ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:直下型地震

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 今日は、江戸時代前期の1611年(慶長16)に、慶長会津地震が起き、若松城下などで寺社・家屋が倒壊し、死者3,700余人を出した日ですが、新暦では9月27日となります。
 慶長会津地震(けいちょうあいづじしん)は、この日の午前9時頃に、会津盆地西縁断層帯付近を震源として発生した、直下型地震(マグニチュード6.9程度)でした。震源が浅かったので、局地的には震度7~6強に相当する激しい揺れがあったと推定され、若松城下などで寺社・家屋が倒壊し、倒壊家屋は2万戸余り、死者3,700余人を出します。
 若松城は、石垣、塀、櫓が崩壊し、天守も傾いたとされ、会津坂下町塔寺の恵隆寺(立木観音堂)や柳津町の円蔵寺、喜多方市慶徳町の新宮熊野神社、西会津町の如法寺にも大きな被害が生じたと伝えられてきました。また、各地で地すべりや山崩れが起き、喜多方市慶徳町山科付近では、阿賀川(当時の会津川)が堰き止められたため、東西約4-5km、南北約2~4km、面積10~16㎢におよぶ山崎新湖が誕生し、23もの集落が浸水したとされています。
 尚、15年前の1596年(文禄5)には、閏7月6日に慶長伊予地震(マグニチュード7.0)、閏7月9日に慶長豊後地震(マグニチュード7.0)、閏7月13日に慶長伏見地震(マグニチュード7.5)が起きていて、これらの天変地異が影響して、同年10月27日に文禄から慶長へと改元が行われたものの、その後、1605年(慶長9年12月16日)に慶長地震(マグニチュード7.9)、1611年(慶長16年8月21日)に慶長会津地震(マグニチュード6.9)、1611年(慶長16年10月28日)に慶長三陸地震(マグニチュード8.1)と大地震が続き、これらの地震をまとめて、「慶長の大地震」とも呼ばれてきました。

〇慶長の大地震一覧

・1596年(文禄5年閏7月6日)慶長伊予地震[伊予地域]M7.0
・1596年(文禄5年閏7月9日)慶長豊後地震[豊後地域]M7.0 大津波が来襲し別府湾沿岸で家屋がほとんど流失、死者708人。
・1596年(文禄5年閏7月13日)慶長伏見地震[畿内地域]M7.5 伏見城天守閣が大破、石垣が崩れ500余人圧死、堺で死者600余人。
・1605年(慶長9年12月16日)慶長地震[東海・南海・西海諸道地域]M7.9 津波が犬吠埼から九州まで太平洋岸に来襲、死者多数。
・1611年(慶長16年8月21日)慶長会津地震[会津地域]M6.9 若松城下などで寺社・家屋が倒壊し死者3,700余人。
・1611年(慶長16年10月28日)慶長三陸地震[三陸沿岸・北海道東岸地域]M8.1 沿岸で家屋が多数流出、伊達領内で死者1,783人、北海道東部でも溺死者多数。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

770年(宝亀元)皇太子の白壁王により、道鏡が造下野国薬師寺別当に左遷される(新暦9月14日)詳細
1264年(文永元)鎌倉幕府第6代執権北条長時の命日(新暦9月12日)詳細
1862年(文久2)生麦事件が起きる(新暦9月14日)詳細
1877年(明治10)東京の上野公園で第1回内国勧業博覧会が開会される詳細
1909年(明治42)数学者・教育家遠山啓の誕生日詳細
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kitatangojishin01

 今日は、昭和時代前期の1927年(昭和2)に、京都府北部の丹後半島で北丹後地震(M7.3)が起き、死者2,925人・負傷者7,806人を出した日です。
 北丹後地震(きたたんごじしん)は、午後6時27分に発生した、京都府竹野郡郷村(現在の京丹後市)を震源(北緯35度37.9分、東経134度55.8分)とした直下型地震で、兵庫県の豊岡町(現・豊岡市)、京都府の宮津町(現・宮津市)、峰山町(現・京丹後市)で震度6を、京都市、兵庫県洲本市、福井県福井市、敦賀市、奈良県奈良市、広島県福山市で震度5を記録するなど、北近畿を中心に中国・四国地方にまで影響が及びました。この地震により、丹後半島の頸部を切るような形で郷村断層(長さ18km)が、これと直交する形で山田断層(長さ7km)が出現し、これに沿って多くの建物が倒壊、夕飯支度の時間だったために火災も起き、また大阪市内では液状化現象も出現します。
 この結果、死者2,925人(京都府内・2,898人)、負傷者7,806人、全壊1万2,584棟、半壊9,443戸、焼失8,287戸という大きな被害が生じました。地震研究所が設置されて間もないときに発生した地震だったので、各種の近代的調査(余震分布、地殻変動、断層調査など)や研究が行われ、地震研究上画期を成すものとなります。
 現在、この地震で地表に現れた断層のほとんどは農地となって見ることができませんが、郷村断層の一部は3ヶ所で保存され、国の天然記念物にも指定されました。

