ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:直木賞

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 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、小説家・放送作家藤本義一の生まれた日です。
 藤本義一(ふじもと ぎいち)は、昭和時代前期の1933年(昭和8)1月26日に、大阪府堺市において生まれましたが、本名は義一(よしかず)と読みます。泉北郡浜寺尋常小学校(現在の堺市立浜寺小学校)を経て、1945年(昭和20)に私立浪速中学に入学後、航空機搭乗員養成所に入りましたが、敗戦となりました。
 戦後の1950年(昭和25)に新制浪速高校を卒業後、立命館大学法学部に入学したものの、まもなく中退し、翌年には、大阪府立浪速大学(現在の大阪府立大学)教育学部に入学します。1952年(昭和27)に経済学部へ転部し、在学中より脚本家を目ざしラジオドラマの懸賞に次々と入選、1955年(昭和30)にラジオドラマ「大黒主命」「花火」「あら、あら、かしこ」、1956年(昭和31)には、「うちうみ」「三等待合室」が放送されました。
 1957年(昭和32)に戯曲『つばくろの歌』で、芸術祭戯曲部門の文部大臣賞を受賞、1958年(昭和33)には、学生時代に知り合っていた統紀子夫人と結婚して枚方市に転居、校名が変わった大阪府立大学経済学部を卒業します。その後、テレビドラマ脚本を経て、宝塚映画撮影所、続いて大映に入社、1959年(昭和34)に大映にて、『貸間あり』の脚本の共作者となり、1961年(昭和36)には、NHKのドラマ「現代人間模様」を執筆しました。
 1965年(昭和40)にテレビ番組「11PM」(日本テレビ・よみうりテレビ共同製作)での大阪制作分のキャスターとなり、長編小説を書くようになって、1968年(昭和43)に『ちりめんじゃこ』、1969年(昭和44)に『マンハッタン・ブルース』、1971年(昭和46)には、『生きいそぎの記』がいずれも直木賞候補となります。1972年(昭和47)に第1回噂賞、1974年(昭和49)には、上方落語家の半生を描いた『鬼の詩』で、第71回直木賞を受賞しました。
 1975年(昭和50)に『雨月物語』の現代語訳を発表、1978年(昭和53)に上方の笑いを応援する「笑(しょう)の会」の村長を務め、1980年(昭和55)には、日本放送作家協会の関西支部長に就任するなど多彩な活躍をします。それによって、1986年(昭和61)に第1回関西大賞を受賞、1987年(昭和62)には、『螢の宿』で第7回日本文芸大賞を受賞しました。
 1990年(平成2)に、司会を務めるなど25年に渡って関わって来たテレビ番組「11PM」が最終回を迎え、1998年(平成10)に大阪芸術賞を受賞しています。1995年(平成7)の阪神・淡路大震災の被災遺児のために、1999年(平成11)に児童厚生施設「浜風の家」をオープンしました。
 しかし、2010年(平成22)に多方面にわたる活動を続ける最中に軽度の脳梗塞を患い、翌年の春に中皮腫を患っていることがわかり、余命は1年と宣告され、2012年(平成24)10月30日に、肺がんのため、79歳で亡くなっています。尚、2014年(平成26)には、遺品や蔵書を集めたギャラリー「藤本義一の書斎」が兵庫県芦屋市にオープンしました。

〇藤本義一の主要な著作

・戯曲『つばくろの歌』(1957年)芸術祭曲部門の文部大臣賞受賞
・長編小説『ちりめんじゃこ』(1968年)第61回直木賞候補
・長編小説『マンハッタン・ブルース』(1969年)第62回直木賞候補
・長編小説『生きいそぎの記』(1971年)第65回直木賞候補 
・長編小説『鬼の詩(うた)』(1974年)第71回直木賞受賞
・『大いなる笑魂(しょうこん)』(1977年)
・『西鶴(さいかく)くずし・好色一代男』(1978年)
・『人間萬事(ばんじ)』(1986年)
・『女の淵(ふち)』(1980年)
・長編小説『蛍(ほたる)の宿』(1986年)第7回日本文芸大賞受賞
・長編小説『蛍の宴(うたげ)』(1987年)
・長編小説『蛍の街』(1988年)
・長編小説『蛍の死』(1989年)
・連作短編集『迷子の天使たち』(1993年)
・短編作品集『三条木屋(きや)町』(1994年)
・エッセイ集『けったいな人たち――日本異人伝』(1994年)
・『なにわ商人(あきんど)1500年の知恵』(1994年)
・『人生の賞味期限』(2001年)
・『人生は、いつも始発駅』(2001年)
・『人生の自由時間』(2001年)

