ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:百人一首

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 今日は、平安時代後期の1111年(天永2)に、公卿・儒学者・歌人大江匡房の亡くなった日ですが、新暦では12月7日となります。
 大江匡房(おおえ の まさふさ)は、平安時代中期の1041年(長久2)に、父・大学頭成衡(しげひら)、母・文章博士宮内大輔橘孝親の娘の子として生まれました。幼少のころから文才があったと伝えられ、8歳で『史記』『漢書』に通じ、11歳で詩を賦し、世人から神童といわれます。
 1056年(天喜4)に、省試に合格して文章得業生、翌年に、丹波掾となり、1058年(康平元)には、対策に及第しました。1060年(康平3)に、治部少丞・式部少丞を経て従五位下に叙せられ、1067年(治暦3)には、東宮学士(春宮・尊仁親王)となりました。1068年(治暦4)に、尊仁親王が即位(後三条天皇)すると五位蔵人に補せられ、1069年(治暦5)には、蔵人・左衛門権佐・右少弁の三事を兼任する異例の昇任を果たします。
 1078年(承暦2)に、自らの邸宅に江家文庫を設置、『内裏歌合』に出詠し、1080年(承暦4)に権左中弁として弁官局に復し、1081年(永保元)に左中弁となり、1083年(永保3)には、式部権大輔も兼ねました。1084年(応徳元)に左大弁となり、1086年(応徳3)に従三位に叙せられ、1087年(応徳4年)に式部大輔、1088年(寛治2年)には、正三位に叙せられ、参議となって公卿に列します。
 1094年(寛治8)に従二位、権中納言となり、1096年(寛治10年)には、永長の大田楽を記録した『洛陽田楽記』を著しました。1097年(承徳元)に大宰権帥を兼ね、翌年には、筑前の大宰府に下向しましたが、1102年(康和4)には、任期満了に伴って京都に戻り、正二位に叙せられます。1105年(長治2)には、所領に関連して興福寺西金堂衆と争い、西金堂衆に襲われて荘園を焼き払われました。1106年(嘉承元)に再び大宰権帥を兼ねましたが、病気もあって任地には下向せずに終わります。
 1111年(天永2)に大蔵卿に遷任されたものの、同年11月5日に京都において、数え年71歳で亡くなっています。博学で、和歌、漢詩はもとより、歴史、儀式、遊芸から兵学にいたるまで通じていて、その著作は非常に多く、後三条、白河、堀河天皇の侍読ともなり、『後拾遺和歌集』以後の勅撰集に多くの秀作を残し、百人一首にも入りました。

<大江匡房の代表的な和歌>

・「高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ」(百人一首73番:後拾遺和歌集)
・「津の國の 蘆の葉凌ぎ 降る雪に 昆陽の篠屋も 埋もれにけり」
・「たかをかに 群れゐる人も 諸共に 千代契りし わかなをぞつむ」
・「箱根山 うすむらさきの つぼすみれ ふたしほみしほ たれか染めけむ」
・「春霞 立ちかくせども 姫小松 ひくまの野邊に 我は来にけり」(金葉和歌集)
・「山ざくら 千々に心の くだくるは 散る花ごとに そふにやあるらむ」(千載和歌集)

〇大江匡房の主要な著作

・『洛陽田楽(らくようでんがく)記』(1096年)
・有職故実書『江家次第(ごうけしだい)』
・『和漢朗詠集』の注釈『朗詠江注』
・説話集『江談抄』
・兵法書『闘戦経』
・『続本朝往生伝』(1101年~1111年成立)
・『本朝神仙伝』
・和歌集『江帥(ごうのそつ)集』
・『江都督納言願文(がんもん)集』(1061~1111年)

☆大江匡房関係略年表(日付は旧暦です)

・1041年(長久2年) 父・大学頭成衡(しげひら)、母・文章博士・宮内大輔橘孝親の女の子として生まれる
・1048年(永承3年) 8歳で『史記』『漢書』に通じる
・1051年(永承6年) 11歳で詩を賦し、世人から神童といわれる
・1056年(天喜4年) 16歳で、省試に合格して文章得業生となる
・1057年(天喜5年) 丹波掾となる
・1058年(康平元年) 18歳で対策に及第する
・1060年(康平3年) 治部少丞・式部少丞を経て従五位下に叙せられる
・1067年(治暦3年) 東宮学士(春宮・尊仁親王)となる
・1068年(治暦4年) 尊仁親王が即位(後三条天皇)すると五位蔵人に補せられる
・1069年(治暦5年) 29歳で蔵人・左衛門権佐・右少弁の三事を兼任する異例の昇任をする
・1078年(承暦2年) 自らの邸宅に江家文庫を設置、『内裏歌合』に出詠する
・1080年(承暦4年) 権左中弁として弁官局に復する
・1081年(永保元年) 左中弁となる
・1083年(永保3年) 式部権大輔も兼ねる
・1084年(応徳元年) 左大弁となる
・1086年(応徳3年) 従三位に叙せられる
・1087年(応徳4年) 式部大輔となる
・1088年(寛治2年) 正三位に叙せられ、参議となり、公卿に列する
・1094年(寛治8年) 従二位、権中納言となる
・1096年(寛治10年)  永長の大田楽を記録した『洛陽田楽(らくようでんがく)記』を著す
・1097年(承徳元年) 大宰権帥を兼ねる
・1098年(永長3年) 58歳で筑前の大宰府に下向する
・1102年(康和4年) 正二位に叙せられる
・1105年(長治2年) 所領に関連して興福寺西金堂衆と争い、西金堂衆に襲われて荘園を焼き払われる
・1106年(嘉承元年) 再び大宰権帥を兼ねるが、病気もあって任地には下向せず
・1111年(天永2年11月5日) 京都において、71歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事).

