
ノーベル賞(のーべるしょう)は、ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベル(1833~96)の遺言と遺産によって、1901年(明治34)から始まった世界で最も権威のある賞とされてきました。毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和の5部門において、顕著な功績のあった人に授与されるようになりましたが、1969年(昭和44)からは、スウェーデン銀行創立300年を記念し、その寄付により経済学賞も同様に授与されるようになり、メダル・賞状・賞金がノーベルの命日に当たる12月10日に贈られています。
賞の授与機関については、ノーベルの遺志により、物理学部門と化学部門はスウェーデン王立科学アカデミー、生理学・医学部門は王立カロリンスカ医学研究所、文学部門はスウェーデン・アカデミー、平和賞はノルウェー国会ノーベル委員会と定められ、経済学部門については、スウェーデン王立科学アカデミーが賞の授与にあたってきました。日本人の最初の受賞者は、1949年(昭和24)物理学賞の湯川秀樹「中間子の存在の予想」で、2022年(令和4)までに25名と1団体(日本出身の他国籍者を除く)が、物理学賞(9名)、化学賞(8名)、生理学・医学賞(5名)、文学賞(2名)、平和賞(1名と1団体)にわたって受賞していまのす。
〇江崎玲於奈(えざき れおな)とは?
江崎玲於奈(えさき れおな)は、大正時代の1925年(大正14)3月12日に、大阪府中河内郡高井田村(現在の東大阪市)において、建築技師である父・江崎壮一郎の長男として生まれました。兵庫県師範学校御影附属小学校高等科、同志社中学校、第三高等学校を経て、1944年(昭和19)に東京帝国大学に入学します。
1947年(昭和22)に同大学理学部物理学科を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在のデンソーテン)に入社、真空管の陰極からの熱電子放出の研究を行なしました。1956年(昭和31)に東京通信工業株式会社(現在のソニー)に移籍し、翌年には、東京通信工業研究部で、不純物原子を多量に含んだゲルマニウムによる薄いp-n接合を作成し、その電流電圧特性が特異な非線形特性を示すことを発見し、仁科記念賞を受賞しています。
1959年(昭和34)に、論文「薄いp-n接合における新現象」で、東京大学から理学博士の学位を授与され、朝日賞を受賞しました。1960年(昭和35)に東レ科学技術賞を受賞、米国IBM トーマス・J・ワトソン研究所に移籍して磁場と電場の下における新しいタイプの電子-フォノン相互作用や、トンネル分光の研究を行ないます。
1961年(昭和36)にモーリス・N・リーブマン記念賞(米IRE、後のIEEE)、スチュアート・バレンタイン・メダル(米フランクリン協会)、1965年(昭和40)には、日本学士院賞を受賞しました。1969年~70年(昭和44~45)に、現在、分子線エピタキシー法(MBE法)と呼ばれる層状人工結晶作成の方法を開発します。
1973年(昭和48)に「半導体におけるトンネル現象の実験的発見」により、ノーベル賞(物理学賞)を受賞、1974年(昭和49)に文化勲章を受章、1975年(昭和50)には、日本学士院会員となりました。1976年(昭和51)に全米科学アカデミー外国会員となり、1985年(昭和60)にジェームス・C・マックグラディ新材料賞、1991年(平成3)には、IEEE栄誉賞を受賞します。
1992年(平成4)に帰国して、筑波大学学長(~1998年)に就任、1998年(平成10)に日本国際賞を受賞、勲一等旭日大綬章を受章、2000年(平成12)には、教育改革国民会議座長、芝浦工業大学学長に就任しました。2003年(平成15)にナノサイエンス分野の業績を顕彰する科学賞として江崎玲於奈賞が創設され、その選考委員長、2006年(平成18)には、横浜薬科大学学長に就任しています。
1947年(昭和22)に同大学理学部物理学科を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在のデンソーテン)に入社、真空管の陰極からの熱電子放出の研究を行なしました。1956年(昭和31)に東京通信工業株式会社(現在のソニー)に移籍し、翌年には、東京通信工業研究部で、不純物原子を多量に含んだゲルマニウムによる薄いp-n接合を作成し、その電流電圧特性が特異な非線形特性を示すことを発見し、仁科記念賞を受賞しています。