☆藤本義一関係略年表

・1933年(昭和8)1月26日 大阪府堺市において、生まれる
・1939年(昭和14) 泉北郡浜寺尋常小学校(現在の堺市立浜寺小学校)に入学する
・1945年(昭和20) 私立浪速中学に入学後、航空機搭乗員養成所に入るが、敗戦となる
・1950年(昭和25) 新制浪速高校を卒業後、立命館大学法学部に入学するが、まもなく中退する
・1951年(昭和26) 大阪府立浪速大学(現在の大阪府立大学)教育学部に入学する
・1952年(昭和27) 経済学部へ転部する
・1955年(昭和30) ラジオドラマ「大黒主命」「花火」「あら、あら、かしこ」が放送される
・1956年(昭和31) ラジオドラマ「うちうみ」「三等待合室」が放送される
・1957年(昭和32) 戯曲『つばくろの歌』で、芸術祭戯曲部門の文部大臣賞を受賞する
・1958年(昭和33) 学生時代に知り合っていた統紀子夫人と結婚して枚方市に転居、大阪府立大学経済学部を卒業する
・1959年(昭和34) 大映にて、『貸間あり』の脚本の共作者とな
・1960年(昭和35) 長女が誕生する
・1961年(昭和36) NHKのドラマ「現代人間模様」を執筆する
・1963年(昭和38) 次女が誕生する
・1965年(昭和40) テレビ番組「11PM」(日本テレビ・よみうりテレビ共同製作)での大阪制作分のキャスターとなる
・1968年(昭和43) 長編小説『ちりめんじゃこ』が第61回直木賞候補となる
・1969年(昭和44) 『マンハッタン・ブルース』が第62回直木賞候補となる
・1971年(昭和46) 『生きいそぎの記』が第65回直木賞候補となる
・1972年(昭和47) 第1回噂賞を受賞する
・1974年(昭和49) 上方落語家の半生を描いた『鬼の詩』で、第71回直木賞を受賞する
・1975年(昭和50) 『雨月物語』の現代語訳を発表する
・1978年(昭和53) 上方の笑いを応援する「笑(しょう)の会」の村長を務める
・1980年(昭和55) 日本放送作家協会の関西支部長に就任する
・1986年(昭和61) 第1回関西大賞を受賞する
・1987年(昭和62) 『螢の宿』で第7回日本文芸大賞を受賞する
・1990年(平成2) 司会を務めた「11PM」が最終回をむかえる
・1998年(平成10) 大阪芸術賞を受賞する
・1999年(平成11) 阪神・淡路大震災の被災遺児のために児童厚生施設「浜風の家」をオープンする
・2010年(平成22) 多方面にわたる活動を続ける最中に軽度の脳梗塞を患う
・2011年(平成23) 春に中皮腫を患っていることがわかり、余命は1年と宣告される
・2012年(平成24)10月30日 肺がんのため、79歳で亡くなる
・2014年(平成26) 遺品や蔵書を集めたギャラリー「藤本義一の書斎」が兵庫県芦屋市にオープンする

