ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:自由党

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 今日は、明治時代前期の1882年(明治15)に、福島事件により、自由党幹部河野広中ら同志連25人が府転覆容疑で逮捕された日です。
 福島事件(ふくしまじけん)は、自由民権運動の中で、福島県令三島通庸による福島自由党員・農民などが弾圧された事件です。1882年(明治15)2月に、福島県令に着任した三島通庸は、会津地方から新潟県、山形県、栃木県へ通じる県道(会津三方道路)の工事をさせるために、会津地方六郡下の15~60歳までの男女を、2年にわたり月一日人夫として働かせるか、一日につき男15銭、女10銭の人夫賃を出させると布告しました。
 同年4月に、三島県令は福島県会を召集したが出席せず、県会からの再三の出席要請を拒否しつつ、自由党の演説会等に対する弾圧を強化し、5月11日には、福島県会は23対22で全議案を総否決することを決議するに至ります。8月に、河野ら幹部は福島自由党の本拠地「無名館」(福島市)に集まり、そこで密かに「無名館血誓書」をつくり、9月末には、同盟者(訴訟委任状提出者)4,083人の代表70余人が会合「権利恢復規約書」と正副総理、訴訟委員を決定しました。
 10月に、同盟費提出者は7,000余人に達するに及んで、県当局は攻撃を本格化して、不服者を郡役所へ呼び出し、命令に従わない場合は土地を公売処分に付すると威嚇します。11月に、公売処分に抗議した原平蔵、三浦文治、訴訟委員宇田成一が逮捕されると、同月28日には、山刀・棍棒・熊手を手に千数百人の農民が弾正ヶ原に集まり、隊列を整え喜多方警察署におしかけ、警察官は抜刀し農民たちに切りかかり無理やり解散させられる喜多方事件が勃発しました。
 翌日から、東京都、福島県で自由党員と農民の一斉検挙が開始(2,000余人)され、12月1日には、無名館が巡査隊と福島監獄看守らにより包囲突入され、自由党幹部河野広中ら同志連25人が府転覆容疑で逮捕されます。翌年1月中旬に、「血誓書」が当局に発見され、「国家転覆」という目的が当局の機嫌を損ね、河野らは「国事犯」として裁かれることとなり、2月に指導者と目された57名が内乱陰謀の国事犯とされ、9月には、東京の高等法院の裁判に付され、河野に軽禁獄7年、他の5人に同6年の判決が出されました。

〇福島事件関係略年表

<1881年(明治14)>
・10月 自由党が結成されると、まもなく福島、会津にそれぞれ支部がつくられる

<1882年(明治15)>
・2月 福島県令に着任した三島通庸は、会津地方から新潟県、山形県、栃木県へ通じる県道(会津三方道路)の工事をさせるために、会津地方六郡下の15歳から60歳までの男女を、2年にわたり月一日人夫として働かせるか、一日につき男15銭、女10銭の人夫賃を出させると布告する
・4月 三島は福島県会を召集したが出席せず、県会からの再三の出席要請を拒否。他方,自由党の演説会等に対する弾圧を強化する
・5月11日 福島県会は23対22で全議案を総否決することを決議するに至る
・6月末 三島健令は、三方道路の路線査定を指示し、同時に代夫賃の徴収を郡長に命じる
・7月 会津6郡の臨時連合会開催を要求する
・8月1日 夜に河野ら幹部は福島自由党の本拠地「無名館」(福島市)に集まり、そこで密かに「無名館血誓書」をつくる
・8月末 宇田成一、中島友八らは秘密裡に会合をかさねて訴訟運動を方針とすることを決める
・9月末 同盟者(訴訟委任状提出者)4,083人の代表70余人が会合「権利恢復規約書」と正副総理、訴訟委員を決定する
・10月 同盟費提出者は7,000余人に達する
・10月末 県当局は攻撃を本格化して、不服者を郡役所へ呼び出し、命令に従わない場合は土地を公売処分に付すると威嚇する
・11月19日 公売処分に抗議した原平蔵、三浦文治が逮捕される
・11月24日 訴訟委員宇田成一が逮捕される
・11月28日 山刀・棍棒・熊手を手に千数百人の農民が弾正ヶ原に集まり、隊列を整え喜多方警察署におしかけ、警察官は抜刀し農民たちに切りかかり無理やり解散させる(喜多方事件)
・11月29日 東京都、福島県で自由党員と農民の一斉検挙が開始される(2,000余人)
・12月1日 無名館が巡査隊と福島監獄看守らにより包囲突入され、自由党幹部河野広中ら同志連25人が府転覆容疑で逮捕される

