ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:社会主義協会

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 今日は、昭和時代前期の1940年(昭和15)に、社会主義者西川光二郎が亡くなった日です。
 西川光二郎(にしかわ こうじろう/みつじろう)は、明治時代前期の1876年(明治9)4月29日に、兵庫県津名郡佐野村(現在の淡路市)において、父・西川林蔵、母・たつ の3男と生まれました。中学時代にキリスト教に入信し、札幌農学校で新渡戸稲造、内村鑑三の影響を受けます。
 1896年(明治29)に上京して、東京専門学校(現在の早稲田大学)に転校し、社会学を学んで、在学中に社会問題に関心を持ち、1897年(明治30)には、片山潜と共に労働組合期成会の雑誌「労働世界」を発刊しました。1899年(明治32)に東京専門学校英語政治科を卒業後、毎日新聞社で社会労働問題に取り組みます。
 1900年(明治33)に社会主義協会の結成に参加、翌年の社会民主党創立にも参加しましたが2日後に結社禁止となり、片山潜との共著『日本の労働運動』を労働新聞社から刊行しました。1903年(明治36)に平民社に入って、「平民新聞」の編集にあたり、社会主義・非戦論を主張して日露戦争に反対します。
 1905年(明治38)の平民社解散後は、「光」を創刊し、同年創立された日本社会党の機関紙も手掛けました。1906年(明治39)に日本平民党(後の日本社会党)の創設にも携わり、東京市電値上げ反対デモで大杉栄らと兇徒聚衆罪に問われます。
 1907年(明治40)に社会主義が幸徳派と片山派に分裂すると後者に属し、1908年(明治41)には、東京市電値上反対事件において大審院で有罪(重禁錮2年)が確定して下獄しました。幸徳秋水の直接行動論に反対し、1910年(明治43)の大逆事件後、社会主義陣営を離脱して「実践道話活動」という道徳修養運動、精神運動を行う社会教育家に転進、『心懐語』を警醒社書店より刊行します。
 1914年(大正3)に自働道話社を興して「自働道話」を発刊し、孔子学舎を主宰して、全国で巡講を行いました。1940年(昭和15)に、北海道巡講中に病で倒れ、急きょ帰京し、10月22日に東京の帝国大学病院において、64歳で亡くなっています。

〇西川 光二郎の主要な著作

・片山潜との共著『日本の労働運動』(1901年)
・『人道の戦士社会主義の父カールマルクス』(1902年)
・『心懐語』(1910年)
・『改革者の心情』

☆西川 光二郎関係略年表

・1876年(明治9)4月29日 兵庫県津名郡佐野村(現在の淡路市)において、父・西川林蔵、母・たつ の3男と生まれる
・1896年(明治29) 上京して東京専門学校(現在の早稲田大学)に転校し、社会学を学ぶ
・1897年(明治30) 在学中に社会問題に関心を持ち、片山潜と共に労働組合期成会の雑誌「労働世界」を発刊する
・1899年(明治32) 東京専門学校英語政治科を卒業する
・1900年(明治33) 社会主義協会の結成に参加する
・1901年(明治34) 社会民主党創立に参加、片山潜との共著『日本の労働運動』を労働新聞社から刊行する
・1902年(明治33) 『人道の戦士社会主義の父カールマルクス』を中庸堂より刊行する
・1903年(明治36) 平民社に入り、『平民新聞』の編集にあたり、社会主義・非戦論を主張して日露戦争に反対する
・1904年(明治37) 横浜に行き、相生座で開かれた社会主義演説会で、「弱者勝つ」を演説する
・1905年(明治38) 平民社が解散し、「光」を創刊する
・1906年(明治39) 日本平民党(後の日本社会党)の創設にも携わり、東京市電値上げ反対デモで大杉栄らと兇徒聚衆罪に問われる(東京市電値上反対事件)
・1907年(明治40) 社会主義が幸徳派と片山派に分裂すると後者に属する
・1908年(明治41) 東京市電値上反対事件において大審院で有罪(重禁錮2年)が確定する
・1910年(明治43) 大逆事件後、社会主義陣営を離脱して「実践道話活動」という道徳修養運動、精神運動を行う社会教育家に転進、『心懐語』を警醒社書店より刊行する
・1914年(大正3) 自働道話社を興して「自働道話」を発刊する
・1940年(昭和15)10月22日 東京の帝国大学病院において、64歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