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1881年(明治14)神田松枝町大火が起き、10,673戸を焼失し、36,542人の被災者を出す詳細
1944年(昭和19)内務省が「(改正)防空法」により、東京と名古屋に初の建物疎開の命令を出す詳細
1949年(昭和24)奈良の法隆寺金堂が火災により焼損する(文化財防火デー)詳細
1958年(昭和33)旅客船「南海丸」が紀伊水道沼島沖で沈没、167名全員が死亡・行方不明となる(南海丸遭難事故)詳細
1997年(平成9)小説家藤沢周平の命日詳細
2006年(平成18)「重要文化的景観」第1号として滋賀県の「近江八幡の水郷」が国から選定される詳細
2013年(平成25)小説家安岡章太郎の命日詳細
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 今日は、平成時代の2008年(平成20)に、小説家早乙女貢の亡くなった日です。
 早乙女貢(さおとめ みつぐ)は、大正時代の1926年(大正15)1月1日に、中国・ハルビン市において、父・鐘ヶ江茂一の子として生まれましたが、本名は鐘ヶ江秀吉(かねがえ ひでよし)といいました。少年時代は体が弱かったせいもあり、15歳頃から小説家になることを志し、徴兵検査では肺浸潤のため不合格となります。
 太平洋戦争後の1946年(昭和21)に九州に引き揚げ、1948年(昭和23)に上京して、1952年(昭和27)頃には、横浜の山本周五郎の仕事場に編集者と訪ねたのを契機に師事するようになりました。1955年(昭和30)に『算盤武士』で、第6回講談倶楽部賞の選外佳作となり、その頃には、倶楽部雑誌新人賞受賞者の集まり「泉の会」に所属します。
 1956年(昭和31)に伊藤桂一、尾崎秀樹らと同人誌「小説会議」を創刊、1965年(昭和40)頃には、有馬頼義主催の「石の会」に参加しました。1966年(昭和41)に『鬼の骨』、1967年(昭和42)に『叛臣伝』で、直木賞候補となった後、1968年(昭和43)に『僑人の檻』で、第60回直木賞を受賞します。
 1974年(昭和49)に『おけい』で、1976年(昭和51)に『北条早雲』で、吉川英治賞候補となり、1988年(昭和63)には、『會津士魂』で、第23回吉川英治文学賞を受賞しました。一方で、日本ペンクラブ常任理事を務め、1984年(昭和59)の国際ペンクラブ東京大会では企画司会等を担当します。
 その後、各国で行われた国際ペンクラブの大会に参加し、1993年(平成5)には、日本ペンクラブ専務理事に就任しました。1995年(平成7)にブレッドでの国際作家会議、エルサレムでの日本文学フェスティバルに参加し、その後も各国で開催された国際ペン大会に代表として出席しています。
 趣味の絵画では、1984年(昭和59)に『江戸を歩く』原画等による個展、1985年(昭和60)に『會津士魂』出版記念個展「早乙女貢が描く会津の詩」、1995年(平成7)に「城下町を描く絵画展」などを開催し、1999年(平成11)に「政経文化画人展」に出品し、文部大臣賞を受賞しました。2003年(平成15)には、『わが師 山本周五郎』で、第16回大衆文学研究賞特別賞を受賞しましたが、2008年(平成20)12月23日に、神奈川県鎌倉市の病院において、胃癌のため82歳で亡くなっています。

〇早乙女貢の主要な著作

・『鬼の骨』(1966年)第56回直木賞候補
・『叛臣伝』(1967年)第58回直木賞候補
・『僑人の檻』(1968年)第60回直木賞受賞
・『おけい』(1974年)第8回吉川英治文学賞候補
・『血槍三代』(1974年)
・『北条早雲』(1976年)第11回吉川英治賞候補
・『會津士魂』(1985~88年)第23回吉川英治文学賞受賞
・『わが師 山本周五郎』(2003年)第16回大衆文学研究賞特別賞受賞

