
1922年(大正11)に東京社が創刊した絵雑誌「コドモノクニ」創刊号のタイトル文字及び表紙絵を担当し、童画家として出発しました。1923年(大正12)に処女童話集『お伽の卵』を刊行、1924年(大正13)には、東京銀座資生堂にて初の個展「武井武雄童画展」を開き、「童画」という言葉を創造します。
1926年(大正15)に郷土玩具の収集が一万点に及び北原白秋より”蛍の塔”と名づけられ、長篇童話『ラムラム王』を刊行、1927年(昭和2)には、岡本帰一、清水良雄、深沢省三、川上四郎、初山滋、村山知義と共に日本童画協会を結成、特集『花園の車』を刊行しました。1929年(昭和4)に自ら創案した新作の玩具・小手工芸品「イルフ・トイス」展を開催、1930年(昭和5)には、「日本郷土玩具・東西篇」を刊行しています。
1935年(昭和10)に私刊本『十二支絵本』を創始し、芸術の分野に造本美術を新しく加えることを提唱、1938年(昭和13)には、エッチング(銅版、絵本の名作「地上の祭」)を発刊しました。1941年(昭和16)の4月から3年がかりで『武井武雄愛蔵こけし図譜・全60葉』を刊行開始、1945年(昭和20)には、空襲で池袋の家が全焼、作品および貴重な資料を失ない、岡谷に疎開、文化団体「双燈社」を起こし、芸術文化の運動を行います。
1946年(昭和21)に日本童画会が結成され会員となり、文化団体「双燈社」を起こし、1948年(昭和23)に東京の荏原に単身仮寓、1949年(昭和24)には、東京都板橋区南常盤台に新居を構え、「一掬庵」と称しました。1959年(昭和34)に児童文化に貢献した功績により紫綬褒章を受章、1962年(昭和37)には、旧同志とともに戦争で解散されていた日本童画協会を復活、この時より毎年秋に白木屋(現東急)にて童画展を開催しています。
1967年(昭和42)に勲四等旭日小綬章を受章、1968年(昭和43)には、ソ連文化団体の招請により「児童文化訪ソ団」を結成し、その団長としてソビエト各地を歴訪しました。1975年(昭和50)に童画の代表作をのせた本「武井武雄作品集」が東ドイツのライプチッヒにて「世界で最も美しい本」として1975年のグランプリに選ばれ、1979年(昭和54)には、紺綬褒章および賜杯を受けています。
1982年(昭和57)に第四書票集、書票原画を中心として、市立岡谷美術考古館で「武井武雄作品展」を開催しましたが、1983年(昭和58)2月7日に、東京都板橋区の自宅において、心筋梗塞のため89歳で亡くなりました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1184年(治承8) | 一ノ谷の戦いが起こり、源義經らが奇襲により平氏に圧勝する(新暦3月20日) | 詳細 |
1681年(天和元) | 江戸幕府第5代将軍徳川綱吉が、母・桂昌院の発頓で、江戸に護国寺創建を命じる(新暦3月26日) | 詳細 |
1692年(元禄4) | 孔子を祭る湯島聖堂が完成する(新暦3月17日) | 詳細 |
1731年(享保16) | 俳人・蕉門十哲の一人各務支考の命日(新暦3月14日) | 詳細 |
1873年(明治6) | 「敵討禁止令」(明治6年太政官布告第37号)が布告される | 詳細 |
1899年(明治32) | 「実業学校令」(明治32年勅令第29号)が公布(同年4月1日施行)される | 詳細 |
1998年(平成10) | 長野オリンピック(第18回冬季オリンピック・長野大会)が開幕する | 詳細 |