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 今日は、明治時代前期の1871年(明治4)に、「田畑夫食取入ノ余ハ諸物品勝手作ヲ許ス」 (明治4年大蔵省達第47号)が出された日ですが、新暦では10月2日となります。
 「田畑夫食取入ノ余ハ諸物品勝手作ヲ許ス(たはたふじきとりいれのあまりはしょぶっぴんかってさくをゆるす)」は、明治新政府が田畑における作物の自由作付を許可した大蔵省達でした。それまでの江戸幕府は「田畑勝手作禁止令」により、本年貢収入の確保をはかるため、検地帳記載の本田畑に五穀(米・麦・粟・豆・黍 )以外の作物、たばこ・桑・綿などの商品作物の栽培を禁じていましたが、輸送手段が発達し、年貢の石代納を認めたことで、農民の生産意欲の向上とともに、明治新政府への租税収入の安定・増加を図ることができることを理由に、田畑勝手作許可を実行したものです。
 翌年には、「田畑永代売買禁止令」を廃止する「地所永代売買解禁」が出され土地永代売買が解禁され、地租改正による封建的土地所有の廃止、地租金納化へと発展していきました。
 以下に、「田畑夫食取入ノ余ハ諸物品勝手作ヲ許ス」 (明治4年大蔵省達第47号)の全文を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「田畑夫食取入ノ余ハ諸物品勝手作ヲ許ス」 (明治4年大蔵省達第47号) 1871年(明治4年9月7日)発令

九月七日

是迄夫食󠄃不足ノ譯ヲ以田畑ヘハ米麥雜穀ヲ重モニ作付致シ桑楮漆茶藍麻󠄃藺菜種其外ノ作物共其土地ニ適󠄃當致シ候テモ作付不致或ハ元地頭領主ヨリ差留候向モ有之候處追󠄃々運󠄃輸󠄃ノ道󠄃辨利相成其上是迄米納󠄃ノ向モ願次󠄄第石代納󠄃御差許相成候事ニ付村々百姓銘々ノ夫食󠄃取入候外ハ何品ニ限ラス勝󠄃手ニ作付致シ候方下々ノ利潤ニモ可相成候間總テ從來其土地ノ貢租辻ヲ以テ年季ヲ究メ檢見ノ場所󠄃ハ新規定免ノ規則ニ照準シ定納󠄃相願候上ハ屋敷成並田畑勝手作共御差許可相成候條地味ノ善惡作物ノ損得篤ト勘辨イタシ充分仕當ニ可相成見込󠄃有之候ハ丶可願出事

右ノ通󠄃管下村々ヘ觸達󠄃願出候モノ有之ニ於テハ從前󠄃ノ貢租辻等篤ト相糺不都合無之候ハ丶聞屆置追󠄃テ可相屆事

但田畑成畑田成共貢租辻增減無之分ハ總テ可爲本文󠄃之通󠄃事

   「ウイキソース」より

☆「田畑勝手作禁止令」とは?

 江戸幕府が出した農民統制令の一つで、検地帳記載の本田畑に五穀(米・麦・粟・豆・黍 )以外の作物、たばこ・桑・綿などの商品作物の栽培を禁じ、本年貢収入の確保をはかったものです。1612年(慶長17年8月)に、喫煙の禁止と共に煙草の作付けを禁じましたが、1643年(寛永20年3月)には、本田,新田ともにタバコ栽培を禁止、同年8月26日には、田での木綿作と、田・畑における油用の菜種(なたね)の作付けを禁じました。これは、いずれも領主の年貢確保を目的としたものでしたもので、以後、たびたび発布されましたが、実効性は乏しくなり、商品経済の進展に伴い、特産物の生産が奨励され、作物作付制限令は形式化していきます。そして、明治維新後の1871年(明治4年9月7日)に明治新政府によって、「田畑夫食取入ノ余ハ諸物品勝手作ヲ許ス」が出されて、この禁止が完全に撤廃されました。

☆(参考)「田畑勝手作禁止令」 1643年(寛永20年8月26日)発布

   覚

一、来年より御料・私領共に、本田にたばこ作り申間敷旨、仰せ出され候。………

 (中略)

一、田方に木綿作り申す間敷事。
一、田畑ともに、油の用として菜種作り申間敷候事。

    寛永二十年未八月廿六日仰せ出さる

   『徳川禁令考』 より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1751年(寛延4)浄瑠璃作者並木宗輔(千柳)の命日(新暦10月25日)詳細
1816年(文化13)浮世絵師・戯作者山東京伝の命日(新暦10月27日)詳細
1939年(昭和14)小説家泉鏡花の命日(泉鏡花忌)詳細