
今日は、鎌倉時代の1326年(嘉暦元)に、北條(赤橋)守時が、鎌倉幕府第15代執権に就任した日ですが、新暦では5月26日となります。
執権(しっけん)は、元々は、権力を握ることで、政務を執行する者という意味でしたが、鎌倉時代には、鎌倉幕府で将軍を補佐し、幕政を統轄した職名となります。幕府成立期には政所の別当大江広元のことを執権といっていましたが、3代将軍源実朝の時代には、北条時政も政所別当の地位について2人となり、時政の権力が勝ると共に、執権と称して幕府の実権を掌握するようになりました。
時政の後、北条義時がその地位を継承しますが、1213年(建保元)に侍所別当であった和田義盛を滅亡させ、政所と侍所の両別当を兼ねて幕政を統轄するようになり、事実上幕政の最高権力者となります。これによって、将軍はまったく名目的な存在となり、以後北条氏が独占的に執権の地位を世襲し、権力を掌握しました。
連署、評定衆、引付衆らを率いて幕政を統轄し、1333年(元弘3/正慶2)の鎌倉幕府滅亡まで続きました。
時政の後、北条義時がその地位を継承しますが、1213年(建保元)に侍所別当であった和田義盛を滅亡させ、政所と侍所の両別当を兼ねて幕政を統轄するようになり、事実上幕政の最高権力者となります。これによって、将軍はまったく名目的な存在となり、以後北条氏が独占的に執権の地位を世襲し、権力を掌握しました。
連署、評定衆、引付衆らを率いて幕政を統轄し、1333年(元弘3/正慶2)の鎌倉幕府滅亡まで続きました。
〇北条守時(ほうじょう もりとき)とは?
北条一族で六波羅探題北方だった北条(赤橋)久時の長男(母は北条宗頼の娘)として生まれますが、生年は1295年(永仁3年)とされるものの、はっきりしません。1307年(徳治2)に、13歳で従五位下左近衛将監に叙任されますが、父・久時が亡くなっています。
1311年(応長元)に 引付衆就任を経ずに、幕府の評定衆となりました。1312年(正和元)に従五位上、1315年(正和4)に正五位下と昇叙し、1319年(元応元)には武蔵守となります。
1326年(嘉暦元)に嘉暦の騒動が起き、北条一門に執権の引き受け手がいない中で、鎌倉幕府第16代執権となりましたが、実権は北条得宗家の北条高時(第14代執権)や内管領・長崎高資らに掌握されていました。同年に相模守に遷任され、1327年(嘉暦2)に従四位下、1331年(元弘元)に従四位上に昇叙します。
しかし、1333年(元弘3)に配流先の隠岐の島を脱出した後醍醐天皇が伯耆国船上山で挙兵すると、討伐に向かった妹婿の足利高氏(のちの尊氏)が遠征先の京都で幕府に叛旗を翻し、六波羅探題を滅ぼす事態となりました。同じ頃、関東で挙兵した新田義貞軍が鎌倉を攻撃し、守時は幕府軍を率いて、新田義貞軍の将、堀口貞満勢と鎌倉小袋坂で戦います。
ところが、敗色濃厚となり、数え年39歳で自刃、子の益時も父に殉じて自害しました。その後の22日には、鎌倉幕府の滅亡となります。
1311年(応長元)に 引付衆就任を経ずに、幕府の評定衆となりました。1312年(正和元)に従五位上、1315年(正和4)に正五位下と昇叙し、1319年(元応元)には武蔵守となります。
1326年(嘉暦元)に嘉暦の騒動が起き、北条一門に執権の引き受け手がいない中で、鎌倉幕府第16代執権となりましたが、実権は北条得宗家の北条高時(第14代執権)や内管領・長崎高資らに掌握されていました。同年に相模守に遷任され、1327年(嘉暦2)に従四位下、1331年(元弘元)に従四位上に昇叙します。
