ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:直木賞

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 今日は、昭和時代前期の1931年(昭和6)に、小説家白石一郎が生まれた日です。
 白石一郎(しらいし いちろう)は、昭和時代前期の1931年(昭和6)11月9日 朝鮮の釜山で生まれ、太平洋戦争敗戦の1945年(昭和20)までは同地で過ごしました。長崎県立佐世保北高等学校時代に小説家を志し、雑誌の懸賞小説に次々と投稿し、早稲田大学政治経済学部へ進みます。
 1954年(昭和29)に同大学卒業後、一時期サラリーマン生活を送りますが、退職して帰郷、父親の経理事務所を手伝いながら創作に励みました。1955年(昭和30)に『臆病武者』が、九州時事新聞の懸賞小説に一席入選、1957年(昭和32)には、『みかん』で、第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]を受賞します。
 1958年(昭和33)に『雑兵』で、第10回講談倶楽部賞を受賞し、福岡県福岡市で本格的な作家生活に入り、1970年(昭和45)に第1回福岡市文学賞[小説]、1983年(昭和58)には、第8回福岡市文化賞を受賞しました。その間、1970年(昭和45)から度々直木賞候補となりますが、ようやく8回目にして、1987年(昭和62)に『海狼伝』で、第97回直木賞を受賞します。
 1992年(平成4)に『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』で、第5回柴田錬三郎賞、1994年(平成6)には、『十時半睡事件帖』シリーズがNHKでテレビドラマ化されました。1995年(平成7)には、朝日新聞で『異人館』の連載を開始、第54回西日本文化賞社会文化部門を受賞しています。
 九州の海を舞台にした海洋歴史小説を多数発表し、1998年(平成10)には、第2回海洋文学大賞特別賞を受賞しました。1999年(平成11)には、第7回福岡県文化賞[創造部門]、『怒濤のごとく』で、第33回吉川英治文学賞を受賞したものの、2002年(平成14)の冬から食道がんのため久留米市内の病院に入院後、入退院を繰り返し、2004年(平成16)9月20日に、福岡県久留米市の病院において、肺炎により、72歳で亡くなっています。

<白石一郎の主要な著作>

・『みかん』(1957年)第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]受賞
・『雑兵』(1958年)第10回講談倶楽部賞受賞
・『海狼伝』(1987年)第97回直木賞受賞
・『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』(1992年)第5回柴田錬三郎賞受賞
・『異人館』(1995年)
・『怒濤のごとく』(1999年)第33回吉川英治文学賞受賞