☆早乙女貢関係略年表

・1926年(大正15)1月1日 中国・ハルビンにおいて、父・鐘ヶ江茂一の子として生まれる
・1946年(昭和21) 九州に引き揚げる
・1948年(昭和23) 上京する
・1949年(昭和24) 『暁闇』で、第1回『叡智』懸賞小説で佳作となる
・1952年(昭和27)頃 横浜の山本周五郎の仕事場に編集者と訪ねたのを契機に師事する
・1955年(昭和30) 『算盤武士』で、第6回講談倶楽部賞の選外佳作となる
・1955年(昭和30)頃 倶楽部雑誌新人賞受賞者の集まり「泉の会」に所属する
・1956年(昭和31) 伊藤桂一、尾崎秀樹らと同人誌「小説会議」を創刊する
・1965年(昭和40)頃 有馬頼義主催の「石の会」に参加する
・1966年(昭和41) 『鬼の骨』で、第56回直木賞候補となる
・1967年(昭和42) 『叛臣伝』で、第58回直木賞候補となる
・1968年(昭和43) 『僑人の檻』で、第60回直木賞を受賞する
・1974年(昭和49) 『おけい』で、第8回吉川英治文学賞候補となる
・1976年(昭和51) 『北条早雲』で、第11回吉川英治賞候補となる
・1984年(昭和59) 国際ペンクラブ東京大会では企画司会等を担当する
・1988年(昭和63) 『會津士魂』で、第23回吉川英治文学賞を受賞する
・1993年(平成5) 日本ペンクラブ専務理事に就任する
・1995年(平成7) ブレッドでの国際作家会議、エルサレムでの日本文学フェスティバルに参加する
・2003年(平成15) 『わが師 山本周五郎』で、第16回大衆文学研究賞特別賞を受賞する
・2008年(平成20)12月23日 神奈川県鎌倉市の病院において、胃癌のため82歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1496年(明応5)第105代の天皇とされる後奈良天皇の誕生日(新暦1497年1月26日)詳細
1613年(慶長18)徳川秀忠により、「伴天連追放之文(禁教令)」が公布される(新暦1614年2月1日)詳細
1874年(明治7)洋画家和田英作の誕生日詳細
1912年(大正元)北炭夕張炭鉱(第二斜坑ほか)で爆発事故が起こり、死者216人、負傷者13人を出す詳細
1942年(昭和17)大日本言論報国会(会長:徳富蘇峰)が結成される詳細
1958年(昭和33)東京タワーの完工式が行われる詳細
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 今日は、平成時代の2013年(平成25)に、小説家山崎豊子の亡くなった日です。
 山崎豊子(やまさき とよこ)は、大正時代の1924年(大正13)1月2日に、大阪市南区横堀において、老舗の昆布商「小倉屋昆布」を営む父・山本菊蔵、母・ますの長女として生まれました。相愛高等女学校(現在の相愛中学校・高等学校)を経て、京都女子専門学校(現在の京都女子大学)国文学科に進学し、1944年(昭和19)に卒業後、毎日新聞社大阪本社に入社して、調査部に配属されます。
 1945年(昭和20)に毎日新聞学芸部に転属、当時の学芸部長は井上靖で、強い影響を受け、1957年(昭和32)には、生家の昆布屋をモデルに、10年掛かりで書き上げた『暖簾』を刊行し、作家デビューを果しました。1958年(昭和33)に『花のれん』により第39回直木賞を受賞、『船場狂い』『死亡記事』など、大阪が舞台の小説を続々発表、本格的に作家生活に入るため、毎日新聞社を退社します。
 1959年(昭和34)に『ぼんち』の連載開始、この作品で大阪府芸術賞を受賞、1961年(昭和36)には、『女の勲章』の舞台を訪ねてフランスを始めヨーロッパの各国を回り、毎日新聞学芸部記者・杉本亀久雄と結婚しました。1962年(昭和37)にインフルエンザ肺炎で倒れ、半年間病気療養しながら執筆活動を続け、1963年(昭和38)には、『花紋』で第2回婦人公論読者賞を受賞、『白い巨塔』の「サンデー毎日」への連載を開始します。
 1964年(昭和39)にオスローで開催された国際ペンクラブ大会に川端康成、平林たい子と共に出席、1966年(昭和41)には、『白い巨塔』が映画化され、大ヒットしました。1968年(昭和43)に『花宴』で第6回婦人公論読者賞を受賞(後に、盗作問題で賞を返上)、1969年(昭和44)には、『華麗なる一族』の執筆取材のため、都市銀行や大蔵省、金融専門家に取材します。
 1973年(昭和48)には、『不毛地帯』執筆のため、シベリア、ハバロフスク、イルクーツクの日本人捕虜収容所、さらにテヘランの油田地帯に取材しました。1978年(昭和53)にハワイ州立大学へ客員教授として招聘され、1年間『ぼんち』をテキストに「上方文化」を講義、1979年(昭和54)には、『二つの祖国』執筆のため、ハワイ大学図書館、カリフォルニア大学図書館に出向き、資料収集します。
 1984年(昭和59)に『大地の子』執筆取材のため中国に渡り、胡耀邦総書記と対面し、1990年(平成2)に『大地の子』で、第52回文藝春秋読者賞、翌年には、第39回菊池寛賞を受賞しました。1993年(平成5)に『大地の子』の印税などを基にに「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の学資援助などを行い、1995年(平成7)には、『沈まぬ太陽』の連載を開始、『大地の子』がNHKでテレビドラマ化されます。
 2009年(平成21)には、『運命の人』で第63回毎日出版文化賞特別賞を受賞しましたが、2013年(平成25)9月29日に、大阪府堺市において、呼吸不全により、89歳で亡くなりました。