<1883年(明治16)>
・1月中旬 「血誓書」が当局に発見され、「国家転覆」という目的が当局の機嫌を損ね、河野らは「国事犯」として裁かれることとなる
・2月 指導者と目された57名が内乱陰謀の国事犯として高等法院へ送られる
・9月 東京の高等法院の裁判に付され、河野に軽禁獄7年、他の5人に同6年の判決が出される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1267年(文永4)第91代の天皇とされる後宇多天皇の誕生日(新暦12月17日)詳細
1903年(明治36)小説家小林多喜二の誕生日詳細
1910年(明治43)石川啄木著の第一歌集『一握の砂』が東雲堂書店より刊行される詳細
1934年(昭和9)東海道本線の丹那トンネル(熱海~函南)が開通する詳細
1941年(昭和16)昭和天皇臨席の第8回御前会議で「対英米蘭開戦の件」を決定する詳細
1952年(昭和27)石橋正二郎より寄贈を受けて、国立近代美術館(現在の東京国立近代美術館)が中央区京橋に開館する詳細
1959年(昭和34)南極の非軍事利用を取り決めた「南極条約」に、日・英・米など12ヶ国が調印する詳細
1977年(昭和52)小説家海音寺潮五郎の命日詳細
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 今日は、明治時代前期の1882年(明治15)に、自由党総理板垣退助が遊説先の岐阜県冨茂登村で斬りつけられ負傷する事件(岐阜事件)が起きた日です。
 岐阜事件(ぎふじけん)は、岐阜県冨茂登村において、自由党総理板垣退助が遊説先で、暴漢(相原尚褧)に襲われ負傷した事件で、板垣退助遭難事件とも呼ばれてきました。この日、板垣退助は、岐阜・金華山麓の中教院での懇親会に出席し、2時間にわたる演説を行なった後、午後6時頃、会場から宿舎に向かおうとしたところ、入口を出た瞬間に短刀を持った暴漢(相原尚褧)に襲われて格闘となり、胸や手などを負傷しています。
 この時に、板垣退助が「板垣死すとも自由は死せず」の言葉を発したと言われ、自由民権運動を象徴するものとして有名となりました。

〇板垣退助(いたがき たいすけ)とは?

 江戸時代後期の1837年(天保8)4月17日、高知城下中島町に生まれました。若い頃は、土佐藩における倒幕派の急先鋒となり、1865年(慶応元)3月京都において薩摩藩士小松帯刀、西郷隆盛らと薩土秘密倒幕同盟を結ぶ立て役者となります。
 戊辰戦争では土佐藩の大隊指令となり、東山道先鋒総督府参謀を命ぜられて、各地を転戦、会津城攻略においては指揮官として活躍しました。明治維新後は新政府の参議に任じられましたが、征韓論で破れ下野、1874年(明治7)に愛国公党を結成し、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣などと左院に民撰議院設立建白書を提出したものの、却下されます。
 また、高知へもどり、立志社を創設、自由民権運動を展開し、リーダー的存在となりました。1881年(明治14)自由党総裁となり、全国的に活動し、憲法発布、国会開設へと向かわせたことは有名です。
 1882年(明治15)4月6日、岐阜での遊説途上、刺客に襲われ、「板垣死すとも自由は死せじ」の名言を残しました。1884年(明治17)決断して自由党をいったん解党しましたが、1890年(明治23)の帝国議会開設後には、自由党を再結成して、党総理に就任することになります。
 1896年(明治29)第2次伊藤内閣の内務大臣となり、1898年(明治31)には、大隈重信と隈板内閣をつくり、内務大臣に就任しました。1900年(明治33)、立憲政友会の創立とともに政界を引退し、その後は社会改良運動につくしましたが、1919年(大正8)7月16日、83才で死去しています。
 尚、故郷の高知県に「高知市立自由民権記念館」が開設され、詳しい展示コーナーが設けられました。

〇自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)とは?

