今日は、令和時代の2019年(令和元)に、小説家・随筆家田辺聖子の亡くなった日です。
田辺聖子(たなべ せいこ)は、昭和時代前期の1928年(昭和3)3月27日に、大坂府大阪市此花区(現在の福島区)において、祖父の代から写真館を経営していた家に生まれました。幼少時は古典文学に親しみ、多くの少女小説を愛読し、淀之水高等女学校(現・昇陽中学校・高等学校)を経て、1944年(昭和19)に、樟蔭女子専門学校(現在の大阪樟蔭女子大学)国語科に入学します。
1947年(昭和22)に卒業後、大阪の金物問屋KK大同商店に入社し、働きながら文芸同人の「文芸首都」「大阪文学」に参加しました。1952年(昭和27)に筆名・相馬八郎で書いた『診察室にて』が「文章倶楽部」に読者文芸小説入選第一席として掲載され、1954年(昭和29)には、大同商店を退社します。
1955年(昭和30)に大阪文学学校へ通いはじめ、足立巻一の指導で生活記録『私の生い立ち』などを書き、1956年(昭和31)には、『虹』で大阪市民文芸賞を受賞しました。1957年(昭和32)に『花狩』が「婦人生活」の懸賞小説に佳作入選、大阪文学学校研究科を卒業し、1958年(昭和33)には、『花狩』を「婦人生活」に連載、最初の単行本として刊行します。
1960年(昭和35)に文学仲間と同人誌『航路』を創刊、1961年(昭和36)にラジオドラマ「めぐりあい」が放送され、1964年(昭和39)には、『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で第50回芥川賞を受賞しました。1966年(昭和41)に神戸市兵庫区の開業医師・川野純夫と結婚、1967年(昭和42)に義父死去を機に神戸市兵庫区荒田町に移り、夫の家族と同居、1968年(昭和43)には、ヨーロッパ旅行へ行っています。
1974年(昭和49)に『女の長風呂(続)』で第2回日本腰巻文学大賞を受賞、1976年(昭和51)に大阪芸術賞、1981年(昭和56)に伊丹市民文化賞、1982年(昭和57)に兵庫県文化賞、1986年(昭和61)には、第40回神戸新聞平和賞を受賞しました。1987年(昭和62)に直木賞初の女性選考委員になり、『花衣ぬぐやまつわる…――わが愛の杉田久女』が第26回女流文学賞受賞、1990年(平成2)に第10回日本文芸大賞受賞、女流文学賞の選考委員になり、1993年(平成5)には、『ひねくれ一茶』が第27回吉川英治文学賞を受賞します。
1995年(平成7)に紫綬褒章受章、1998年(平成10)にエイボン女性大賞、第3回井原西鶴賞特別賞受賞、『道頓堀の雨に別れて以来なり』で第26回泉鏡花文学賞と第50回読売文学賞「評論・伝記賞」を受賞しました。2000年(平成12)に文化功労者に選ばれ、2002年(平成14)に第5回キワニス大阪賞受賞、2003年(平成15)に『姥ざかり花の旅笠』が第8回蓮如賞受賞、2007年(平成19)には、母校の大阪樟蔭女子大学小阪キャンパス図書館内に「田辺聖子文学館」が開館、2006年度朝日賞を受賞します。
2008年(平成20)に文化勲章受章、2009年(平成21)に伊丹市名誉市民となり、日本放送文化賞受賞、2018年(平成30)に『私の大阪八景』(改版2017年)が大阪ほんま本大賞特別賞受賞しましたが、2019年(平成31)6月6日に、兵庫県神戸市内の病院において、胆管炎のため、91歳で亡くなりました。
1947年(昭和22)に卒業後、大阪の金物問屋KK大同商店に入社し、働きながら文芸同人の「文芸首都」「大阪文学」に参加しました。1952年(昭和27)に筆名・相馬八郎で書いた『診察室にて』が「文章倶楽部」に読者文芸小説入選第一席として掲載され、1954年(昭和29)には、大同商店を退社します。
