
篠原 三代平(しのはら みよへい)は、大正時代の1919年(大正8)10月26日に、富山県高岡市末広町において、雑貨商の家の長男として生まれました。高岡商業学校(現在の富山県立高岡商業高等学校)を経て、1940年(昭和15)に高岡高等商業学校(現在の富山大学経済学部)を卒業し、東京商科大学(現在の一橋大学)へ入学、一般均衡論を唱えた中山伊知郎に師事します。
1941年(昭和16)に学徒出陣し、不整脈のため幹部候補生試験には不合格となり、主計伍長として富山、鹿児島で従軍し、翌年に東京商科大学(現在の一橋大学)は繰り上げ卒業措置が取られ、東京商科大学特別研究生の身分となりました。1945年(昭和20)に大蔵省財政経済実勢研究室研究員となり、1950年(昭和25)には、一橋大学経済研究所の助教授に就任します。
早くから経済の実証的分析と景気循環論が評価され、日本経済の成長と景気循環の研究ですぐれた業績をあげ、1961年(昭和36)には、『日本経済の成長と循環』で、日経経済図書文化賞・特別賞を受賞しました。1962年(昭和37)に一橋大学経済研究所教授となり、日本経済学会会長、財団法人アジア・クラブ理事長、統計研究会会長などの要職を歴任します。
1970年(昭和45)に経済企画庁経済研究所所長となり、1973年(昭和48)に 成蹊大学教授、1980年(昭和55)には、(財)統計研究会理事長、アジア経済研究所会長となりました。1984年(昭和59)に紫綬褒章を受章、1985年(昭和60)に東京国際大学教授、景気循環学会会長となり、1988年(昭和63)には、『日本経済の成長と循環』、『日本経済の構造と政策』で、日本学士院賞を受賞しています。
1989年(平成元)に『個人消費支出』、『鉱工業』で日経経済図書文化賞・特別賞を受賞、勲二等瑞宝章を受章、1992年(平成4)には、物価安定政策会議議長、(財)統計研究会会長となりました。1998年(平成10)に文化功労者となり、2006年(平成18)に文化勲章を受章、2007年(平成19)には、武蔵野市名誉市民となっています。しかし、2012年(平成24)12月7日に、東京都内の病院において、93歳で亡くなり、従三位を追贈されました。
1941年(昭和16)に学徒出陣し、不整脈のため幹部候補生試験には不合格となり、主計伍長として富山、鹿児島で従軍し、翌年に東京商科大学(現在の一橋大学)は繰り上げ卒業措置が取られ、東京商科大学特別研究生の身分となりました。1945年(昭和20)に大蔵省財政経済実勢研究室研究員となり、1950年(昭和25)には、一橋大学経済研究所の助教授に就任します。
早くから経済の実証的分析と景気循環論が評価され、日本経済の成長と景気循環の研究ですぐれた業績をあげ、1961年(昭和36)には、『日本経済の成長と循環』で、日経経済図書文化賞・特別賞を受賞しました。1962年(昭和37)に一橋大学経済研究所教授となり、日本経済学会会長、財団法人アジア・クラブ理事長、統計研究会会長などの要職を歴任します。
1970年(昭和45)に経済企画庁経済研究所所長となり、1973年(昭和48)に 成蹊大学教授、1980年(昭和55)には、(財)統計研究会理事長、アジア経済研究所会長となりました。1984年(昭和59)に紫綬褒章を受章、1985年(昭和60)に東京国際大学教授、景気循環学会会長となり、1988年(昭和63)には、『日本経済の成長と循環』、『日本経済の構造と政策』で、日本学士院賞を受賞しています。
1989年(平成元)に『個人消費支出』、『鉱工業』で日経経済図書文化賞・特別賞を受賞、勲二等瑞宝章を受章、1992年(平成4)には、物価安定政策会議議長、(財)統計研究会会長となりました。1998年(平成10)に文化功労者となり、2006年(平成18)に文化勲章を受章、2007年(平成19)には、武蔵野市名誉市民となっています。しかし、2012年(平成24)12月7日に、東京都内の病院において、93歳で亡くなり、従三位を追贈されました。
〇篠原三代平の主要な著作
・『所得分配と賃金構造』(1955年)
・『日本経済の成長と循環』(1961年)
・『産業構造論』(1966年)
・『経済学入門』(1994年)
☆篠原三代平関係略年表
・1919年(大正8)10月26日 富山県高岡市末広町において、雑貨商の家に長男として生まれる
・1932年(昭和7) 定塚小学校を卒業する
・1937年(昭和12) 高岡商業学校(現在の富山県立高岡商業高等学校)を卒業し、高岡高等商業学校(現在の富山大学経済学部)へ入学する
・1940年(昭和15) 高岡高等商業学校(現在の富山大学経済学部)を卒業し、東京商科大学(現在の一橋大学)へ入学する
・1941年(昭和16) 学徒出陣、不整脈のため幹部候補生試験には不合格となり、主計伍長として富山、鹿児島で従軍する
・1942年(昭和17) 東京商科大学(現在の一橋大学)を繰り上げ卒業し、東京商科大学特別研究生となる
・1945年(昭和20) 大蔵省財政経済実勢研究室研究員となる
・1950年(昭和25) 一橋大学経済研究所助教授となる
・1961年(昭和36) 『日本経済の成長と循環』で、日経経済図書文化賞・特別賞を受賞する
・1962年(昭和37) 一橋大学経済研究所教授となる
・1970年(昭和45) 経済企画庁経済研究所所長となる
・1973年(昭和48) 成蹊大学教授となる
・1980年(昭和55) (財)統計研究会理事長、アジア経済研究所会長となる
・1984年(昭和59) 紫綬褒章を受章する
・1985年(昭和60) 東京国際大学教授、景気循環学会会長となる
・1988年(昭和63) 『日本経済の成長と循環』、『日本経済の構造と政策』で、日本学士院賞を受賞する
・1989年(平成元) 『個人消費支出』、『鉱工業』で日経経済図書文化賞・特別賞を受賞、勲二等瑞宝章を受章する
・1992年(平成4) 物価安定政策会議議長、(財)統計研究会会長となる
・1998年(平成10) 文化功労者となる
・2006年(平成18) 文化勲章を受章する
・2007年(平成19) 武蔵野市名誉市民となる
・2012年(平成24)12月7日 東京都内の病院において、93歳で亡くなり、従三位を追贈される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
968年(安和元) | 第65代の天皇とされる花山天皇の誕生日(新暦11月29日) | 詳細 |
1311年(応長元) | 鎌倉幕府第9代執権北条貞時の命日(新暦12月6日) | 詳細 |
1867年(慶応3) | 建築家・建築史学者伊東忠太の誕生日(新暦11月21日) | 詳細 |
1868年(明治元) | 戊辰戦争の箱館の戦いにおいて、榎本武揚軍が北海道・箱館の五稜郭を占領する | 詳細 |
1908年(明治41) | 幕臣・外交官・政治家榎本武揚の命日 | 詳細 |
1909年(明治42) | 政治家伊藤博文がハルビンで、韓国の独立運動家安重根に暗殺される | 詳細 |
1983年(昭和58) | 国営公園の一つとして東京の米軍立川基地跡地に国営昭和記念公園が開園する | 詳細 |