今日は、平成時代の2020年(平成32)に、物理化学者長倉三郎が亡くなった日です。
長倉三郎(ながくら さぶろう)は、大正時代の1920年(大正9)10月3日に、静岡県駿東郡鷹根村(現在の沼津市)柳沢において生まれました。県立沼津中学校(現在の沼津東高校)、旧制静岡高等学校を経て、1943年(昭和18)に、東京帝国大学理学部化学科を卒業します。
大学院へ進学したものの、休学して海軍技術見習尉官に任じられ、青島方面特別根拠地付を命じられ、海軍技術大尉として終戦を迎えました。1945年(昭和20)に東京帝国大学放射線化学研究所嘱託となり、水島三一郎に師事、翌年同研究所助手となり、1949年(昭和24には助教授に昇任します。
1953年(昭和28)に、論文「不飽和化合物の電子構造の研究」によって、東京大学より理学博士号を取得、1955年(昭和30)からアメリカへ留学し、ロバート・マリケン(シカゴ大学)が主宰する分子構造・分光研究室で研究に従事、1957年(昭和32)に帰国しました。1959年(昭和34)に、東京大学物性研究所教授となり、1961年(昭和36)に理化学研究所主任研究員を兼務、1966年(昭和41)には、「分子の電子構造ならびに分子間の相互作用に関する研究」によって、第18回日本化学会賞を受賞します。
1971年(昭和46)に「分子化合物の電子論研究」により朝日賞、1978年(昭和53)には、「短寿命励起分子及び反応中間体の電子構造と反応性の研究」により、第68回日本学士院賞を受賞しました。1981年(昭和56)に定年退官して名誉教授、分子化学研究所所長となり、国際純正・応用化学連合 IUPACの会長に日本人で初めて就任、1984年(昭和59)には、日本化学会会長、日本学士院会員となります。
1985年(昭和60)に日本化学会会長を辞め、岡崎国立共同研究機構の機構長となり、文化功労者、1988年(昭和63)には、岡崎国立共同研究機構の機構長を辞め、総合研究大学院大学長となりました。1990年(平成2)に文化勲章を受章、1991年(平成3)に沼津市名誉市民、1992年(平成4)には武蔵野市名誉市民となります。
1995年(平成7)に総合研究大学院大学長を辞め、公益財団法人神奈川科学技術アカデミー理事長となり、勲一等瑞宝章を受章するなど数々の栄誉に輝きました。2001年(平成13)に日本学士院第23代院長となり、2003年(平成15)に公益財団法人神奈川科学技術アカデミー理事長を辞め、武蔵野地域自由大学学長となります。
2008年(平成17)には、神奈川大学特別招聘教授となりましたが、2020年(平成32)4月16日に、東京において、99歳で亡くなり、従三位が追贈されました。
大学院へ進学したものの、休学して海軍技術見習尉官に任じられ、青島方面特別根拠地付を命じられ、海軍技術大尉として終戦を迎えました。1945年(昭和20)に東京帝国大学放射線化学研究所嘱託となり、水島三一郎に師事、翌年同研究所助手となり、1949年(昭和24には助教授に昇任します。
1953年(昭和28)に、論文「不飽和化合物の電子構造の研究」によって、東京大学より理学博士号を取得、1955年(昭和30)からアメリカへ留学し、ロバート・マリケン(シカゴ大学)が主宰する分子構造・分光研究室で研究に従事、1957年(昭和32)に帰国しました。1959年(昭和34)に、東京大学物性研究所教授となり、1961年(昭和36)に理化学研究所主任研究員を兼務、1966年(昭和41)には、「分子の電子構造ならびに分子間の相互作用に関する研究」によって、第18回日本化学会賞を受賞します。
1971年(昭和46)に「分子化合物の電子論研究」により朝日賞、1978年(昭和53)には、「短寿命励起分子及び反応中間体の電子構造と反応性の研究」により、第68回日本学士院賞を受賞しました。1981年(昭和56)に定年退官して名誉教授、分子化学研究所所長となり、国際純正・応用化学連合 IUPACの会長に日本人で初めて就任、1984年(昭和59)には、日本化学会会長、日本学士院会員となります。