〇山崎豊子の主要な著作

・『暖簾(のれん)』(1957年)
・『花のれん』(1958年)第39回直木賞受賞
・『しぶちん』(1958年)
・『ぼんち』(1959年)大阪府芸術賞受賞
・『女の勲章』(1960~61年)
・『女系家族』(1962~63年)
・『花紋(かもん)』(1962~64年)第2回婦人公論読者賞受賞
・『白い巨塔』(1963~65年)
・『続白い巨塔』(1967~68年)
・『華麗なる一族』(1973年)
・『不毛地帯』(1976~78年)
・『二つの祖国』(1980~83年)
・『大地の子』(1987~1991年)第52回文藝春秋読者賞、第39回菊池寛賞受賞
・『沈まぬ太陽』(1995~98年)
・『運命の人』(2009年)第63回毎日出版文化賞特別賞受賞
・『約束の海』(2013年)遺作

☆山崎豊子関係略年表

・1924年(大正13)1月2日 大阪市南区横堀において、老舗の昆布商「小倉屋昆布」を営む父・山本菊蔵、母・ますの長女として生まれる
・1936年(昭和11) 旧制大阪市芦池尋常小学校(現在の大阪市立南小学校)を卒業する
・1941年(昭和16) 相愛高等女学校(現在の相愛中学校・高等学校)を卒業する。同窓生には随筆家、岡部伊都子、バイロオリニストの辻久子がいた。
・1944年(昭和19) 京都女子専門学校(現在の京都女子大学)国文学科を卒業、毎日新聞社大阪本社に入社して、調査部に配属される
・1945年(昭和20) 毎日新聞学芸部に転属、当時の学芸部長は井上靖で、強い影響を受ける
・1957年(昭和32) 生家の昆布屋をモデルに、10年掛かりで書き上げた『暖簾』を刊行して作家デビューを果たす
・1958年(昭和33) 『花のれん』により第39回直木賞を受賞、『船場狂い』『死亡記事』など、大阪が舞台の小説を続々発表、本格的に作家生活にはいるため、毎日新聞社を退社する
・1959年(昭和34) 『ぼんち』の連載開始、大阪府芸術賞を受賞する
・1961年(昭和36) 『女の勲章』の舞台を訪ねてフランスを始めヨーロッパの各国を回り、毎日新聞学芸部記者・杉本亀久雄と結婚する
・1962年(昭和37) インフルエンザ肺炎で倒れ、半年間病気療養しながら執筆活動を続ける
・1963年(昭和38) 『花紋』にて第2回婦人公論読者賞を受賞、『白い巨塔』の「サンデー毎日」への連載を開始する
・1964年(昭和39) オスローで開催された国際ペンクラブ大会に川端康成、平林たい子と共に出席する
・1966年(昭和41) 『白い巨塔』が映画化される
・1968年(昭和43) 『花宴』で第6回婦人公論読者賞を受賞する(後に、盗作問題で賞を返上)
・1969年(昭和44) 『華麗なる一族』の執筆取材のため、都市銀行や大蔵省、金融専門家に取材する
・1973年(昭和48) 『不毛地帯』執筆のため、シベリア、ハバロフスク、イルクーツクの日本人捕虜収容所、さらにテヘランの油田地帯に取材する
・1978年(昭和53) ハワイ州立大学へ客員教授として招聘され、1年間『ぼんち』をテキストに「上方文化」を講義する
・1979年(昭和54) 『二つの祖国』執筆のため、ハワイ大学図書館、カリフォルニア大学図書館に出向き、資料収集する
・1984年(昭和59) 『大地の子』執筆取材のため中国に渡り、胡耀邦総書記と対面する
・1990年(平成2) 『大地の子』で、第52回文藝春秋読者賞を受賞する
・1991年(平成3) 『大地の子』で、第39回菊池寛賞を受賞する
・1993年(平成5) 『大地の子』の印税などを基にに「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の学資援助などを行う
・1995年(平成7) 『沈まぬ太陽』の連載を開始、『大地の子』がNHKでテレビドラマ化される
・1997年(平成9) 北京日本人学校で創立20周年記念講演を行う
・2009年(平成21) 『運命の人』で第63回毎日出版文化賞特別賞を受賞する
・2013年(平成25)9月29日 大阪府堺市において、呼吸不全により、89歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

