
原敬(はら たかし)は、1856年(安政3年2月9日)に、南部藩重臣の父原直治と母リツ子の次男として、陸奥国岩手郡本宮村(現在の岩手県盛岡市)に生れましたが、幼名は健次郎といいました。
1871年(明治4)に上京して、南部家が東京に設けた英学校共慣義塾に入りますが、学資に窮して退学し、翌年には費用のかからないカトリック神学校に入学します。
受洗して、カトリックの神父の学僕となり苦学したものの、1879年(明治12)に、郷里の先輩のつてで、郵便報知新聞社に入社しました。退社後、『大東日報』の主筆となり井上馨に知遇を得て、1882年(明治15)に外務省に採用され外務省御用掛兼務になります。
1889年(明治22)には農商務省に転じ、陸奥宗光に師事するようになりました。1892年(明治25)に一度辞職しますが、再び招かれて、外務省通商局長、外務次官、朝鮮公使を歴任します。
陸奥の死を契機に、1897年(明治30)年はは官界を去り、大阪毎日新聞社に編輯総理として入社し翌年社長となりました。
その後、1900年(明治33)に、立憲政友会創立に参画し、逓相・内相を歴任後、1914年(大正3)に総裁に就任します。この間、1902年(明治35)に岩手県より立候補して衆院議員に当選し、以後没するまで連続当選を果たしました。
1918年(大正7)に米騒動で倒れた寺内正毅内閣のあとをうけて、最初の政党内閣を組織します。交通の整備、教育の拡張など積極政策を行ない、爵位の受け取りを固辞し続けたため「平民宰相」と称されました。
しかし、強硬政策が反発を買い、1921年(大正10)11月4日、65歳で東京駅において右翼青年に暗殺されます。
〇原敬関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)
・1856年(安政3年2月9日) 陸奥国岩手郡本宮村(現在の岩手県盛岡市)において、南部藩重臣の父・原直治と母・リツ子の次男として生れる
・1861年(文久元) 近所の太田代直蔵塾に通う(6年間)
・1865年(慶応元) 小山田佐七郎先生から漢学を教授される(約6年間)
・1867年(慶応3) 仙北町の寺田直助塾と工藤祐方塾に通う(約2年間)
・1870年(明治3) 藩校作人館修文所に入る (約2年間)
・1871年(明治4) 上京して、那珂梧楼宅に寄寓する
・1872年(明治5) 南部家が東京に設けた英学校共慣義塾に入るものの学資に窮して退学、費用のかからないカトリック神学校に入学する
・1876年(明治9) 司法省法学校入校する(約2年10か月)
・1879年(明治12) 中江兆民塾入り、郷里の先輩のつてで、郵便報知新聞社に入社する
・1881年(明治14) 渡辺浩基に従い東北北海道周遊する(5/23~10/2)
・1882年(明治15) 郵便報知新聞社を退社し、外務省に採用され外務省御用掛兼務になる
・1883年(明治16) 天津領事(~18年7月)となり、正七位となる
・1885年(明治18) パリ公使館書記官となり、勲六等単光旭日章を受章する
・1889年(明治22) 農商務省参事官に転じ、陸奥宗光に師事するようになる
・1890年(明治23) 大臣秘書官となり、従六位に昇叙する
・1891年(明治24) 大臣官房秘書課長となり、正六位に昇叙する
・1892年(明治25) 一度辞職するものの、復帰して外務省通商局長・取調局長兼務となり、従五位に昇叙する
・1893年(明治26) 外務省通商局長、取調局長兼務となり、正五位に昇叙、勲五等瑞宝章を受章する
・1895年(明治28) 外務次官となり、従四位に昇叙、勲四等瑞宝章を受章する
・1896年(明治29) 朝鮮駐剳特命全権公使となり、勲三等旭日中綬章を受章する
・1897年(明治30) 正四位となるが、官界を去り、大阪毎日新聞社に編輯総理として入社する
・1898年(明治31) 大阪毎日新聞社社長となる
・1900年(明治33) 大阪毎日新聞社長を辞職し、立憲政友会創立に参画して政友会総務委員兼幹事長となり、第4次伊藤内閣の逓信大臣となる
・1901年(明治34) 逓信大臣を辞任、大阪北浜銀行頭取となる
・1902年(明治35) 岩手県より立候補して衆院議員に当選する
・1903年(明治36) 大阪新報社長となる
・1905年(明治38) 古河鉱業副社長となる
・1906年(明治39) 大阪新報社長・古河鉱業副社長を辞任し、第1次西園寺内閣の内務大臣となり、勲二等瑞宝章を受章する
・1907年(明治40) 従三位となる
・1908年(明治41) 内務大臣を辞任する
・1910年(明治43) 政友会院内総務、予算委員長となる
・1911年(明治44) 第2次西園寺内閣の内務大臣となる
・1914年(大正3) 正三位となり、内務大臣を辞め、立憲政友会総裁に就任、勲一等旭日大綬章を受章する
・1915年(大正4) 大礼記念章(大正)を受章する
・1918年(大正7) 米騒動で倒れた寺内正毅内閣のあとをうけて、第19代内閣総理大臣に就任し、最初の政党内閣を組織する
・1919年(大正8) 司法大臣を兼任する
・1920年(大正9) 旭日桐花大綬章を受章する
・1921年(大正10)11月4日 東京駅において右翼青年に暗殺され、65歳で亡くなり、正二位と大勲位菊花大綬章を追贈される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 747年(天平19) | 東大寺大仏の鋳造が開始される(新暦11月6日) | 詳細 |
| 930年(延長8) | 第60代の天皇とされる醍醐天皇の命日(新暦10月23日) | 詳細 |
| 949年(天暦3) | 第57代の天皇とされる陽成天皇の命日(新暦10月23日) | 詳細 |
| 1801年(享和元) | 国学者本居宣長の命日(新暦11月5日) | 詳細 |
| 1879年(明治12) | 「学制」が廃止され、「教育令」が制定される | 詳細 |
| 1971年(昭和46) | 新潟水俣病裁判(第1次訴訟)で新潟地裁が被告の昭和電工に損害賠償を命じる判決を出す | 詳細 |
| 1972年(昭和47) | 日本と中国が「日中共同声明」に調印する | 詳細 |
| 2013年(平成25) | 小説家山崎豊子の命日 | 詳細 |