑽彌堅者乎。然而、有意者進、無智者退而已。於是奉綸、綍鎍綜緝之外、更在人口、盡以撰集、成數十卷。装其要妙、韞匱待價。唯、媿非凡眼之所可及。
當今寬平聖主、萬機餘暇、舉宮而方、有事合歌。後進之詞人、近習之才子、各獻四時之歌、初成九重之宴。又有餘興、同加恋思之二詠。倩見歌體、雖誠見古知今、而以今比古。新作花也、舊製實也。以花比實、今人情彩剪錦、多述可憐之句、古人心緒織素、少綴不整之艶。仍左右上下両軸、惣二百有首、號曰、新撰萬葉集。先生、非啻賞倭歌之佳麗、兼亦綴一絶之詩、插數首之左。
庶幾使、家家好事、常有梁塵之動、處處遊客、鎮作行雲之遏。
于時寬平五載秋九月廿五日、偷盡前視之美、而解後世之願云爾。

<読み下し文>

夫れ萬葉集は、古歌の流(いずるところ)なり。未だ嘗って警策(けいさく)の名を稱えざるにあらざり、況(いはん)や復、鄭衛(ていえい)の音を屑(いさぎよ)しとせず。
説を聞くに、「古には、飛文染翰の士、興詠吟嘯の客、青春の時、玄冬の節、見るに隨(したが)ひて既に作を興し、聆(き)くを觸れるに感(おもひ)は自(おのづ)から生まれる。凡そ、厥(そ)の草稿は、幾千を知らず。漸(やくや)く筆墨の跡を尋ねるに、文句錯乱、詩に非ず賦に非ず、字對は雜揉し、雖(ただ)、入るに悟り難き。所謂、彌高(いやたか)を仰ぎ、鑽(きわめ)るに彌(いやいや)堅き者か。然而(しかるに)、意有る者は進み、智無き者は退き已(や)む。是に於いて綸を奉じ、綍鎍(ふつさく)綜緝(そうしゅう)の外、更に人の口に在るを、盡(ことごと)く以つて撰集し、數十卷と成す。其の要妙(ようみょう)を装ひ、匱(ひつ)に韞(おさ)め價(ひょうか)を待たん。唯、凡眼の及ぶべき所に非ずを媿(とがめ)む」と。
當今(とうきん)の寬平聖主、萬機(まんき)餘暇(よか)、宮の方を舉げ、事有るに歌を合す。後進の詞人、近習の才子、各(おのおの)、四時の歌を獻じ、初めて九重の宴を成す。又、餘興の有りて、同(ひと)しく恋と思の二詠を加ふ。倩(つらつら)、歌體(かたい)を見るに、雖(ただ)、誠(まこと)は古(いにしへ)に見み、今に知る。而して今を以ちて古(いにしへ)に比(なぞ)ふ。新(あらた)は花を作り、舊(ふるき)は實(み)を製(な)す。花を以ちて實に比ふ。今の人は情(こころ)を彩(いろ)り錦を剪(き)り、可憐の句を多述し、古(いにしへ)の人は心緒(こころを)を素(すなお)に織り、不整の艶を少綴す。仍ち、左右上下の両軸、惣ち二百有首、號して曰はく「新撰萬葉集」と。先生、啻(ただ)、倭歌の佳麗を賞(めで)るのみにあらず、兼ねて亦(また)一絶の詩を綴り、數首を左に插(はさ)む。
庶幾(しょき)をして家家の好事を使(なさ)しめ、常に梁塵の動有りて、處處の遊客、行雲の遏(しりぞ)き作すを鎮(とど)めむ。
于時(とき)、寬平五載秋九月廿五日、愈(いよいよ)、前視の美を盡(つく)し、而して後世の願ひを解(ひら)くと、云爾(しかいふ)。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