 明治時代前期に、藩閥政治に反対して、人民の自由と権利の伸長を要求した政治運動です。1874年(明治7)の板垣退助等による「民撰議院設立の建白書」の提出を契機に始まりました。
 それ以降、薩長藩閥政府による政治に対して、憲法の制定、議会の開設、地租の軽減、不平等条約改正の阻止、言論の自由や集会の自由の保障などの要求を掲げて運動が行われます。しかし、政府の「集会条例」や「保安条例」による徹底弾圧と自由党への懐柔策によって、運動は沈滞していきました。
 その中で、農民等が主役となった、福島事件や秩父事件などの自由民権運動の激化事件が起きることになりましたが、政府の激しい弾圧の下で、沈滞して終息します。

☆自由民権運動関係略年表

<1874年(明治7)>
・1月12日 板垣退助らが愛国公党を結成する  
・1月17日 板垣退助らが「民撰議院設立の建白書」を提出する
・2月1日 江藤新平・島義勇らが佐賀の乱を起こす
・4月16日 板垣退助らが立志社を設立する

<1875年(明治8)>
・2月22日 板垣退助らが大阪で自由民権運動の政治団体愛国社を結成する
・5月7日 「樺太・千島交換条約」が結ばれる 
・6月28日 「讒謗律」・「新聞紙条例」が制定される

<1876年(明治9)>
・2月26日 「日朝修好条規」が締結される
・10月 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱が起こる

<1877年(明治10)>
・2月15日 西南戦争が起きる
・6月9日 「立志社建白」を京都の行在所に提出する
・8月18日 立志社の片岡健吉らが逮捕される(高知の獄)

<1878年(明治11)>
・5月14日 大久保利通が暗殺される
・9月14日 大阪で愛国社再興大会が始まる
・9月20日 「愛国社再興合議書」を採択する

<1879年(明治12)>
・3月27日 琉球処分が行われ、琉球藩を沖縄県とする

<1880年(明治13)>
・3月17日 国会期成同盟が発足する   
・4月5日 「集会条例」を定めて、言論や集会を取りしまる
・このころから、自由民権運動が高揚しはじめる

<1881年(明治14)>
・7月 「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こる  
・9月 立志社が「日本憲法見込案」を出す
・10月11日 明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免される
・10月12日 「国会開設の勅諭」が出される
・10月18日 板垣退助らが自由党を結成する
・このころ、憲法制定論議が活発化し、各種の私擬憲法がつくられる

<1882年(明治15)>
・3月 伊藤博文ら、憲法調査のためヨーロッパへ行く
・4月6日 板垣退助が遊説先の岐阜県冨茂登村で斬りつけられ負傷する事件(岐阜事件)が起きる
・4月16日 大隈重信らが立憲改進党を結成する
・11月28日 福島事件(福島県)が起こる

<1883年(明治16)>
・3月20日 高田事件(新潟県)が起こる
・3月20日 立志社が解散する

<1884年(明治17)>
・5月 群馬事件(群馬県)が起こる
・9月23日 加波山事件(栃木・茨城県)が起こる
・10月29日 自由党が解党する
・10月31日 秩父事件(埼玉県)が起こる
・12月 名古屋事件(愛知県)が起こる
・12月 飯田事件(長野県)が起こる