747年(天平19)東大寺大仏の鋳造が開始される(新暦11月6日)詳細
930年(延長8)第60代の天皇とされる醍醐天皇の命日(新暦10月23日)詳細
949年(天暦3)第57代の天皇とされる陽成天皇の命日(新暦10月23日)詳細
1801年(享和元)国学者本居宣長の命日(新暦11月5日)詳細
1879年(明治12)「学制」が廃止され、「教育令」が制定される詳細
1972年(昭和47)日本と中国が「日中共同声明」に調印する詳細
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 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、小説家半村良の生まれた日です。
 半村良(はんむら りょう)は、東京府東京市葛飾区において、生まれましたが、本名は清野 平太郎(きよの へいたろう)と言いました。小学1年生の時に父を失ない、太平洋戦争下の1942~45年まで、母親の実家である石川県能登地方に疎開しています。
 1952年(昭和27)に東京都立両国高等学校を卒業したものの、事務員、工員、バーテンなど30数種の職業を転々としました。広告代理店勤務中の1962年(昭和37)に、『収穫』が第2回ハヤカワSFコンテストの第3席に入選し、SF作家の道に進むこととします。
 日本SF作家クラブの事務局長も務めましたが、1960年代は数編の短編を『SFマガジン』に発表しただけで、ほぼ沈黙していました。1971年(昭和46)に伝奇小説とSF小説の要素を合わせた『石の血脈』を執筆、翌年に第3回星雲賞(日本長編部門)を受賞して出世作となります。
 1973年(昭和48)に『産霊山秘録』で第1回泉鏡花賞、1974年(昭和49)に『雨やどり』で第72回直木賞を受賞しました。また、同年に『戦国自衛隊』で注目され、1979年(昭和54)には、映画化されて話題となります。
 1984年(昭和59)に北海道苫小牧市に転居したものの、1987年(昭和62)には、東京浅草に戻りました。1988年(昭和63)に『岬一郎の抵抗』で、第9回日本SF大賞、1993年(平成5)には、『かかし長屋』で第6回柴田錬三郎賞を受賞しています。
 1994年(平成6)に雑誌連載が中断し未完だった『虚空王の秘宝』を完結させて刊行、1995年(平成7)には、単行本刊行が中断していた『妖星伝』を完結させました。1999年(平成11)に栃木県鹿沼市に移住しましたが、2001年(平成13)には、家族の住む東京・調布に戻り、翌年3月4日に、肺炎のため68歳で亡くなり、第20回日本冒険小説協会大賞特別賞を贈られています。