〇白石一郎関係略年表

・1931年(昭和6)11月9日 朝鮮の釜山で生まれる
・1945年(昭和20) 大平洋戦争敗戦に伴ない、朝鮮の釜山から長崎県佐世保市へ転居する
・1954年(昭和29) 早稲田大学政治経済学部卒業後、一時期サラリーマン生活を送る
・1955年(昭和30) 『臆病武者』が、九州時事新聞の懸賞小説に一席入選する
・1957年(昭和32) 『みかん』で、第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]を受賞する
・1958年(昭和33) 『雑兵』で、第10回講談倶楽部賞を受賞し、福岡県福岡市で作家生活に入る
・1970年(昭和45) 第1回福岡市文学賞[小説]を受賞する
・1983年(昭和58) 第8回福岡市文化賞を受賞する
・1987年(昭和62) 『海狼伝』で、第97回直木賞を受賞する
・1992年(平成4) 『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』で、第5回柴田錬三郎賞を受賞する
・1994年(平成6) 『十時半睡事件帖』シリーズがNHKでテレビドラマ化される
・1995年(平成7) 朝日新聞で、幕末から明治維新の長崎で活躍した英国商人グラバーの生涯を描いた『異人館』の連載を開始、第54回西日本文化賞社会文化部門を受賞する
・1998年(平成10) 第2回海洋文学大賞特別賞を受賞する
・1999年(平成11) 第7回福岡県文化賞[創造部門]を受賞、『怒濤のごとく』にて第33回吉川英治文学賞を受賞する、
・2002年(平成14) 冬から食道がんのため久留米市内の病院に入院する
・2004年(平成16)9月20日 福岡県久留米市の病院において、肺炎により、72歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1637年(寛永14)江戸幕府が島原の乱の鎮圧に板倉重昌らの派遣を決定する(新暦12月25日)詳細
1872年(明治5)太陽暦導入のため、「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(改暦ノ布告)が布告される(新暦12月9日)詳細
1876年(明治9)医師・細菌学者野口英世の誕生日詳細
1945年(昭和20)GHQが「農業計画に関する覚書」(SCAPIN-257)を出す詳細
1963年(昭和38)三井三池炭鉱三川鉱(福岡県大牟田市)で粉塵爆発が起き、死者458人を出す詳細
鶴見事故で列車の三重衝突が起こり、死者161人・負傷者120人を出す詳細
1962年(昭和37)廖承志と高碕達之助が「日中LT貿易覚書」に調印する詳細
1988年(昭和63)物理学者・第17代東京大学総長茅誠司の命日詳細
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fujiwaraiori01
 今日は、昭和時代中期の1948年(昭和23)に、小説家・直木賞作家藤原伊織が生まれた日です。
 藤原伊織(ふじわら いおり)は、昭和時代中期の1948年(昭和23)2月17日に、大阪府大阪市において生まれましたが、本名は利一(としかず)と言いました。大阪府立高津高等学校を卒業後、1967年(昭和42)に東京大学文科Ⅲ類に進学し、在学中の1968年(昭和43)に「第2次東大文学Ⅱ」誌(文学集団)に、「ゲーム」を書き、同誌の「表紙・目次イラスト」も描き、1971年(昭和46)には、発売された LPレコードに収録された「めくら花」の詞を書いています。
 1973年(昭和48)に東京大学文学部フランス文学科卒業後、(株)電通に入社、その後も勤務のかたわら小説を書き続けました。1977年(昭和52)に『踊りつかれて』で、野性時代新人文学賞佳作に入選、1978年(昭和53)に『風の魚』で、第5回野性時代新人文学賞候補、1982年(昭和57)に『気分はいつも、四月の光』で、第9回野性時代新人文学賞候補、1984年(昭和59)には、『ベルゲンの蕩児』で、第64回オール讀物新人賞候補となります。
 1985年(昭和60)に『ダックスフントのワープ』で、第9回すばる文学賞、1995年(平成7)に『テロリストのパラソル』で、第41回江戸川乱歩賞を受賞、翌年には、同作で第114回直木賞も受賞し、フジテレビ金曜エンタテイメント枠にて萩原健一主演でテレビドラマ化されました。2000年(平成12)に『てのひらの闇』で、第53回日本推理作家協会賞[長編及び連作短編集部門]候補となり、翌年には、同作がテレビ東京女と愛とミステリー枠にて舘ひろし主演でテレビドラマ化されています。
 2002年(平成14)に(株)電通を退社しましたが、2005年(平成17)には、癌に侵されていることを公表しました。個性あふれる登場人物が活躍するハードボイルド小説で人気を集めたものの、2007年(平成19)5月17日に、東京都品川区の病院において、食道癌のため59歳で亡くなっています。
 尚、翌年に『シリウスの道』がWOWOWドラマW枠で内野聖陽主演でテレビドラマ化されました。

〇藤原伊織の主要な著作

・『ダックスフントのワープ』(1987年)第9回すばる文学賞受賞
・『テロリストのパラソル』(1995年)第41回江戸川乱歩賞、第114回直木賞受賞
・『ひまわりの祝祭』(1997年) 
・『雪が降る』(1998年)
・『てのひらの闇』(1999年)第53回日本推理作家協会賞[長編及び連作短編集部門]候補
・『蚊トンボ 白鬚の冒険』(2002年)
・『シリウスの道』(2005年) 
・『ダナエ』(2007年)
・『遊戯』(2007年)
・『名残り火 てのひらの闇II』(2007年) 