<1885年(明治18)>
・11月 大阪事件(大阪府)が起こる

<1886年(明治19)>
・6月 静岡事件(静岡県)が起こる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1336年(建武3/延元元)第93代の天皇とされる後伏見天皇(持明院統)の命日(新暦5月17日)詳細
1722年(享保7)江戸幕府が「流地禁止令」を出す(新暦5月20日)詳細
1742年(寛保2)江戸幕府の成文法「公事方御定書」上下2巻が一応完成する(新暦5月10日)詳細
1823年(文政6)狂歌三大家の一人とされる狂歌師・戯作者・御家人大田南畝の命日(新暦5月16日)詳細
1921年(大正10)東京の大正浅草大火で、負傷者544名、全焼1,227戸、半焼73戸を出す詳細
2017年(平成29)「城の日」を記念して、日本城郭協会より「続日本100名城」が発表される詳細
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 今日は、明治時代前期の1881年(明治14)に、日本で最初の全国的政党である自由党が結成された日です。
 自由党(じゆうとう)は、自由民権運動隆盛の頃に、国会期成同盟の中から板垣退助、中島信行、後藤象二郎、末広重恭、馬場辰猪らが結成した日本で最初の全国的政党でした。
 国会開設運動が全国的に高揚する中、全国に拡大した運動の組織強化のため、国会期成同盟を改組して自由主義を標榜する政党を組織する機運が高まります。一方で、国会論,財政論の対立の中、1881年(明治14)7月に「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こり、10月11日に明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免され、翌日に「国会開設の勅諭」が出されました。
 これによって、国会開設の目的が達成されたと考え、自由党結成へと向かい、10月18日に、浅草井生村楼で地方出身者と反沼間派の都市出身者によって創立大会を開催します。同月29日には、自由党盟約、自由党規約、人事などを定め、初代総理(党首)は板垣退助、副総理に中島信行、常議員に馬場辰猪・末広重恭・後藤象二郎・竹内綱、幹事に林包明・山際七司・内藤魯一・大石正巳・林正明が就任しました。
 盟約には、自由拡充、権利保全、幸福増進、社会改良、立憲政体の確立などを掲げ、自由民権運動の中核として活動します。中央機関紙『自由新聞』を発行、薩長両藩出身者が支配する藩閥政府と対決、自由民権の伸長、地租軽減、条約改正などを要求して、各地で急速に勢力を伸ばしました。
 しかし、1882年(明治15)6月に、突然の「集会条例」改正による地方部の解体や12月の福島事件、翌年3月の高田事件などの政府の激しい弾圧、不況による資金不足、板垣の外遊をめぐる党内抗争などが起こります。そして、1884年(明治17)9月の加波山事件によって解党論が高まり、10月29日ついに大阪での解党大会に追込まれました。
 以下に、自由党結成時の「自由党盟約」、「自由党規約」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「自由党盟約」 1881年(明治14)10月

  自由党盟約

第一章 吾党は自由を拡充し、権利を保全し、幸福を増進し、社会の改良を 図るべし。
第二章 吾党は善良なる立憲政体を確立することに尽力すへし。
第三章 吾党は日本国に於て吾党と主義を共にし、目的を同くする者と一致 協力して、以て吾党の目的を達すべし。

  自由党規則

第一章 東京に中央本部を設け地方に地方部を置く、其地方部は各自地方の名称により自由党何部何某と称すべし。
第二章 党中に於て総理(一名)副総理(一名)常議員(若干名)幹事(五名)を公選し、自由党全体に係る事務を管理せしむ其任期は各一年とす。
第三章 正副総理は通常会并に臨時会に於て決定せし事件を実行す。
第四章 常議員は党中の利害に関する重要なる事件を評議す。
第五章 幹事は会計及び党員の出入、文書の往復、所有品の監護等の諸事を分掌す。
第六章 常備委員は本部の議事に参し、及び本部の事業を翼賛し、各地方を巡回す。
第七章 総理并に常議員は、給料なし幹事以下の役員には定むる所の手当金を与ふ。
第八章 凡そ役員は再三の選に当るを得。
第九章 地方部は中央本部に対する部理一名を置く。其他の役員は潭て地方の便宜に任す。
第十章 地方部に於ては毎年六月十二月両度其地方党衆の名簿を調査し、其加除増減を明にして中央本部に送達すぺし。
第十一章 吾党と主義を同くし、新に党衆たらんとする者は、其住所若くは寄留地なる地方部に於て、其人の族籍・姓名・身分を査察し、然る後之を容す可し。
第十二章 党中を脱せんとする者は其理由を詳記したる書面を以て本人の住所・寄留地なる地方部に届出つ可し。
第十三章 毎年十月地方部より代議員を出して、大会議を東京に開く、其議会に列る議員は一小圑結に付五名以下とす。
第十四章 大会議に於ては、党中一般に係り創起すべき事件施行す可き事件を議定す。
     大会議に於ては、本部役員の改選を為す。
     大会議に於ては、総理并に幹事より前年度に在て施行したる事件及び会計の決算報告を受け、翌年度の会計予算を議決す。
第十五章 緊要なる事件の通常会議の期を待ち難き者ある時は、総理は臨時に各地方部の代議人を招集して会議を開く事ある可し。