〇半村良の主要な著作

・『石の血脈』(1971年)第3回星雲賞(日本長編部門)受賞
・『産霊山秘録』(1973年)第1回泉鏡花賞受賞
・『戦国自衛隊』(1974年)
・『不可触領域』(1974年)
・『雨やどり』(1975年)第72回直木賞受賞
・『どぶどろ』(1977年)
・『岬一郎の抵抗』(1988年)第9回日本SF大賞受賞
・『かかし長屋』(1993年)第6回柴田錬三郎賞受賞
・『太陽の世界』(1980~1989年)
・『すべて辛抱』(2001年)

☆半村良関係略年表

・1933年(昭和8)10月27日 東京府東京市葛飾区において、生まれる
・1942年(昭和17) 母親の実家である石川県能登地方に疎開する
・1945年(昭和20) 疎開先から東京へ戻る
・1952年(昭和27) 東京都立両国高等学校を卒業する
・1962年(昭和37) 『収穫』が第2回ハヤカワSFコンテストの第3席に入選する
・1971年(昭和46) 伝奇小説とSF小説の要素を合わせた『石の血脈』が出世作となる
・1972年(昭和47) 『石の血脈』で第3回星雲賞(日本長編部門)を受賞する
・1973年(昭和48) 『産霊山秘録』で第1回泉鏡花賞を受賞する
・1974年(昭和49) 『雨やどり』で第72回直木賞を受賞する
・1979年(昭和54) 『戦国自衛隊』が映画化されて話題となる
・1984年(昭和59) 北海道苫小牧市に転居する
・1987年(昭和62) 東京浅草に戻る
・1988年(昭和63) 『岬一郎の抵抗』で、第9回日本SF大賞を受賞する
・1993年(平成5) 『かかし長屋』で第6回柴田錬三郎賞を受賞する
・1994年(平成6) 雑誌連載が中断し未完だった『虚空王の秘宝』を完結させて刊行する
・1995年(平成7) 単行本刊行が中断していた『妖星伝』を完結させる
・1999年(平成11) 栃木県鹿沼市に移住する
・2001年(平成13) 群馬県前橋市から、家族の住む東京・調布に戻る
・2002年(平成14)3月4日 東京において、肺炎のため68歳で亡くなり、第20回日本冒険小説協会大賞特別賞を贈られる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

記念日「文字・活字文化振興法」により制定された「文字・活字文化の日」です詳細
1876年(明治9)秋月の乱がおこる詳細
1903年(明治36)幸徳秋水と堺利彦が平民社を設立する詳細
1914年(大正3)詩人・俳人木下夕爾の誕生日詳細
1977年(昭和52)日本画家前田青邨の命日詳細

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sugimotosonoko01
 今日は、大正時代の1925年(大正14)に、小説家杉本苑子が生まれた日です。
 杉本苑子(すぎもと そのこ)は、東京都牛込区(現・新宿区)において、薬剤師の父・杉本福次郎と母・成子の長女として生まれました。1943年(昭和18)に、駒沢高等女学校(現在の駒沢女子大学)卒業後、仏教系の千代田女子専門学校に入学し、国文学を専攻します。
 翌年に、同校を中退し、内務省防空研究所に務めたものの、1947年(昭和22)には、文化学院文科に入学し、世阿弥を研究しました。1949年(昭和24)に文化学院文科を卒業、1951年(昭和26)に、初めて書いた小説『申楽新記』がサンデー毎日百万円懸賞の3席入賞、翌年に『燐の譜』で第42回サンデー毎日大衆文芸賞に入選した時の審査委員吉川英治に弟子入りします。
 その下で、文学修業に励みましたが、師の指示により10年間は作品を一切発表しませんでした。1961年(昭和36)に、師の許可を得て、初めて商業誌「別冊週刊朝日」に『柿の木の下』を発表、処女創作集『船と将軍』を刊行します。
 翌年には、江戸幕府が薩摩藩に命じた濃尾平野の治水事業をめぐる悲劇を描いた『孤愁の岸』で第48回直木賞を受賞しました。古典の素養と構成力の確かさで、幅広い時代を扱った歴史小説に取り組み、1977年(昭和52)に『滝沢馬琴』で第12回吉川英治文学賞を受賞、1985年(昭和60)には、『マダム貞奴』および『冥府回廊』を原作とするNHK大河ドラマ『春の波濤』が放映されます。
 さらに、1986年(昭和61)に『穢土荘厳』で第25回女流文学賞を受賞、1987年(昭和62)に紫綬褒章を受章、1995年(平成7)に文化功労者となりました。続いて、1997年(平成9)に熱海市名誉市民、1999年(平成11)にNHK放送文化賞、2002年(平成14)に第50回菊池寛賞、文化勲章と数々の栄誉に輝きます。
 生涯独身を通しましたが、2017年(平成29)5月31日に、静岡県熱海市の自邸において、老衰のため91歳で亡くなりました。

