
1931年(昭和6)に同校を卒業後、アントニン・レーモンドに師事し、レイモンド建築設計事務所に勤め、モダニズム建築を体得、一方でレーモンドに日本建築を教授しました。1931年(昭和6)に帰米したアントニン・レーモンドに呼ばれ、アメリカに渡り、1940年(昭和15)に帰国、翌年には、吉村順三設計事務所を開設します。
1945年(昭和20)に東京美術学校(現在の東京芸術大学)の助教授となり、1949年(昭和24)の学制改革後、東京芸術大学建築科助教授となりました。1956年(昭和31)に国際文化会館(共同設計)で建築学会賞、ニューヨークの一連の作品でパーソン賞を受賞、1960年(昭和35)には、皇居新宮殿の設計者に選定され、基本設計を任されます。
1962年(昭和37)に東京芸術大学建築科教授に昇任し、和風と近代様式を折衷したモダニズム住宅を多く手掛け、多くの建築家を育てたものの、1970年(昭和45)には、東京芸術大学を退官し名誉教授となりました。1972年(昭和47)にジャパンハウスで、ニューヨーク建築家協会デザイン優秀賞、1975年(昭和50)に奈良国立博物館で、芸術院賞を受賞、1982年(昭和57)には、勲三等旭日中綬章を受章します。
1989年(平成元)に八ケ岳高原音楽教室で、第30回毎日芸術賞を受賞、1990年(平成2)に日本芸術院会員となりました。1994年(平成6)には、文化功労者ともなりましたが、1997年(平成9)4月11日に、東京都杉並区において、88歳で亡くなり、勲二等瑞宝章を追贈されています。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1751年(寛延4) | 浄瑠璃作者並木宗輔(千柳)の命日(新暦10月25日) | 詳細 |
1816年(文化13) | 浮世絵師・戯作者山東京伝の命日(新暦10月27日) | 詳細 |
1858年(安政5) | 尊攘派の小浜藩士・梅田雲濱が京都で捕縛され、安政の大獄が始まる(新暦10月13日) | 詳細 |
1871年(明治4) | 「田畑夫食取入ノ余ハ諸物品勝手作ヲ許ス」が出され、田畑勝手作許可がされる(新暦10月2日) | 詳細 |
1901年(明治34) | 清朝と日本を含む諸外国間で、義和団事件収拾のための最終議定書「北京議定書」に調印する | 詳細 |
1939年(昭和14) | 小説家泉鏡花の命日(泉鏡花忌) | 詳細 |