しかし、1333年(元弘3)に配流先の隠岐の島を脱出した後醍醐天皇が伯耆国船上山で挙兵すると、討伐に向かった妹婿の足利高氏(のちの尊氏)が遠征先の京都で幕府に叛旗を翻し、六波羅探題を滅ぼす事態となりました。同じ頃、関東で挙兵した新田義貞軍が鎌倉を攻撃し、守時は幕府軍を率いて、新田義貞軍の将、堀口貞満勢と鎌倉小袋坂で戦います。
ところが、敗色濃厚となり、数え年39歳で自刃、子の益時も父に殉じて自害しました。その後の22日には、鎌倉幕府の滅亡となります。
☆北条(赤橋)守時関係略年表(日付は旧暦です)
・1295年(永仁3年)? 六波羅探題北方の北条(赤橋)久時の長男(母は北条宗頼の娘)として生まれる
・1307年(徳治2年11月1日) 従五位下左近衛将監に叙任される
・1307年(徳治2年11月28日) 父・久時が亡くなる
・1311年(応長元年6月5日) 幕府の評定衆となる
・1312年(正和元年12月30日) 従五位上に昇叙する
・1313年(正和2年7月26日) 一番引付頭人を兼帯する
・1315年(正和4年12月15日) 正五位下に昇叙し、讃岐守に転任する
・1317年(文保元年12月27日) 二番引付頭人に異動する
・1319年(元応元年2月18日) 武蔵守に転任する
・1319年(元応元年閏7月13日) 一番引付頭人に異動する
・1319年(元応元年) 妹の登子が足利高氏(のちの尊氏)の正室となる
・1326年(嘉暦元年3月) 嘉暦の騒動が起きる
・1326年(嘉暦元年4月24日) 鎌倉幕府第16代執権(最後の執権)となる
・1326年(嘉暦元年8月) 相模守に遷任される
・1327年(嘉暦2年閏9月2日)、従四位下に昇叙する
・1331年(元弘元年1月5日) 従四位上に昇叙する
・1331年(元弘元年1月5日) 後醍醐天皇が笠置で2度目の挙兵をする(元弘の乱)
・1332年(元弘2年3月) 後醍醐天皇が挙兵に失敗し、隠岐の島へ配流される
・1333年(元弘3年閏2月24日) 後醍醐天皇が隠岐の島を脱出する
・1333年(元弘3年閏2月28日) 後醍醐天皇が伯耆国船上山で挙兵する
・1333年(元弘3年4月29日) 足利高氏(のちの尊氏)が遠征先の京都で幕府に叛旗を翻す
・1333年(元弘3年5月7日) 足利高氏(のちの尊氏)が六波羅探題を滅ぼす
・1333年(元弘3年5月) 新田義貞軍が鎌倉を攻撃する
・1333年(元弘3年5月18日) 鎌倉小袋坂の戦いで、数え年39歳で自刃する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1870年(明治3) | 明治新政府が、各府藩県に種痘実施を命令する(新暦5月24日) | 詳細 |
| 1875年(明治8) | 飛騨高山明治8年の大火で、死者1名、焼失1,032戸を出す | 詳細 |
| 1908年(明治41) | 農学者・教育家津田仙の命日 | 詳細 |
| 1921年(大正10) | 日本初の女性による社会主義団体「赤瀾会」が発足する | 詳細 |
| 1934年(昭和9) | 目黒競馬場で第1回日本ダービーが開催される | 詳細 |
| 1940年(昭和15) | 価格形成中央委員会で、日用必需品10品目に配給切符制導入が発表(6月1日以降順次実施)される | 詳細 |
| 1951年(昭和26) | 国鉄で桜木町事故が起こり、電車火災により死者106人・重軽傷92人を出す | 詳細 |
| 1955年(昭和30) | 第1回アジア・アフリカ会議最終日、「アジア・アフリカ会議最終コミュニケ」が採択される | 詳細 |