
『本朝通鑑』(ほんちょうつがん)は、1644年(正保元)の江戸幕府第3代将軍徳川家光の命により、林羅山とその子林鵞峰が編纂した漢文・編年体の史書でした。中国の『資治通鑑』の名称と記述法に倣ったもので、前編(神代)3巻、正編(神武~宇多天皇)40巻、続編(醍醐~後陽成天皇)230巻、提要30巻、付録(神祇、皇運、朝職[上・下]、武職)5巻、目録1巻、引用書目1巻の計310巻から成っています。
天皇一代ごとの編年体で、事実をありのままに記述し勧善懲悪の効果を期待したとされ、今日失われている多数の文書記録を含んでいる貴重な史書とされてきました。1670年(寛文10)に完成し、6月12日には中書本(最終的な清書本を作成する前の中間的な清書本)が将軍家へ提出され、清書本は紅葉山文庫と日光東照宮に納められています。
独断を避け厳密な考証につとめ、儒学の実証的合理主義による歴史書の先駆をなすものとされ、いわゆる林家史学の代表ですが、これに異論をもつ水戸藩の『大日本史』などの編修を呼び起こしました。
天皇一代ごとの編年体で、事実をありのままに記述し勧善懲悪の効果を期待したとされ、今日失われている多数の文書記録を含んでいる貴重な史書とされてきました。1670年(寛文10)に完成し、6月12日には中書本(最終的な清書本を作成する前の中間的な清書本)が将軍家へ提出され、清書本は紅葉山文庫と日光東照宮に納められています。
独断を避け厳密な考証につとめ、儒学の実証的合理主義による歴史書の先駆をなすものとされ、いわゆる林家史学の代表ですが、これに異論をもつ水戸藩の『大日本史』などの編修を呼び起こしました。
〇林 羅山(はやし らざん)とは?
江戸時代前期に活躍した朱子学派の儒学者です。安土桃山時代の1583年(天正11)8月に、京都四条新町で、加賀国の郷士の末裔で浪人だった父の子として生まれましたが、本名は信勝と言いました。1595年(文禄4)に臨済宗の建仁寺に入って、大統庵の古澗慈稽に、次に十如院の英甫永雄に就いて、儒学と仏教を学びます。
1597年(慶長2)に家に戻ってからはもっぱら儒書に親しみ、朱子の章句、集注を研究して、朱子学(宋学)に傾倒していきました。1604年(慶長9)に、角倉素庵の仲介で藤原惺窩と出会い、論争後、その門に入ります。
1607年(慶長12)惺窩の推挙で、徳川家康に仕え、以後秀忠、家光、家綱と4代の将軍の侍講を勤めました。その中で、儀式・典礼の調査、「武家諸法度」「諸士法度」「御定書百箇条」などの制定や『寛永諸家系図伝』、『本朝通鑑』などの伝記・歴史の編纂、古書・古記録の採集・校訂、外交文書の起草に関与し、幕政の整備に貢献します。
また、1630年(寛永7)に上野忍岡に私塾・文庫と孔子廟を建てて、のち官学となった昌平坂学問所(昌平黌)の学問の礎を築きました。朱子学を幕府の官学とし、彼の子孫は林家と称し代々幕府の儒官となります。
『三徳抄』、『大学解』、『神道伝授』、『本朝神社考』、『羅山文集』など多くを著しましたが、1657年(明暦3)1月23日に、江戸において、数え年75歳で亡くなりました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1597年(慶長2)に家に戻ってからはもっぱら儒書に親しみ、朱子の章句、集注を研究して、朱子学(宋学)に傾倒していきました。1604年(慶長9)に、角倉素庵の仲介で藤原惺窩と出会い、論争後、その門に入ります。
1607年(慶長12)惺窩の推挙で、徳川家康に仕え、以後秀忠、家光、家綱と4代の将軍の侍講を勤めました。その中で、儀式・典礼の調査、「武家諸法度」「諸士法度」「御定書百箇条」などの制定や『寛永諸家系図伝』、『本朝通鑑』などの伝記・歴史の編纂、古書・古記録の採集・校訂、外交文書の起草に関与し、幕政の整備に貢献します。
また、1630年(寛永7)に上野忍岡に私塾・文庫と孔子廟を建てて、のち官学となった昌平坂学問所(昌平黌)の学問の礎を築きました。朱子学を幕府の官学とし、彼の子孫は林家と称し代々幕府の儒官となります。
『三徳抄』、『大学解』、『神道伝授』、『本朝神社考』、『羅山文集』など多くを著しましたが、1657年(明暦3)1月23日に、江戸において、数え年75歳で亡くなりました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1761年(宝暦11) | 江戸幕府第9代将軍徳川家重の命日(新暦7月13日) | 詳細 |
1867年(慶応3) | 坂本龍馬が長崎から兵庫へ向かう藩船の中で「船中八策」を著す(新暦7月13日) | 詳細 |
1910年(明治41) | 本州の宇野と四国の高松の間の鉄道連絡船(宇高連絡船)が運航開始する | 詳細 |
1961年(昭和36) | 「農業基本法」(昭和36年法律第127号)が公布・施行される | 詳細 |
1965年(昭和40) | 家永教科書裁判の第一次訴訟が提訴される | 詳細 |