1854年(嘉永7)安政南海地震が起き、甚大な被害が出る(新暦12月24日)詳細
1857年(安政4)吉田松陰が長州藩の許可を得て萩に松下村塾を開講する(新暦12月9日)詳細
1888年(明治21)日本画家・近代日本画の父狩野芳崖の命日詳細
1895年(明治28)「日伯修好通商航海条約」が締結される(日本ブラジル修好記念日)詳細
1930年(昭和5)大原孫三郎が集めた西欧名画を展示する大原美術館(岡山県倉敷市)が開館する詳細
1937年(昭和12)社会運動家・小説家・評論家木下尚江の命日詳細
1941年(昭和16)第7回御前会議の「帝国国策遂行要領」で対米交渉の甲乙二案を決定、決裂時は武力行使と決まる詳細
1954年(昭和29)日本とビルマ連邦が、ビルマのラングーンで「日本国とビルマ連邦との間の平和条約」に調印する詳細
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 今日は、平安時代中期の949年(天暦3)に、第57代の天皇とされる陽成天皇が亡くなった日ですが、新暦では10月23日となります。
 陽成天皇(ようぜいてんのう)は、平安時代前期の868年(貞観10)に京都において、清和天皇の第一皇子(母は藤原長良の娘高子)として生まれましたが、名は貞明(さだあきら)と言いました。869年(貞観11)に清和天皇の皇太子となり、876年(貞観18)に9歳で父・清和天皇から譲位され、第57代とされる天皇として即位したものの、母の兄の藤原基経が摂政となり、実権を握ります。
 880年(元慶4)に父・清和上皇が亡くなり、基経が関白に任ぜられましたが、882年(元慶6)に15歳で元服した頃から基経と対立するようになりました。『日本三代実録』には、闘犬・闘鶏を好み、内裏で馬を乗り回したり、動物をひそかに飼うなど異常な行動が記され、素行に問題があったとされます。
 883年(元慶7)に天皇の乳母紀全子(きのまたこ)の産んだ源益(みなもとのみつ)を殺す事件があり、藤原基経が出仕を拒否するようになりました。それらの原因により、翌年には病気を理由に、17歳で時康親王(光孝天皇)に譲位させられ、二条院(陽成院)に移ります。
 退位後に幾度か歌合を催していて、歌才があったとされますが、残されている歌は、『後撰和歌集』に収める「筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる」のみで、これは後に「小倉百人一首」にも採録されました。長寿を保ったものの、949年(天暦3年9月20日)に病により出家し、9日後の9月29日に、京都において、数え年82歳で亡くなり、墓所は神楽岡東陵(現在の京都市左京区浄土寺真如町)とされています。

<代表的な歌>

・「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」(後撰和歌集・百人一首)

☆陽成天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・868年(貞観10年) 京都において、清和天皇の第一皇子(母は藤原長良の娘高子)として生まれる
・869年(貞観11年2月1日) 清和天皇の皇太子となる
・876年(貞観18年11月29日) 9歳で父・清和天皇から譲位され、母の兄の藤原基経が摂政となる
・880年(元慶4年) 父・清和上皇が亡くなる
・880年(元慶4年) 藤原基経が関白に任ぜられる
・882年(元慶6年1月) 15歳で元服する
・883年(元慶7年) 天皇の乳母紀全子(きのまたこ)の産んだ源益(みなもとのみつ)を殺す
・883年(元慶7年8月) 藤原基経が出仕を拒否するようになる
・884年(元慶8年2月4日) 17歳で病気を理由に、時康親王(光孝天皇)に譲位し、二条院(陽成院)に移る
・949年(天暦3年9月20日) 病により出家する
・949年(天暦3年9月29日) 京都において、数え年82歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

930年(延長8)第60代の天皇とされる醍醐天皇の命日(新暦10月23日)詳細
1801年(享和元)国学者本居宣長の命日(新暦11月5日)詳細
1879年(明治12)学制」が廃止され、「教育令」が制定される詳細
1972年(昭和47)日本と中国が「日中共同声明」に調印する詳細


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