☆藤原伊織関係略年表

・1948年(昭和23)2月17日 大阪府大阪市において、生まれる
・1967年(昭和42) 東京大学文科Ⅲ類に進学する
・1968年(昭和43) 東大在学中、『第2次東大文学Ⅱ』誌(文学集団)に、「ゲーム」を書き、同誌の「表紙・目次イラスト」も描く
・1971年(昭和46) 東大在学中、発売された LPレコードに収録された「めくら花」の詞を書く
・1973年(昭和48) 東京大学文学部フランス文学科卒業後、(株)電通に入社する
・1977年(昭和52) 『踊りつかれて』で、野性時代新人文学賞佳作に入選する
・1978年(昭和53) 『風の魚』で、第5回野性時代新人文学賞候補となる
・1982年(昭和57) 『気分はいつも、四月の光』で、第9回野性時代新人文学賞候補となる
・1984年(昭和59) 『ベルゲンの蕩児』で、第64回オール讀物新人賞候補となる
・1985年(昭和60) 『ダックスフントのワープ』で、第9回すばる文学賞を受賞する
・1995年(平成7) 『テロリストのパラソル』で、第41回江戸川乱歩賞を受賞する
・1996年(平成8) 『テロリストのパラソル』で、第114回(1995年度下半期)直木賞を受賞、フジテレビ金曜エンタテイメント枠にて萩原健一主演でテレビドラマ化される
・2000年(平成12) 『てのひらの闇』で、第53回日本推理作家協会賞[長編及び連作短編集部門]候補となる 
・2001年(平成13) 『てのひらの闇』が、テレビ東京女と愛とミステリー枠にて舘ひろし主演でテレビドラマ化される
・2002年(平成14) (株)電通を退社する
・2005年(平成17) 癌に侵されていることを公表する
・2007年(平成19)5月17日、東京都品川区の病院において、食道癌のため59歳で亡くなる
・2008年(平成20) 『シリウスの道』がWOWOWドラマW枠で内野聖陽主演でテレビドラマ化される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1272年(文永9)第88代の天皇とされる後嵯峨天皇の命日(新暦3月17日)詳細
1906年(明治39)大隈重信を会頭とし、島村抱月・坪内逍遙らが中心となり、文芸協会が結成される詳細
1928年(昭和3)国語学者・国語辞典『言海』の編纂者である大槻文彦の命日詳細
1946年(昭和21)「金融緊急措置令」(勅令第83号)が発布・施行される詳細
1955年(昭和30)小説家・評論家・随筆家坂口安吾の命日(安吾忌)詳細
1972年(昭和47)小説家平林たい子の命日詳細
2005年(平成17)愛知県常滑市に中部国際空港(愛称:セントレア)が開港する詳細
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 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、小説家・放送作家藤本義一の生まれた日です。
 藤本義一(ふじもと ぎいち)は、昭和時代前期の1933年(昭和8)1月26日に、大阪府堺市において生まれましたが、本名は義一(よしかず)と読みます。泉北郡浜寺尋常小学校(現在の堺市立浜寺小学校)を経て、1945年(昭和20)に私立浪速中学に入学後、航空機搭乗員養成所に入りましたが、敗戦となりました。
 戦後の1950年(昭和25)に新制浪速高校を卒業後、立命館大学法学部に入学したものの、まもなく中退し、翌年には、大阪府立浪速大学(現在の大阪府立大学)教育学部に入学します。1952年(昭和27)に経済学部へ転部し、在学中より脚本家を目ざしラジオドラマの懸賞に次々と入選、1955年(昭和30)にラジオドラマ「大黒主命」「花火」「あら、あら、かしこ」、1956年(昭和31)には、「うちうみ」「三等待合室」が放送されました。
 1957年(昭和32)に戯曲『つばくろの歌』で、芸術祭戯曲部門の文部大臣賞を受賞、1958年(昭和33)には、学生時代に知り合っていた統紀子夫人と結婚して枚方市に転居、校名が変わった大阪府立大学経済学部を卒業します。その後、テレビドラマ脚本を経て、宝塚映画撮影所、続いて大映に入社、1959年(昭和34)に大映にて、『貸間あり』の脚本の共作者となり、1961年(昭和36)には、NHKのドラマ「現代人間模様」を執筆しました。
 1965年(昭和40)にテレビ番組「11PM」(日本テレビ・よみうりテレビ共同製作)での大阪制作分のキャスターとなり、長編小説を書くようになって、1968年(昭和43)に『ちりめんじゃこ』、1969年(昭和44)に『マンハッタン・ブルース』、1971年(昭和46)には、『生きいそぎの記』がいずれも直木賞候補となります。1972年(昭和47)に第1回噂賞、1974年(昭和49)には、上方落語家の半生を描いた『鬼の詩』で、第71回直木賞を受賞しました。
 1975年(昭和50)に『雨月物語』の現代語訳を発表、1978年(昭和53)に上方の笑いを応援する「笑(しょう)の会」の村長を務め、1980年(昭和55)には、日本放送作家協会の関西支部長に就任するなど多彩な活躍をします。それによって、1986年(昭和61)に第1回関西大賞を受賞、1987年(昭和62)には、『螢の宿』で第7回日本文芸大賞を受賞しました。
 1990年(平成2)に、司会を務めるなど25年に渡って関わって来たテレビ番組「11PM」が最終回を迎え、1998年(平成10)に大阪芸術賞を受賞しています。1995年(平成7)の阪神・淡路大震災の被災遺児のために、1999年(平成11)に児童厚生施設「浜風の家」をオープンしました。
 しかし、2010年(平成22)に多方面にわたる活動を続ける最中に軽度の脳梗塞を患い、翌年の春に中皮腫を患っていることがわかり、余命は1年と宣告され、2012年(平成24)10月30日に、肺がんのため、79歳で亡くなっています。尚、2014年(平成26)には、遺品や蔵書を集めたギャラリー「藤本義一の書斎」が兵庫県芦屋市にオープンしました。

