
1751年(宝暦元)に第9代将軍徳川家重の御側衆となり、1758年(宝暦8)には、加増により1万石を与えられて大名へ出世しました。1767年(明和4)に、側御用人となって知行2万石に加増され遠江相良に築城します。
1769年(明和6)には侍従に就任して老中格となり、1772年(安永元)には老中に進んで、たびたびの加封で5万7千石を領するに至りました。この間、幕政の実権を掌握するようになり、印旛沼・手賀沼の干拓による新田開発等の積極的な経済政策をとり、いわゆる田沼時代を現出します。
しかし、物価が騰貴し、賄賂政治を横行させることにもなり、折しも明和の大火(1772年)、浅間山の天明大噴火(1783年)などの災害が続き、さらに天明の大飢饉が起こるにおよんで、批判が高まりました。その中で、1784年(天明4)に子の意知が江戸城内で暗殺され、1786年(天明6)に、将軍家治が死去すると勢力を失って失脚、老中も辞任させられ、藩領収公により、1万石に減封されます。
これらにより、失意のうちに1788年(天明8年6月24日)、江戸において、数え年70歳で亡くなりました。
この時代は、幕藩体制を解体に導く要因が一斉に展開した時代で、幕藩体制の転換期とも、維新変革の起点の時期とも言われています。その政策は、享保の改革の緊縮財政策を捨て、商人資本を利用したところに特徴があるとされきました。
具体的には、運上・冥加金収入を目的に、問屋、株仲間の育成を強化し、さらに貨幣の増鋳、貿易量の増加、下総印旛沼の開拓、蝦夷地の開発、商品農産物栽培の奨励などの積極策を打出したものの、賄賂政治に堕するなどの弊害もみられます。一方で、自由な世情のなかで、新しい学問(古学、国学、蘭学など)や庶民文化の発達の機運が高まりました。
文化的には江戸時代の中で最も自由な時代といわれ、『解体新書』の訳出、平賀源内の活動、三浦梅園の哲学探究や江戸庶民文学(川柳、俳諧、狂歌、読本、絵画など)の成立期でもあります。その中で、膨張した貨幣経済は武士を一層困窮させ、うちつづく凶作や飢饉に対する解決策もなく、百姓一揆が続発し、江戸の打ちこわしも起きました。
このような政治に対する不信が意次に対する反感となり、1784年(天明4)4月2日に、子の意知が江戸城内で暗殺され、1786年(天明6)に第10代将軍徳川家治が死去すると、老中を辞任させられて、田沼時代は終わります。
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