〇明治時代以降に日本周辺で起きた被害の大きかった地震ワースト12

1. 関東地震[関東大震災](1923年9月1日)死者・行方不明者105,385人<マグニチュード7.9>
2. 東北地方太平洋沖地震[東日本大震災](2011年3月11日)死者・行方不明者22,010人<マグニチュード9.0>
3. 明治三陸地震(1896年6月15日)死者・行方不明者21,959人<マグニチュード8.2>
4. 濃尾地震(1891年10月28日)死者・行方不明者7,273人<マグニチュード8.0>
5. 兵庫県南部地震[阪神・淡路大震災](1995年1月17日)死者・行方不明者6,437人<マグニチュード7.3>
6. 福井地震(1948年6月28日)死者・行方不明者3,769人<マグニチュード7.1>
7. 昭和三陸地震(1933年3月3日)死者・行方不明者3,064人<マグニチュード8.1>
8. 北丹後地震(1927年3月7日)死者2,925人<マグニチュード7.3>
9. 三河地震(1945年1月13日)死者・行方不明者1,961人<マグニチュード6.8>
10,昭和南海地震(1946年12月21日)死者・行方不明者1,443人<マグニチュード8.0>
11.昭和東南海地震(1944年12月7日)死者・行方不明者1,223人<マグニチュード7.9>
12.鳥取地震(1943年9月10日)死者1,083人<マグニチュード7.2>

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1908年(明治41)青森~函館間の鉄道連絡船として、青函連絡船が運航を開始する詳細
1940年(昭和15)民政党斎藤孝夫が反軍演説(日中戦争の処理を厳しく追及)で議員除名される詳細
1941年(昭和16)国防保安法」が公布される詳細
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totttorijishin01

 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)に、山陰地方で鳥取地震(M7.2)が起き、死者1,083人を出した日です。
 鳥取地震(とっとりじしん)は、17時36分54秒に、鳥取県気高郡豊実村(現在の鳥取市)野坂川中流域を震源(深さはごく浅い)として発生したマグニチュード7.2の直下型地震で、これによって、鹿野断層(長さ8km)、吉岡断層(長さ4.5km)が出現、気高郡湖山村(現在の鳥取市)で震度6(当時の最大震度)を観測したのをはじめ、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録しました。この結果、激しい揺れにより、鳥取市を中心に多くの建物が倒壊、死者1,083人、家屋の全壊は7,485戸、半壊6,185戸、焼失251戸などの大きな被害が発生します。
 さらに、地震の影響による液状化現象の観測された地域も出現、地盤沈下も見られ、山陰本線や因美線などの鉄道も長期間にわたって不通となり、電話をはじめとする通信や道路も大きな被害を受け、梨などの農産物への被害も甚大で、被害総額は当時の金額で、1億6,000万円にも及びました。また、1945年(昭和20)の終戦前後に起きた、昭和東南海地震(1944年12月7日)、三河地震(1945年1月13日)、昭和南海地震(1946年12月21日)、と共に、4年連続で1,000人を超える死者を出した4大地震の一つとしても知られています。

 〇明治時代以降に日本周辺で起きた被害の大きかった地震ワースト12

1. 関東地震[関東大震災](1923年9月1日)死者・行方不明者105,385人<マグニチュード7.9>
2. 東北地方太平洋沖地震[東日本大震災](2011年3月11日)死者・行方不明者22,010人<マグニチュード9.0>
3. 明治三陸地震(1896年6月15日)死者・行方不明者21,959人<マグニチュード8.2>
4. 濃尾地震(1891年10月28日)死者・行方不明者7,273人<マグニチュード8.0>
5. 兵庫県南部地震[阪神・淡路大震災](1995年1月17日)死者・行方不明者6,437人<マグニチュード7.3>
6. 福井地震(1948年6月28日)死者・行方不明者3,769人<マグニチュード7.1>
7. 昭和三陸地震(1933年3月3日)死者・行方不明者3,064人<マグニチュード8.1>
8. 北丹後地震(1927年3月7日)死者2,912人<マグニチュード7.3>
9. 三河地震(1945年1月13日)死者・行方不明者1,961人<マグニチュード6.8>
10,昭和南海地震(1946年12月21日)死者・行方不明者1,443人<マグニチュード8.0>
11.昭和東南海地震(1944年12月7日)死者・行方不明者1,223人<マグニチュード7.9>
12.鳥取地震(1943年9月10日)死者1,083人<マグニチュード7.2>

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事) 

1561年(永禄4)第4次川中島の戦い(八幡原の戦い)が始まる(新暦10月27日)詳細
1704年(宝永元)俳人向井去來(蕉門十哲の一人)の命日(新暦10月8日)詳細
1960年(昭和35)東京・大阪の5局でカラーテレビ本放送が開始される詳細
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