1955年(昭和30)に大阪文学学校へ通いはじめ、足立巻一の指導で生活記録『私の生い立ち』などを書き、1956年(昭和31)には、『虹』で大阪市民文芸賞を受賞しました。1957年(昭和32)に『花狩』が「婦人生活」の懸賞小説に佳作入選、大阪文学学校研究科を卒業し、1958年(昭和33)には、『花狩』を「婦人生活」に連載、最初の単行本として刊行します。
1960年(昭和35)に文学仲間と同人誌『航路』を創刊、1961年(昭和36)にラジオドラマ「めぐりあい」が放送され、1964年(昭和39)には、『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で第50回芥川賞を受賞しました。1966年(昭和41)に神戸市兵庫区の開業医師・川野純夫と結婚、1967年(昭和42)に義父死去を機に神戸市兵庫区荒田町に移り、夫の家族と同居、1968年(昭和43)には、ヨーロッパ旅行へ行っています。
1974年(昭和49)に『女の長風呂(続)』で第2回日本腰巻文学大賞を受賞、1976年(昭和51)に大阪芸術賞、1981年(昭和56)に伊丹市民文化賞、1982年(昭和57)に兵庫県文化賞、1986年(昭和61)には、第40回神戸新聞平和賞を受賞しました。1987年(昭和62)に直木賞初の女性選考委員になり、『花衣ぬぐやまつわる…――わが愛の杉田久女』が第26回女流文学賞受賞、1990年(平成2)に第10回日本文芸大賞受賞、女流文学賞の選考委員になり、1993年(平成5)には、『ひねくれ一茶』が第27回吉川英治文学賞を受賞します。
1995年(平成7)に紫綬褒章受章、1998年(平成10)にエイボン女性大賞、第3回井原西鶴賞特別賞受賞、『道頓堀の雨に別れて以来なり』で第26回泉鏡花文学賞と第50回読売文学賞「評論・伝記賞」を受賞しました。2000年(平成12)に文化功労者に選ばれ、2002年(平成14)に第5回キワニス大阪賞受賞、2003年(平成15)に『姥ざかり花の旅笠』が第8回蓮如賞受賞、2007年(平成19)には、母校の大阪樟蔭女子大学小阪キャンパス図書館内に「田辺聖子文学館」が開館、2006年度朝日賞を受賞します。
2008年(平成20)に文化勲章受章、2009年(平成21)に伊丹市名誉市民となり、日本放送文化賞受賞、2018年(平成30)に『私の大阪八景』(改版2017年)が大阪ほんま本大賞特別賞受賞しましたが、2019年(平成31)6月6日に、兵庫県神戸市内の病院において、胆管炎のため、91歳で亡くなりました。
〇田辺聖子の主要な著作
・『花狩』(1958年)懸賞小説佳作入選
・『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』(1964年)第50回芥川賞受賞
・『私の大阪八景』(1965年)
・エッセイ『女の長風呂』(1973年)第2回日本腰巻文学大賞受賞
・『千(ち)すじの黒髪――わが愛の与謝野晶子』(1972年)
・長編『求婚旅行』上・中・下(1973~1974年)
・『すべってころんで』(1973年)
・『文車日記――私の古典散歩』(1974年)
・『隼別王子の叛乱』(1977年)
・自伝『欲しがりません勝つまでは――私の終戦まで』(1977年)
・『舞え舞え蝸牛――新落窪物語』(1977年)
・『新源氏物語』全5巻(1978~1979年)
・『中年ちゃらんぽらん』(1978年)
・『姥ざかり』(1981年)
・自伝的長編『しんこ細工の猿や雉』(1984年)
・『花衣ぬぐやまつわる…――わが愛の杉田久女』(1987年)第26回女流文学賞受賞
・『ひねくれ一茶』(1992年)第27回吉川英治文学賞受賞