1985年(昭和60)に日本化学会会長を辞め、岡崎国立共同研究機構の機構長となり、文化功労者、1988年(昭和63)には、岡崎国立共同研究機構の機構長を辞め、総合研究大学院大学長となりました。1990年(平成2)に文化勲章を受章、1991年(平成3)に沼津市名誉市民、1992年(平成4)には武蔵野市名誉市民となります。
1995年(平成7)に総合研究大学院大学長を辞め、公益財団法人神奈川科学技術アカデミー理事長となり、勲一等瑞宝章を受章するなど数々の栄誉に輝きました。2001年(平成13)に日本学士院第23代院長となり、2003年(平成15)に公益財団法人神奈川科学技術アカデミー理事長を辞め、武蔵野地域自由大学学長となります。
2008年(平成17)には、神奈川大学特別招聘教授となりましたが、2020年(平成32)4月16日に、東京において、99歳で亡くなり、従三位が追贈されました。
〇長倉三郎の主要な著作
・水島三一郎との共著『量子化学』(1959年)
・『有機電子理論 主として分子軌道法による』(1966年)
・『「複眼的思考」ノススメ 調和が必要な変革の時代を迎えて』(2011年)
☆長倉三郎関係略年表
・1920年(大正9)10月3日 静岡県駿東郡鷹根村(現在の沼津市)柳沢において、生まれる
・1938年(昭和13) 県立沼津中学校(現在の沼津東高校)を卒業する
・1941年(昭和16) 旧制静岡高等学校を卒業し、東京帝国大学理学部へ進む
・1943年(昭和18) 東京帝国大学理学部化学科を卒業する
・1945年(昭和20) 東京帝国大学放射線化学研究所嘱託となり、水島三一郎に師事する
・1946年(昭和21) 東京帝国大学放射線化学研究所助手となる
・1949年(昭和24) 東京大学放射線化学研究所助教授となる
・1953年(昭和28) 論文「不飽和化合物の電子構造の研究」によって、東京大学より理学博士号を得る
・1955年(昭和30) アメリカへ留学し、ロバート・マリケン(シカゴ大学)が主宰する分子構造・分光研究室で研究に従事する
・1957年(昭和32) 留学先から帰国する
・1959年(昭和34) 東京大学物性研究所教授となる
・1961年(昭和36) 理化学研究所主任研究員を兼務する
・1966年(昭和41) 「分子の電子構造ならびに分子間の相互作用に関する研究」によって、第18回日本化学会賞を受賞する
・1971年(昭和46) 「分子化合物の電子論研究」により朝日賞を受賞する
・1978年(昭和53) 「短寿命励起分子及び反応中間体の電子構造と反応性の研究」で第68回日本学士院賞を受賞する
・1981年(昭和56) 定年退官して名誉教授、分子化学研究所所長となり、国際純正・応用化学連合 IUPACの会長に日本人で初めて就任する
・1984年(昭和59) 日本化学会会長、日本学士院会員となる
・1985年(昭和60) 日本化学会会長を辞め、岡崎国立共同研究機構の機構長となり、文化功労者ともなる
・1988年(昭和63) 岡崎国立共同研究機構の機構長を辞め、総合研究大学院大学長となる
・1990年(平成2) 文化勲章を受章する
・1991年(平成3) 沼津市名誉市民となる
・1992年(平成4) 武蔵野市名誉市民となる
・1995年(平成7) 総合研究大学院大学長を辞め、公益財団法人神奈川科学技術アカデミー理事長となり、勲一等瑞宝章を受章する
・1996年(平成8) インド国立科学アカデミー ジャワハルラール・ネルー生誕百年記念メダルを得る
・1997年(平成9) チェコ科学アカデミー ヤロスラフ・ヘイロフスキー名誉メダルを得る
・2001年(平成13) 日本学士院第23代院長となる
・2003年(平成15) 公益財団法人神奈川科学技術アカデミー理事長を辞め、武蔵野地域自由大学学長となる
・2007年(平成16) 日本学士院第23代院長を辞める
・2008年(平成17) 神奈川大学特別招聘教授となる
・2016年(平成28) 武蔵野地域自由大学学長を辞める