1959年(昭和34)に、論文「薄いp-n接合における新現象」で、東京大学から理学博士の学位を授与され、朝日賞を受賞しました。1960年(昭和35)に東レ科学技術賞を受賞、米国IBM トーマス・J・ワトソン研究所に移籍して磁場と電場の下における新しいタイプの電子-フォノン相互作用や、トンネル分光の研究を行ないます。
1961年(昭和36)にモーリス・N・リーブマン記念賞(米IRE、後のIEEE)、スチュアート・バレンタイン・メダル(米フランクリン協会)、1965年(昭和40)には、日本学士院賞を受賞しました。1969年~70年(昭和44~45)に、現在、分子線エピタキシー法(MBE法)と呼ばれる層状人工結晶作成の方法を開発します。
1973年(昭和48)に「半導体におけるトンネル現象の実験的発見」により、ノーベル賞(物理学賞)を受賞、1974年(昭和49)に文化勲章を受章、1975年(昭和50)には、日本学士院会員となりました。1976年(昭和51)に全米科学アカデミー外国会員となり、1985年(昭和60)にジェームス・C・マックグラディ新材料賞、1991年(平成3)には、IEEE栄誉賞を受賞します。
1992年(平成4)に帰国して、筑波大学学長(~1998年)に就任、1998年(平成10)に日本国際賞を受賞、勲一等旭日大綬章を受章、2000年(平成12)には、教育改革国民会議座長、芝浦工業大学学長に就任しました。2003年(平成15)にナノサイエンス分野の業績を顕彰する科学賞として江崎玲於奈賞が創設され、その選考委員長、2006年(平成18)には、横浜薬科大学学長に就任しています。
<江崎玲於奈の主要な著作>
・『トンネルの長い旅路』(1974年)
・『新・日本イソップ物語 一科学者の提言』(1978年)
・『アメリカと日本 ニューヨークで考える』(1980年)
・『日本とアメリカ 甲南大学創立30周年記念講演会・講演録』(1983年)
・『創造の風土 ニューヨークから』(1984年)
・『アメリカと日本』(1987年)
・『創造の風土』(1987年)
・『個人人間の時代 ニューヨークから』(1988年)
・『個性と創造』(1993年)
・『サイエンスの進歩が意味するもの』(1994年)
・『創造力の育て方・鍛え方』(1997年)
・『「未知」という選択 世界のレオ創造の軌跡』(2017年)
☆江崎玲於奈関係略年表
・1925年(大正14)3月12日 大阪府中河内郡高井田村(現在の東大阪市)において、建築技師である父・江崎壮一郎の長男として生まれる
・1944年(昭和19) 東京帝国大学に入学、杉山報公会奨学生となる
・1947年(昭和22) 東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在のデンソーテン)に入社、真空管の陰極からの熱電子放出の研究を行なう
・1956年(昭和31) 東京通信工業株式会社(現在のソニー)に移籍する
・1957年(昭和32) 東京通信工業研究部で、不純物原子を多量に含んだゲルマニウムによる薄いp-n接合を作成し、その電流電圧特性が特異な非線形特性を示すことを発見し、仁科記念賞を受賞する
・1959年(昭和34) 論文「薄いp-n接合における新現象」で、東京大学から理学博士の学位を授与され、朝日賞を受賞する
・1960年(昭和35) 東レ科学技術賞を受賞、米国IBM トーマス・J・ワトソン研究所に移籍して磁場と電場の下における新しいタイプの電子-フォノン相互作用や、トンネル分光の研究を行なう
・1961年(昭和36) モーリス・N・リーブマン記念賞(米IRE、後のIEEE)、スチュアート・バレンタイン・メダル(米フランクリン協会)を受賞する
・1965年(昭和40) 日本学士院賞を受賞する
・1969年~70年(昭和44~45) 現在、分子線エピタキシー法(MBE法)と呼ばれる層状人工結晶作成の方法を開発する
・1973年(昭和48) 「半導体におけるトンネル現象の実験的発見」により、ノーベル賞(物理学賞)を受賞する
・1974年(昭和49) 文化勲章を受章する
・1975年(昭和50) 日本学士院会員となる
・1976年(昭和51) 全米科学アカデミー外国会員となる
・1985年(昭和60) ジェームス・C・マックグラディ新材料賞を受賞する
・1991年(平成3) IEEE栄誉賞を受賞する
・1992年(平成4) 帰国して、筑波大学学長(~1998年)に就任する
・1998年(平成10) 日本国際賞を受賞、勲一等旭日大綬章を受章する
・2000年(平成12) 教育改革国民会議座長、芝浦工業大学学長に就任する