〇藤本義一の主要な著作

・戯曲『つばくろの歌』(1957年)芸術祭曲部門の文部大臣賞受賞
・長編小説『ちりめんじゃこ』(1968年)第61回直木賞候補
・長編小説『マンハッタン・ブルース』(1969年)第62回直木賞候補
・長編小説『生きいそぎの記』(1971年)第65回直木賞候補 
・長編小説『鬼の詩(うた)』(1974年)第71回直木賞受賞
・『大いなる笑魂(しょうこん)』(1977年)
・『西鶴(さいかく)くずし・好色一代男』(1978年)
・『人間萬事(ばんじ)』(1986年)
・『女の淵(ふち)』(1980年)
・長編小説『蛍(ほたる)の宿』(1986年)第7回日本文芸大賞受賞
・長編小説『蛍の宴(うたげ)』(1987年)
・長編小説『蛍の街』(1988年)
・長編小説『蛍の死』(1989年)
・連作短編集『迷子の天使たち』(1993年)
・短編作品集『三条木屋(きや)町』(1994年)
・エッセイ集『けったいな人たち――日本異人伝』(1994年)
・『なにわ商人(あきんど)1500年の知恵』(1994年)
・『人生の賞味期限』(2001年)
・『人生は、いつも始発駅』(2001年)
・『人生の自由時間』(2001年)