・『道頓堀の雨に別れて以来なり――川柳)作家・岸本水府とその時代』上・下(1998年)第26回泉鏡花文学賞、第50回読売文学賞「評論・伝記賞」受賞
・『姥ざかり花の旅笠』(2003年)第8回蓮如賞受賞
☆田辺聖子関係略年表
・1928年(昭和3)3月27日 大坂府大阪市此花区(現在の福島区)に生まれる
・1940年(昭和15) 淀之水高等女学校(現・昇陽中学校・高等学校)に入学する
・1944年(昭和19) 樟蔭女子専門学校(現在の大阪樟蔭女子大学)国語科に入学する
・1947年(昭和22) 樟蔭女子専門学校(現在の大坂樟蔭女子大学)国文科(国語科から改称)を卒業し、大阪の金物問屋KK大同商店に入社する
・1951年(昭和26) 保高徳蔵が主宰する同人誌『文藝首都』の会員となり、原稿を送り始める
・1952年(昭和27) 筆名・相馬八郎で書いた「診察室にて」が『文章倶楽部』に読者文芸小説入選第一席として掲載される
・1954年(昭和29) 大同商店を退社し、『古事記』『日本書紀』に没頭する
・1955年(昭和30) 大阪文学学校へ通い、足立巻一の指導で生活記録「私の生い立ち」などを書く
・1956年(昭和31) 「虹」で大阪市民文芸賞を受賞する
・1957年(昭和32) 「花狩」が『婦人生活』の懸賞小説に佳作入選、大阪文学学校研究科を卒業する
・1958年(昭和33) 「花狩」を『婦人生活』に連載、最初の単行本として刊行する
・1960年(昭和35) 文学仲間と同人誌『航路』を創刊する
・1961年(昭和36) ラジオドラマ「めぐりあい」が放送される
・1964年(昭和39) 「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で第50回芥川賞を受賞する
・1965年(昭和40) 『私の大阪八景』を刊行する
・1966年(昭和41) 神戸市兵庫区の開業医師・川野純夫と結婚する
・1967年(昭和42) 義父死去を機に神戸市兵庫区荒田町に移り、夫の家族と同居する
・1968年(昭和43) ヨーロッパ旅行へ行く
・1974年(昭和49) 『女の長風呂(続)』が第2回日本腰巻文学大賞を受賞する
・1976年(昭和51) 伊丹市のマンションに転居、大阪芸術賞を受賞する
・1981年(昭和56) 伊丹市民文化賞を受賞する
・1982年(昭和57) 兵庫県文化賞を受賞する
・1986年(昭和61) 第40回神戸新聞平和賞を受賞する
・1987年(昭和62) 直木賞初の女性選考委員になり。『花衣ぬぐやまつわる…――わが愛の杉田久女』が第26回女流文学賞を受賞する
・1990年(平成2) 第10回日本文芸大賞を受賞、女流文学賞の選考委員になる
・1993年(平成5) 『ひねくれ一茶』が第27回吉川英治文学賞を受賞する
・1995年(平成7) 紫綬褒章を受章する
・1998年(平成10) エイボン女性大賞、第3回井原西鶴賞特別賞を受賞、『道頓堀の雨に別れて以来なり』で第26回泉鏡花文学賞を受賞する
・1999年(平成11) 『道頓堀の雨に別れて以来なり』が第50回読売文学賞「評論・伝記賞」を受賞する
・2000年(平成12) 文化功労者に選ばれる
・2002年(平成14) 第5回キワニス大阪賞を受賞する
・2003年(平成15) 『姥ざかり花の旅笠』が第8回蓮如賞を受賞する
・2007年(平成19) 母校の大阪樟蔭女子大学小阪キャンパス図書館内に「田辺聖子文学館」が開館、2006年度朝日賞を受賞する
・2008年(平成20) 文化勲章を受章する
・2009年(平成21) 伊丹市名誉市民となり、日本放送文化賞を受賞する
・2018年(平成30) 『私の大阪八景』(改版2017年)が大阪ほんま本大賞特別賞を受賞する