・2003年(平成15) ナノサイエンス分野の業績を顕彰する科学賞として江崎玲於奈賞が創設され、その選考委員長に就任する
・2006年(平成18) 横浜薬科大学学長に就任する。
☆日本人のノーベル賞受賞者一覧(受賞時に外国籍の人は除く)
<物理学賞>9名
・1949年 湯川秀樹「中間子の存在の予想」
・1965年 朝永振一郎「量子電気力学分野での基礎的研究」
・1973年 江崎玲於奈「半導体におけるトンネル効果の実験的発見」
・2002年 小柴昌俊「天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」
・2008年 小林誠「小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献」
・2008年 益川敏英「小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献」
・2014年 赤﨑勇「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明」
・2014年 天野浩「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明」
・2015年 梶田隆章「ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見」
<化学賞>8名
・1981年 福井謙一「化学反応過程の理論的研究」
・2000年 白川英樹「導電性高分子の発見と発展」
・2001年 野依良治「キラル触媒による不斉反応の研究」
・2002年 田中耕一「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」
・2008年 下村脩「緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献」
・2010年 根岸英一「クロスカップリングの開発」
・2010年 鈴木章「クロスカップリングの開発」
・2019年 吉野彰「リチウムイオン二次電池の開発」
<生理学・医学賞>5名
・1987年 利根川進「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」
・2012年 山中伸弥「様々な細胞に成長できる能力を持つiPS細胞の作製」
・2015年 大村智「線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見」
・2016年 大隅良典「オートファジーの仕組みの解明」
・2018年 本庶佑「免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用」
<文学賞>2名
・1968年 川端康成「『伊豆の踊子』『雪国』など、日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による叙述の卓越さに対して」
・1994年 大江健三郎「『個人的な体験』『万延元年のフットボール』など、詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにした功績に対して」
<平和賞>1名と1団体
・1974年 佐藤栄作「非核三原則の提唱」
・2024年 日本原水爆被害者団体協議会「核兵器のない世界を実現するための努力と、目撃証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを実証したことに対して」
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
711年(和銅4) | 「蓄銭叙位令」が出される (新暦12月7日) | 詳細 |
765年(天平神護元) | 第47代天皇とされる淳仁天皇が、配流先の淡路島で亡くなる(新暦11月10日) | 詳細 |
1669年(寛文9) | 日高アイヌの総酋長シャクシャインの命日 (新暦11月16日) | 詳細 |
1871年(明治4) | 詩人・英文学者土井晩翠の誕生日(新暦12月5日) | 詳細 |
1873年(明治6) | 明治六年政変が起き、西郷隆盛が参議などを含む官職からの辞表を提出し、帰郷の途に就く | 詳細 |
1901年(明治34) | 田中正造が足尾鉱毒事件で衆議院議員を辞職する | 詳細 |
2004年(平成16) | 新潟県中越地震(マグニチュード6.8)が起こり、死者68人、重軽傷者4,805人が出る | 詳細 |