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 今日は、明治時代前期の1871年(明治4)に、明治新政府が神道を国家の宗祀と定める「神社の世襲神職を廃し精選補任の件」(太政官布告第234号)を布告した日ですが、新暦では7月1日となります。
 「神社の世襲神職を廃し精選補任の件(じんじゃのせしゅうしんしょくをはいしせいせんほにんのけん)」は、「神社は国家の宗祀」との思想を以て、明治新政府による神社制度の改革の最初の太政官布告でした。1868年1月3日(慶応3年12月9日)に「王政復古の大号令」が出されたのですが、慶応4年3月13日には、「祭政一致の制に復し、天下の諸神社を神祗官に所属せしむべき件」が布告され、次いで同年3月28日にいわゆる「神仏分離令」(太政官達第196号)が布告されます。
 続いて、1871年(明治4年5月14日)に、神社は国家の衆祀であるため、神官社家の世襲の廃止、精選補任とする「神社の世襲神職を廃し精選補任の件」(太政官布告第234号)を布告、また、官・国幣社、府藩県社、郷社、産土社を制定する「官社以下の定額・神官職制規則等」(太政官布告第235号)も同時に布告されました。そして、同年7月4日には、祭政一致の方針のもとに氏子制度を法制化し、これによって寺請制度に代わるキリシタン禁制と戸籍の整備をはかるとともに国民教化の単位とした「大小神社氏子取調規則」(太政官布告第322号)も布告されます。
 これらは、国家が祭祀すべき神々の体系を定めるという意味で重大なもので、その後、明治新政府の重要政策として推進されていくこととなり、国家神道といわれるものとなっていきました。この状態は、太平洋戦争後の1945年(昭和20)12月15日に、占領下において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本政府に対して発した神道指令「国家神道・神社神道ニ対スル政府ノ保証・支援・保全・監督及ビ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)により、神社と行政機関の接点が全て廃止されるまで続きます。
 以下に、「神社の世襲神職を廃し精選補任の件」(太政官布告第234号)と「官社以下の定額・神官職制規則等」(太政官布告第235号)、「大小神社氏子取調規則」(太政官布告第322号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「神社の世襲神職を廃し精選補任の件」(太政官布告第234号) 1871年(明治4年5月14日)布告

 神社ノ儀ハ、国家ノ宗祀ニテ一人一家ノ私有ニスヘキニ非サルハ勿論ノ事ニ候処、中古以来大道ノ陵夷ニ随ヒ、神官社家ノ輩中ニハ神世相伝由緒ノ向モ有之候ヘ共、多クハ一時補任ノ社職其儘沿襲致シ、或ハ領家地頭世変ニ因リ終ニ一社ノ執務致シ居リ。其余村邑小祠ノ社家等ニ至ル迄総テ世襲ト相成、社入ヲ以テ家禄ト為シ一己ノ私有ト相心得候儀、天下一般ノ慣習ニテ、神官ハ自然士族ノ別種ト相成、祭政一致ノ御政体ニ相悖リ其弊害不尠候ニ付、今般御改正被為在。伊勢両宮世襲ノ神官ヲ始メ天下大小ノ神官社家ニ至ル迄 精撰補任可致旨被仰出候事。 

〇「官社以下の定額・神官職制規則等」(太政官布告第235号) 1871年(明治4年5月14日)布告

 官社以下定額及神官職員規則等、別紙ノ通被 仰出候。尤府藩県社・郷社ノ分ハ、先達テ差出候明細書ヲ以取調、区別ノ上、追テ神祗官ヨリ差図ニ可及候条、其節万端処置ノ儀同官ヘ可相伺事。

  一、神官従来ノ叙爵総テ被止候事。

  一、官社以下府県社郷社神官、総テ其地方貫属支配タル可ク本籍ノ儀ハ士族民ノ内適宜ヲ以テ編籍可致事。

〇「大小神社氏子取調規則」(太政官布告第322号) 1871年(明治4年7月4日)布告

 今般大小神社氏子取調ノ儀、左ノ通被定候事。

      規  則

 一、臣民一般出生ノ児アラハ其由ヲ戸長ニ届ケ必ス神社ニ参ラシメ其神ノ守札ヲ受ケ所持可致事。
   但社参ノ節ハ戸長ノ証書ヲ持参スヘシ。其証書ニハ生児ノ名・出生ノ年月日・父ノ名ヲ記シ相違ナキ旨ヲ証シコレラヲ神官ニ示スヘシ。  

 一、即今、守札ヲ所持セサル者老幼ヲ論セス、生国及ヒ姓名・住所・出生ノ年月日ト父ノ名ヲ記セシ名札ヲ以テ其戸長ヘ達シ戸長ヨリコレヲ其神社ニ達シ守札ヲ受ケテ渡スヘシ。
   但現今修行又ハ奉公或ハ公私ノ事務アリテ他所ニ寄留シ本土神社ヨリ受ケ難キモノハ、寄留地最寄ノ神社ヨリ本条ノ手続ヲ以テ受クヘシ尤来申年正月晦日迄ヲ期トス

 一、他ノ管轄ニ移転スル時ハ、其管轄地神社ノ守札ヲ別ニ申受ケ併テ所持スヘシ。

 一、死亡セシモノハ、戸長ニ届ケ其守札ヲ戸長ヨリ神官ニ戻スヘシ。
   但神葬祭ヲ行フ時ハ、其守札ノ裏ニ死亡ノ年月日ト其霊位トヲ記シ、更ニ神官ヨリ是ヲ受ケテ神霊主トナスヘシ。尤別ニ神霊主ヲ作ルモ可為勝手事。

 一、守札焼失又ハ紛失セシモノアラハ、其戸長ニ其事実ヲ糺シテ相違ナキヲ証シ改テ申受クヘシ。 

 一、自今六ヵ年目毎戸籍改ノ節、守札ヲ出シ戸長ノ検査ヲ受クヘシ。

 一、守札ヲ受クルニヨリ其神社ヘ納ル初穂ハ、其者ノ心ニ任セ多少ニ限ラサルヘシ。

 右ノ通ニ候条取調相済候ヘハ早々可届出、尤不審ノ廉有之候ヘハ神祗官ヘ可承合候事。

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