☆藤本義一関係略年表

・1933年(昭和8)1月26日 大阪府堺市において、生まれる
・1939年(昭和14) 泉北郡浜寺尋常小学校(現在の堺市立浜寺小学校)に入学する
・1945年(昭和20) 私立浪速中学に入学後、航空機搭乗員養成所に入るが、敗戦となる
・1950年(昭和25) 新制浪速高校を卒業後、立命館大学法学部に入学するが、まもなく中退する
・1951年(昭和26) 大阪府立浪速大学(現在の大阪府立大学)教育学部に入学する
・1952年(昭和27) 経済学部へ転部する
・1955年(昭和30) ラジオドラマ「大黒主命」「花火」「あら、あら、かしこ」が放送される
・1956年(昭和31) ラジオドラマ「うちうみ」「三等待合室」が放送される
・1957年(昭和32) 戯曲『つばくろの歌』で、芸術祭戯曲部門の文部大臣賞を受賞する
・1958年(昭和33) 学生時代に知り合っていた統紀子夫人と結婚して枚方市に転居、大阪府立大学経済学部を卒業する
・1959年(昭和34) 大映にて、『貸間あり』の脚本の共作者とな
・1960年(昭和35) 長女が誕生する
・1961年(昭和36) NHKのドラマ「現代人間模様」を執筆する
・1963年(昭和38) 次女が誕生する
・1965年(昭和40) テレビ番組「11PM」(日本テレビ・よみうりテレビ共同製作)での大阪制作分のキャスターとなる
・1968年(昭和43) 長編小説『ちりめんじゃこ』が第61回直木賞候補となる
・1969年(昭和44) 『マンハッタン・ブルース』が第62回直木賞候補となる
・1971年(昭和46) 『生きいそぎの記』が第65回直木賞候補となる
・1972年(昭和47) 第1回噂賞を受賞する
・1974年(昭和49) 上方落語家の半生を描いた『鬼の詩』で、第71回直木賞を受賞する
・1975年(昭和50) 『雨月物語』の現代語訳を発表する
・1978年(昭和53) 上方の笑いを応援する「笑(しょう)の会」の村長を務める
・1980年(昭和55) 日本放送作家協会の関西支部長に就任する
・1986年(昭和61) 第1回関西大賞を受賞する
・1987年(昭和62) 『螢の宿』で第7回日本文芸大賞を受賞する
・1990年(平成2) 司会を務めた「11PM」が最終回をむかえる
・1998年(平成10) 大阪芸術賞を受賞する
・1999年(平成11) 阪神・淡路大震災の被災遺児のために児童厚生施設「浜風の家」をオープンする
・2010年(平成22) 多方面にわたる活動を続ける最中に軽度の脳梗塞を患う
・2011年(平成23) 春に中皮腫を患っていることがわかり、余命は1年と宣告される
・2012年(平成24)10月30日 肺がんのため、79歳で亡くなる
・2014年(平成26) 遺品や蔵書を集めたギャラリー「藤本義一の書斎」が兵庫県芦屋市にオープンする

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1881年(明治14)神田松枝町大火が起き、10,673戸を焼失し、36,542人の被災者を出す詳細
1944年(昭和19)内務省が「(改正)防空法」により、東京と名古屋に初の建物疎開の命令を出す詳細
1949年(昭和24)奈良の法隆寺金堂が火災により焼損する(文化財防火デー)詳細
1958年(昭和33)旅客船「南海丸」が紀伊水道沼島沖で沈没、167名全員が死亡・行方不明となる(南海丸遭難事故)詳細
1997年(平成9)小説家藤沢周平の命日詳細
2006年(平成18)「重要文化的景観」第1号として滋賀県の「近江八幡の水郷」が国から選定される詳細
2013年(平成25)小説家安岡章太郎の命日詳細
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saotomemitsugu01
 今日は、平成時代の2008年(平成20)に、小説家早乙女貢の亡くなった日です。
 早乙女貢(さおとめ みつぐ)は、大正時代の1926年(大正15)1月1日に、中国・ハルビン市において、父・鐘ヶ江茂一の子として生まれましたが、本名は鐘ヶ江秀吉(かねがえ ひでよし)といいました。少年時代は体が弱かったせいもあり、15歳頃から小説家になることを志し、徴兵検査では肺浸潤のため不合格となります。
 太平洋戦争後の1946年(昭和21)に九州に引き揚げ、1948年(昭和23)に上京して、1952年(昭和27)頃には、横浜の山本周五郎の仕事場に編集者と訪ねたのを契機に師事するようになりました。1955年(昭和30)に『算盤武士』で、第6回講談倶楽部賞の選外佳作となり、その頃には、倶楽部雑誌新人賞受賞者の集まり「泉の会」に所属します。
 1956年(昭和31)に伊藤桂一、尾崎秀樹らと同人誌「小説会議」を創刊、1965年(昭和40)頃には、有馬頼義主催の「石の会」に参加しました。1966年(昭和41)に『鬼の骨』、1967年(昭和42)に『叛臣伝』で、直木賞候補となった後、1968年(昭和43)に『僑人の檻』で、第60回直木賞を受賞します。
 1974年(昭和49)に『おけい』で、1976年(昭和51)に『北条早雲』で、吉川英治賞候補となり、1988年(昭和63)には、『會津士魂』で、第23回吉川英治文学賞を受賞しました。一方で、日本ペンクラブ常任理事を務め、1984年(昭和59)の国際ペンクラブ東京大会では企画司会等を担当します。
 その後、各国で行われた国際ペンクラブの大会に参加し、1993年(平成5)には、日本ペンクラブ専務理事に就任しました。1995年(平成7)にブレッドでの国際作家会議、エルサレムでの日本文学フェスティバルに参加し、その後も各国で開催された国際ペン大会に代表として出席しています。
 趣味の絵画では、1984年(昭和59)に『江戸を歩く』原画等による個展、1985年(昭和60)に『會津士魂』出版記念個展「早乙女貢が描く会津の詩」、1995年(平成7)に「城下町を描く絵画展」などを開催し、1999年(平成11)に「政経文化画人展」に出品し、文部大臣賞を受賞しました。2003年(平成15)には、『わが師 山本周五郎』で、第16回大衆文学研究賞特別賞を受賞しましたが、2008年(平成20)12月23日に、神奈川県鎌倉市の病院において、胃癌のため82歳で亡くなっています。