794年(延暦13)桓武天皇が長岡京から山背国の新京に入京する「平安遷都の日」(新暦11月22日)詳細
1894年(明治27)庄内地震(マグニチュード7.0)が起こり、死者726人、負傷者8,403人が出る詳細
1926年(大正15)明治神宮外苑に絵画館・野球場・相撲場・児童遊園が完成して、外苑完成奉献式が行われる詳細
1937年(昭和12)詩人中原中也の命日詳細
1945年(昭和20)GHQが「日本教育制度ニ対スル管理政策」を出す詳細
1983年(昭和58)国鉄特定地方交通線の廃止第一号として、北海道の国鉄白糠線がこの日限りで廃止となる詳細
2010年(平成22)囲碁棋士・23世本因坊坂田栄男 (本因坊栄寿) の命日詳細
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 今日は、明治時代後期の1898年(明治31)に、安部磯雄・片山潜・幸徳秋水らを中心に「社会主義研究会」が創立された日です。
 「社会主義研究会(しゃかいしゅぎけんきゅうかい)」は、社会主義理論の研究を目的として結成された社会主義研究団体でした。それまでの「社会問題研究会」を受け継いで発足し、「概則」で、「本会ハ社会主義ノ原理ト之ヲ日本ニ応用スルノ可否ヲ考究スルヲ目的トス」とうたい、会長は村井知至、会員は片山潜、安部磯雄、佐治実然、幸徳秋水、河上清、木下尚江ら10数名とされています。
 本拠を東京・三田のユニテリアン協会の惟一館(いいつかん)に置き、月1回の例会を原則とし、サン・シモン、フーリエ、ラサール、マルクスなどを研究しました。会員の多くはユニテリアン協会員のクリスチャンで、その他のメンバーも加わりましたが、次第に人道主義的傾向と実践的傾向に分裂し、実践的方向に沿って、「普通選挙運動への参加」という方向に向かいます。
 その結果、1900年(明治33)1月28日の第11回例会で、実践を重視する「社会主義協会」に改組され、「社会主義の原理を討究し、之を我邦に応用するを以て目的とす。」(規約第2条)という性格をもつ団体となりました。会長は安部磯雄、幹事は片山潜となり、本部は片山潜がセツルメントの拠点として経営するキングスレー館に設置することになります。
 その後、「平民社」と一体となって草創期の日本社会主義に大きな足跡を残したものの、日露戦争中の1904年(明治37)11月に警察当局から解散を命じられました。

〇「社会主義研究会」の例会一覧

<1898年(明治31)>
・第1回(10月18日) 13名で創立(会長は村井知至、会員は片山潜、安部磯雄、佐治実然、幸徳秋水、河上清ら)、講師は村井知至で、社会主義の研究、報告、討論を行った
・第2回(11月20日) 講師は村上清で、研究課題は英国の地主制度

<1899年(明治32)>
・第3回(1月15日) 講師は岸本能武太で、研究課題はサン・シモンの社会主義
・第4回(2月19日) 講師は河上清で、研究課題はフーリエの社会主義
・第5回(3月19日) 講師は片山潜で、研究課題はフェルジナンド・ラサールの社会主義
・第6回(4月16日) 講師は村井知至で、研究課題はカール・マルクスの社会主義
・第7回(5月28日) 講師は安部磯雄で、研究課題はヘンリー・ジョンソンの社会主義
・第8回(6月25日) 講師は幸徳秋水で、研究課題は現今の政治社会と社会主義
・第9回(10月22日) 講師は安部磯雄で、研究課題は実際的研究方法について、また講師は河上清で、研究課題は市街鉄道問題
・第10回(11月26日) 講師は安部磯雄で、研究課題はニュージーランドの土地制度

<1900年(明治33)>
・第11回(1月28日) 社会主義団体「社会主義協会」へ改組され、講師は北川筌因で、研究課題は普通選挙
 以後は、「社会主義協会」の例会として研究が継続された

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1939年(昭和14)価格等統制令」が公布され、物価などの価格が統制される詳細
1945年(昭和20)小説家葉山嘉樹の命日詳細
1955年(昭和30)長崎県大村湾口に当時日本一長さ(支間長:216m)の西海橋が開通する詳細


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