  国立国会図書館デジタルコレコレクション「自由党盟約」より

  ※縦書きの原文を横書き、旧字を新字、片仮名を平仮名とし、句読点を付してあります。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1898年(明治31)安部磯雄・片山潜・幸徳秋水らが社会主義研究会(後の社会主義協会)を結成する詳細
1939年(昭和14)価格等統制令」が公布され、物価などの価格が統制される詳細
1945年(昭和20)小説家葉山嘉樹の命日詳細
1955年(昭和30)長崎県大村湾口に当時日本一長さ(支間長:216m)の西海橋が開通する詳細


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 今日は、明治時代前期の1884年(明治17)に、自由民権運動の激化事件の一つ加波山事件が起きた日です。
 加波山事件(かばさんじけん)は、福島県令三島通庸(みしまみちつね)と政府高官の暗殺を計画して、自由党急進派が茨城県加波山に蜂起した事件でした。1882年(明治15)以来のいわゆる松方デフレ政策よによる米価の暴落と増税による、中・貧農層の急激な没落を背景に、福島県令三島通庸の自由民権運動弾圧を契機としています。
 1882年(明治15)の福島事件で弾圧された後、翌年4月に釈放された河野広体(こうのひろみ)、小針重雄(こばりしげお)、三浦文治(みうらぶんじ)ら若き福島自由党員は、宿敵の福島県令三島通庸を暗殺しようと計画して上京、政府転覆を企てていた栃木県自由党員鯉沼九八郎らと結び大臣顕官の暗殺を計画しました。9月に栃木県庁落成時に集まる予定となっていた、三島通庸県令や太政大臣三条実美らを爆殺する計画でしたが、鯉沼九八郎が爆弾を製造中に誤爆して、計画が明らかになります。
 そこで、茨城県の加波山山頂付近に立てこもり、9月23日に「圧制政府転覆」「自由の魁」等の旗を掲げて16名が決起、下山して警察署を襲撃、次いで宇都宮の県庁を襲う途中警官と交戦、多数が検挙され、数日で鎮圧されました。その後の裁判の結果、小針、三浦ら7名が死刑、河野ら7名が無期徒役(他に戦死1名、公判前死去1名)となっています。

〇自由民権運動とは?

 明治時代前期、1874年(明治7)の板垣退助等による「民撰議院設立の建白書」の提出を契機に自由民権運動が始まりました。それ以降、薩長藩閥政府による政治に対して、憲法の制定、議会の開設、地租の軽減、不平等条約改正の阻止、言論の自由や集会の自由の保障などの要求を掲げて運動が行われました。しかし、政府の「集会条例」や「保安条例」による徹底弾圧と自由党への懐柔策によって、運動は沈滞していきます。その中で、農民等が主役となった、福島事件や秩父事件などの自由民権運動の激化事件がおきることになりました。

☆自由民権運動関係略年表

<1874年(明治7)>
・1月12日 板垣退助らが愛国公党を結成する  
・1月17日 板垣退助らが「民撰議院設立の建白書」を提出する
・2月1日 江藤新平・島義勇らが佐賀の乱を起こす
・4月 板垣退助らが立志社を設立する

<1875年(明治8)>
・5月7日 「樺太・千島交換条約」が結ばれる 
・6月28日 「讒謗律」・「新聞紙条例」が制定される

<1876年(明治9)>
・2月26日 「日朝修好条規」が締結される
・10月 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱が起こる

<1877年(明治10)>
・2月15日 西南戦争が起きる
・6月9日 「立志社建白」を京都の行在所に提出する
・8月18日 立志社の片岡健吉らが逮捕される(高知の獄)