〇早乙女貢の主要な著作

・『鬼の骨』(1966年)第56回直木賞候補
・『叛臣伝』(1967年)第58回直木賞候補
・『僑人の檻』(1968年)第60回直木賞受賞
・『おけい』(1974年)第8回吉川英治文学賞候補
・『血槍三代』(1974年)
・『北条早雲』(1976年)第11回吉川英治賞候補
・『會津士魂』(1985~88年)第23回吉川英治文学賞受賞
・『わが師 山本周五郎』(2003年)第16回大衆文学研究賞特別賞受賞

☆早乙女貢関係略年表

・1926年(大正15)1月1日 中国・ハルビンにおいて、父・鐘ヶ江茂一の子として生まれる
・1946年(昭和21) 九州に引き揚げる
・1948年(昭和23) 上京する
・1949年(昭和24) 『暁闇』で、第1回『叡智』懸賞小説で佳作となる
・1952年(昭和27)頃 横浜の山本周五郎の仕事場に編集者と訪ねたのを契機に師事する
・1955年(昭和30) 『算盤武士』で、第6回講談倶楽部賞の選外佳作となる
・1955年(昭和30)頃 倶楽部雑誌新人賞受賞者の集まり「泉の会」に所属する
・1956年(昭和31) 伊藤桂一、尾崎秀樹らと同人誌「小説会議」を創刊する
・1965年(昭和40)頃 有馬頼義主催の「石の会」に参加する
・1966年(昭和41) 『鬼の骨』で、第56回直木賞候補となる
・1967年(昭和42) 『叛臣伝』で、第58回直木賞候補となる
・1968年(昭和43) 『僑人の檻』で、第60回直木賞を受賞する
・1974年(昭和49) 『おけい』で、第8回吉川英治文学賞候補となる
・1976年(昭和51) 『北条早雲』で、第11回吉川英治賞候補となる
・1984年(昭和59) 国際ペンクラブ東京大会では企画司会等を担当する
・1988年(昭和63) 『會津士魂』で、第23回吉川英治文学賞を受賞する
・1993年(平成5) 日本ペンクラブ専務理事に就任する
・1995年(平成7) ブレッドでの国際作家会議、エルサレムでの日本文学フェスティバルに参加する
・2003年(平成15) 『わが師 山本周五郎』で、第16回大衆文学研究賞特別賞を受賞する
・2008年(平成20)12月23日 神奈川県鎌倉市の病院において、胃癌のため82歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1496年(明応5)第105代の天皇とされる後奈良天皇の誕生日(新暦1497年1月26日)詳細
1613年(慶長18)徳川秀忠により、「伴天連追放之文(禁教令)」が公布される(新暦1614年2月1日)詳細
1874年(明治7)洋画家和田英作の誕生日詳細
1912年(大正元)北炭夕張炭鉱(第二斜坑ほか)で爆発事故が起こり、死者216人、負傷者13人を出す詳細
1942年(昭和17)大日本言論報国会(会長:徳富蘇峰)が結成される詳細
1958年(昭和33)東京タワーの完工式が行われる詳細
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yamazakitoyoko01
 今日は、平成時代の2013年(平成25)に、小説家山崎豊子の亡くなった日です。
 山崎豊子(やまさき とよこ)は、大正時代の1924年(大正13)1月2日に、大阪市南区横堀において、老舗の昆布商「小倉屋昆布」を営む父・山本菊蔵、母・ますの長女として生まれました。相愛高等女学校(現在の相愛中学校・高等学校)を経て、京都女子専門学校(現在の京都女子大学)国文学科に進学し、1944年(昭和19)に卒業後、毎日新聞社大阪本社に入社して、調査部に配属されます。
