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 今日は、江戸時代前期の1634年(寛永11)に、江戸幕府が、各藩邸から出動して江戸市内の消火にあたる大名火消を設置した日ですが、新暦では2月26日となります。
 大名火消(だいみょうびけし)は、江戸幕府が設置した、消防制度の一つでした。1634年(寛永11年1月29日)に、大名への課役とする新たな火消制度として、江戸城以下の重要建造物をはじめ、大名の藩邸とその付近一帯の消火活動を義務付けたものです。
 1643年(寛永20年9月)には、6万石以下の大名から16家を選び、4組に編成し、1万石につき30名ずつ藩邸の武士を動員、1組が10日交代で常時消防に当たらせるように整備しました。火事が発生すると、火元に近い大名が出動し、武家地・町人地の区別なく消火を行なうとされています。
 その後、1657年(明暦3年1月18日)の明暦の大火の翌年に、方角火消が設置され、1658年(万治元)に、江戸幕府が旗本4人を火消役に任命して定火消制度が始まり、1720年(享保5)には、約20町ごとを1組とし、隅田川から西を担当するいろは組47組と、東の本所・深川を担当する16組の町火消が設けられるなど、江戸の消火組織も整えられていきました。

〇江戸の火消関係略年表(日付は旧暦です)

・1634年(寛永11年1月29日) 江戸幕府が、各藩邸から出動して江戸市内の消火にあたる大名火消を設置する
・1643年(寛永20年9月) 江戸幕府は6万石以下の大名から16家を選び、4組に編成して、大名火消を整備する
・1657年(明暦3年1月18日) 明暦の大火が起き、約500~800町を焼き、焼死者が10万人以上に及んだとされる
・1657年(明暦3年) 方角火消が設置される
・1658年(万治元年9月8日) 江戸幕府が旗本4人を火消役に任命し、定火消制度が始まる
・1659年(万治2年1月4日) 老中稲葉正則の率いる定火消4組が上野東照宮に集結して気勢をあげ、出初(でぞめ)を行なう
・1695年(元禄8年) 定火消組織が15組に増やされる
・1704年(宝永元年) 10組の定火消組織が確立し「十人火消」といわれるようになる
・1720年(享保5年) 約20町ごとを1組とし、隅田川から西を担当するいろは組47組と、東の本所・深川を担当する16組の町火消が設けられる
・1730年(享保15年) いろは47組を一番組から十番組まで10の大組に分け、大纏を与えて統括し、より多くの火消人足を火事場に集められるように改編する
・1772年(明和9年2月29日) 明和の大火が起き、934町を焼き、死者は1万4,700人、行方不明者は4,000人を超える
・1806年(文化3年3月4日) 文化の大火が起き、530町を焼き、焼失家屋は12万6,000戸、死者は1200人を超える
・1859年(安政6年) 定火消組織が8組に減らされる
・1866年(慶応2年) 定火消組織が4組に減らされる

〇明暦の大火(めいれきのたいか)とは?

 江戸時代前期の1657年(明暦3年1月18日)午後2時頃、北西風が激しく吹く中、江戸の本郷丸山本妙寺で、3人の女が法会(施餓鬼)のため振袖を焼いたのが出火原因となり、大風のため次々と延焼しました。翌日に鎮火するまでに、約500~800町を焼き、旗本屋敷、神社仏閣、橋梁など多数を焼失、江戸城天守までもが燃え落ち、焼死者が10万人以上に及んだといわれています。
 寒さのために、罹災者で凍死する者も多く、幕府は救小屋を設けたり、粥の施行をして救済にあたりました。明和の大火、文化の大火と共に江戸三大大火とされていますが、その中でも最大のもので、「振袖火事」、「丸山火事」とも呼ばれています。
 その後の火災対策として、1657年(明暦3)に方角火消、翌年には定火消が設置され、瓦葺屋根や土蔵造りなどの耐火建築が奨励されました。大火によって、江戸時代初期の町の様相は失われ、幕府は復興に際し、御三家をはじめとする大名屋敷の城外への移転、寺社の外辺部への移転などを進め、道幅、町家の規模が統一され、火よけの広小路を設置、さらに本所、深川にも市街の拡張が行われます。
 しかし、災害復興のため幕府貯蔵の金銀は底をつき、1695年(元禄8)の金銀貨改鋳(貨幣改悪)の遠因となったと言われてきました。 

☆江戸時代の大火一覧

・1657年(明暦3年1月18日、19日)江戸の「明暦の大火」江戸時代最大の火事で、死者は最大で10万7千人と推計、江戸城天守焼失
・1683年(天和2年12月28日)江戸の「天和の大火」(八百屋お七の火事)死者830~3,500人
・1708年(宝永5年3月8日)京都の「宝永の大火」 家屋1万軒以上を焼失
・1724年(享保9年3月21日)大坂の「妙知(智)焼け」11,765軒を焼失、死者293人
・1760年(宝暦10年2月6日)江戸の「宝暦の大火」460町、寺社80ヶ所焼失
・1772年(明和9年2月29日)江戸の「明和の大火」死者1万4,700人、行方不明者4,060人
・1788年(天明8年1月30日)京都の「天明の大火」京都の歴史上最大といわれ、家屋は3万6,797軒焼失、死者150人
・1806年(文化3年3月4日)江戸の「文化の大火」焼失家屋12万6千戸、死者1,200人超、焼失した町530・大名屋敷80・寺社80
・1829年(文政12年3月21日)江戸の「文政の大火」死者2,800、焼失家屋37万戸
・1837年(天保8年2月19日)大坂の「大塩焼け」大塩平八郎の乱によるもので、死者270人以上
・1863年(文久3年11月21日)大坂の「新町焼け(新町橋焼け・五幸町の大火)」
・1864年(元治元年7月19日)京都の「元治の大火」

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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