
この旅客機には、ボイスレコーダーとフライトレコーダーを搭載していなかったこともあり、事故調査委員会は墜落原因を特定することが出来なかったものの、調査報告書では、速度計の誤読あるいは故障等の推測原因を検討した上で、パイロットのミスを示唆していました。この事故により、同年2月4日に羽田沖墜落事故も起こしていた全日本空輸は、乗客からの信頼を喪失して経営困難に陥り、責任を取る形で、翌年に社長の岡崎嘉平太が辞任しています。また、当時の松山空港では、滑走路が1,200mしかないなど、地方空港の貧弱さが浮き彫りになり、この事故を契機に地方空港の滑走路の拡張・拡幅工事が進められたことにより、松山空港も現在では海面を埋め立てるなどして、滑走路が2,500mまで延長されました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1752年(宝暦2) | 浮世絵師・宮川派の祖宮川長春の命日(新暦12月18日) | 詳細 |
1904年(明治37) | 週刊「平民新聞」第53号に、日本初の翻訳された『共産党宣言』(第三章を除く)が掲載される | 詳細 |
1940年(昭和15) | 第4回御前会議において「支那事変処理要綱」が決定される | 詳細 |
1973年(昭和48) | 詩人・作詞家・作家サトーハチローの命日 | 詳細 |
1997年(平成9) | 北陸自動車道の新潟亀田~新潟空港が開通し、米原~新潟空港間が全通する | 詳細 |