 1945年(昭和20)に毎日新聞学芸部に転属、当時の学芸部長は井上靖で、強い影響を受け、1957年(昭和32)には、生家の昆布屋をモデルに、10年掛かりで書き上げた『暖簾』を刊行し、作家デビューを果しました。1958年(昭和33)に『花のれん』により第39回直木賞を受賞、『船場狂い』『死亡記事』など、大阪が舞台の小説を続々発表、本格的に作家生活に入るため、毎日新聞社を退社します。
 1959年(昭和34)に『ぼんち』の連載開始、この作品で大阪府芸術賞を受賞、1961年(昭和36)には、『女の勲章』の舞台を訪ねてフランスを始めヨーロッパの各国を回り、毎日新聞学芸部記者・杉本亀久雄と結婚しました。1962年(昭和37)にインフルエンザ肺炎で倒れ、半年間病気療養しながら執筆活動を続け、1963年(昭和38)には、『花紋』で第2回婦人公論読者賞を受賞、『白い巨塔』の「サンデー毎日」への連載を開始します。
 1964年(昭和39)にオスローで開催された国際ペンクラブ大会に川端康成、平林たい子と共に出席、1966年(昭和41)には、『白い巨塔』が映画化され、大ヒットしました。1968年(昭和43)に『花宴』で第6回婦人公論読者賞を受賞(後に、盗作問題で賞を返上)、1969年(昭和44)には、『華麗なる一族』の執筆取材のため、都市銀行や大蔵省、金融専門家に取材します。
 1973年(昭和48)には、『不毛地帯』執筆のため、シベリア、ハバロフスク、イルクーツクの日本人捕虜収容所、さらにテヘランの油田地帯に取材しました。1978年(昭和53)にハワイ州立大学へ客員教授として招聘され、1年間『ぼんち』をテキストに「上方文化」を講義、1979年(昭和54)には、『二つの祖国』執筆のため、ハワイ大学図書館、カリフォルニア大学図書館に出向き、資料収集します。
 1984年(昭和59)に『大地の子』執筆取材のため中国に渡り、胡耀邦総書記と対面し、1990年(平成2)に『大地の子』で、第52回文藝春秋読者賞、翌年には、第39回菊池寛賞を受賞しました。1993年(平成5)に『大地の子』の印税などを基にに「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の学資援助などを行い、1995年(平成7)には、『沈まぬ太陽』の連載を開始、『大地の子』がNHKでテレビドラマ化されます。
 2009年(平成21)には、『運命の人』で第63回毎日出版文化賞特別賞を受賞しましたが、2013年(平成25)9月29日に、大阪府堺市において、呼吸不全により、89歳で亡くなりました。

〇山崎豊子の主要な著作

・『暖簾(のれん)』(1957年)
・『花のれん』(1958年)第39回直木賞受賞
・『しぶちん』(1958年)
・『ぼんち』(1959年)大阪府芸術賞受賞
・『女の勲章』(1960~61年)
・『女系家族』(1962~63年)
・『花紋(かもん)』(1962~64年)第2回婦人公論読者賞受賞
・『白い巨塔』(1963~65年)
・『続白い巨塔』(1967~68年)
・『華麗なる一族』(1973年)
・『不毛地帯』(1976~78年)
・『二つの祖国』(1980~83年)
・『大地の子』(1987~1991年)第52回文藝春秋読者賞、第39回菊池寛賞受賞
・『沈まぬ太陽』(1995~98年)
・『運命の人』(2009年)第63回毎日出版文化賞特別賞受賞
・『約束の海』(2013年)遺作