〇杉本苑子の主要な著作

・『申楽新記』(1951年)サンデー毎日百万円懸賞の3席入賞
・『燐の譜』(1952年)第42回サンデー毎日大衆文芸賞入選
・『孤愁の岸』(1962年)第48回直木賞を受賞
・『船と将軍』(1962年)
・『春日局(かすがのつぼね)』(1970年)
・『埋(うず)み火』(1974年)
・『マダム貞奴』(1975年)
・『滝沢馬琴』(1977年)第12回吉川英治文学賞受賞
・『冥府回廊』(1984年)
・『穢土荘厳』(1986年)第25回女流文学賞を受賞

☆杉本苑子関係略年表

・1925年(大正14)6月26日 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)で、薬剤師の父・杉本福次郎と母・成子の長女として生まれる
・1943年(昭和18) 駒沢高等女学校(現在の駒沢女子大学)卒業後、仏教系の千代田女子専門学校に入学し、国文学を専攻する
・1944年(昭和19) 千代田女子専門学校を中退し、内務省防空研究所に務める
・1947年(昭和22) 文化学院文科に入学する
・1949年(昭和24) 文化学院文科を卒業する
・1951年(昭和26) 初めて書いた小説『申楽新記』がサンデー毎日百万円懸賞の3席入賞となる
・1952年(昭和27) 『燐の譜』で第42回サンデー毎日大衆文芸賞に入選する
・1961年(昭和36) 初めて商業誌「別冊週刊朝日」に『柿の木の下』を発表、処女創作集『船と将軍』を刊行する
・1962年(昭和37) 書き下ろし長編『孤愁の岸』で第48回直木賞を受賞する
・1977年(昭和52) 『滝沢馬琴』で第12回吉川英治文学賞を受賞、小学館『戦乱 日本の歴史』7(天下布武)を共著として刊行する
・1985年(昭和60) 『マダム貞奴』および『冥府回廊』を原作とするNHK大河ドラマ『春の波濤』が放映される
・1986年(昭和61) 『穢土荘厳』で第25回女流文学賞を受賞する
・1987年(昭和62) 紫綬褒章を受章する
・1995年(平成7) 文化功労者となる
・1997年(平成9) 熱海市名誉市民となる
・1999年(平成11) NHK放送文化賞を受賞する
・2002年(平成14) 第50回菊池寛賞を受賞、文化勲章を受章する
・2017年(平成29)5月31日 静岡県熱海市の自邸において、老衰により91歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1833年(天保4)長州藩士・政治家木戸孝允(桂小五郎)の誕生日(新暦8月11日)詳細
1903年(明治36)小説家・評論家・翻訳家・英文学者阿部知二の誕生日詳細
1945年(昭和20)「国際連合憲章」に52ヶ国が署名する詳細
鈴木貫太郎内閣によって「重要物資等の緊急疎開に関する件」が閣議決定される詳細
1968年(昭和43)「小笠原返還協定」が発効し、小笠原諸島がアメリカから日本に返還される詳細
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