<1878年(明治11)>
・5月14日 大久保利通が暗殺される

<1879年(明治12)>
・3月27日 琉球処分が行われ、琉球藩を沖縄県とする

<1880年(明治13)>
・3月17日 国会期成同盟が発足する   
・4月5日 「集会条例」を定めて、言論や集会を取りしまる
  このころから、自由民権運動が高揚しはじめる

<1881年(明治14)>
・7月 「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こる  
・9月 立志社が「日本憲法見込案」を出す
・10月11日 明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免される
・10月12日 「国会開設の勅諭」が出される
・10月18日 板垣退助らが自由党を結成する
  このころ、憲法制定論議が活発化し、各種の私擬憲法がつくられる

<1882年(明治15)>
・3月 伊藤博文ら、憲法調査のためヨーロッパへ行く
・4月16日 大隈重信らが立憲改進党を結成する
・11月28日 福島事件(福島県)が起こる

<1883年(明治16)
・3月20日 高田事件(新潟県)が起こる
・3月20日 立志社が解散する 

<1884年(明治17)>
・5月 群馬事件(群馬県)が起こる
・9月23日 加波山事件(栃木・茨城県)が起こる
・10月29日 自由党が解党する
・10月31日 秩父事件(埼玉県)が起こる
・12月 名古屋事件(愛知県)が起こる
・12月 飯田事件(長野県)が起こる

<1885年(明治18)>
・11月 大阪事件(大阪府)が起こる

<1886年(明治19)>
・6月 静岡事件(静岡県)が起こる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1790年(寛政2)前句付点者柄井川柳の命日(新暦10月30日)詳細
1832年(天保3)儒学者・詩人頼山陽の命日詳細
1871年(明治4)思想家・社会運動家幸徳秋水の誕生日(新暦11月5日)詳細


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 今日は、明治時代前期の1880年(明治13)に、「国会期成同盟」が発足した日です。
 「国会期成同盟(こっかいきせいどうめい)」は、日本の国会開設運動で中心的な役割を果たした政治結社で、自由党の母体ともなりました。1875年(明治8)に、自由民権運動の連合組織として結成された「愛国社」(一度解体して1878年再興)が発展し、1880年(明治13)3月15日に開催された第4回大会で、「愛国社」加盟の各結社のほか多数の全国有志が参加する組織として、同月17日に「国会期成同盟」が発足します。
 同年4月8日に2府22県、9万6924人の委託を受けた「国会を開設するの允可(いんか)を上願する書」を起草し、片岡健吉と河野広中が代表で、太政官と元老院に提出しましたが、両方とも受理されませんでした。逆に、4月5日に太政官布告として「集会条例」を発して、自由民権運動を圧迫、弾圧します。
 これに憤慨した全国各地の自由民権派は、次々に請願や建白の運動を始めましたが、どれも却下されるか、回答を得ることができませんでした。翌年7月に「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こり、10月11日に明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免され、翌日に「国会開設の勅諭」が出されます。
 これによって、目的が達成されたと考え、自由党結成への準備会と合流し、政党組織(自由党)へと変わっていきました。