☆山崎豊子関係略年表

・1924年(大正13)1月2日 大阪市南区横堀において、老舗の昆布商「小倉屋昆布」を営む父・山本菊蔵、母・ますの長女として生まれる
・1936年(昭和11) 旧制大阪市芦池尋常小学校(現在の大阪市立南小学校)を卒業する
・1941年(昭和16) 相愛高等女学校(現在の相愛中学校・高等学校)を卒業する。同窓生には随筆家、岡部伊都子、バイロオリニストの辻久子がいた。
・1944年(昭和19) 京都女子専門学校(現在の京都女子大学)国文学科を卒業、毎日新聞社大阪本社に入社して、調査部に配属される
・1945年(昭和20) 毎日新聞学芸部に転属、当時の学芸部長は井上靖で、強い影響を受ける
・1957年(昭和32) 生家の昆布屋をモデルに、10年掛かりで書き上げた『暖簾』を刊行して作家デビューを果たす
・1958年(昭和33) 『花のれん』により第39回直木賞を受賞、『船場狂い』『死亡記事』など、大阪が舞台の小説を続々発表、本格的に作家生活にはいるため、毎日新聞社を退社する
・1959年(昭和34) 『ぼんち』の連載開始、大阪府芸術賞を受賞する
・1961年(昭和36) 『女の勲章』の舞台を訪ねてフランスを始めヨーロッパの各国を回り、毎日新聞学芸部記者・杉本亀久雄と結婚する
・1962年(昭和37) インフルエンザ肺炎で倒れ、半年間病気療養しながら執筆活動を続ける
・1963年(昭和38) 『花紋』にて第2回婦人公論読者賞を受賞、『白い巨塔』の「サンデー毎日」への連載を開始する
・1964年(昭和39) オスローで開催された国際ペンクラブ大会に川端康成、平林たい子と共に出席する
・1966年(昭和41) 『白い巨塔』が映画化される
・1968年(昭和43) 『花宴』で第6回婦人公論読者賞を受賞する(後に、盗作問題で賞を返上)
・1969年(昭和44) 『華麗なる一族』の執筆取材のため、都市銀行や大蔵省、金融専門家に取材する
・1973年(昭和48) 『不毛地帯』執筆のため、シベリア、ハバロフスク、イルクーツクの日本人捕虜収容所、さらにテヘランの油田地帯に取材する
・1978年(昭和53) ハワイ州立大学へ客員教授として招聘され、1年間『ぼんち』をテキストに「上方文化」を講義する
・1979年(昭和54) 『二つの祖国』執筆のため、ハワイ大学図書館、カリフォルニア大学図書館に出向き、資料収集する
・1984年(昭和59) 『大地の子』執筆取材のため中国に渡り、胡耀邦総書記と対面する
・1990年(平成2) 『大地の子』で、第52回文藝春秋読者賞を受賞する
・1991年(平成3) 『大地の子』で、第39回菊池寛賞を受賞する
・1993年(平成5) 『大地の子』の印税などを基にに「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の学資援助などを行う
・1995年(平成7) 『沈まぬ太陽』の連載を開始、『大地の子』がNHKでテレビドラマ化される
・1997年(平成9) 北京日本人学校で創立20周年記念講演を行う
・2009年(平成21) 『運命の人』で第63回毎日出版文化賞特別賞を受賞する
・2013年(平成25)9月29日 大阪府堺市において、呼吸不全により、89歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

747年(天平19)東大寺大仏の鋳造が開始される(新暦11月6日)詳細
930年(延長8)第60代の天皇とされる醍醐天皇の命日(新暦10月23日)詳細
949年(天暦3)第57代の天皇とされる陽成天皇の命日(新暦10月23日)詳細
1801年(享和元)国学者本居宣長の命日(新暦11月5日)詳細
1879年(明治12)「学制」が廃止され、「教育令」が制定される詳細
1972年(昭和47)日本と中国が「日中共同声明」に調印する詳細
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