769年(神護景雲3)宇佐八幡宮神託事件が起きる(新暦10月28日)詳細
1075年(承保2)公卿・関白・太政大臣藤原教通の命日(新暦11月6日)詳細
1691年(元禄4)大和絵師・土佐派中興の祖土佐光起の命日(新暦11月14日)詳細
1829年(文政12)P.F.vonシーボルトがシーボルト事件で、国外追放処分を受ける(新暦10月22日)詳細
1936年(昭和11)「帝国在郷軍人会令」が公布され、私的機関だった帝国在郷軍人会が陸海軍所管の公的機関となる詳細
1954年(昭和29)日本中央競馬会(JRA)による中央競馬が、東京競馬場、京都競馬場において開催される詳細
1985年(昭和60)奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石室等の発堀について発表される詳細
2015年(平成27)第70回国連総会で「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が全会一致で採択される詳細
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 今日は、平安時代前期の892年(寛平4)に、菅原道真が『類聚国史』を撰進した日ですが、新暦では6月2日となります。
 類聚国史(るいじゅこくし、るいじゅうこくし)は、菅原道真が宇多天皇の勅を奉じて編集した、平安時代前期の歴史書でした。中国で流行した『芸文類聚』、『初学記』などの類書にならい、六国史(りっこくし)の記事を神祇・帝王・後宮・人・歳時・音楽・賞宴・奉献・政理・刑法・職官・文・田地・祥瑞・災異・仏道・風俗・殊俗など十数部の部門別に分類しなおして、検索の便をはかり、年代順に編集したものです。
 892年(寛平4)に完成・成立した当時は、本史200巻、目録2巻、帝王系図3巻からなっていましたが、応仁の乱で散逸したとされ、現存するのは本史61巻、抄出本1巻のみとなりました。原文主義をとって余計な文章の改変を一切排していて、六国史の記事検索に便利であり、『日本後紀』の欠を補う古代史研究の重要史料とされますが、『三代実録』関係の記事は後人の増補とする説もあります。

〇菅原道真(すがわら みちざね)とは?

 平安時代前期の学者・政治家です。845年(承和12)に、菅原是善の3男として生まれ、幼少の頃より詩歌に才能があったと言われています。862年(貞観4)に18歳で文章生となり、877年(元慶元)には、文章博士となりました。
 以後、宇多天皇の信任を得て、藤原氏を抑えるために重用され、894年(寛平6)には、遣唐使に任ぜられましたが建議して、これを中止します。899年(昌泰2)に、右大臣となりますが、左大臣藤原時平の中傷により、大宰権帥に左遷されました。
 そして、903年(延喜3)に大宰府において、59歳で亡くなっています。著作としては、詩文集に『菅家文草』、『菅家後集』、編著に『日本三代実録』、『類聚国史』などがあります。

☆六国史とは?

 奈良時代から平安時代前期に、編纂された以下の6つの官撰の正史のことで、おおむね編年体で記されています。
(1)『日本書紀』 720年(養老4)完成 撰者は、舎人親王 
  全30巻(他に系図1巻は失われた)で、神代から持統天皇まで(?~697年)を掲載する
(2)『続日本紀』 797年(延暦16)完成 撰者は、菅野真道・藤原継縄等
 全40巻で、文武天皇から桓武天皇まで(697~791年)を掲載する
(3)『日本後紀』 840年(承和7)完成 撰者は、藤原冬嗣・藤原緒嗣等
 全40巻(10巻分のみ現存)で、桓武天皇から淳和天皇まで(792~833年)を掲載する
(4)『続日本後紀』 869年(貞観11)完成 撰者は、藤原良房・春澄善縄等
  全20巻で、仁明天皇の代(833~850年)を掲載する
(5)『日本文徳天皇実録』 879年(元慶3)完成 撰者は、藤原基経・菅原是善・嶋田良臣等
  全10巻で、文徳天皇の代(850~858年)を掲載する
(6)『日本三代実録』 901年(延喜元)完成 撰者は、藤原時平・大蔵善行・菅原道真等
  全50巻で、清和天皇から光孝天皇まで(858~887年)を掲載する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1863年(文久3)長州藩が下関海峡に碇泊中のアメリカ商船に砲撃し、下関事件が始まる(新暦6月25日)詳細
1900年(明治33)鉄道唱歌』第一集東海道篇が発行される詳細
1930年(昭和5)日本画家下村観山の命日詳細
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