〇「国会を開設するの允可を上願する書」

 日本国民臣片岡健吉、臣河野広中等、敢て尊厳を畏れず茲に謹て恭しく我天皇陛下に願望する所あらんとす。臣等我国の在て国会開設を望むこと既に久しく、其之を望む所以も亦一ならざる也。故に臣等は今先之を上陳せん。夫れ天の斯民を生ずる也、之に賦するに自由の性を以てし其をして至高の福祉を享受せしむ。凡そ人間たる者、豈に此本性を保存して其□を完ふせざる可けん哉。抑人間の責任も亦重大矣哉。蓋人民の国家を結び政法を立つるも、亦其本分を尽し、その通義を達せんとするに在る耳。然るに我国の如きは、古来政府にして独り国政に任じ、人民も亦曽て自ら之に関与すること無く、自ら焉を知らざるものの如くせり。豈に是れ斯を可矣とせん哉。蓋斯くの如きは則是其自主人たるの力を空ふし、一国民たるのは権義をかくの理にして、真に耻づ可きも亦太甚矣也。故に臣等は今に在て中心之を愧ぢ且つ憾む。焉んぞ今より参政の権利を得て、以て陛下が多労を減ずるを謀り、従来国家の政を挙て皆悉く一に政府の煩はし、政府を労せし罪を償はざるを得ん哉。是れ其臣等が国会の開設を望む所以の一也。凡そ国家に急要なる所のものは人民の一致協和するに在りて、人民の一致協和する ことは、各人同じく其国を愛するの心よりせざるは莫く、若夫人民にして愛国の心なければ、各人別離して一致協和する事靡く、国民にして一和せざれば変乱随て起り、百災由て兆し、国力爰に衰退し、紀綱茲に頽廃し、甚しければ則竟に其国を滅し、若くは其国の大権を喪ひ、不可言の大害を蒙むるに及ぶ可く、而して今其所謂国家の人民にして善く一和せしむるものは、其をして自ら国政に関与せしめ、自ら国事を審知せしむるに在りて、人民をして愛国の心を減殺せしむるものは、専制政体より甚しきは莫ければ、愈王室の安泰を保全し、其鞏固を得可きことは、定律政事に若く事は莫く、王位を危殆に陥れ、王位の鞏固を失ひ易き事は専制政体より甚しきは莫く、国家を危険に傾け、億兆の不幸を醸し易きことも亦、専制政治より甚しきは莫き也。臣等国民たる者定律の政治を望まざることを得ん哉。而して定律の政体を立てんとするも亦必国会を開設せざるを得ざる也。是れ其臣等が国会の開設を望む所以の二也。

               『自由党史』より

☆自由民権運動関係略年表

<1874年(明治7)>
・1月12日 板垣退助らが愛国公党を結成する  
・1月17日 板垣退助らが「民撰議院設立の建白書」を提出する
・2月1日 江藤新平・島義勇らが佐賀の乱を起こす
・4月 板垣退助らが立志社を設立する

<1875年(明治8)>
・5月7日 「樺太・千島交換条約」が結ばれる 
・6月28日 「讒謗律」・「新聞紙条例」が制定される

<1876年(明治9)>
・2月26日 「日朝修好条規」が締結される
・10月 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱が起こる

<1877年(明治10)>
・2月15日 西南戦争が起きる
・6月9日 「立志社建白」を京都の行在所に提出する
・8月18日 立志社の片岡健吉らが逮捕される(高知の獄)

<1878年(明治11)>
・5月14日 大久保利通が暗殺される

<1879年(明治12)>
・3月27日 琉球処分が行われ、琉球藩を沖縄県とする

<1880年(明治13)>
・3月17日 国会期成同盟が結成される   
・4月5日 「集会条例」を定めて、言論や集会を取りしまる
  このころから、自由民権運動が高揚しはじめる

<1881年(明治14)>
・7月 「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こる  
・9月 立志社が「日本憲法見込案」を出す
・10月11日 明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免される
・10月12日 「国会開設の勅諭」が出される
・10月18日 板垣退助らが自由党を結成する
  このころ、憲法制定論議が活発化し、各種の私擬憲法がつくられる

<1882年(明治15)>
・3月 伊藤博文ら、憲法調査のためヨーロッパへ行く
・4月16日 大隈重信らが立憲改進党を結成する
・11月28日 福島事件(福島県)が起こる

<1883年(明治16)>
・3月20日 高田事件(新潟県)が起こる
・3月20日 立志社が解散する 

<1884年(明治17)>
・5月 群馬事件(群馬県)が起こる
・9月23日 加波山事件(栃木・茨城県)が起こる
・10月29日 自由党が解党する
・10月31日 秩父事件(埼玉県)が起こる
・12月 名古屋事件(愛知県)が起こる
・12月 飯田事件(長野県)が起こる

<1885年(明治18)>
・11月 大阪事件(大阪府)が起こる

<1886年(明治19)>
・6月 静岡事件(静岡県)が起こる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

806年(延暦25)第50代天皇である桓武天皇の命日(新暦4月9日)詳細
1898年(明治31)小説家・俳人・評論家横光利一の誕生日詳細
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