太平洋戦争後、横浜正金銀行の東京本店(現在の三菱UFJ銀行)に入行しましたが、食糧事情を理由に門司支店に転任、一時小説家を目指し退職したものの、毎日新聞西部本社に再就職しました。1953年(昭和28)に白家太郎の筆名で、「宝石」懸賞募集に『みかん山』を応募、佳作に入選してデビューします。
1956年(昭和31)に短編懸賞に応募し、『落ちる』、『黄色い道しるべ』がそれぞれ2位と佳作に入選しました。1958年(昭和33)には、『濡れた心』で第4回江戸川乱歩賞、短編『落ちる』、『笑う男』、『ある脅迫』で第40回直木賞を受賞します。
また、代表となって若手探偵作家の佐野洋、竹村直伸、星新一、水上勉、結城昌治らと共に親睦団体の「他殺クラブ」を結成しました。1961年(昭和36)に『変身島風物誌』、『お茶とプール』、『人でなしの遍歴』など8長編を発表、1967年(昭和42)には、時代小説『ゆっくり雨太郎捕物控』シリーズをスタート(~1975年)させています。
1977年(昭和52)に推理長編『道化たちの退場』を発表、1984年(昭和59)には、ハードボイルド・ミステリ『京都で消えた女』とベッド・ディティクティヴ『おやじに捧げる葬送曲』の二冊を発表するなど、本格推理小説、時代小説、ミステリー、SF等の多彩な分野で活動しました。巧みなストーリー展開と綿密な性格描写で多くの読者を得て、1989年(平成元)に紫綬褒章を受章、1994年(平成6)には、「小説新潮」に約8年ぶりの長編ミステリー『レトロ館の殺意』を連載しましたが、その完結後の同年12月31日に、脳梗塞のため、74歳で亡くなっています。